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城戸朱理のブログ: 詩

2013年04月23日

第4回芝不器男俳句新人賞について



愛媛県文化振興財団が主催してきた芝不器男俳句新人賞は、
今後、芝不器男俳句新人賞実行委員会によって継続されることになった。


選考委員は、これまでと同じく、大石悦子、斎藤慎爾、坪内稔典、対馬康子、城戸朱理の5名がつとめる。

第4回は、来年の3月11日を選考会とし、今年の10月末が応募の締切となる。

6月には公式ホームページが開設される予定だが、
選考は、これまでと同じく、無記名による公開審査。

従来通り、百句競作で、応募資格は締切時に40歳未満。


本賞の設立に力を注いだ西村我尼吾参与は、現在、ASEANの国際経済研究所・ERIAの事務総長という要職にあるが、
今月、講演のためにジャカルタから一時帰国されたときに奔走され、芝不器男俳句新人賞の継続が決まった。

西村参与の御尽力に感謝するとともに、若い俳人の積極的な参加を期待したいと思う。
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2013年03月04日

知られざる詩人、加賀谷宏、その3




加賀谷宏の詩を読んだとき、すぐさま連想したのは、同郷の詩人、村上昭夫だった。

村野四郎の推挽を受け『動物哀歌』一冊を残して40歳で世を去った村上昭夫の詩も、
生と死を透徹した眼差しで見つめる静けさに満ちている。

加賀谷宏の『詩片』にも、村上昭夫と同質の手触りがある。

それは、死を覚悟した人の末期の視力と言ってもよい。




雪の宵

ゆきの
宵から ねむる
かるく
まぶたをとぢて
幸福であるような
錯覚を
おこしてはならない


悔恨

どうしようもない
ゆきが ふるばかりだ

ふりしきる ゆきの むかふに
おまへの かげが
しだいにうすれる




なみだ ではない
ゆきに ぬれた頬なのだ
ひとと
わかれてきただけだ




作品は直接的だが、主情を述べることなく、可能なかぎり切り詰めた言語に感情が負荷されている。


彼を詩に駆り立てたのは、自らの死期が近いことを悟ったからだろうが、
同じ状況にあって詩作を試みても、作品が、ここまで鮮烈な姿を見せるとは限らない。


加賀谷宏は、詩史的な影響関係なしに、独自の詩的世界を確立している。

それは、厳しくも、氷のように澄みわたった世界であると言ってよい。
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2013年03月03日

知られざる詩人、加賀谷宏、その2



『詩片』の年譜によると、加賀谷宏は、大正7年、北海道山越郡長万部村生まれ。

6歳のとき、岩手県花巻町に転居し、中央大学商業学校を卒業、小学館で6年間、雑誌の編集に当たったが、
昭和14年、22歳のとき吐血、花巻に帰り、以後8年間、療養生活を送った。

彼が亡くなったのは、昭和22年、30歳のとき。

もともとは句作をしていたが、死の数十日前から詩を盛んに書き、没後、遺稿としてまとめられたのが『詩片』なのだという。

『詩片』は、詩人の死の同年に、謄写版で百部だけ刊行されたが、その22年後の昭和44年に活版印刷で三百部が再版された。

私が入手したのは、再版である。


加賀谷宏の詩を二篇、紹介しておこう。




へんじ

ひろい
原っぱに 立って
大きな声で 呼んでみろ
かぜに むかって
空に むかって
へんじが ないのに決まっている


じかん

つめたく
ひびく 鍵のおと
トランク 一つをさげて
もう わたしの
じかんが なくなっている




加賀谷宏の作品はいずれも短い。

そして、読者の身心が鎮まりかえっていくような明るく澄んだ言語空間が広がっていく。

森荘巳池は解説で次のように語っている。


この作品群は、じじつ生命を一刻一刻けずらなければ、作りえなかったものであろう。
けれどもそういう苦しさのあとが、作品の上では、きれいにあらいおとされている。あっぱれなことである。


実に的を得た評であると思う。

苦闘の結果、生まれた作品なのに、苦闘のあとを留めない詩篇。

ここには、詩神の奇跡があるのではなかろうか。(つづく)
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2013年03月02日

知られざる詩人、加賀谷宏、その1





古本屋で、薄くて背が読めない本があると、とりあえず手にして確認するのは、愛書家の習性だが、
そうやって手にした本が、未知の詩人の詩集であったとき、買うことはめったにない。


ただし、加賀谷宏『詩片』(寺ノ下通信社)の場合は違った。

まず、ひっかかったのは奥付の発行人である。

森荘巳池(もり・そういち)。

宮澤賢治に関心がある人ならば、この名前を素通りすることはできないだろう。

森荘巳池は1944年に小説「蛾と笹舟」「山畠」によって第18回直木賞を受賞した作家であるとともに、
寒村の九人の家族の一週間の食事の内容を、即物的に投げ出すように記録したリアリズム詩の傑作、『山村食料記録』の詩人としても知られている。

賢治の「あなたを尊敬します」という森荘巳池宛ての手紙が残されているが、賢治の年少の友人でもあった。

彼は、岩手日報社で新聞記者をしていたが、最初の宮澤賢治全集(十字屋書店版、1940)の編集に携わるべく、職を辞してまで賢治の仕事の紹介につとめた。

いわば、草野心平とともに、宮澤賢治を世に知らしめた存在と言ってよい。

その森荘巳池が発行人となった詩集があることは知らなかった。

しかも、長文の解説まで執筆しているではないか。


森荘巳池が紹介につとめようとする加賀谷宏とは、どんな詩人なのだろうか。

こうして、私は、加賀谷宏という未知の詩人と出会うことになったのだった。(つづく)
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2013年03月01日

ウーパールーパー詩篇?

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「海とクジラ」打ち上げの席でのこと。

笠井禮示さんが飼っているネコの話から、動物の話題になった。


「城戸さんは何か飼っていないんですか?」と笠井叡さん。

「家にいるのは、ウーパールーパーです」と私。

「ウーパールーパー?」


そうか、テレビのCMで、ウーパールーパーが話題になったころ、笠井叡さんは一家でドイツだったので、御存知ではないらしい。

英語だとメキシカン・サラマンダーと説明したら、笠井さんはトカゲのようなものと思われたようだ。


そこで、バンビことパンクな彼女が、スマートフォンのマロちゃんの写真を呼び出したところ、久子さんが「かわいい」と大喜び。


前脚の指は4本で、後脚の指は5本ですと言うと、高橋悠治さんが、


「指が4本じゃ、ピアノは弾けないな」


そ、それはそうですが、ウーパールーパーにもピアノと考えるあたりが、さすがである。


メキシコ原産で、現地では「水のなかで遊ぶ犬」という意味のアホロートルと呼ばれているのですが、
メキシコでは乱獲で数が減り、絶滅危惧種だそうですと説明したら、
高橋悠治さん、今度は絶滅危惧種という言葉に激しく反応。


「絶滅危惧種、詩人と同じですね。
城戸さん、ウーパールーパー詩篇を書かなくっちゃ」と悠治さん。


ウーパールーパー詩篇?

つまり、マロちゃんの詩??

絶滅危惧種というよりは、何やら楽しげなイメージしか浮かんでこないぞ。

はたして、悠治さんが期待するようなウーパールーパー詩篇は、書けるのだろうか???
posted by 城戸朱理 at 10:17| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

今日の「読売新聞」夕刊に新詩篇掲載



今日、1月19日の「読売新聞」夕刊に私の新作が掲載される。

タイトルは「見えない雨」、『水都』の一篇である。


新年の新聞への詩作品の寄稿は「朝日新聞」2011年1月4日の「白鳥伝説」以来となる。


咋秋から詩の発表が続いており、「現代詩手帖」11月号に「火山系」、「花椿」12月号に「白鳥伝説」、
「現代詩手帖」1月号に「凍った空」(『水都』)、「文藝春秋」2月号に「北天の光」(『水都』)、
さらに刊行されたばかりの『現代詩花椿賞30回記念アンソロジー』(資生堂)には「火山系」を書き下ろした。

「白鳥伝説」「火山系」というタイトルの詩篇は、それぞれ同題の詩集の一篇になる。

また書物をめぐる連作詩も、資料に当たりながら、ノートを取り始めたので、こちらも近いうちに発表することができるかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 09:50| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

「詩と思想」7月号、特集「青春暗黒物語」

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「詩と思想」7月号の依頼状を受け取ったとき、すぐに引き受けることにしたのは、
企画が、あまりに面白かったからだった。

特集は「青春暗黒物語」。

「青春」という言葉には、ポジティブなイメージしかないが、
実際は、肥大した自我を抱えた苦しい時期でもある。

そうした青春のダークサイドを焦点を当てるユニークな特集なのだが、いざ本誌が届いたとき、目次を見て、驚いた。


巻頭詩の執筆者は、私に高貝弘也、田野倉康一、広瀬大志。

学生時代からの詩友で、かつては「洗濯船」に依った顔ぶれが並んでいたのである。


依頼は各自にあったので、互いに知らなかったのだが、
さらに野村喜和夫さんがインタビューを受けているではないか。


「現代詩手帖」誌上で、このメンバーが並ぶことはあったが、「詩と思想」も大きく変わりつつあるようだ。
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2012年02月03日

新詩集の構想

この数日、ある言葉が頭から離れない。

ふと、気づくと、その言葉を巡って詩句を紡ぎ出すことばかり考えている。

これは、一冊の詩集が生まれようとしているのだとしか思えない。


私が、詩集として構想し、すでに既発表作品がある連作は、
『世界の果て World on the Edge』、
『失題』『白鳥伝説』の三つになるが、そこに新たな一冊が加わることになりそうだ。

私の場合、詩集はタイトルが先行する場合と、
先に詩篇を書き上げてから、タイトルを考える場合があって、
『世界-海』は前者、『非鉄』や『地球創世説』は後者になる。

また、連作時のタイトルを、詩集を編む段階で、『幻の母』のように変更することもあるが、
今回は、タイトルが先に決まっているケースになる。

それが何かは、まだ明かすことが出来ないが、タイトルが先にあるということは、
主題系が明らかになっているということでもある。

創作の場では、そこに亀裂が入るようでないと、詩にはならない。

今は、まだ足踏みをしている状態で、発表がいつからになるのかは、自分でも分からないが、
今年のうちには着手したいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 11:40| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月13日

発掘された詩稿

鞄のなかで紛れやすい名刺入れや筆記具など、
細々したものを整理するオーガナイザーがある。

私も以前、使っていたのだが、久しぶりに出してみたら、
なかから、原稿用紙に書いた未完の詩稿や詩想を書きとめておいたノートが出てきた。

すっかり忘れていたので驚いたが、今から10年以上前、30代後半のもの。


交通事故で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥り、
出口の見えない介護生活を送っていた時期の詩稿とノートで、
ちょうど『千の名前』を書いていたころのものだから、今とは、発想が違うし、
今では書けないような種類のものでもある。

ここから、新しい詩を汲み上げることが出来ればいいのだが、
まるで過去の自分に出会ったような奇妙な感覚があるのは否めない。


PTSDに陥ったままの、過酷な介護の日々のストレスは、私の身体を蝕み、
結局、40歳のときに吐血して、生死の境をさまようことになったのだが、
その時期の自分に、いきなり出会ったような気分になった。


この詩稿とノートは、ぜひ生かしてみたいと考えている。
posted by 城戸朱理 at 10:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月29日

エリオットの周辺

「表現者」連載のエリオット論を書き上げて送ったあと、
さらに次回分の原稿を書き終えたのは、水曜日だった。

連載6回目で、いよいよ『荒地』について書き始めたのだが、
『荒地』はエリオットの雑駁な草稿を
パウンドが、ほぼ半分に切り詰めて、今日、知られる形になったものであり、
パウンドの推敲の跡を留める草稿も、エリオットの没後、ファクシミリ版で刊行されている。


この草稿は、評論家ヒュー・ケナーが、「Ur-THE WASTE LAND」と呼んで以来、
学会では「原(ウル)-荒地」というのが通称になっているが、
『荒地』を語ろうとすると大判の『原-荒地』とエリオットの全詩集、
さらには、大量の資料を参照せざるをえない。

そこで、資料が広げられている状態のまま、次回分まで執筆することにしたのだが、
『荒地』の生成には、パウンドのみならず、ジェームズ・ジョイスやストラヴィンスキーなど、
少なからぬエリオットの同時代人が関わっていることを、
改めて確認することになった。


そもそも、イギリス版『荒地』を出版したのはヴァージニア・ウルフ夫妻のホガース出版であり、
この時期、ウルフ夫妻とエリオットは、親密な関係にあったことも忘れてはならないだろう。



そして、今でこそ20世紀のモニュメントとして揺らぎない位置を占める『荒地』でさえ、
意外なことに、発表されて、すぐさま評価されたわけではなかったことも興味深い。

先行世代は、イエイツのような偉大な詩人でさえ、
『荒地』の真価に気づくことができず、
むしろ不評をもって迎えらたというのが当時の現実である。

権威ある「タイムズ文芸付録」が、『荒地』刊行の翌年9月に掲載した
「われわれが詩に求めるものを、この詩に見出すことは出来ない」という評が、
当時の一般的な受け止めかたを示していると言えるだろうか。


しかし、先行世代によって十全に理解され、評価を得るとしたら、
それは、その作品が先行世代に理解できるような
古いコンテクストのなかにしかないことを意味しているわけであって、
真に革命的で新しい作品が生まれるときは、むしろ、先行世代からは理解されないか、
あるいは的外れな批判を受けるものなのだろう。

エリオット自身は、『荒地』刊行後、それを失敗作と考えていたが、
その長篇詩は、若い世代に熱狂的に受け入れられ、
詩人を志望する若者たちは、『荒地』の特徴的な語彙をちりばめた作品を書くようになっていく。

つまり、『荒地』の評価とは、後続世代が決定したものであり、
これは、パウンドの場合は、さらに顕著なものとなるのだが、
結局、文学作品の真価というものは、同時代の評価よりも、
後続世代によって決定されていくものであることを歴史が示していると言っていい。


『原-荒地』の翻訳も少しずつ進めているが、これも刺激的で、
パウンドによる削除がなければ、問題となるような作品ではなかった。

エリオットは後に数多くの詩劇を手がけることになるが、
『原-荒地』も全5部のうち、4部までが劇的な設定のパートから始まる同工異曲のものであって、
決定稿に比べるならば、明らかに単調かつ凡庸である。


エリオットは、後にパウンドによる推敲を、パウンドの批評的天才を示すものと語ったが、
パウンドは、雑駁な草稿から、卓越した耳でもって、音楽的な構成を取り出し、
埋もれていた詩的主題の図式を明確なものにしたわけで、
それは、批評的な能力というよりは、むしろ、詩人の力と言うべきだろう。

「『荒地』はエリオットの作品(ポエム)だが、
パウンドの詩(ポエトリー)だ」と語られることがあるのも、
納得できるところがあるが、いずれにしろ、
若い才能が相互に影響を与えながら、ひとつの時代を作っていく様は、
熱を孕んでいて、人を魅了するものがある。
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2011年08月25日

3冊目の「ヴィビジュアル・ポエトリーの実験」特集!

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先に「みずえ」1975年6月号、特集「ヴィジュアル・ポエトリー」を長らく探し、
町田の古書店で入手したところ、伊藤元之さんが送って下さったことを書いたが、
それを読んだ北鎌倉、侘助の常連、藤田みどりさんが、
「みずえ」1976年7月号、特集「高村光太郎」と一緒に、
3冊目となる視覚詩特集を贈って下さった。


『北鎌倉のお庭の台所』(主婦の友社)の著者でもある藤田さんは、
美大出身だから、「みずえ」を購読されていたのだろうが、
アトリエの書架にあったものだが、自分が持っているよりは私にと、お手紙が添えられている。

御好意に感謝しつつ、視覚詩について、何かを書きたいと思っている友人に、手渡したいと思う。


高村光太郎特集も、彫刻家(とくに木彫!)、詩人、画家、書家と、
多角的に光太郎を紹介する好企画で、このころの「みずえ」は、やはり充実している。


高村光太郎については、昨年、2度ほどエッセイを書いたが、
智恵子の故郷、福島、そして光太郎が隠棲した岩手と、
その軌跡は奇しくも東日本大震災の被災地と重なっており、
その詩をもういちど読み直したいと思っていた矢先なので、
貴重な資料となりそうだ。

また、光太郎の『道程』は、萩原朔太郎『月に吠える』に2年前に刊行されたわが国最初の口語自由詩の先駆的な詩集だが、
記念碑的な『道程』、名高い『智恵子抄』のみならず、
晩年の詩集『典型』にも「ブランデンブルグ」のような名篇がある。

再評価すべき詩人だろう。


視覚詩特集は、日本における視覚詩の理論的支柱であった清水俊彦の貴重な論考と、
世界の主要な視覚詩人の代表作を図版で紹介するもので、
当時、まさに現在進行形だった世界的な運動の熱気を伝える。


しかし、探しているときは、なかなか見つからないのに、
いざ集まり始まると一気に3冊になってしまうのだから、本というものは面白い。
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2011年08月13日

特集「ヴィジュアル・ポエトリーの実験」!

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北園克衛率いる「VOU」のメンバーであり、
高橋昭八郎さんの盟友でもある伊藤元之さんが、雑誌を送って下さった。

「みずえ」1975年6月号のヴィジュアル・ポエトリー特集である。


コンクリート・ポエトリー(具体詩)の発展的形態として、
汎世界的な運動となったヴィジュアル・ポエトリー(視覚詩)は、
日本でも北園克衛の写真によるプラスチック・ポエムを発端に、
清水俊彦を理論的支柱として、高橋昭八郎、伊藤元之ら、後期「VOU」のメンバーによって展開され、
世界的な評価を得たが、日本における紹介は、文学や詩の問題としてではなく、
むしろ、フルクサスやネオダダなど現代美術のコンテクストで語られるのが常だった。


その意味では、わが国最初のヴィジュアル・ポエトリー特集が、
美術雑誌の「みずえ」で組まれたことも、当時の状況を示すものだが、
これは世界の優れた視覚詩を紹介する、実に充実した内容であり、
私は、高橋昭八郎さんからカラーコピーをいただいて読んでいた。


その後、古書店でも探し続けたのだが、1970年代の雑誌のバックナンバーとなると、
なかなか見つからないもので、
美術雑誌のバックナンバーの在庫が多い神田の源喜堂や渋谷の古書センターでも見つからず、
結局、町田の高原書店で入手することが出来た。


そんなわけで、私の手元には、今、2冊の視覚詩特集があることになるが、
伊藤元之さんが贈って下さったものを手元に置き、
私が購入した分は、友人にプレゼントしようと考えている。


詩歌文学館の豊泉豪さんが、樺山遺跡で撮った写真を送って下さったので、
伊藤元之さん、豊泉豪さんと一緒に写っている写真を雑誌に挟み込み、
元之さんが送ってくれた「みずえ」を書架に収めたのだが、
こんなふうに一冊の雑誌が、自分にしか分からない特別な意味を持ちうるということは、
やはり、興趣が尽きないものがある。

ひとりの人間の書斎とは、そんなふうにして出来上がっていくものなのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 10:09| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

「ユリイカ」5月号に新詩篇

「ユリイカ」5月号に新詩篇「コバルトの空」を発表した。


今年、発表した作品としては「朝日新聞」1月4日の「白鳥伝説」に続いて、
2篇目の詩となるのだが、今は、奇妙なとまどいのなかにいる。


3月11日を境に、詩に限らず、言葉を発することに、
奇妙な違和感がわだかまっており、
無理にでも何かを書きはするのだが、異様なまで疲れを伴う。


自分のなかの言葉が、凍ってしまったような感じと言えばいいだろうか。


しかし、スランプとも違う。


世界から突き付けられた現実に、それまでの言葉が、
空しく反響するだけのように思えてしまうのだ。


東日本大震災は、戦後空間を吹き飛ばし、ゼロ年代の終わりを告げた。


しかし、被災地と私の暮らす場所は、あまりに違う。

阪神淡路大震災のとき、自らも被災者でありながら、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)のサヴァイバー
(PTSDに陥った者は患者ではなく、生存者と呼ばれる)の治療に当たった神戸大学の
中井久夫先生は、東日本大震災の被災者が、
普通に日常生活を営んでいる神戸のような街を訪れたなら、
むしろ違和感を覚えるだろうと語っている。

非常時には、それだけ、日常にも差異があるということなわけだが、
私の場合は、これまでと変わらぬ日常と被災地の現実が、
自分のなかでせめぎあっているように感じられてならないのだ。

痛めつけられた故郷、奪われた父祖の地・・・


東日本大震災について直接、語ったのは、
「朝日新聞」4月2日朝刊に掲載されたインタビューと、
「岩手日報」4月13日朝刊に掲載されたエッセイだけだが、
この問題はつねに意識野に濃い影を落としており、決して逃れることが出来ない。


被災地の復興から始まる日本の再生があるとしたら、
それは、私たちの言葉の再生でもなければならないのだと思う。
posted by 城戸朱理 at 10:53| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

北園克衛をめぐって

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一昨年は、国立国際美術館で新国誠一展が開催され、
全詩集が刊行されるなど、日本のコンクリート・ポエトリー(具体詩)の先駆者、
新国誠一にスポットが当てられたが、
去年は、ジョン・ソルトの労作『北園克衛の詩と詩学』(思潮社)が刊行されるとともに、
世田谷美術館で「橋本平八と北園克衛展」が開催され、
北園克衛再評価の気運が高まっている。


北園克衛といえば、プラスチック・ポエムの名の下に、
わが国のヴィジュアル・ポエトリー(視覚詩)を主導したモダニストだが、
新国誠一と並んで、海外での評価は極めて高い。

また、エズラ・パウンドとの交流も広く知られており、
パウンドと北園克衛の往復書簡は英米で刊行されている。


北園克衛の再評価は、詩壇ではなく、むしろ美術やデザインの世界から始まった感があるが、
人気が高まるにつれて、著作の古書値も高騰しており、
言葉による詩のみならず、彼のプラスチック・ポエムを
手軽な版本で見られるようになると、若い世代の大きな刺激となるのは間違いないと思う。


たとえば新潮社のトンボの本や平凡出版のコロナブックスのような体裁で、
北園克衛、新国誠一、あるいは高橋昭八郎の作品集が刊行されたら、
少なからぬ人が瞠目することになると思うのだが。



コンクリート・ポエトリー、あるいはヴィジュアル・ポエトリー、
それは戦後詩における真の前衛の所在を示すムーヴメントにほかならず、
その実質の検討は、今後の課題でもある。
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2011年01月05日

「朝日新聞」1月4日夕刊に、今年最初の作品が

2011年を迎えて、最初に公になった私の原稿は、
「岩手日報」1月1日の「日報新年文芸」選評だが、
昨日、1月4日の「朝日新聞」夕刊には、今年最初となる詩篇が掲載された。


タイトルは「白鳥伝説」。


この作品は、私の郷里、盛岡を背景とする『不来方抄』、
昨年、刊行された、川の源を訪ねる『幻の母』に続く、
起源をめぐる三部作の最終章、『白鳥伝説』連作の一篇となる。


興味のある方は、ぜひ読んでみていただきたい。
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2010年12月17日

次の詩集に

今年は、『幻の母』『世界-海』と2冊の詩集を上梓することが出来たが、
来年、刊行予定の『漂流物』も、すでに入稿原稿が完成している。


さらに、『世界の果て』を再開し、『不来方抄』『幻の母』に続く、
起源をめぐる三部作の最終章『白鳥伝説』にも着手することになったが、
奇しくも、『白鳥伝説』の一篇を書き上げたあと、
一戸彦太郎さんの急逝を知り、その翌々日に朝日新聞からゲラを受け取ったら、
まるで一戸さんを見送るかのような詩篇になっていた。


突然の訃報に、身心のバランスが崩れたらしく、
いまだに宙に浮いているような気がするが、
『白鳥伝説』はノートを作って、詩想を練り始めたところで、
おぼろげながら、ぜんたいの形が見え始めてきたようだ。


そろそろ、盛岡にも白鳥が飛来するころだろうか。

年が明けたら、北上川に、そして、高松池に浮かぶ白鳥を見に行こうと思っている。
posted by 城戸朱理 at 14:07| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

シークレット・ポエム(隠された詩)

新しい詩篇が完成した。
題して「青空」。

一部を紹介しておこう。



「東シナ海では
       瞳の奥まで痛みで貫くような
不規則きわまりない三角波が立ち
あたかも海から生まれたように
コバルト色の鯨が現れる
その躯が苦悩のように蒼ざめているのは
いつからなのか?」



この作品は、じきに公になる予定だが、発表形態がいささか変わっている。


新詩集『世界ー海』に収められることになるのだが、
本文中に収録されるわけではないのだ。


はたして、「青空」が、どこに潜んでいるのか。

語ってしまっては、「隠された詩」ではなくなってしまうので、
伏せたままにしておくが、刊行されたら、探してみてほしい。
posted by 城戸朱理 at 14:34| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月08日

新詩集の構想

私にとって第七詩集になる『幻の母』と、
第八詩集『世界ー海』の再校を戻し、
思潮社の亀岡大助編集長と装丁案を打ち合わせしたので、
あとは、装丁の見本を待つだけとなった。

現在の進行だと、9月中には、刊行される予定である。


この2冊と同時に原稿を完成させた『漂流物』は、
年明けに入稿する予定だが、
「源流考」連作として書きついでいた『幻の母』と並行して
2000年代初頭に発表していた『世界の果て World on the Edge』の
既発表分を確認してコピーしたところ、13篇に達することが分かった。


改めて読んでみると、方向性を模索しながら書き進めていた様子が明らかで、
語法も統一されていないが、
今後は、現在の視点から既発表分を改作し、
さらに新たな詩篇を書きついでいこうと思っている。


刊行は来年になるか、再来年になるか、まだ未定だが、
ここしばらくは、単行本をまとめる仕事と
書き下ろしの仕事を並行して進めていくことになりそうだ。
posted by 城戸朱理 at 11:25| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

田村隆一の全集と吉岡実の全散文集

喜ばしいことに、田村隆一の全集が筑摩書房から
刊行されることになったという。


田村さんの詩篇は、『田村隆一全詩集』(思潮社)で
通読することができるが、
少なからぬエッセイのほうは、
そのすべてを集めるのが難しい。

私も、これまで目につくかぎりは買い集めてきたが、
古本屋でもネットでも、
どうしても見つからないものが何冊かある。

『田村隆一全詩集』で「年譜・書誌」を担当した
詩友、田野倉康一くんの話でも、
入手困難なものが数冊あるとのこと。

今のところ、『全詩集』未収録の詩篇は、
初出・掲載誌不明の「鍬・機雷」一篇しか見つかってはいないが、
これも、今度の全集には収録されるそうだから、
文字通り、田村隆一の全貌が、
書籍の電子化を目前にして、
紙の本として後世に残されることになるのを喜びたい。


一方、吉岡実の『全散文集』も刊行が進められていると聞く。

吉岡さんの場合、田村さんと違って、
執筆量は、決して多くないので、
すでに刊行されている『吉岡実全詩集』(筑摩書房)と
今回の『全散文集』で、実質的な全集となるわけだが、
生前に単行本として刊行された
『「死児」という絵」』(思潮社、増補改訂版・筑摩書房)と
『土方巽頌』と『うまやはし日記』以外の単行本未収録原稿も、
吉岡実の書誌を研究されている小林一郎氏によって、
すでにまとめられているので、
いずれは、全3冊ていどの『吉岡実全集』として、
まとまることを期待したいところである。


深刻な出版不況が語られるなか、
田村隆一の全集や、吉岡実の全散文集が企画されたということは、
出版業界の良心というものだろうが、
同時に「戦後詩」の時代が、
それだけ過去のものになったということでもあるわけで、
21世紀に吉岡実と田村隆一という戦後詩の巨星が、
どのように読みつがれていくのかは、
これから若い世代に託されることになる。

もちろん、若くないとはいえ、
私も機会があるたびに語っていきたいとは思っているが。
posted by 城戸朱理 at 18:26| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

詩が書けるとき、詩が書けないとき

手元に抱えていた詩集原稿、
『世界ー海』と『幻の母』を入稿し、
さらに『漂流物』の原稿も思潮社に託したが、
そのあとで、たいへんなことに気がついた。

この3冊が刊行されてしまうと、
私の手元には未発表原稿がなくなることになる。

思えば、昨年、一昨年は、詩の依頼があっても、
手元の原稿から、どれかを選んで送ればよかったわけで、
意識することはなかったものの、
詩の締切という重圧とは無縁だったのだ。


本来、詩とは締切などとは関わりなく、
内発的なものに促されて書くものであるわけだが、
未発表作がない場合は、
依頼のたびに、新たに書き下ろさなければならない。

その意味では、締切も詩を書くための、
ひとつの契機とは言えるわけだが、
いざ、白紙を前にして、詩を書こうとすると、
とんでもない状態に陥ることがある。

詩とは、どうやって書くものなのか、
それがまったく分からなくなることがあるのだ。


これほど、不思議なことはない。
詩が書けるときは、それこそ、一週間からひと月で、
詩集一冊分の詩篇を書き下ろすことさえあるのに、
書けないとなると、何日かけても、
一篇すらまともに形を成さないのだから。


そして、おそらくは、白紙を前にして、
詩はどうやって書くのかと自問することは、
詩とは何なのかという問いを生き直すことにほかならず、
そのようにしてしか始まらないのが、
俳句や短歌のような定型詩ではない、
「自由詩」の「自由」である理由なのだろうし、
になうべき運命なのだと思う。


ともあれ、詩集が続けて刊行されたら、
私は、また、新たな詩を模索しなければならない。

おぼろげに姿を現しつつあるいくつかの詩のうち、
どれが立ち上がってくるのか、
それは作者にも、まだ分からないのだが。
posted by 城戸朱理 at 11:39| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする