サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ: 詩

2017年03月06日

ヴィジュアル・ポエトリー、飛来す

IMG_5679.jpg



北園克衛が率いた「VOU」後期を、そして、わが国のヴィジュアル・ポエトリーを代表する存在である高橋昭八郎さんを、唐津にお訪ねして、私が、さまざまなことをお聞きしたカセット・テープがある。

バンビことパンクな彼女が、このテープをダビングして、高橋昭八郎さんの親友であり、やはり、日本を代表する視覚詩人、伊藤元之さんにお送りするとともに、テープ起こしを始めた。


伊藤元之さんも、VOUのメンバーだったが、あえて誰も来ない山奥での個展を企画したり、北上川の流れのなかに作品を展示することを考えたり、今なお、揺るぎない前衛の姿勢を貫かれている。


高橋昭八郎さんと伊藤元之さんは、つねにお互いが刺激し合うような関係だったのだろう。


その伊藤元之さんから、お葉書をいただいた。

一瞬、絵葉書かと思ったのだが、そこには互いを打ち消し、あるいは互いに溶け合うように「word」と「world」が印刷されている。

これは、伊藤元之さんのヴィジュアル・ポエトリーか!?


わずか「l」の一語の違いが生む、この意味の広がり。

世界を言葉で象り、言葉によって生成する世界に、世界と拮抗する言葉を探す。


この贈り物に脳髄が痺れたが、詩とは、これほどまでに無償のものであり、賭けにほかならないことを、たった一枚の紙片が語っているかのようだ。
posted by 城戸朱理 at 10:12| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

清水基吉の句碑

IMG_5600.jpg



海蔵寺の山門を入って、すぐの左手に清水基吉(もとよし)さんの句碑があった。



侘び住めば八方の蟲四方の露



鎌倉に住まっていると、「八方の蟲、四方の露」というのは、実感にほかならないのだが、いい句だと思う。


清水基吉は、石田波郷門下で、「火矢」を主宰した俳人である。

太平洋戦争のさなか、昭和20年(1945)に、「雁立」で芥川賞を受賞、この年から亡くなるまでを鎌倉で過ごした。


戦後は、俳句に専念、鎌倉文学館の設立にも関わり、館長もつとめられたが、バンビことパンクな彼女は、仕事で清水先生のお宅にうかがうたびに、お菓子や果物を御馳走になったそうだ。


海蔵寺のあたりは、鎌倉駅から歩いて20分ほどだが、山のなかのような気配で、「侘び住めば」という上五も、そのまま、うなずけるところがある。
posted by 城戸朱理 at 09:11| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

連詩「句/オマージュ」



高貝弘也・広瀬大志・田野倉康一・城戸朱理による連詩は、九篇目。

今回は、広瀬大志くんから、各連の書き出しを担当する人が、俳句を一句選び、そのオマージュを展開するという魅力的な出題がなされた。


大志くんが選んだ一句は、「満月光 液体は呼吸する」富澤赤黄男。

第二連は、高貝くんで赤尾兜子が来るかと思ったら、意表を突いて東鷹女の「なめくぢのことが頭を離れぬなり」だった。

私が高貝くんを受けたのだが、三番目の大志くんでホラー化し、最後の田野倉くんで「なめくじの自殺」という爆笑の展開に。

やはり、危険な句だったとしか言いようがない。


第三連は、田野倉くんが選んだ永田耕衣の「天心にして脇見せり春の雁」。

これだと、ホラーにはなりようがないはずなので、ひと安心。


私も危険を避けて、西東三鬼の「広島や卵食ふとき口ひらく」を選んだのだが、はたして、どこに着地するのか。


四人による連詩は、異様な熱気のまま、続いている。

どこまで行くのかは、誰にも分からないし、発表予定もない。
posted by 城戸朱理 at 22:43| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月08日

モーツァルトと連詩の関係



「航海2016」から始まった高貝弘也・広瀬大志・田野倉康一・城戸朱理による連詩は、広瀬出題「謎」、田野倉出題「夷狄」、高貝出題「夢十二夜」の七篇までが、きわめて順調に完成した。

ところが――

八篇目として、私が出題したのは、モーツァルト交響曲第40番ト短調を各自が聞いてから、連詩を試みるというもので、いざ、始めてみたら、全員から「難しい」という声が。

たしかに、音楽に言葉を添わせるのが、こんなに難しいとは思わなかった。

詩もまた、音楽と同じく時間芸術だからだろうか。


モーツァルトの交響曲は、第41番「ジュピター」までの全41曲。

モーツァルトの全626曲を時系列で整理して目録にしたルートビッヒ・フォン・ケッヘルによれば、シンフォニー・ナンバーのないものまで含めると、モーツァルトの交響曲は全49曲で、今では、モーツァルトの作ではないとされているものもある。

そして、そのうち、短調は、第25番k183と第40番k550の2曲だけ。

ともにト短調なので、小ト短調、大ト短調とも呼ばれる。


この2曲、私は特別な思い入れがある。


まだ、私が赤ちゃんでハイハイしていたころ(!)、モーツァルトが好きだった父親がよく聴いていたのが、40番。

父の愛聴盤は、カール・ベーム指揮ベルリンフィルだった。

この演奏、異様にテンポが遅いのが特徴で、「モルト・アレグロ」という指示がある第一楽章など、普通ならば第一ヴァイオリンによる第一主題から始まるようにしか聞こえないのに、ベーム盤だと、第一主題の前にビオラの音が聞こえるほど。


ともあれ、おかげで中学生になって、初めて意識的に40番を聴いたとき、全曲をすでに知っていたのに、自分でも驚いたものだった。

名曲だけに名演も多いが、私にとって、もっとも忘れがたい演奏は、ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルの1952年のライヴ盤。

カール・シューリヒト指揮パリ・オペラ座管弦楽団の40番もよく聴いたが、1949年、ヴィースバーデンでのウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルの40番も、鬼気迫るものがあった。

ヴィースバーデンのライヴ盤は、20年ほど前にフランスでリリースされたときに、すぐに取り寄せたが、録音は悪いものの、ブラームスの交響曲第4番も、あの奇跡のようなH音で始まるEMI盤と並ぶほど素晴らしい演奏だったように記憶している。

昨年、ターラ・レーベルから、高音質のCDがリリースされたので、ぜひ聴いてみなくては。

25番の感情を切り裂くようなシンコペーションの第一主題も、初めて聴いたときに、ショックを受けたが、こちらは、やはりワルター指揮ウィーンフィルのライヴ盤で聴くことが多い。


難航しながらも、モーツァルトに寄せる八番目の連詩は、第四連に突入。


昨日、私が第四連の最後を書き上げ、ようやく完成したが、全編を見直したとき、はたして、そこにト短調が鳴り響いているか。

怖くもあり、楽しみでもある。
posted by 城戸朱理 at 08:37| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月12日

高貝弘也・広瀬大志・田野倉康一・城戸朱理の連詩、暴走状態?



昨年末に始まった4人による連詩は、さらにペースを上げ、続いている。

新年の連詩が完成してからは、広瀬大志出題による「謎」が1月10日に完成し、翌日から田野倉康一出題による「夷狄」が始まった。

これは、連詩の六篇目となるが、歴史マニアの田野倉くんらしく、古事記、日本書記を踏まえた書き出しを、大志くんが、ロジャー・ゼラズニィ風のハードSF調詩行で受け、なんともシュールな展開に。

第二連は、高貝くんと私の担当だが、どう進むのか、まるで見当がつかない。

それが、他者の言葉と向かい合う醍醐味でもあるのだが。
posted by 城戸朱理 at 12:09| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月06日

高貝弘也・広瀬大志・田野倉康一・城戸朱理による連詩、佳境へ



昨年暮れから始まった高貝弘也・広瀬大志・田野倉康一氏らと私による連詩は、いよいよペースを早め、進行中である。


新年のテーマは「海と空〜つがいになった」。

第一連を、私が書いて新年を迎えた1月1日、0時ジャストに送信。

その夜、高貝弘也くんから「新年そうそう、渾身の一作」と本人が語る第二連が届いた。

「渾身の一作の次はきつい」と言いながらも、田野倉康一くんが持ち時間の2日をフルに使って、3日夜に第三連が届いたのだが、これも力作。

翌朝、通勤電車で書き上げたという広瀬大志くんの、これまた本人曰く「渾身の作」、第四連が届いて、新年の連詩は完成した。

渾身だらけ(?)の力作である。


次は、広瀬大志くん出題の「謎」がテーマ。

なんと大志くんは、4日の昼休みに書き上げ、それを高貝くんが受け、大志くんが繋ぎ、高貝くんがまとめて4日夜に第一連が完成してしまった。

高貝くんまでホラーなトーンを湛えて、大志くんが大いに喜ぶ。

資質とは違った書き方を求められたり、自ら試みたりするのも、連詩の醍醐味だろう。

5日朝には、田野倉康一くんから始まる第二連がスタート。


「謎」は、4人による連詩としては五篇目になるが、この調子だと、今月中に十篇、春までには三十篇を突破するのではないだろうか。

ちなみに、発表予定はない(!?)。
posted by 城戸朱理 at 13:00| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

書物をめぐる連詩、完成!



高貝弘也、田野倉康一、広瀬大志、城戸朱理による連詩、第二弾が12月22日に完成した。

この連詩は、忘年会のときに「古本屋で求めた思い出の一冊」を持ち寄ったところから始まったものだが、
田野倉康一くんが、竹橋の国立近代美術館で開催されている山田正亮展のギャラリートーク出演のため、数日、執筆の時間が取れず、
若干、ペースダウンしたものの、結果としてはクリスマスまでという予定より早く完成することになった。


第三弾は、新年から始めることにしていたのだが、ここまで続くと連詩の催促がないのは淋しいという声があがり、結局、第三弾を始めることに。

今度は、全員の詩集タイトルをリスト化、詩集名を織り込んだ連詩を試みることにして、23日に広瀬大志くんからスタートした。

目標は、年内の完成である。
posted by 城戸朱理 at 11:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

「思い出の一冊」から始まる連詩、第二弾!



ランチョンでの忘年会の席上で、古本屋で買った「思い出の一冊」を各自が発表、大いに盛り上がり、そのまま、私の提案で、連詩の第二作を始めることにした。

連詩の第一作「航海2016」では、10月19日のイベント「田野倉康一×広瀬大志 80s⇔2010s」のトークで、各自が語ったそれぞれの「原風景」を織り込むのが条件だったが、今回は、みんなが持参した「思い出の一冊」の書名を、どこかに織り込むのが条件である。


原稿用紙を広げる余裕はないので、携帯で打って、バンビことパンクな彼女のPCに送信し、バンビが、PCで行切りなどを整え、CCで全員に送信するという方法で始めた。


ビールを前に、書き出しは田野倉康一くん。

それを受けた広瀬大志くんが、「田野倉くん、これは掟破りだ」と笑い出す。

なんと、田野倉くんは、全書名をつなげて書いてしまったのである。

それでも連詩は続き、大志くんのあとを高貝くんが受けて、見事な展開となった連詩が私に回ってきた。

私は、数分で第一連の最後のパートを書き上げ、また、大志くんが驚く。


さすがに、午後2時から詩のことばかり考えていたので、みんな疲労の色が濃い。

しかし、心地よい疲れで、続きはメールをやり取りして書いていくことにして、この日の連詩は終わった。


どうも、このメンバーによる連詩は、しばらく続きそうな気配である。
posted by 城戸朱理 at 08:19| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月14日

田野倉康一・広瀬大志・高貝弘也・城戸朱理による連詩「航海2016」完成!

Attachment-10001.jpg



12月10日(土)は、連詩のため、午後2時に、神田古書店街は書泉グランデ裏手のラドリオに集合した。

すでに、連詩「航海2016」は、メールのやり取りで、第三連まで書き上げていたので、結びの第四連を、顔を合わせて書くことになったのだ。

連詩の場に選んだのは、かつて、同人誌「洗濯船」を刊行していた若き日に、吉岡実さんと待ち合わせたラドリオである。

そのとき、ラドリオは満席で、結局、向かいのミロンガに席を移して、吉岡さんとお会いしたのだった。


ラドリオは、店舗奥の左側に、四人席と壁に向かって、ひとりだけ掛けられる席があるので、そこに陣取り、吉岡さんも愛したウィンナコーヒーを頼んで、執筆に入る。

第四連の書き出しは、私から。

続けて、大志くん、田野倉くんが、ひとり席で辛吟し、高貝くんが締めくくった。

バンビことパンクな彼女が、編集者兼スチールで立ち会い、写真を撮りまくる。


ちなみに、私は万年筆で執筆、大志くんは筆記具を忘れ、私のモンブランで、万年筆を使わない田野倉くんはボールペンで、高貝くんは持参のモンブランで執筆した。

同じモンブランでも、私は、いちばん太いマイスターシュティーク149、高貝くんは、少し細い146と微妙に違う。


私は、頭のなかで構築してから、下書きなしで原稿用紙に直接書き出し、大志くんと田野倉くんは、原稿用紙に下書きをしてから清書、高貝くんは愛用の半透明の紙のレターパッドに下書きしてから清書するといった具合に、それぞれの作法や、やり方があるのが面白い。


4時には、第四連が完成し、ひと息ついたのだが、それから忘年会の時間まで、みんなで古本屋を回った。
posted by 城戸朱理 at 09:04| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

『火山系』連作



岩手県で刊行される東日本大震災復興支援文集「シンフォニー」に寄稿したエッセイのゲラをチェックし、田野倉康一、広瀬大志、高貝弘也くんとの連詩を進めるかたわらで、『火山系』連作の詩を書いていたのだが、そのうちの一篇、「悪い土地」を「現代詩手帖」一月号作品特集のために思潮社に送った。

『火山系』は、『不来方抄(こずかたしょう)』『幻の母』と書き継いできた起源を巡る三部作の最終章となる『白鳥伝説』、非在の故郷を主題にした『不来方抄』と対をなし、実在の故郷を題材とする『水都』とともに、現在、私が書き進めている詩篇だが、これは、私の仕事としては『世界-海』の系譜に連なるものになるかも知れない。

日本のみならず、世界で地震が多発し、地球が地殻運動の活動期に入った今、私の『火山系』も、また、詩の言葉が、たぎるマグマとともに、目覚めつつあるのを感じる。

近いうちに、私は『火山系』を、一気に書き下ろすことになるだろう。
posted by 城戸朱理 at 11:14| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

快調、連詩「航海2016」!



田野倉康一・広瀬大志・高貝弘也・城戸朱理による連詩「航海2016」が、順調に進み、12月8日には第三連に突入した。

この連詩は全四連で、第三連までをメールのやり取りで進め、第四連を実際に会って完成させることになっていたのだが、進行の詳細を決めておかなかったため、一時は停滞してしまった。

やはり、編集者が必要なのかと思っていたら、隣にいたのである、編集・校正はもちろん、デザイン・レイアウト・色指定まで出来るプロの編集者が。

そう、バンビことパンクな彼女である!


「お手々に、たっぷりお小遣いをのせてくれるなら、やってもいいよ〜」
・・・・・・


どうせ、やってもらわなくても、お小遣いはあげることになるのだから、ここはやってもらったほうがいい。

仕切り直して、バンビが編集を担当、各自が書いた詩をバンビのメールアドレスに送り、バンビが取りまとめて次の順番の人に連絡するようにしたら、なんと2日ほどで、第二連まで出来上がり、第三連に突入してしまった。

半日ていどで、自分の番が来てしまうので、日常のなかでも詩を意識せざるをえない。

これが、なかなか刺激的で、自分の詩作も進んだ。

そう考えると、連詩には、やり方によっては、別の効用もあることになる。


今後は、ときにゲストを迎えながら、同じメンバーで、機会があるたびに連詩を試みてみるのも面白いかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 07:52| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

田野倉康一・広瀬大志・高貝弘也・城戸朱理による連詩、進行中!



10月29日に開催された現代詩文庫刊行記念トーク&朗読会「田野倉康一×広瀬大志」の打ち上げ二次会の席で、連詩が話題になった。

二次会に参加していたメンバーのうち、高貝弘也、暁方ミセイ両氏が、今年の「静岡連詩」に参加することになっていたからである。

大岡信さんの後を引き継いで、野村喜和夫さんが主宰する「静岡連詩」は、私も呼んでいただいたことがあるが、他者の言葉が身体に入ってくる感覚は、なかなかに刺激的なものだった。

野村さん自身、連詩は作品として定立するものではないと考えられているようだが、経験してみなければ、あの感覚は、分からないかも知れない。


それを聞いていた田野倉康一氏が「いいなあ。連詩やったことがないんだ」と漏らしたものだから、それではやってみようということになって、田野倉康一、広瀬大志、高貝弘也、城戸朱理の4人で連詩を試みることになった。


メールのやり取りで途中まで書き上げ、最終連を、実際に顔を合わせて完成させるべく、現在、進行中である。

決まりは、イベントのトークで語った各自の原風景をどこかで盛り込むこと。

さらに、最終連では、もうひとつの決まりを提案しようと思っている。


完成したら発表する予定だが、田野倉、広瀬両君の現代詩文庫刊行記念として小冊子を作ってみたいものだ。
posted by 城戸朱理 at 13:45| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月24日

岩佐なを『パンと、』(思潮社)〜岩佐なをさんのこと

__0470.jpg



岩佐なを『パンと、』は、食パンやクリームパンなど、パンをモティーフにした詩篇を中心に編まれている。

「中心に」と書いたのは、そうではない詩もあるからで、そのあたりの事情を、タイトルの「パンと、」の「と、」が表しているのだろう。

軽妙にして、洒脱。

そのくせに、ときおり現実世界の裂け目が覗く。

いかにも、岩佐さんならではの詩集である。


歴程賞を受賞された岩佐さんは、歴程祭の授賞式の挨拶で、これからは昼寝でもしていようかと思っていたが、詩集をもう一冊、読者がふっと笑ってしまって、そのあと何も残らないような詩集を作りたいと語られていた。

笑いだけを残して、姿を消していくチェシャ猫のような詩。

そんなことを考える詩人も、岩佐さんだけだろう。


私が、岩佐さんの詩に初めて触れたのは、もう40年近く前、私が18歳のときだった。

岩佐さんは、私も投稿していた「ユリイカ」の投稿欄(長谷川龍生選)の常連で、
住友浩さんと並んで、毎月のように入選、掲載されていたからである。

それ以来、岩佐さんの仕事を拝見してきたのだが、その御縁もあって、岩佐さんが『霊岸』で、第45回H氏賞(1995)を受賞されたときの「詩学」の特集で、私も作品論を書かせていただいたし、『現代詩文庫 岩佐なを詩集』(2005)でも、作品論・詩人論を寄稿した。


また、私が小詩集『まんぼう』を編んだときには、銅板画を作っていただいたこともある。


岩佐さんは、銅板画のエクスリブリス(蔵書票)でも有名で、挿絵や装画のお仕事も多い。


ボクシングと競艇のファンで、詩を書き、絵を描き、銅板画を作る。

岩佐さんを見ていると、粋な人の暮らしぶりとは、こういうものではないだろうかと思ってしまうのだ。
posted by 城戸朱理 at 16:53| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

現代詩文庫『田野倉康一詩集』『広瀬大志詩集』刊行記念「出航アンソロジー」

__1270.jpg



広瀬大志くんが資料を提供し、思潮社がイベントのために制作してくれたのが、写真の「出航アンソロジー」。

これは、「洗濯船」創刊号に掲載された田野倉康一「漂流」、高貝弘也「THE AISLE」、城戸朱理「港」、「洗濯船」第2号に掲載された広瀬大志「水階」と田野倉康一による創刊号の「あとがき」を原版より収載したもので、懐かしいだけではなく、各自の資質の違いを改めて確認することが出来た。

私は、当日まで、このアンソロジーが作られていることを知らなかったので、神田白十字で、高木総編集長から、この小冊子を手渡されたときには驚いたが。


イベントは、若い詩人たちにとって、大いに刺激になったようで、同世代で同人誌を作ろうという気運が盛り上がったとのこと。

今は、誰でもネットで手軽に発信できる時代である。

同人誌を作ろうという若者も減っているだけに、嬉しい話だった。
posted by 城戸朱理 at 10:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

「書く」という非常時



これまで、多いときだと年間150本を超える原稿を書いてきた。

21世紀になってから、年間の締切が100本以下の年は、ほとんどなかったのではないかと思うが、その意味では2、3日おきに締切があったことになる。

しかも、『地球創世説』や『世界-海』、『漂流物』といった詩集は書き下ろしだから、締切とは別に創作をしてきたことになる。


そうなると、原稿を書くのが日常ということになりそうなものなのに、いまだに「書く」ということは、私にとって非常時にほかならないような気がする。


とりわけ、詩を書いている時は、時間も空間も別の次元に旅しているかのようで、書き終えても、なかなか今この時に戻れず、幽世(かくりょ)の縁を歩いているような気分になることがある。


長く詩に心を砕いていると、心のほうが砕けてしまうと語ったのは辻征夫さんだったが、思うだに恐ろしい。

恐ろしいと思いながら、そこに没入できる時だけを待ち望んでいるのだから、結局、書くということは非常時を生きることにほかならないのだろう。
posted by 城戸朱理 at 10:17| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月30日

ジョナス・メカスのプライベート・ポエム



「for GOZO」と手書きで記されたジョナス・メカスのプライベート・ポエムは、90歳を超えたメカスが老いと向かい合った作品だった。


吉増剛造さんにオリジナルの原稿を預かったバンビことパンクな彼女は、厚紙に5部コピーを取り、吉増さんにサインと日付を入れてもらってマルチプルを制作していたが、自分の「my世界遺産」に収蔵するつもりらしい。


メカスの詩は、その夜のうちにバンビが直訳したので、私が最終的な決定稿を作ることになっている。

発表場所は、ローライ同盟の機関紙「ローライ新聞」。

機関紙といっても、バンビがコピーで10部ほどを作り、会員だけに配るものだから、ほとんど秘密結社の会報のようなものである。

そのほうが面白いが、それでいいのだろうかという想いを消しがたいのも事実だ。


吉増さんのメカスへの返信の詩もFAXで来ているが、対にして、どこかに発表したほうがいいような気がしないでもない。
posted by 城戸朱理 at 08:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月11日

落柿舎で思ったこと

__1255.jpg__1254.jpg__1253.jpg



落柿舎からは紅葉の嵐山を望むことが出来る。

だが、落柿舎そのものには紅葉する木々はなく、ムラサキシキブ、シロシキブ、センリョウ、マンリョウなど、実をつける低木が多かった。


私の盛岡の実家の庭も、実をつける木々が多く、雪のなか鳥がついばみに来たが、落柿舎も、冬には小鳥の餌場となるのだろう。


故郷を離れて、実家の実のなる木々を思い出しては、書いた詩篇がある。

「弱い獣」(『千の名前』)という一篇だ。



痛みが日々を新たにした。
慣れることのできぬものと出会って
世界のはてというものが
こんなにも身近かで次々と
訪れてくることに驚いていた
けれども、こんなにも静かだ。
小さな赤い実のことを考えていた、
ガラス戸の千年の曇りをぬぐって。
マユミ、イチイ、
ウメモドキ、
ヒヨドリジョウゴ、ナナカマド――
赤い実をゆらして、
西風にかわった
だから"小ささ"を心にまさぐっていく
心のふたしかな輪郭を探って
低い生垣を植えるように。
心の底が裂けているから
心の容量が洩れつづける――
心がなくなっていた。



この詩を書いたのは、交通事故による全治6カ月の受傷、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えての出口の見えない介護生活を送っているときだったから、絶望に閉ざされかけた日々のなかで、故郷の冬景色を思い出し、私は、わずかに心を慰めていたのだろうか。

今になると分からない。

そして、野草を愛した両親も、もういない。

今年も、今年の鳥が実をついばみに来るのだろうが。
posted by 城戸朱理 at 10:32| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

吉増剛造『詩の傍らで』が到達したところとは

Photo0015.jpgPhoto0014.jpgPhoto0013.jpg



移動の車中で、吉増さんから思いがけない言葉を聞くことになった。

吉増さんの『詩の傍らで』は、原稿用紙に細かい線を引いて小さな升目を作り、吉本隆明の著作を米粒ほどの文字で書き移しては、
そこに吉増さんの元に届いた葉書を貼り込んだり、メモを貼り込んだりしたうえで、インクを垂らしたり、破いたりしたものだが、
時間性をたたえた紙のオブジェのような、この試行は、春に醍醐寺で撮影したときには、608枚目になっていた。


一枚の制作には、平均して4日かかるらしいが、今回、吉増さんがお持ちになられたのは、647枚目だった。

そして、これが『詩の傍らで』の最後の一葉になるのだという。


なぜ、647枚目なのか。

それは、時が満ちたからというしかない。


吉増さんは最後の一枚を、楽しみながら少しずつ書き進めているようで、着手してから、すでに10日がたっているのに、まだ完成していなかった。

ともあれ、東日本大震災の半年後から始められた『詩の傍らで』は、ついに完結しつつある。


流響院でも作業は続けられたが、吉増さんは、吉本さんの言葉を平仮名と片仮名に開いて、惜しむように、少しずつ書き写していた。
posted by 城戸朱理 at 09:14| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

『水都』まで

__1391.jpg__13950001.jpg__13970002.jpg



一昨年の10月に父を、今年の2月に母を見送ってから、故郷の景色が一変した。

どうしたことか、何を見ても、何らかの記憶が甦る。

それは、狂おしいほどで、私はとまどいながら、それと向かい合っているしかなかった。

それは、いまだに変わらない。

いや、おそらく、これからも変わることはないのだろう。


父が春先に倒れて、入退院を繰り返しているとき、中津川ぞいの病院を何度か訪ねた。

宮澤賢治が学生時代に下宿先で使っていたという井戸から水を引いた賢治清水で喉をうるおし、下の橋を渡りながら、川と湧水に恵まれた盛岡のことを思ったりもした。


それが、詩集『水都』を構想するきっかけだったのだが、水色の革表紙のノートに、詩稿のメモが増えるにつれて、故郷の景色が、記憶の底で静かに澄みわたっていく。


私はかつて非在の故郷をめぐる詩集『不来方抄』を書いた。

『不来方抄』から始まる起源の詩的探求は、『幻の母』、そして執筆中の『白鳥伝説』の三部作で完結するが、『水都』は『不来方抄』と対を成し、実在の故郷をめぐるものとなるだろう。


先週、「抒情文芸」に『水都』の一篇となる「水面の影のように」を渡したが、詩集の原稿は来年の3月までに書き上げるつもりでいる。
posted by 城戸朱理 at 06:54| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

城戸朱理のヴィジュアル・ポエトリー

__13720002.jpg



TOLTAの『現代詩100周年』には、私も作品を寄せているが、これは、私にとって、初めてのヴィジュアル・ポエトリーの試みとなった。


NO-WHEREは、「どこにもない」という意味だが、NOW-HEREは「今-ここ」であるとともに「ユートピア」という意味を持っている。

同じ綴りでありながら、分節によって意味が変わるわけだが、同時に「ユートピア」とは「どこにもない」からこそユートピアなのではないか。


作品のタイトルは「blue bird」。


ツイッター上では、広瀬大志くんが「城戸朱理くんがビジュアル・ポエトリーを出してきたのには、びっくり。やるなあ。カッコええな」、中家菜津子さんが「ぱらぱらしてたら、城戸朱理、かっこええ(≧▽≦)」(顔文字!)という嬉しい反応が。


私自身は、これが最初で最後のヴィジュアル・ポエトリーのつもりでいたのだが、いざ『現代詩100周年』を手にしたら、次作のアイデアも湧いてきたので、いずれ発表することになるかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 06:52| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする