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城戸朱理のブログ: 日記

2016年12月15日

ラドリオの連詩とランチョンの忘年会

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高貝弘也、田野倉康一、広瀬大志くんは、私にとって学生時代からの詩友だが、全員が揃うことは、めったにない。

年に一度、あるかないかだろうか。


ただし、今年は田野倉・広瀬両君の「現代詩文庫」が刊行されたせいで、例年より顔を合わせる機会が多かった。

野村喜和夫さんからの提案もあって、ごく内輪の出版記念をしたのが、9月19日(月)。

場所は、神保町のイタリア食堂、イル・ヴィゴーレ。

この店は、豚バラ肉を巻いた「ポルケッタ」(写真)や丸鶏の「ロティサリーチキン」が名物なのだが、メニューを見るなり、高貝くんが、「城戸さん、これを頼みましょう」とロティサリーチキンを指さした。

稀代の鶏肉好き(?)、高貝くんなら、そう言うに違いないと思って、ポルケッタとともにロティサリーチキンも一羽、注文してあったのだが。

高貝くんは、鶏料理を前にすると、よく「究極の料理です!」と言い出すが、もし、鶏を放し飼いにしている飼育場に行ったら、究極の食材が、あちこちでパタパタしているということになるのだろうか?


この出版記念会には、野村喜和夫さんのみならず、「現代詩文庫」の編集を担当した思潮社の高木真史総編集長に遠藤みどりさんも参加してくれた。



次は、10月29日(金)に開催された「現代詩文庫」刊行記念のトーク&リーディング・イベント。

思潮社が企画してくれたこのイベントは、全員が出席者だったため、今年、二度目の集まりとなり、その二次会で、連詩をやることに。


そして、今回、12月10日(土)の、連詩「航海2016」と忘年会である。


連詩を執筆するときのそれぞれの様子は、愉快だった。

詩を考えるときは、やたらとハードボイルドな大志くん。

みんなが、コーヒーをおかわりするなか、ひとりクリームソーダを頼み、書き始めたと思っても、すぐ、みんなのほうを向いて、おしゃべりを始めてしまうのは田野倉くんである。

それが、度重なるものだから、

「おしゃべりしてないで、早く書け!」と私。

「僕は、こうやって、しゃべりながら考えてるんだ」と田野倉くん。

そして、高貝くんがメモを取り始めると、田野倉くんが、それを覗き込んで、

「高貝くんが、すらすら書いてるぞ!」

「でも、行数は増えてないが」と私。

いちいち、横槍が入るので、集中するのが大変である。


私が下書きなしで、数分で書き上げたら、大志くんが驚き、「すげえ、モーツァルトを前にしたサリエリの気分だね!」。

たとえが大げさなのが、大志くんらしい(笑)。


忘年会でも様子は変わらない。

ランチョンでの忘年会には、野村喜和夫さん、思潮社の藤井一乃「現代詩手帖」編集長、遠藤みどりさんも参加してくれたのだが、
基本的には、田野倉くんが、ずっとしゃべっていて、高貝くんは黙ったまま、ときどき、大志くんと私が会話するというパターンである。


今回は、私が、古本屋で買った「思い出の一冊」を持ち寄ろうと提案したのだが、これが盛り上がり、出てくる本、出てくる本に、藤井さんも遠藤さんも歓声を挙げていた。

「思い出の一冊」の詳細については、別にアップしよう。


ランチョンでは、スモークサーモンにトマトサラダ、ビーフパイ、メンチカツに海老クリームコロッケ、アイスバインとピザなどを頼み、ビールで乾杯してから、ワインをボトルでもらって歓談したのだが、傑作だったのは、混浴の温泉が話題になったときのことである。


ある温泉について、「若い女の子が普通に入ってくるんだよな」と田野倉くん。

「うそー!
混浴って、女性はお婆さんばっかりでしょ?」と野村さん。

「私ものんびり混浴の温泉に浸かっていたら、若い20代前半の女性、しかも凄い美人がいきなり入ってきて、慌てたことがありますよ」と私も大沢温泉での経験を語ったら、

「うそだーっ!」

そう叫びながらも、次第に、野村さんの目の色が変わってくる。

トドメを刺したのは、バンビことパンクな彼女だった。

「本当ですよ〜
入ってきちゃうんですよ〜」

息を呑む野村さん。

「本当なら、僕は温泉に潜っちゃうよ!」

野村さんが、いきなり下した決断が、これである。

いいのだろうか、これで?

「シュノーケルはつけないで下さいね」と田野倉くんが、冷静に諭す。


もし、野村さんが捕まったら、知らない人のふりをするか、それとも、そんなことをする人とは思えませんでしたと、よくある弁護をするか、はたまた、いつかやると思っていましたと正直に証言するか、みんなで考えたが、答えは出なかった。
posted by 城戸朱理 at 07:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

現代詩花椿賞贈賞式からマリーンへ

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12月9日(金)は、勝烈庵で昼食を取ってから、銀座へ。

余裕があったので、銀座松屋を覗き、資生堂パーラーでチョコレートなどを買って、資生堂パーラー最上階のバーSで、時間までカクテルを飲む。


第34回現代詩花椿賞贈賞式は、資生堂本社で6時半から。

今回の受賞者は、伊藤悠子さんで、詩集は『まだ空はじゅうぶん明るいのに』(思潮社)。

伊藤さん、おめでとうございます。


伊藤悠子さんは、歴程新鋭賞を受賞された河口夏実さんと同じく、稲川方人さん、吉田文憲さんの詩作のカルチャースクールの生徒さんだったという。

生徒さんだけに、稲川さんもスピーチに立たれたが、稲川さんが、こういう席にいらっしゃるのは珍しい。

そう言ったところ、「城戸さんも珍しいですね」と稲川さん。

たしかに、私もめったに詩の会には顔を出さないが、真木優さん始め、はお世話になった資生堂の方々に御挨拶するべく、うかがうことにしたのだった。


現代詩花椿賞の贈賞式は、資生堂だけあって、いつも華やかだが、今回は、サプライズゲストで、女優の杏さんが登場。

伊藤悠子さんと対話してから、受賞作を朗読された。


版元が思潮社だけに、小田啓之社長、小田康之専務を始めとして、思潮社も総出だったのではないだろうか。

田野倉康一、高貝弘也両君とも会えたし、暁方ミセイ、文月悠光さんら、若い世代の顔も。


贈賞式の料理は、資生堂パーラーなので、カレーとクリームコロッケが名物。

バンビことパンクな彼女は、なんとコロッケカレーを作って、得意気に撮影していた。


贈賞式終了後は、山口眞理子さんのマリーンに、バンビと一緒に顔を出す。

眞理子さんとゆっくり話すことができたのは嬉しい。


この日は、ホテル・モントレ半蔵門を予約していたので、東京泊まりになった。
posted by 城戸朱理 at 20:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月08日

「若冲の京都 KYOTOの若冲」展@京都市美術館

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12月2日は、鎌倉に帰るだけなので、トランクを宅急便で手配し、チェックアウトを済ませ、岡崎の京都市美術館に「若冲の京都、KYOTOの若冲」展を観に行った。

京都の展覧会にしては、異様な混雑ぶりで、最近の若冲人気を改めて思い知ったが、展示は期待を裏切らぬ面白さ、鶏を始めとして動物に注がれる絵師の目が、画幅から反射されているかのようだった。

白象を始めとして、さまざまな動物を描いた「樹花鳥獣図屏風」や仔犬をたくさん描いた「百犬図」など、あまりに楽しく、立ち去りがたいものが。


「石峰寺図」にも興味を引かれた。

錦の青物問屋に生まれた若冲は、40のとき家督を弟に譲ったが、天明の大火で焼け出され、晩年は、伏見の石峰寺の門前に住んだという。

黄檗宗・石峰寺には、若冲の意匠による五百羅漢の石像が残されており、一度見てみたいと思っていたからである。

来年も、京都で、吉増剛造さんと連続対談の予定があるし、撮影で行く機会もある。

もしスケジュールが許せば、吉増さんと訪れてみたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 07:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

いよいよ師走

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12月1日。

いよいよ、今年も師走を迎えた。

中国臨済宗の開祖、臨済義玄の言葉に「無事是貴人(ふじこれきにん)」というものがある。

何事にもとらわれることなく日々を過ごすことの尊さを語るものだが、こんなに難しいことはない。

とらわれのなかで、日々に追われているうちに一年が過ぎようとしているのに気づいて、慄然とする。


しかし、今回も無事に京都での撮影を終えることができたので、よしとしよう。


10時にロビーで、石田瑞穂・みう夫妻と待ち合わせたのだが、なんと二人は、昨日の清明神社に続いて、早朝から、またもや神社にお詣りに行っていたらしい。

みうさんは、フランス語の翻訳家なのに、なぜか大の神社好き。

どこか行きたいところはないか尋ねたら、「八坂神社」という答えが帰ってきた。

そんなに好きだったのか、神社が――


というわけで、石田夫妻と八坂神社へ。

スサノオノミコトを祀った悪王子神社にもお詣りする。


それから、瑞穂くんの希望で、骨董屋が軒を連ねる新門前通りへ。

李朝ものを扱う天平堂を始めとして、骨董屋を覗いて歩いた。


昼食は、みうさんが昨夜、テレビで観たという名前のないラーメン屋へ。


名前がないのだから、看板もない。

ただし、高瀬川ぞいに大きな窓があって、木屋町を歩いていると、カウンターに並んでラーメンを前にした客が見えるので、ラーメン屋と分かるという趣向になっているのだとか。

意外と簡単にたどり着いたのだが、炭火で焼いたチャーシュー、プチトマト、ネギのトッピング、ごぼうを練り込んだ麺、無化調のスープと、独創的かつ本格派のラーメンだった。


イノダコーヒ三条店で小憩、イノダのコーヒーを、そして渋谷TOPのコーヒーを、こよなく愛した吉岡実氏のことを語り合う。

石田夫妻を京都駅まで送って、今回のロケは終了。

ホテルに戻って、入浴し、夕方まで本を読んで過ごした。
posted by 城戸朱理 at 08:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月06日

ごだん宮ざわで撮影

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11月30日は、12時半に、石田瑞穂・みう夫妻が、ごだん宮ざわに入って撮影することになっていた。

午前中は、クルーが、仕込み風景を撮影していたのだが、井上春生監督から、急遽、料理と器のブツ撮りを始めるという連絡が入ったので、私も立ち会うべく、ごだん宮ざわへ。

Edgeを始めとする番組のプロデューサーである平島進史氏も到着し、宮澤政人さんに挨拶する。


石田夫妻は、清明神社にお詣りして、予定の時間に到着、撮影が始まった。

宮澤さんの料理は、あらかじめいただいていた献立通りだったが、、器は、博物館級の絵替わり双魚文色絵皿を始めとする北大路魯山人の器を使ったものに変更され、料理と相まって素晴らしいものだった。

宮澤さんがまた役者のようで、流れるような所作も美しく、実に絵になる。


石田夫妻との話も弾み、撮影は3時に終了。


毎回、こんなふうにスムースだと楽なのだが、そうはいかないのが現場というものだったりする。
posted by 城戸朱理 at 09:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

京都ロケ、スタート

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11月29日は、「H(アッシュ)」の撮影初日である。

今回は、春篇に続いて、ごだん宮ざわの店主にして料理長、宮澤政人さんの料理を、石田瑞穂・みう夫妻がいただきながら、宮澤さんの話を聞くという秋篇のロケ。


昨日に引き続き、急ぎの原稿執筆を終えてから、アシスタント・プロデューサー&スチールのバンビことパンクな彼女と京都駅に石田夫妻を迎えに行った。


そのまま、タクシーで岡崎の真澄寺別院・流響院へ。

すぐに、ヘアメイクの有路涼子さんが、みうさんのメイクに入り、それから、ロケ弁当の昼食をとって、撮影となる。


紅葉が残る流響院の庭園を散策する石田瑞穂・みう夫妻を撮影し、さらに瑞穂くんの自作詩朗読を撮って、小憩。

「近代庭園の祖」七代小川治兵衛による池泉回遊式庭園を散策する石田夫妻を見て、「皇室アルバムみたいだなあ」と喜んでいたのはバンビである。


3時半に宮澤政人さんが到着し、数カットだけ撮影してから、宮澤さんがよく覗くという祇園は新門前骨董街の南明堂に移動して、今度は、御主人と宮澤さん、瑞穂くんのやり取りを撮影する。

宮澤さんの器愛に圧倒されたが、瑞穂くんも骨董好きだし、仕事とはいえ楽しい時間だった。

南明堂では宮澤さんも私も買い物をしたが、これは別にアップしよう。


6時に撮影が終わり、ホテルに戻って、夕食は、ごだん宮ざわへ。

私は2日続けてのごだん宮ざわである。
posted by 城戸朱理 at 13:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

新保祐司さんの新著を祝う集い@銀座ライオン

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文芸評論家で都留文化大学副学長の新保祐司さんの新著『「海道東征」への道』(藤原書店)と『散文詩集 鬼火』(港の人)の出版を祝う会が、11月17日に、銀座ライオンで催された。


新保さんが、詩を書いていたのは知らなかったが、『散文詩集 鬼火』は、22〜23歳のとき、新保さんの東大時代の作品だという。


パーティーは、作家、辻原登さんの挨拶から始まった。

「百年後に残る作品は、叙事詩だけです」と辻原さんは、新保さんの仕事の叙事詩性を讃えたが、
「叙事詩」の例として挙げられたのが、大佛次郎『天皇の世紀』で、辻原さんは、詩そのものではなく、作品の叙事詩性に着目されていることになる。


評論家、川本三郎さんの洒脱なスピーチのあと、評論家、西尾幹二さんも挨拶に立たれたが、西尾先生の世代にとって、小林秀雄は触れることがタブー視されるほど、巨大な存在だったことが、印象深かった。


会場には、澁澤龍子さんや富岡幸一郎さん、芦澤泰偉さん、倉和男さん、石川洋一さん、ジャズシンガーの阿川泰子さんなど鎌倉組の顔ぶれも。

やはり、鎌倉在住の政治学者の御厨貴さんの姿もあったが、斗夜子夫人とも初めてお会いした。


ふだんのパーティーとは顔ぶれも違うし、年齢層も高い。

いささか緊張する会だったが、御主人の著作をまったく読んだことがないという新保智子夫人が、「みなさんのお話を聞いて、新保が、どんな仕事をしていたのか分かりました」と感銘を受けられていた様子が素敵だった。
posted by 城戸朱理 at 11:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

東京、2泊3日



11月は、イベントやパーティー、打ち合わせなどで、どうしても外出する機会が増える。

鎌倉から東京に出るのは、往復で3時間前後はかかるため、用事が続くときは、ホテルに泊まるしかない。


先週も、2泊3日で、東京泊まりになった。


15日は、3時から立川で「H(アッシュ)詩人 吉増剛造 幻をみるひと」秋篇、冬篇の試写。

これで、京都を舞台とする吉増さんの番組、春夏秋冬が完成、井上春生監督は、映画版「詩人 吉増剛造 幻をみるひと」の編集に入ることになる。

試写が終わってから、ワシントンホテルにチェックイン、7時からCS放送担当の平島進史、西森基文両氏と紋屋で会食しながら、来年度の番組編成の打ち合わせをした。

バンビことパンクな彼女も、アシスタント・プロデューサーとして参加。

この日は、読売文学賞の推薦の締切だったのに気づき、FAXで推薦状を送る。


翌日は、番組のための資料探しをしてから、バンビとISETANを覗き、さらにヴィヴィアン・ウエストウッドへ。

夜は、初ソロ公演を終え、誕生日を迎えた鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)氏を招待して、焼肉をご馳走することに。

天使館の定方まこと、野口泉さん、バンビと私の5人で、焼肉・暖家(だんけ)のテーブルを囲んだ。


17日は、ホテルをチェックアウトして、上野に向かい、東京国立博物館で「禅――心をかたちに」展と「平安の秘仏――滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」展を観る。

そして、銀座に移動して、和光裏手のイッセイ・ミヤケへ。

今季のイッセイ・ミヤケのモデルは、なんと鯨井謙太郎氏。

鯨井くんの巨大な写真パネルが店内に飾られており、バンビはショップ・スタッフに「このモデルさん、友だちなんです」と自慢。


そして、6時半から銀座ライオンの「新保祐司さんの新著を祝う集い」に出席。

このパーティーのことは、別にアップしたい。


鎌倉に戻ったのは、10時すぎ。

長い一日だった。
posted by 城戸朱理 at 15:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

KENTARO KUJIRAI ソロ公演「灰のオホカミ」

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それは、身体と言語が交錯する未知の領域の踊りだった。


鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)の初ソロとなるダンス公演「灰のオホカミ」は。


始まりは、むしろ静かで、照明のなかに浮かびあがるダンサーの肉体は、さらに研ぎ澄まされ、長髪のせいもあって、舞踏神・土方巽の姿がだぶる。


鯨井謙太郎が、笠井叡の天使館の門を叩いてから、14年。

オイリュトミーで作られた身体による彼のダンスは、新たな局面に達したようだ。


たとえば、スサノオを踊る鯨井謙太郎は、たしかに鬼神の姿だった。

しかし、「灰のオホカミ」で、彼は激しさだけではなく、苦悩を踊った。

北欧神話を語りながら、世界の創世を。

さらには、ラグナロック、神々の黄昏を前にして、現れる狼を。


それは、世界が終わりを迎えようとするときの、肉体的な表現にほかならなかったのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 12:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「灰のオホカミ」を観て

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11月12日。

鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)初ソロとなるダンス公演「灰のオホカミ」は、中野、テルプシコールで、午後3時から。


バンビことパンクな彼女は、撮影のために最前列中央に陣取り、私は、最前列左側に座った。

客席には、写真家の高木由利子さん、女優の鶴田真由さんの姿も。


終了後、打ち上げまで2時間ほどあったので、上海家庭料理の名店、蔡々食堂へ。

和光大の遠藤朋之先生、渡辺めぐみさん、「ろちこさん」こと斎藤千尋さんにバンビと、昨夜の歴程祭でも一緒だった顔ぶれだったのだが、誰もが「灰のオホカミ」に圧倒され、言葉がなかった。


蔡々食堂の蔡さんと奥さんとも久しぶりだが、料理は相変わらず素晴らしい。

ちなみに、旧友だけに、蔡さんも奥さんも、平松洋子さんや藤沢周氏と同じく、私のことを「しゅりあん」と呼ぶ。

それを、遠藤くんやろちこさんが面白がっていた。


打ち上げは、7時から樽屋という居酒屋で。

鎌倉に帰ったのは、11時すぎ。

いささか興奮していたのか、バンビと「灰のオホカミ」のことを語り合い、気づいたら午前3時になっていた。
posted by 城戸朱理 at 12:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月15日

歴程祭へ

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「週刊 現代」の書評ゲラを戻し、カニエ・ナハさんから打診があった東京都現代美術館の松尾芭蕉をめぐるイベントについてキュレーターと連絡を取り、さらに今年度分のCS放送番組の追加企画書を書き上げてメールし、一段落したところに、アメリカ合衆国大統領選で、トランプ候補勝利の激震が走った。

これは、グローバリズム終焉の始まりになるのだろうか。


しかし、嬉しいこともある。

今年は、山内功一郎氏の鮎川信夫賞受賞、高岡修氏の現代俳句協会賞受賞と、友人の受賞が続いたが、さらに、石田瑞穂氏の『耳の笹舟』が第54回藤村記念歴程賞に決まった。

しかも、同時受賞は、岩佐なを氏。

岩佐さんは、詩と銅版画の全業績による受賞である。

さらに第27回歴程新鋭賞は、平田詩織さん、河口夏実さんに。


贈賞式を兼ねた歴程祭は、11月11日に、ホテル・メトロポリタン・エドモントで行われた。


司会は、川口晴美さんで、新藤涼子さんの挨拶から歴程祭はスタート。

選考委員長の野村喜和夫氏が、渋滞に巻き込まれ、遅刻するという、いかにも「歴程」らしい一幕も。


石田瑞穂氏についてのスピーチは、恩師の原成吉獨協大教授。

石田瑞穂くんが、学生時代、W.C.ウィリアムズの研究に没頭し、ウィリアムズの詩に影響された短篇映画を制作、学生映画祭で入賞したという知られざるエピソードを紹介してくれた。

アメリカ詩が専門で、ゲーリー・スナイダーと親交が深い原先生は、ノーベル文学賞受賞が決まったボブ・ディランの研究者でもあり、メディアからの取材に忙殺されている。

この日も、NHKの収録のあと、駆けつけられたそうだ。

会場には、遠藤朋之、山内功一郎、山中章子さんと、大学で教鞭をとる原ゼミ出身のメンバーも結集。


さらに平田詩織さんについては、吉田文憲さんが、河口夏実さんについては、稲川方人さんがスピーチした。


私は、当日0時に新藤涼子さんから電話で依頼され、乾杯の挨拶を。


受賞者が異例の4人だけに、たいへんな盛会で、バンビことパンクな彼女は、写真を撮るのに夢中だったが、田野倉康一氏もバンビと並んで、まるでカメラマンのように写真を撮りまくっていたのが面白い。


二次会は、ホテル2階の宴会場で。


さらに原先生と石田瑞穂くんを囲んで、三次会まであったので、この日はお茶の水のホテルに泊まった。
posted by 城戸朱理 at 09:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月11日

冬を迎えて



朝晩は、ずいぶん冷え込むようになった。

鎌倉では、いきなり、冬を迎えたような空気が張り詰めている。


芸術選奨と読売文学賞の推薦依頼も届いているし、「週刊文春」の「ミステリー・ベストテン」のアンケートも届き、年の瀬という気分も強くなってきた。


11月5日は、「岩手日報」投稿欄の入選作品を選び、2回分の選評を執筆。

翌日は、入選作品を宅急便で送り出し、真保裕一『脇坂副署長の長い一日』(集英社)を再読、講談社の「週刊 現代」に依頼された書評を書く。


夜は、ローライ同盟の次回、撮影会の打ち合わせで、バンビことパンクな彼女が吉増剛造さんに電話したのだが、私も、久しぶりに吉増さんの声を聞いた。

吉増さんは、ロサンゼルスでマイケル・パーマー夫妻に会ったとのこと。

パーマー氏は、山内功一郎氏が『マイケル・パーマー』で、鮎川信夫賞を受賞したことをたいへん喜ばれていたそうだ。

それから、ニューヨークに移動した吉増さんは、ジョナス・メカスと再会。

「メカスは、ばんばん映画を撮ってたよ。
われわれもあきらめちゃいけないね」と吉増さん。

ジョナス・メカス、94歳にして、いまだ現役とは!

来年、春夏秋冬、京都で4回、吉増さんと私が対談するという企画が実現しそうなので、それをお伝えしたら、「夢が叶ったねえ」と吉増さんも喜ばれていた。

翌朝、喜びの声を記したFAXが、届いたほどである。


ローライ同盟の撮影会の件で、鎌倉文学館館長の富岡幸一郎さんに連絡したら、快諾してくれたので、次の撮影会は、鎌倉文学館が起点ということになりそうだ。

ちなみに、吉増さんから提案があったローライ同盟の次回のテーマは、「自分の今年一年を振り返る」である。


7日は、書評原稿を見直し、文字数を調整してメールしてから、「現代詩手帖」12月号「年鑑アンソロジー」のための詩篇をFAXし、スーツに着替えて、青山のテレコムスタッフに向かった。


4時から「Edge 暁方ミセイ篇」の試写。

撮影は、横浜で、富士の樹海で、さらには中国、雲南省で行われた。

雲南省の省都、昆明から南下して、ベトナムとの国境の元陽に向かい、そして、元陽から夜行列車で10時間、850km離れた少数民族ナシ族の古都、麗江に向かうという過酷なスケジュール。

さらに、ナシ族が崇拝する神々の山、玉龍雪山に登る。

5596mの山頂は、いまだに未踏峰だが、暁方ミセイさんと平田潤子ディレクターは、なんと標高4680m(!)の展望台まで登ったという。

暁方さんは、高山病でふらふらになりながらも健闘し、帰国してから七篇もの新作詩を書き上げてくれた。

もっとも、雲南省は、暁方さん自身の希望で、私が提案したのは、韓国の慶州、平田ディレクターが提案したのはタイのバンコクだったのだが。


「Edge 暁方ミセイ篇」の音楽は、今のところ、平田ディレクターが愛してやまない武満徹の楽曲を当ててあるが、著作権の関係上、使うことができない。

幸運にも、暁方さんの第一詩集『ウィルスちゃん』からの愛読者だという作曲家、大友清心(きよみ)さんが作曲してくれることになり、平田ディレクターが連絡を取りながら進めているところである。


試写終了後は南青山のしまだで打ち上げ。

しまだは、一時期、テレコムスタッフの社員食堂化していたが、Edgeのプロデューサーでテレコムスタッフ社長の寺島高幸さんも久しぶりだという。

「世界の車窓」からを立ち上げ、近年は「世界の街道をゆく」の撮影のため、一年の大半を海外ロケに過ごす狩野喜彦ディレクターと、宮内撮影監督とも久しぶりに再会した。
posted by 城戸朱理 at 15:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月10日

クリント・イーストウッド監督「ハドソン川の奇跡」へ



平塚市美術館のあとは、辻堂のテラスモール湘南へ。

全10スクリーンを有するシネマ・コンプレックス、109シネマズで、クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を観るため、ウェブで予約していたのだが、上映まで時間があったので、ユニクロを覗いた。


昨年から今年にかけて、ユニクロは、エルメスのクリエイティブ・ディレクターだったクリストフ・ルメールとのコラボレーション「ユニクロ・ルメール」で、大いに話題を呼んだ。

当初は、2015年の秋冬物と16年の春夏物のみの予定だったが、ルメールがユニクロのパリR&Dセンターのアーティスティック・ディレクターに就任、今年の秋冬物から、パリ発の新ライン「ユニクロU」が発売されることに。

バンビことパンクな彼女は、すでに銀座のユニクロで、ユニクロUをチェック、セーターやワンピースを買って、部屋着にしているが、私は初見である。

ルメールらしいミニマルで、微妙な色彩のコレクションだったが、辻堂では取り扱い商品が少なかった。


「ハドソン川の奇跡」は、2009年1月 15日、バードストライクによって両エンジンが停止、推力を失ったUSエアウェイ1549便が、機長の判断でニューヨークのハドソン川に着水、乗客155人全員が生還した実話を元にしている。

サリー・サレンバーガー機長を演じたのは、トム・ハンクス。

ちなみに、原題は「サリー」である。


以前、松浦寿輝さんが、クリント・イーストウッドのことを、「ハワード・ホークスなど歴史的な名監督に肩を並べる人」と語っていたが、まったく同感。

私は、中学生のころからイーストウッドのファンだが、「ハドソン川の奇跡」も、素晴らしかった。

イーストウッド、86歳にして現役。

しかも、次回作の企画もあるという。
posted by 城戸朱理 at 09:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

京都で美術館巡り

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翌日は、まず京都市美術館のダリ展へ。

圧倒的な画力とシュルレアリスティックな奇想を存分に鑑賞してから、ミュージアムショップで、カダケスのダリ美術館の「溶ける時計」を購入。

あのダリの溶ける時計を実際に時計に仕立てたもので、これはダリの「ポルト・リガトの聖母」をこよなく愛する鹿児島の高岡修さんに、現代俳句協会賞受賞のお祝いにお送りした。


さらに、京都市立美術館向かいの京都国立近代美術館で「アンフォルメルと日本の美術」展を見る。

今や、現代美術のクラシックとなった感もある戦後美術の熱気に興奮した。


遅い昼食を京都国立近代美術館のカフェで取ることにして、頼んだのは、カルボナーラ・リゾットやビーフシチュー・スパゲッティ。

バンビことパンクな彼女とシェアしたのだが、このカフェのメニューは、ユニークで面白い。
posted by 城戸朱理 at 12:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都の夏休み



2013年の春に、宗教学者の山折哲雄先生との対談するために訪れてから、仕事で京都を訪れる機会が増えた。

今年の春まで、3年間で16回も行っているのだから、行きすぎの感もあるが、撮影の立ち会いだと、午前5時、6時起きも珍しくないし、湯船にゆっくり浸かる余裕もない。

そこで、バンビことパンクな彼女が、たまにはプライベートで京都に行こうと言い出した。


「京都で、鮎と鱧を食べて、日本酒でじんわりするのは、どうかな?」

名案である。

「ダリ展も見たいね!」

京都は移動が楽なうえに、東京ほど美術館が混雑していないので、展覧会を見て回るのに向いている。


かくして、私とバンビは、8月16日から3泊4日で、短い京都旅行に行くことになったのだった。
posted by 城戸朱理 at 10:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

試写と打ち合わせへ



帰国した翌日は、荷物を整理して終わった。

24、25日は、来年度のCS放送番組「Edge」「H(アッシュ)」ほかの企画書を作り、26日は、試写と打ち合わせのため東京に向かう。


試写は、午後2時から。

出演は柳美里さん、南相馬と会津の只見を舞台とするコンテンツ。

バンビことパンクな彼女も、アシスタント・プロデューサーとして参加した。

試写終了後、私は、番組プロデューサーの平島進史、西森基文氏らに来期番組の企画案を説明。


その後、場所をかえて、5時から井上春生監督と秋の京都ロケの打ち合わせ。

そして、私が仕上げたシナリオをめぐって、映画の構想を聞いたのだが、なぜかラストシーンの湯河原が、アイスランド・ロケに変更しようという展開になって盛り上がる。


さらに、6時半から、Edgeを立ち上げたプロデューサーでもある設楽実氏と打ち合わせである。

気づいたときには、終電を逃し、ホテル・メッツに泊まることになってしまった。
posted by 城戸朱理 at 16:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月29日

虹が消えるまで

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目覚めたら、水平線の手前に虹がかかっていた。

虹が消えるまで見ていたのだが、それは一瞬のようにも、とても長い時間のようにも、感じられた。


虹が消えると、青空が、明度を上げていく。
posted by 城戸朱理 at 10:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワイキキに戻って

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ノースショアからは、オアフ島の東の海岸沿いの道をドライブして、ワイキキに向かった。

ところが、カーナビの指示通りに走っていたはずなのに、なぜかワイキキの西に出てしまったではないか。

なんとか、ワイキキに帰り着き、私ひとりが、ホテルで降りて、荷物を部屋に運んで、待機する。

バンビことパンクな彼女が運転して、レンタカーを返しに行ったのだが、またもや、ひと騒動。

日本と違って、レンタカーは、ガソリンを満タンにして返さなければならないのに、レンタカー屋の目の前のガソリンスタンドが閉まっていたため、ガソリンスタンドを探して、ワイキキを走り回ることになってしまったらしい。


私は、部屋で連絡をまっていたのだが、夕焼けが素晴らしかった。
posted by 城戸朱理 at 07:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海亀が遊びにくるビーチ

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ハレイワから近いラケニアビーチは、海亀が甲羅干しに来るビーチ。

車を止めると、バンビことパンクな彼女は「さあ、海亀と遊ぶぞう!」と言って、カメラを手に飛びだした。


残念なことに海亀には出会えなかったが、美しいビーチだった。
posted by 城戸朱理 at 06:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レンタカーでオアフ島一周へ

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翌日は、早朝からバンビとお母さんが、レンタカーを借りに行った。

かねてから、自分で運転してハワイ島を一周したいと言っていた、お母さんのためである。

ところが、カーナビが不調で、交換してもらったりと出発が遅れ、11時半に、ようやくワイキキを出発、北上して、ノースショアを目指す。

さらに、間違ったところでフリーウェイを降りてしまったらしく、気がついたら、パールハーバーに出てしまった。


しかし、結局、13時前には、ノースショアの街、ハレイワに無事、到着。


途中、流水のなかで、さらに散水している畑があったが、何を栽培しているのだろう?
posted by 城戸朱理 at 06:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする