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城戸朱理のブログ: 詩

2011年01月24日

北園克衛をめぐって

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一昨年は、国立国際美術館で新国誠一展が開催され、全詩集が刊行されるなど、日本のコンクリート・ポエトリー(具体詩)の先駆者、新国誠一にスポットが当てられたが、
去年は、ジョン・ソルトの労作『北園克衛の詩と詩学』(思潮社)が刊行されるとともに、世田谷美術館で「橋本平八と北園克衛展」が開催され、北園克衛再評価の気運が高まっている。



北園克衛といえば、プラスチック・ポエムの名の下に、わが国のヴィジュアル・ポエトリー(視覚詩)を主導したモダニストだが、新国誠一と並んで、海外での評価は極めて高い。


また、エズラ・パウンドとの交流も広く知られており、パウンドと北園克衛の往復書簡は英米で刊行されている。


北園克衛の再評価は、詩壇ではなく、むしろ美術やデザインの世界から始まった感があるが、
人気が高まるにつれて、著作の古書値も高騰しており、言葉による詩のみならず、彼のプラスチック・ポエムを
手軽な版本で見られるようになると、若い世代の大きな刺激となるのは間違いないと思う。



たとえば新潮社のトンボの本や平凡出版のコロナブックスのような体裁で、北園克衛、新国誠一、あるいは高橋昭八郎の作品集が刊行されたら、少なからぬ人が瞠目することになると思うのだが。



コンクリート・ポエトリー、あるいはヴィジュアル・ポエトリー、それは戦後詩における真の前衛の所在を示すムーヴメントにほかならず、その実質の検討は、今後の課題でもある。
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2011年01月05日

「朝日新聞」1月4日夕刊に、今年最初の作品が

2011年を迎えて、最初に公になった私の原稿は、
「岩手日報」1月1日の「日報新年文芸」選評だが、
昨日、1月4日の「朝日新聞」夕刊には、今年最初となる詩篇が掲載された。


タイトルは「白鳥伝説」。


この作品は、私の郷里、盛岡を背景とする『不来方抄』、
昨年、刊行された、川の源を訪ねる『幻の母』に続く、
起源をめぐる三部作の最終章、『白鳥伝説』連作の一篇となる。


興味のある方は、ぜひ読んでみていただきたい。
posted by 城戸朱理 at 16:09| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月17日

次の詩集に

今年は、『幻の母』『世界-海』と2冊の詩集を上梓することが出来たが、
来年、刊行予定の『漂流物』も、すでに入稿原稿が完成している。


さらに、『世界の果て』を再開し、『不来方抄』『幻の母』に続く、
起源をめぐる三部作の最終章『白鳥伝説』にも着手することになったが、
奇しくも、『白鳥伝説』の一篇を書き上げたあと、
一戸彦太郎さんの急逝を知り、その翌々日に朝日新聞からゲラを受け取ったら、
まるで一戸さんを見送るかのような詩篇になっていた。


突然の訃報に、身心のバランスが崩れたらしく、
いまだに宙に浮いているような気がするが、
『白鳥伝説』はノートを作って、詩想を練り始めたところで、
おぼろげながら、ぜんたいの形が見え始めてきたようだ。


そろそろ、盛岡にも白鳥が飛来するころだろうか。

年が明けたら、北上川に、そして、高松池に浮かぶ白鳥を見に行こうと思っている。
posted by 城戸朱理 at 14:07| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

シークレット・ポエム(隠された詩)

新しい詩篇が完成した。
題して「青空」。

一部を紹介しておこう。



「東シナ海では
       瞳の奥まで痛みで貫くような
不規則きわまりない三角波が立ち
あたかも海から生まれたように
コバルト色の鯨が現れる
その躯が苦悩のように蒼ざめているのは
いつからなのか?」



この作品は、じきに公になる予定だが、発表形態がいささか変わっている。


新詩集『世界ー海』に収められることになるのだが、
本文中に収録されるわけではないのだ。


はたして、「青空」が、どこに潜んでいるのか。

語ってしまっては、「隠された詩」ではなくなってしまうので、
伏せたままにしておくが、刊行されたら、探してみてほしい。
posted by 城戸朱理 at 14:34| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月08日

新詩集の構想

私にとって第七詩集になる『幻の母』と、
第八詩集『世界-海』の再校を戻し、
思潮社の亀岡大助編集長と装丁案を打ち合わせしたので、
あとは、装丁の見本を待つだけとなった。

現在の進行だと、9月中には、刊行される予定である。


この2冊と同時に原稿を完成させた『漂流物』は、
年明けに入稿する予定だが、
「源流考」連作として書きついでいた『幻の母』と並行して
2000年代初頭に発表していた『世界の果て World on the Edge』の
既発表分を確認してコピーしたところ、13篇に達することが分かった。


改めて読んでみると、方向性を模索しながら書き進めていた様子が明らかで、
語法も統一されていないが、
今後は、現在の視点から既発表分を改作し、
さらに新たな詩篇を書きついでいこうと思っている。


刊行は来年になるか、再来年になるか、まだ未定だが、
ここしばらくは、単行本をまとめる仕事と
書き下ろしの仕事を並行して進めていくことになりそうだ。
posted by 城戸朱理 at 11:25| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

田村隆一の全集と吉岡実の全散文集



喜ばしいことに、田村隆一の全集が河出書房新社から刊行されることになった。


田村さんの詩篇は、『田村隆一全詩集』(思潮社)で通読することができるが、少なからぬエッセイ集は、そのすべてを集めるのが難しい。

私も、これまで目につくかぎりは買い求めてきたが、古本屋でもネットでも、どうしても見つからないものが何冊かある。

『田村隆一全詩集』で「年譜・書誌」を担当した詩友、田野倉康一くんの話でも、入手困難なものが数冊あるとのことだった。


今のところ、『全詩集』未収録の詩篇は、初出・掲載誌不明の「鍬・機雷」一篇しか見つかってはいないが、これも、今度の全集には収録されるそうだから、
文字通り、田村隆一の全貌が、書籍の電子化を目前にして、紙の本として後世に残されるのを喜びたい。


一方、吉岡実の『全散文集』も刊行準備が進められていると聞く。

吉岡さんの場合、田村さんと違って、執筆量は、決して多くないので、すでに刊行されている『吉岡実全詩集』(筑摩書房)と今回の『全散文集』で、実質的な全集となるわけだが、
生前に単行本として刊行された『「死児」という絵』(思潮社、増補改訂版・筑摩書房)と『土方巽頌』と『うまやはし日記』以外の単行本未収録原稿も、

吉岡実の書誌を研究されている小林一郎氏によって、すでにまとめられているので、いずれは、全3冊ていどの『吉岡実全集』として、まとまることを期待したいところである。



深刻な出版不況が語られるなか、田村隆一の全集や、吉岡実の全散文集が企画されたということは、出版業界の良心というものだろうが、
同時に「戦後詩」の時代が、それだけ過去のものになったということでもあるわけで、
21世紀に吉岡実と田村隆一という戦後詩の巨星が、どのように読みつがれていくのかは、これから若い世代に託されることになる。


もちろん、若くないとはいえ、私も機会があるたびに語っていきたいとは思っているが。
posted by 城戸朱理 at 18:26| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

詩が書けるとき、詩が書けないとき

手元に抱えていた詩集原稿、
『世界-海』と『幻の母』を入稿し、
さらに『漂流物』の原稿も思潮社に託したが、
そのあとで、たいへんなことに気がついた。

この3冊が刊行されてしまうと、
私の手元には未発表原稿がなくなることになる。

思えば、昨年、一昨年は、詩の依頼があっても、
手元の原稿から、どれかを選んで送ればよかったわけで、
意識することはなかったものの、
詩の締切という重圧とは無縁だったのだ。


本来、詩とは締切などとは関わりなく、
内発的なものに促されて書くものであるわけだが、
未発表作がない場合は、
依頼のたびに、新たに書き下ろさなければならない。

その意味では、締切も詩を書くための、
ひとつの契機とは言えるわけだが、
いざ、白紙を前にして、詩を書こうとすると、
とんでもない状態に陥ることがある。

詩とは、どうやって書くものなのか、
それがまったく分からなくなることがあるのだ。


これほど、不思議なことはない。
詩が書けるときは、それこそ、一週間からひと月で、
詩集一冊分の詩篇を書き下ろすことさえあるのに、
書けないとなると、何日かけても、
一篇すらまともに形を成さないのだから。


そして、おそらくは、白紙を前にして、
詩はどうやって書くのかと自問することは、
詩とは何なのかという問いを生き直すことにほかならず、
そのようにしてしか始まらないのが、
俳句や短歌のような定型詩ではない、
「自由詩」の「自由」である理由なのだろうし、
になうべき運命なのだと思う。


ともあれ、詩集が続けて刊行されたら、
私は、また、新たな詩を模索しなければならない。

おぼろげに姿を現しつつあるいくつかの詩のうち、
どれが立ち上がってくるのか、
それは作者にも、まだ分からないのだが。
posted by 城戸朱理 at 11:39| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

T.S.エリオットの翻訳について



翻訳大国などとも言われる日本だが、
こと詩に関しては、決して恵まれた状態とは言えない。


ドイツ、ロマン主義を代表するヘルダーリンやノヴァーリスの著作も入手しやすいものはないし、


フランス、サンボリスムにおいて、目覚ましいまでの自由詩を書いたランボーと並ぶ存在のジュール・ラフォルグの詩集も本屋では、ろくに見当たらない。


これは、20世紀の詩人に関しても同じで、日本の戦後詩、とりわけ田村隆一や鮎川信夫ら
「荒地」の詩人たちに絶大な影響を与えたエリオットも今は、適当な選詩集が見当たらない状態である。



エリオットの翻訳は、私も進めており、「現代詩手帖」2000年1月号に「荒地」新訳を発表したが、それから5年をかけて、

『プルーフロックその他の詩』『うつろな人々』『聖灰水曜日(アッシュ・ウェンズデイ)』『四つの四重奏』の新訳を完成させた。


このうち、『聖灰水曜日』は解説とともに「ガニメデ」第33号(2005年1月)に発表、さらに『四つの四重奏』の翻訳を終えてから、

「現代詩手帖」2005年9月号に、『四つの四重奏』論である
「エリオットの保守性と革新性」を発表した。



こうした一連の仕事は、『海外詩文庫 エリオット詩集』を射程に入れたものであり、海外詩文庫では、『荒地』を西脇順三郎訳、鮎川信夫訳、そして拙訳で、さらに田村隆一訳で『岩のコーラス』を、ほかの私の新訳詩集とともに収録することになっている。


刊行されれば、エリオットの主要作品と歴史的な名訳も通覧できるものになるはずである。

すでに初校が出ているものの、予想外に高い版権のために宙に浮いた状態になっており、担当の高木真史氏と方策を考えているところではあるのだが。


一方で、エズラ・パウンドが青鉛筆で、大胆な削除をほどこした『荒地草稿』の翻訳も進めており、出版としては『荒地草稿』が先で、5年後をめどに『海外詩文庫 エリオット詩集』を、

その後、さらに訳出を進め、私の個人完訳で『エリオット全詩集』刊行まで予定されているが、私としては、エリオットだけではなく、パウンドに、ぜひ手がけてみたいものがあるので、どういう順番になるのかは、まだ分からない。




西部邁先生と富岡幸一郎氏も、エリオットが、日本で等閑にふされている現状を問題だと話し合われたというが、「表現者」の私の連載「日本人の眼」が終了したら、次はエリオット論の連載をという打診もあった。

これも応えるつもりだが、翻訳のかたわらでの論考の執筆は、訳語をさらに深く考えて選ぶことにも繋がるので、タイムリーな依頼だと思っている。


ともあれ、予定というものは、すべからく未定なので、少しずつ作業を進め、時が来るのを待つしかないのだろう。
posted by 城戸朱理 at 10:23| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

パンダの詩

以前、「まんぼう」の詩を書いたことがある。

しかも、活字印刷で小冊子まで作ってしまった。

それ以来、次はパンダの詩を書こうと思っていたのだが、
いまだに実現していない。

タイトルは「Blanc et Noir」。

ブロンク・エ・ノワール。
フランス語で「白と黒」(笑)。


なぜ、フランス語なのか?
深い意味はない(笑)。


ただ「黒白(こくびゃく)」だと池波正太郎の時代小説のタイトルだし、
「白黒」だと、何やら、はっきりしろと言われているようで、
パンダ感(?)に乏しい。

英語でブラック&ホワイトだとスコッチ・ウィスキーだし、
そこで、ブロンク・エ・ノワール。


詩論集の入稿作業が終わったら、
絶対に書くのだ、パンダの詩を。

完成しても誰にも見せないぞ(笑)。
いや、希望者にだけ、こっそり配ろうかな?
posted by 城戸朱理 at 11:55| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

もういちど『世界の果て』へ



2冊の新詩集、『世界-海』と『幻の母』の 入稿を終えたので、来年は、『漂流物』を刊行したいと考えている。

これは、鎌倉の海岸に漂着したさまざまな漂流物の写真を撮って、その写真に「散文の裂け目から詩が覗くように」言葉を添えた散文詩もしくは詩的テクストとでも言うべきもので、
「ユリイカ」2002年10月号「現代詩手帖」2007年1月号の2回しか公にはしていないものの、原稿じたいは、ほぼ完成している。


ほかに、近年、私が発表しているのは、「失題」の連作だが、今回、新詩集の入稿を終えてから、ある詩篇が気になりだした。


それは、「世界の果て」の連作である。


2000年に『千の名前』を刊行したあと、私が書き始めたのが「世界の果て」だったが、「現代詩手帖」「文學界」「湘南文学」などに、数篇を発表しただけで、
2002年からは、『幻の母』『漂流物』に着手、その翌年に刊行することになる『地球創世説』の諸篇にみまわれて、「世界の果て」は中断することになってしまった。


おそらく、それは、「世界の果て」を書き始めたときに、切実だったことが、私にとって過去のものになったように思えたからなのかも知れない。


しかし、ここに至って、また「世界の果て」に内在する主題が、私にとって切実さを増しているように思う。


今のところ、「失題」のほかにも構想している詩集はある。


『不来方抄』『幻の母』に続く起源をめぐる三部作の最終章、あるいは『地球創世説』の後を受ける詩篇群、さらには今まで試みたことがない日常的に取材した作品も、書いてみたい欲求が高まっている。

そう、後期田村隆一のような(!)。


だが、今は、もういちど「世界の果て」に向かいあってみるべきなのかも知れない。

もし、また「世界の果て」を書き始めるならば、10年の中断の意味も、自ずと明らかになることだろう。
posted by 城戸朱理 at 20:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月18日

ひたすら詩集と向き合って



先週の水曜日の夜のこと、突然、柳美里さんから電話があって、鎌倉バルへ。

「文藝春秋」の武藤旬氏と飲んでいる柳さんに合流したのだが、柳さんに目下の関心事を尋ねられた私は、「今は、詩集のことしか考えられない」と答えた。

そして、その翌日から、ひたすら、詩集の入稿作業をしている。



満寿屋の原稿用紙に、モンブラン・マイスターシュテュック149で、推敲をかねて清書していく。

『世界-海』の原稿は、改作を含めて3日かかったが、日曜日にコピーを取り、宅急便で思潮社に送り出した。


この日は、「かまくら春秋」の料理エッセイのゲラを戻してから、入稿原稿完成の打ち上げで、鎌倉バルで飲み、さらにマイクスでカクテルとシングルモルトを。


そして、月曜日からは、「源流考」というタイトルで書き継いできた詩篇の清書に入った。

既発表分の清書に2日かかったが、ようやく、ぜんたいの姿が立ち上がってくる。

その過程で、詩集の題名も『源流考』から『幻の母』に変更し、こちらも全面的に手を入れた。


それから、アサヒ芸能」に、草野心平『口福無限』(講談社文芸文庫)の書評原稿を書き上げて送る。


途中、文芸評論家の富岡幸一郎さんから電話があって、関東学院大での私の田村隆一についての講座は、6月4日(金曜日)になったという連絡が。

さらに「表現者」の編集主幹でもある富岡さんから、骨董や工芸、そして茶の湯をめぐる私の連載エッセイ「日本人の眼」が一段落したら、次は、T.S.エリオット論の連載はどうかという打診もあった。

何でも、西部邁先生と飲んでいるとき、最近、日本ではエリオットが等閑に付されているという話題になったのだとか。

この件は、近日中に打ち合わせることになったが、さて、どうするか。


夜は真鯛のカルパッチョ、あわびのバター焼き、それにタッカンマリ(鶏一羽料理)で晩酌。

しばらく開封していなかった郵便物を整理したところ、「朝日新聞」から「ゼロ年代の50冊」というアンケートが来ていたが、これに回答するのは大変そうだ。


夜も更けてから、再び『幻の母』の原稿を見直し、書き足す詩篇のための準備を進める。

この作業は、詩論集『都市の文書』と並行して
進めることになりそうだ。
posted by 城戸朱理 at 10:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月29日

和語と漢語

英語の単語には、アングロ・サクソン起源のものと、
ラテン系言語に由来するものがある。

そのどちらに比重があるかによって、
詩の印象も変わるのだが、
T.S.エリオットのように
アングロ・サクソン起源の単語が多いと、
硬質な感覚が強くなると指摘されている。

これは、日本語の場合は、
漢語と和語の違いに似ているかも知れない。


和歌と漢詩が共存してきたのが、
日本の詩歌の歴史なわけだが、
興味深いことに、西欧の詩の影響から生まれた、
明治の新体詩は、やはり漢語調であり、
日本起源ではない詩歌は、まず外来種的なものとして、
漢語的なものになるというところがあるのではないだろうか。


そして、萩原朔太郎であれ、宮澤賢治であれ、
和語から始まった詩人が、
最後は漢語調に回帰するのも、
検討が必要な問題だろう。


こうした傾向は、戦後詩とそれ以降の現代詩にも言えるところがあって、
西欧の詩の影響から始まった詩人は、
漢語的な傾向が見受けられる場合が少なくない。


私の場合は、漢語的な印象が強いかも知れないが、
実は、『不来方抄』や『千の名前』は、
無意識的なものであるにしろ、
実は、際立って和語的なコンテクストによっている。

この問題は、詩を書くうえで、
今後、さらに意識していきたいことのひとつである。
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2009年12月27日

今日付けの「日本経済新聞」に「詩壇回顧」掲載

12月27日、今日の「日本経済新聞」に、
今年の詩的状況について語る記事、
「混沌の時代、根源的に問う」が掲載される。

「現代詩手帖」12月号に予定していた原稿を
来年の詩論の短期集中連載まで伸ばしてもらったので、
今年の回顧としては、「ダカーポ特別編集 最高の本2010」、
そして、「毎日新聞」12月9日夕刊の松浦寿輝氏との対談に続く、
私の最後の原稿となる。

取り上げた詩集は12冊。

そのなかから、どんな潮流が見えてくるのか?

激動の時代に、詩が問われていることと、
詩が問おうとしていることを考えてみた。

興味のある方は、御一読を。
posted by 城戸朱理 at 09:44| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月28日

高橋昭八郎「わが五十音図」、新作!

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高橋昭八郎の「わが五十音図」といえば、
世界を震撼させた視覚詩(ヴィジュアル・ポエトリー)の名作であり、
国際展の図録の表紙を飾ったこともあるが、
高橋昭八郎さんに一点お願いしたところ、
思いがけず「新作を作ります」というお返事が。


文学よりは美術の領域で
語られることが多かった視覚詩だが、
美術のようにオリジナルという概念は希薄で、
昭八郎さんも写真にサインを入れて、
展覧会に出品することが多い。

私としては、写真で構わないので、
身近に昭八郎さんの作品を飾っておきたいと思ったのだが、
思いがけない展開で「わが五十音図」は、
新作が制作されることになったのだった。


昭八郎さんから、荷物が届いたのは、
昨日、10月27日のこと。


しかも、なかから出てきたのは、3点もの新作だった!


モニュメンタルな「わが五十音図」に
新作が加わったことも喜ばしいが、
額装したら、いずれ公開する機会を持ちたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 11:34| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

太宰治「散華」の詩人、三田循司

今年は太宰治生誕百年だが、
奇しくも、その年に太宰治の未発表書簡4通が、
岩手県花巻市で新たに発見された。


しかも、その葉書は、
太宰が敗戦の前年の昭和19年(1944年)に、
「新若人」(旺文社)3月号に発表した短篇「散華」に
実名で登場する詩人、三田循司に
宛てられたものだったのである。


三田循司は、1917年、
宮沢賢治と同じ花巻市に生まれた。

東京帝国大学在学中に太宰を訪ねて、
交友が始まったが、
昭和17年に臨時召集され、
18年5月、アッツ島でアメリカ軍の攻撃を受け、玉砕。

26歳の若さで世を去った。


太宰は「散華」で、三田循司を真の詩人として賞賛しているのだが、
「散華」は、表層的な読み方をすると、
戦争と玉砕を賛美するもののようにも読めるため、
戦後、真っ向から語られることはなかった。


しかし、この作品は太宰の人生観を
ストレートに語るところがあり、
さらに、晩年の私小説的な要素が強い
あの名作「ヴィヨンの妻」において、
主人公が詩人という設定になっていることの
理由を解き明かすものであるようにも思われる。

(それにしても、「ヴィヨンの妻」の最後のあの妻のセリフ、
「私たちは、生きていさえすればいいのよ」の凄さよ!)


一方、太宰の書簡の発見によって、
北上の日本現代詩歌文学館では、
10月11日から11月30日にかけて、
「三田循司資料特別公開」展を予定しており、
これまで知られることがなかった三田循司の
詩作品も紹介されることになった。


残されているのは、作品10余篇と断片のみだが、
その作品には、宮沢賢治と村上昭夫を繋ぐかのような
可能性を見いだすことができると思う。


三田循司の遺作は、詩歌文学館の企画展に合わせて
刊行されるパンフレットに集成されることになっており、
私もエッセイを寄稿している。

日本現代詩歌文学館の展示は、
知られざる幻の詩人に触れる
貴重な機会となることだろう。
posted by 城戸朱理 at 07:15| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

読者一億人の文芸雑誌、賞金五千万円の文学賞

「NHK テレビで中国語」に連載された
日中漢俳リレーが、中国で紹介された。

漢俳とは、中国語の俳句のことで、
俳句の5・7・5という音数律に対して、
5・7・5、17文字の漢字で構成される。


しかも、三十六歌仙にちなんで、
中国と日本、それぞれ18人によるリレーとなったのだが、
これが温家宝総理から始まって、
村山富市元総理で終わる国家的(?)なもの。


詩人・作家であり、日中文化交流協会会長の辻井喬さん、
東大総長・文部大臣などを歴任し、
現在、国際俳句交流協会会長の有馬朗人さんと、
肩書きが名刺の片面では
収まりきれないような方々が名前を連ねている。


俳人ではほかに金子兜太氏、歌人では佐佐木幸綱氏、
画家ならば平山郁夫氏、
詩人は谷川俊太郎氏に大岡信氏と錚々たる顔ぶれである。


しかし、なぜか、何の間違いか、
そこに私も入っているのだ。

場違いな感は否めないが、
不思議な気持ちになった。


しかも、この日中漢俳リレーが紹介されたのは、
中国でもっとも権威があるとされる「人民文学」誌。

なんと、読者一億人と言われる文芸雑誌で、
しかも、その巻頭特集である。


西側諸国では発行部数一千万部の「読売新聞」が、
世界最大のメディアだが、
やはり、中国はすべてに規模が違うらしい。


翻訳は日本側は湯田美代子さんが担当し、
田原さんが校閲されたようだが、
田原さんの序文によると、
全体の解説を担当した西村我尼吾氏は、
2010年の上海万博で賞金50万ドル(5千万円!)の
李白短詩賞の創設を計画中だという。


日本にいると、読者一億人も
賞金五千万円も絵空事としか思えないが、
どちらも桁外れで、実感は持てないものの、
それだけに痛快である。
posted by 城戸朱理 at 08:48| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

短歌、俳句、自由詩

Edge穂村弘篇を久しぶりに見直したのだが、
穂村弘氏によると、歌人を特徴づけるのは、
自己肯定感の強さと、
羞恥心のなさなのだとか。


たとえば、与謝野晶子ならば、
「あなたが好き」と何千回も言う。

斎藤茂吉ならは「鰻がうまい」と何千回も言う。

恥も外聞もない。

もう分かったよという気になるが、
それを超えて、さらに同じことを言われ続けると、
誰もが納得せざるをえない。


穂村さんは、こうしたところにこそ、
短歌というジャンルの
際立った特徴があるのだと語っていた。


なるほど、そこには「私はこう」「俺はこう」と
言い切ってやまないような、
羞恥心を払いのけるかのごとき強烈な自我があることになる。


たしかに、歌人の集まりは、いちばん華やかだが、
歌人とは、美味しいものが好きで、
お洒落するのが好きで、
恋愛が好きで、要するに、生きていることを
謳歌するようなメンタリティの人が多いらしい。


もちろん、何事にも例外はあるのだろうが、
話を聞いたときには、面白すぎると思ったものだった。


これが、俳人となると、
自己肯定よりも、自分の外の世界を
まず肯定するところから始まるのだろうし、
詩人となると、自己も世界も疑うところからしか、
始まらないような気がする。


短歌や俳句のような伝統的な定型詩と違って、
定型を持たない自由詩は、
まず、「詩とは何か」と
自問するところからしか始まらないし、
その問いは、必然的に
自己と世界を問い直すことを要求するからだ。

こうしたことは、詩論集『潜在性の海へ』(思潮社)で、
すでに語ったので、ここでは繰り返さないが、
歌人と俳人と詩人というものは、
同じ日本語で、詩作をするのに、
これほどまでに違うものらしい。
posted by 城戸朱理 at 08:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

危機に光増す「戦後詩」(「日本経済新聞」2009年3月21日)

「日本経済新聞」の文化欄に、
「戦後詩」をめぐる記事が掲載された。

同社文化部の舘野信治記者による署名記事で、
ひと月以上の取材期間を費やし、
7人のコメントによって、
戦後詩の現在における意義を
明らかにしようとするものなのだだが、
戦後詩といって、すぐに連想される「荒地」と
その周辺の詩人たちばかりではなく、
「前衛詩の再発見」と題して、記事の3分の2が、
新国誠一と藤富保男にさかれているのが特徴だろう。

その意味では、狭義の戦後詩の枠を超えて、
多角的な検討が進んでいるのが、
現在なのだということになる。

私も取材を受け、コメントを寄せているが、
旧来の戦後詩の再評価ばかりではなく、
前衛詩の評価と検討は、
これからの課題だと思う。
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2009年02月25日

「岩手日報」の詩の投稿欄について

「岩手日報」の日報文芸「詩」の選者を
20年にわたってつとめてこられた吉野弘氏の後任として、
4月から、私が選者をつとめることになった。

この欄は、かつて、村野四郎が選者だったときに、
『動物哀歌』の詩人、村上昭夫を見いだしたことでも知られている。

『動物哀歌』は、序文・村野四郎、
装丁及び編集・高橋昭八郎によって、
1967年に刊行され、同年に土井晩翠賞、
翌年にH氏賞を受賞、脚光を浴びるが、
その半年後、わずか41歳で村上昭夫は死去した。

存在の深みを問いつづけた、
この夭折の詩人については、
これからも語り直していかなければならないだろう。

選者交代の記事は、「岩手日報」2月24日夕刊に掲載されたので、
詳細は、紙面で確認していただきたい。

岩手日報の日報文芸「詩」の欄は、
県外からも投稿可で、隔週の火曜日夕刊に掲載される。

詩は、原稿用紙2枚以内。

送付先は、下記の通り。


〒020ー8622
岩手県盛岡市内丸3ー7
岩手日報社 日報文芸「詩」係


和合亮一氏から、自分も投稿していいのかという
問い合わせがあったが、
もちろん、大歓迎である(?)。

岩手県内はもちろん、
広く県外からも、投稿していただきたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 00:46| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

西脇順三郎のこと、その3

つまりは、西脇順三郎の詩論とは、
当時の西洋の最新の思潮と向かい合いなからも、
まったく、独自のものであったと言うことができると思う。

西脇が繰り返し語っているのは、
詩というものは、あくまでも
現実に根ざしていなければならないということ、
しかし、現実のままでは詩にならないということで、
それ自体は、つまらないものである現実を
異化したところに詩が生まれるというものだが、
このように単純化して語ると、
誤解を招きやすいのも事実であって、
このことは、きちんと論じたいと思っている。

ともあれ、西脇順三郎の膨大な詩論を前にしていると、
自分の仕事も、まだ始まったばかりなのだという
思いを抱かざるをえない。
posted by 城戸朱理 at 00:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする