サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ: 詩

2008年09月14日

和合亮一氏との対詩

「現代詩手帖」次号に掲載される和合亮一氏との対詩、
「千年後に倒れる樹氷のために」が完成した。

連詩や対詩といえば、これまで、
少なからぬ詩人によって試みられてきたし、
近年では、さらに多くの詩人たちによって
試みられるようになっている。

詩史的に考えるならば、入沢康夫・那珂太郎による
『わが出雲・わが鎮魂』と『はかた』の相互改作や、
1980年代の松浦寿輝・吉田文憲・朝吹亮二ら、
「麒麟」同人による共同詩集『レッスン』のように、
詩における共同性を問う画期的な試みはあったが、
たいていは、それぞれが応答するように
4〜5行ずつを書くのがもっぱらで、
誰がどのパートを書いたのかも、
明らかにされているのが一般的である。

結果として、なるほど友愛に満ちたものや、
魅力的なものがないわけではないのだが、
一篇の詩として成立しうるものではないし、
せいぜい技芸の披露にとどまるものが、
あらかたなのも、事実だろう。

なぜか?

おそらく、そうした対詩においては、
2人であること、つまみ共同性の意味が、
真に問われていないからではないのか。

私と和合亮一氏の対詩は、そこから出発した。

昨年、中国奥地の青海湖を和合氏とともに訪れたが、
今回は、青海湖から始まるイメージを発端とし、
私たちは、2人であるとともに
1人であることを生きようとしたのだと言えるだろうか。

今回の作品には「青海湖から」という副題を与えたが、
この試みは、これで終わるわけではない。

次には「大陸から」、そして「半島から」、
さらには「列島から」の全4部作を予定しており、
和合氏とともに、順次、書き進めていきたいと考えている。
posted by 城戸朱理 at 08:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

文学潮流と世代

一世代は、20年とも30年とも言われるが、
田村隆一の説にしたがって
(もっとも田村さんは、
英和辞典に書いてあるというのが根拠でなのだが)、
かりに30年とすると、
面白いことに、あらゆる文学思潮は、
一世代のうちに、隆盛と衰退を迎えているのが分かる。

西欧のロマン主義であれ、象徴主義であれ、
あるいはシュルレアリスムでも、
その盛期は、ほぼ一世代、30年だといっていい。

このような汎世界的に影響を
与えた文学運動でさえ、そうなのだから、
日本の戦後詩のようにドメスティックな潮流が、
それ以上であるはずはなく、
やはり、戦後詩の命運は、
1945年の敗戦とともに始まって、
70年代には尽きていたと考えるべきなのだろう。

それが、そう見えなかったのは、
来るべき時代を見通すことができず、
無意識のうちに保守化していた
戦後詩人の怠慢によるものだろうし、
かつては、そういう呼び名がなかったのに、
「戦後現代詩」などという呼び方で、
とうに有効性を完膚なきまでに喪失した
戦後詩という理念を保守しようという
詩人が、いまだに存在するということは、
もはや保守的であることさえ越えて、
時代遅れの自作を弁護するための
醜態としか思えない。

今や、昭和という時代も遠のきつつあり、
日本は10年前と比べてさえ、
別の国のような状況を呈している。

戦後詩などという30年前に、
その命運を終えた理念や方法が、
今日の世界に対峙できるものではないのは
言うまでもないことであって、
のどかに戦後詩のなかで覚めない午睡をむさぼるのは、
各自の自由というものだが、
そんなことに何ら文学的な意義も価値もないのも、また、
言うまでもないことだろう。
posted by 城戸朱理 at 11:11| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

ある言葉から

昨年の「現代詩手帖」7月号、特集「城戸朱理」の
藤沢周氏との対談で、藤沢さんから
「非鉄にあらず」という一行が、
どのようにして生まれたのかを尋ねられた私は、
この一行を天啓のように思いついてから、
それが現実に一篇の詩になるまでは、
数年の時間があったことを語っているが、
私の場合、詩を書くということは、
旅の記録や日々の感懐を
書きとめるようなものではないので、
その始まりは、つねに
「天啓」のようなものかも知れないと思うことがある。

現在、『世界ー海』『源流考』と、
詩集2冊分の原稿を抱えているが、
そこに、降って湧いたように、
ある一行が到来し、今は、その一行から始まる、
3冊目の新詩集を構想しているところである。

あるいは、この夏の記憶とともに、
その一冊は書き終えられるのかも知れないが、
ふだん、当たり前に使い、
当たり前に接している言葉が、
まるで、違う顔を見せる瞬間というものがあるもので、
今は、ひたすら、その一行を前に、
たたずんでいるところだが、
この一行から、新しい詩が、
どんなふうに展開されていくのかは、
私にも、まだ、分からない。
posted by 城戸朱理 at 08:02| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日

詩的老衰について

年を重ねても先鋭であり続けることは、難しい。

平均寿命が伸びすぎて、
日本が世界一の長寿国になったこととも
関係しているのだろうが、
若いときは、過激なまでに先鋭だった詩人が、
年を重ねるにつれて、凡庸な生活詩を書くようになり、
しかも、それは、たんなる一般化であるにもかかわらず、
高齢の詩人たちが、それを普遍化だと勘違いするという
これまた凡庸きわまりない詩的老衰を
1980年代以降、つまり、戦後詩が、その有効性を失ってから、
私たちは、何度となく目にしてきたし、
今でも、いくらでも目にするものなのだが、
そうした事態を見ていると、
日没ばかりが長くなっても、
長寿などというものは、
詩人にとっては意味がないもののように思えてくる。

実際、晩年の仕事が意味を持つ詩人など、
指を折って数えるほどしかいないわけであって、
それも当然かも知れないが、
そうした老衰のあげくの凡庸な生活詩は、
詩的主体と作者が、健やか、かつ牧歌的なまでに
一体化して見えるのが特徴で、
一見、谷川俊太郎的に見えたりもするのだが、
谷川詩が徹底した「私」の虚構化から始まっているだけに、まるで別物となる。

実際、「現代詩手帖」の作品特集を開くと、
そうした類の作品に呆れることが多いが、
普遍的な詩が、詩という特殊性を貫いたときに、
初めて実現できるものであるのに対して、
詩の一般化とは、その本質において、
まったく詩的ではない散文化を特徴としている。

普遍化と一般化。

似ているようでありながら、
これほど、違うものもない。(つづく)
posted by 城戸朱理 at 06:53| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

詩と自然、その3

「自然(しぜん)」という言葉を、私たちは、
当たり前のように使っているが、
この言葉は、本来、日本語にはなく、
近代になって、英語の「ネイチャー」の訳語として、
仏教用語だった「自然(じねん)」を当てはめ、
「自然(しぜん)」と読むようになったもので、
「自然(じねん)」と「自然(しぜん)」では、
その意味が違うことを、
鈴木大拙が指摘している。

ただし、吉本発言における「自然」は、
そうしたことを踏まえたものではなく、
たんに後者のことを語っているようだ。

こうしたことを確認したうえで、
吉本隆明による若い世代の
詩への批判を読み返してみると、
いささか、首をかしげざるをえない。

なぜ、詩に自然がなければならないのか?
そして、本当に「新しい詩人」を始めとする
若い世代の詩には、自然がないのか?

この2点を厳密に検討してみるならば、
ともに答えは、吉本隆明氏の考えるところとは、
正反対であることは、すぐに理解できるのではないかと思う。

私としては、自分自身の詩が、
「自然(じねん)」と向かいあうものでありたいと思っているし、
「自然(しぜん)」を語ることも少なくないが、
詩は、別に「自然(しぜん)」を
語るための器ではないことは、
言うまでもないだろう。

また、若い世代の詩のなかに、自然がないのかと言えば、
これも、二重の意味で、
自然が満ちあふれているのではないかと私は考えている。

ここでは、具体的に検証はしないが、
若い世代ならではの自然観は、
「新しい詩人」や他の詩集の
あちこちにうかがえるし、
さらに、彼らが成長するうえで、
自然の環境だったメディア的、
あるいはサブカル的な感覚も十全に盛り込まれている。

このようにして、考えていくと、
吉本発言が、いかに根拠がないものかは、驚くばかりだが、
そのうえで、好意的に解釈するならば、
これは、大正時代に生まれ、
昭和初期に青春期を過ごした人間と、
昭和後期に生まれ、平成に青春期を迎えた人間の
自然観の違いとしか言えないかも知れない。

実際、もし、吉本隆明氏が、
自然がある作品と考えるものを、
実例で示したとしたら、
おそらく、その作品は、若い世代には、
不自然で前時代的なものにしか見えないのではないだろうか。

年とともに、こだわりを捨てていくのを達人化、
年とともに、こだわりを失っていくのを老人化というが、
はたして、吉本隆明氏がどちらの道を歩んでいるのか。

その答えは、さりげない発言のなかにも潜んでいる。
posted by 城戸朱理 at 00:03| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月11日

詩と自然、その2

北川透氏は、ある対談で、
「今、吉本隆明が若い人たちに読まれている」と
語ったことがあるが、
ここで言うところの「若い」が、
北川氏よりは「若い」という意味で、
50代、60代の団塊の世代以上の
高齢者を意味しているのであれば、
この発言は事実を語ったものということになるし、
社会的に「若い」、20〜30代を意味しているとしたら、
たんに「真っ赤な嘘」というものである。

吉本隆明は、バブル期に、
かつての左翼活動が目指していた
平等な社会の実現を、高度資本主義が実現したと語った。

たしかに、「一億総中流」とまで言われた、
経済的な活況のなかでは、
吉本氏の語るところは、納得ができるものであったが、
今や、事態は、当時とは劇的なまでに変化し、
新たなる貧困と格差社会、そして環境問題が、
深刻な社会的問題となっている。

そして、吉本隆明氏は、そうした今日的な問題には、
何らかの視座を示したことはないので、
若い世代が、吉本隆明に
関心を持たないのも当たり前かも知れない。

たしかに、吉本隆明は偉大な思想家だが、
それは、あくまでも、昭和の思想家としてなのであって、
彼は、平成の思想家ではありえなかったのだと言ってもいい。

吉本隆明が、実際は、若い世代には
まったくと言っていいほど読まれていない、
あるいは、そう言うよりも、必要とされていないという
昨日、語ったことを踏まえたうえで、
さらに問題を検討してみよう。

吉本隆明氏は、若い世代の詩人たちの
ペンネームが奇矯で、根拠がないことを語り、
強い違和感を表明しているが、
今や、子供たちの本名が、
驚くほど風変わりだったり、
奇妙なものばかりになっていることを思えば、
これは、時代の流れとしか言えないだろう。

実際、今の子供たちの名前は、
「ゴールド」くんに「シルバー」くん
(これは実在の兄弟の名前である)とか、
音を聞いただけでは、漢字が想像できない名前が主流で、
私の甥も「こうや」、姪も「きらり」という名前である。

女の子に関しては、「雅子」とか「愛子」といった古典的な名前は、
ほとんど消え失せ、芸能人ばりの名前ばかりになっている。

要するに、本名もそうなっているのだから、
ペンネームがさらに奇矯なものになるのは、
無根拠なのではなく、むしろ、当然のことだろうし、
年配の人が、ペンネームだと思っている名前が、
実は本名だったというケースも、
少なくないかも知れない。

断っておくが、私の名前の「朱理」も、本名である。

したがって、名前に違和感を覚えるのは、
たんに世代の違いによるものでしかなく、
取り立てて、問題にするようなものではないだろう。

それは、今の日本人に、
「権左右衛門」とか「弥平」とかいった名前が
見当たらないのと、同じことでしかない。

もし、吉本氏が、江戸時代生まれの祖父に、
「隆明なんていう名前は、
ふざけている」と言われたとしたら、
何と答えるのだろうか?

この問題は、これ以上、語る必要もないが、
本当の問題は、やはり、若い詩人たちの詩に、
「自然」がなく、空疎だという意見のほうだと思う。

この吉本発言は、論理的なものではなく、
漠然とした印象として語られたものであり、
その意味では、反論の必要なぞ、まったくないものだが、
興味深いのは、空疎である理由が、
「自然」の不在であることで、
この発言は、吉本隆明が考える詩というものを
逆に物語っているとも言っていい。

しかも、自然を語ることが、
決して、詩が詩であるための
必要十分条件などではないことを思えば、
それは、吉本隆明氏の意外なまでに
古典的、とりわけ和歌的で、
かつ個人的な詩観を露わにするものと言っていい。

では、ここで言うところの「自然」とは、
いったい、何を意味しているのだろうか。(つづく)
posted by 城戸朱理 at 06:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

詩と自然

「新しい詩人」(思潮社)が刊行されて、
00年代の新世代が、その輪郭を明らかにしつつあるが、
一方、年配の詩人たちを中心に、批判の声も少なくない。

戦後のベビーブーマー世代の特徴を
「飼い慣らされた羊たち」と指摘し、
「団塊の世代」と名づけたのは、堺屋太一だが、
もっぱら保身に必死な
団塊の世代の発言のあらかたは、
真に受ける必要はないとはいえ、
やはり、吉本隆明による、
若い詩人の詩には、自然がない、
その作品は無だという苛烈な批判は、
波紋を呼ぶことになった。

この批判に対して、森川雅美編集による
詩誌「あんど」8号は、さっそく、
特集「新しさを超えて」を組んだが、
及川俊哉編集による「ウルトラ」次号も、
吉本発言に応える特集を企画しているという。

若い世代から、どんな反応があるのか楽しみだが、
一方、「あんど」で井川博年氏が語っているように、
「だいたい今の若者は吉本なんか読んでないし、
吉本ばななの父で、海で溺れ死にかけたオッサンくらいにしか思っていない」という指摘も、
当たらずとも、遠からずといったところで、
本音を言うならば、名前も知らないか、
かろうじて名前は知っているが、
海で溺れかけたことなどは
知らないというのが事実だろう。

要するに、関心がないのである。

また、井川博年氏から見たら、
吉本隆明氏は「オッサン」の世代かも知れないが、
若い世代から見たら、吉本氏は後期高齢者にほかならず、
「オッサン」ではなく、「お爺さん」になるのも
間違いのないところだと思う。

つまり、両者の間には、
本来、何の関係も成立しえないのである。

こうしたことは、吉本隆明を信奉する
50代や60代の読者には、信じられないことかも知れない。

たしかに、吉本氏を尊敬する年配の編集者によって、
いまだに吉本隆明の新刊や再刊が次々に出版され、
旧来の読者が、こぞって求めるために、
吉本隆明は、いまだに、よく読まれていることになるが、
読者は、もっぱら50代以上で、
若い世代の読者は、ほとんどいないため、
古書店では、吉本隆明の著作は、
棚ざらしになったあげく、
店頭の均一ワゴンに投げ出されているのが普通であり、
90年代には、すでに古書店が、
吉本氏の著作は買い取り自体を拒否するようになっていた。

むろん、あらゆる本は、
こうした忘却の時期を経て、
自らの位置を初めて歴史のなかに占め、
古典になるものは、古典になっていくので、
現状を嘆く必要はないが、
こうした、世代による温度差は、
自分の世代を客観視することができないと、
決して、見えてこないものらしい。(つづく)
posted by 城戸朱理 at 07:43| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月21日

「私のいる風景」(「読売新聞」)

080421_0851~0001.jpg


「読売新聞」4月19日夕刊の連載「私のいる風景」に
私のインタビューが掲載された。

私が選んだ「私のいる風景」は、「境界」。

異質なものが出会う場所が、
自分の詩作において、どんな意味を持っているのか、
さらには、現在、考えていることや、
詩論集『戦後詩を滅ぼすために』のことなどを語った。

関心のある方は御一読を。
posted by 城戸朱理 at 08:58| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月27日

筆書きのこと

080227_0912~0001.jpg


書斎の引き出しを整理していたら、色紙が出てきた。

とある文学館に頼まれて、
自作を毛筆で書いたときの試し書きだが、
ふだん、筆を使うことなど、まったくないので、
いささか緊張しながら書いたものだった。

詩句は、「非鉄にあらず」(「非鉄」、『非鉄』所収)、
「百年前のまぼろし」(「不来方」、『不来方抄』所収)、
そして、「刻むなら生成を」(「生成(なまなり)」、『不来方抄』所収)の3つで、
それぞれ数枚ずつ書き、
いちばん出来のいいものを送ったので、
手元に残っているのは、
うまくいかなかったものということになる。
ただし、私の場合、筆に慣れていないので、
うまくいったところで、大したものではない。

それにしても、毛筆を使うこと自体がないのだから、
考えると、情けない話である。

川端康成は原稿は万年筆で書いたが、
原稿以外は、墨をすって筆で
書きたいと願っていたそうで、
遺愛の猿面硯と根来塗りの硯台は、
親交があった画家、東山魁夷に形見として贈られたという。

硯というものは、遺品として、意外なほど残されている。
空海が使ったという風字硯、
菅原道真の遺品だとされる唐白磁円面硯(国宝)から、
松尾芭蕉、富岡鉄斎まで。
そして、その伝統も川端康成の世代あたりで途絶え、
今や手書き自体が珍しい時代になったわけだが、
墨をする時間を持つこともなく、
毛筆もろくに使えない我が身を考えると、
これでいいのだろうかと思ってしまうことがある。
posted by 城戸朱理 at 09:14| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月25日

詩人はみんな馬鹿ばかり?

80年代にもっとも華々しく活躍した詩人が、
ある座談会で現代詩のことを聞かれて、
「詩人はみんな馬鹿ばかりだ」という発言を残し、
結果として、次第に詩から離れていった。

その後の彼の批評家、作家としての活躍を見ると、
それで正解だったのかも知れないが、
一方で「馬鹿ばかり」と言われた詩人たちのほうは、
それから20年近くたっても、同じようなものである。

とりわけ、詩人と称する人たちと会うと、
「詩」が話題にならないのは、驚くばかりである。
もちろん、詩人が詩の話をしているのも無粋きわまりない。
それをわきまえたうえで、別の話に興じるのであれば、
それはそれで、成熟というものだろう。

問題は、誰がどうしたとか、彼がこうしたとか、
たんなる詩壇の噂話を詩の話と勘違いしていることのほうで、
若い詩人たちも、その傾向が強いのが、東京の特徴かも知れない。

午後のワイドショウや女性週刊誌でもあるまいに、
この井戸端会議ぶりは、聞かされるほうは退屈以外の何ものでもない。

こうした状況を、和合亮一氏は、「東京の地方主義」と
ひと言で切って捨てたが、
東京に首都機能や出版社を始めとするメディアが集中しているからといって、
自分が中心にいるつもりになったら、
大間違いというものだろう。
噂話は、しょせん噂話、
井戸端会議は、しょせん井戸端会議である。
posted by 城戸朱理 at 10:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月04日

「詩、この一年〜変化の実質 明らかに」(「毎日新聞」2007年12月3日夕刊)

「毎日新聞」の年間回顧の記事「詩、この一年」は、
2002年から、私が執筆しているが、
今年の回顧が、12月3日夕刊に掲載された。

私の原稿以外に、入沢康夫・安水稔和・井坂洋子、そして、
毎日新聞の酒井佐忠4氏が、それぞれ、
印象に残った5冊を挙げており、
今年は新川和江、新井豊美氏らの仕事が評価を集めた。

一方、私は、詩の最前線に焦点を絞って、論じているのだが、
21世紀を迎えて、次第に露わになりちつある、
今日の詩の変容については、
今後も検討が必要だろう。

今回、私が取り上げた詩集は、以下の6冊である。


杉本真維子『袖口の動物』
安川奈緒『MELOPHOBIA』
中尾太一『数式に物語を代入しながら何も言わなくなったFに、掲げる詩集』
高岡修『蛇』
広瀬大志『ハード・ポップス』
稲川方人『聖ー歌章』


もちろん、これ以外にも語るべき詩集は少なくない。
それに関しては、詩論「洪水の後で」を展開するなかで、
順次、触れていこうと思っている。
posted by 城戸朱理 at 10:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

「田村隆一は終わらない」(「朝日新聞」9月16日)

070922_1510~0001.jpg


「朝日新聞」9月16日に、
私も取材を受けた「田村隆一は終わらない」という記事が掲載された。

来年、没後10年を迎える田村隆一だが、
その仕事は若い世代からも高い支持を集めており、
再評価の気運が高まっていることが、
この記事からも浮かび上がってくる。
田村隆一の詩は、これから旧来の評価を超えて、
違う姿を見せ始めるに違いない。

小笠原鳥類氏は、高校3年のときに、
田村隆一の詩と出会い、
その詩の言葉の鮮やかさと鋭さに感嘆したというが、
同時に、田村さんの風貌に、ほかの詩人とは違う
「厳しい風のなかで生きているような鋭さ」を感じたという。

実際、田村さんは鋭い人であったし、
それは生得のものであるとともに、
彼が生きた時代によって、
磨かれたものでもあったのだろう。
そのことは、田村隆一という詩人が、
いかに「現在」と向かい合って
生きていたかということを示すとともに、
その詩業を貫くものを教えてくれるものでもある。

来年には、田村隆一をめぐるEdgeのイベントも予定している。
また、今まで書いてきたものとは違う視座からの
田村隆一論も来年は発表したいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 09:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月24日

北園克衛が語る「勇気」

昨年、北上市の日本現代詩歌文学館で、
「パフォーマンス・ポエトリィ〜詩を演じる」が開催されたとき、
私も北上に赴いたおかげで、
藤富保男、 高橋昭八郎、伊藤元之氏から、
貴重なお話をいろいろ、うかがうことが出来た。

しかし、人間というのは困ったもので、
どんな貴重な話でも、そのままにしておくと、
ほとんど忘れてしまう。

自分が年齢を重ねるにつれて、
どれだけの貴重な話が、
その場かぎりで忘れられていくのかを意識するようになり、
メモや録音を出来るかぎり意識的に残すようになったのだが、
録音すると、記録は残せるものの、
テープ起こしする時間的な余裕がないため、
テープのまま死蔵してしまうという問題も生じる。

ICレコーダーを使ったときは、
すぐにノートに書きうつして、消去しているが、
このほうが、あとになると分かりやすいようだ。

こうした記録は、別に仕事に生かそうと思って、
残しているものではなく、
あくまでも自分のためのものでしかないのだが、
高橋昭八郎さんや伊藤元之さんへのインタビューは、
いずれ、活字として公にしなければならないと考えている。

昨年、詩歌文学館で高橋昭八郎さんから
うかがった話のなかで、特に印象深かったのが、
北園克衛の発言だった。

北園さんは、昭八郎さんの肩を叩きながら、
「勇気だよ、勇気!」と語ることがあったという。

昭八郎さんによると、この「勇気」とは、
誰に何を言われても、やりたいことを貫いていく勇気であり、
同時に、黙殺に耐える勇気を意味しているとのことだった。

たしかに、本当の意味での前衛的な仕事は、
その場で評価が返ってくるようなものではないわけであって、
「勇気」をもって貫かねばならないようなものなのだと思う。

北園克衛が語る「勇気」、
それは、実験的な精神に貫かれた前衛を生きるために、
欠かすことが出来ない姿勢なのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 08:34| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

パウル・クレーの言葉




「芸術とは目に見えるものを描くことではなく、
目に見えるようにすることだ」
posted by 城戸朱理 at 12:36| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月19日

詩集の展開について

『千の名前』を刊行したあと、私が着手したのは、
『世界の果て World on the Edge』だったが、
この連作は、途中で『地球創世説』の詩篇に見舞われ、
中断したままになっている。

その後、『源流考』の諸篇を書きつぐとともに、
一昨年から『失題』の執筆に取りくんでいるが、
『源流考』の完成を前にして、
新たな詩篇『世界ー海』の諸篇が降ってきて、
先週から一気に数百行を書き、
歩いていても、道端で立ち止まっては、
ノートに詩行を書きつける毎日が続いている。

『世界ー海』の詩篇は、とりあえず、
「現代詩手帖」と「文學界」の次号から発表を始めるが、
おそらく、ひと月後には、
その全容を現しているのではないかと思う。

私としては、今年から来年にかけて、
『源流考』と『世界ー海』を出版し、
それから、『世界の果て』を
完成させようと考えているが、
そのかたわらで、『失題』と
『不来方抄』『源流考』に続く
起源をめぐる3部作の完結篇となる『白鳥伝説』を
書きついでいくつもりである。

また、写真と詩的テクストによる『漂流物』は、
その執筆をほぼ終えているが、
これは、エッセイ『物憑き抄』と同時刊行を考えていた。
しかし、エッセイの執筆時間をなかなか取れずにいるため、
あるいは『漂流物』を先に刊行することになるかも知れない。

詩集以外では、『潜在性の海へ』に続く
詩論集『戦後詩を滅ぼすために』が近刊の予定で、
来年には3冊目の詩論集『都市の文書』、
翻訳はT・S・エリオット『四つの四重奏』、
さらにはエリオット『荒地/荒地草稿』の刊行後に
『海外詩文庫 エリオット詩集』が
まとめられることになると思う。

とはいえ、物事は必ずと言っていいほど、
予定通りには進行しないもので、
とりわけ、単行本となると、
版元の都合もあるから、著者の思い通りには進行しない。
しかし、いずれは、すべてが「書物」となることだろう。
posted by 城戸朱理 at 04:38| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月13日

高橋昭八郎さんからのお手紙

高橋昭八郎さんから、お手紙をいただいた。
昨年は体調が思わしくなかったようだが、
無事に回復され、イタリアの展覧会に
作品51点を送られたとのこと、
どんな展覧会になるか楽しみだが、
さすがにイタリアとなると、
気楽に出かけるわけにはいかないのが残念である。

今年は東京で開催される新国誠一没後30年展、
さらには藤富保男氏らと
毎年のように開催されているパリ展にも参加されるそうで、
その仕事のさらなる展開が期待されるが、
これまでの仕事を集成する
全詩集を夢に見るのは私だけではないだろう。

高橋昭八郎氏の仕事を見ていると、
創造というもの、とりわけ「詩」は、
権威やキャリアに寄りかかっているようでは、
なしえないものであることを痛感するが、
そこにこそ、前衛の栄誉というものがあるのだと思う。

現在、ヴィジュアル・ポエトリーと
フルクサスが交錯するEgdeイベントを
構想しているところだが、
Egde in 金沢の後に
ぜひ実現したいと考えている。
posted by 城戸朱理 at 06:26| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

新国誠一没後30年

今年は新国誠一(1925〜77)の没後30年に当たる。

新国誠一といえば、象形詩と象音詩から成る日本最初の
伝説のコンクリート・ポエトリーの詩集『0音』(1963)を出版し、
その翌年から藤富保男らとともに
ASA(芸術研究協会)を設立、
コンクリティズムの牙城となった
機関誌「ASA」を刊行し、
フランスのピエール・ガルニエとの共同宣言を採択、
共作を試みるなど、海外と連絡を取りながら、
20世紀後半の前衛運動をになった視覚詩人である。

その評価は日本国内より海外で圧倒的に高く、
日本では、作品に触れることも難しかったが、
没後30年に当たって、
ある美術館で回顧展が企画されるとともに、
全詩集の出版が予定されていると聞く。
回顧展、全詩集ともに実現は来年以降になるのようだが、
今年も、8月に展覧会やイベントが企画されているそうで、
次第に伝説的前衛詩人の姿が
明らかになりつつあることを喜びたい。

また、Egdeでも、現在、新国誠一篇の制作を検討中で、
実現した場合には、田村隆一篇につづいて、
物故者を扱う2本目のプログラムとなるのだが、
新国誠一の場合、田村隆一のように
生前の映像が残されているわけではないので、
制作の方向性を検討している最中である。

詳細は追って、このブログで紹介していきたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 10:04| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

『地球創世説』朗読会に向けて

一昨年の「日欧現代詩フェスティバル」、
そして、先月の「現代詩フェスティバル2007〜環太平洋へ」、
2度に渡る国際詩祭において、
私は、『地球創世説』からの数篇の朗読を
作曲家・ヴァイオリニストのツルノリヒロ氏との
コラボレーションとして試みた。

ツルノリヒロ氏は、2回とも、
『地球創世説』のために新曲を作曲し、
ステージに臨んで下さったが、
このコラボレーションは、
詩の言葉に呼応するように、
「現代音楽」的な不協和音が響き渡るようなものではなく、
詩の言葉と音楽でもって、
新たなユニティとしての世界を立ち上げることを
目標とするもので、いずれは、
ツルノリヒロ氏とのコラボレーションによって、
『地球創世説』の全篇朗読会を実現したいと考えていた。

しかし、全篇朗読となると、
所要時間が2時間を超えるため、
現実味を欠くことが判明し、
ツルさんと打ち合わせの結果、
『地球創世説』から選んだ10篇前後に
さらに書き下ろしの新作を何篇か加えて構成し、
コラボレーションのために、
もうひとつの『地球創世説』を私が作り上げ、
そのイメージをもとに、ツルノリヒロ氏が、
『地球創世説』組曲を作曲、
CD化を前提に、朗読会を実現することになった。

これから、その準備にかかることになるが、
会場は吉祥寺のスターパインズ・カフェ、
早ければ、年内の実現を予定している。
posted by 城戸朱理 at 10:18| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月08日

詩の多様性と前衛性〜伊藤元之の視覚詩

070307_1536~0001.jpg


高橋昭八郎さんから、お手紙をいただいた。
相変わらず、創造に対して、
過激なまでに前傾姿勢で、
こちらが逆に元気づけられるほどである。

高橋昭八郎さんの盟友であり、
高橋さんとともに北園克衛率いる、
「VOU」の会員だった伊藤元之さんからも
先日、お手紙をいただいたのだが、
手紙とともに、「作品」も同封されており、
しばし、眺め入ることになった。

タイトルは、〈ワタクシハ トウクニ 「私は遠くに」〉、
I’m further 、1985年。

電報をポストカードにしたもので、
電文は次のようなものである。

ワタ」クシ」ハトウ」クニ

そして、さらに電報の下には、
次のような言葉が印刷されている。

ワタ(綿)[wata]cotton
クシ(櫛)[kusi]comb
ハトウ(波濤)[hato]waves
クニ(国)[kuni]land

いわば、この作品とは、
日本語の一文を音によって分割し直すことで、
別の意味を生成させるというものであり、
それが、音と表意文字である漢字、
さらに同じ意味を持つ英語と並記されることによって、
言語じたいの可塑性と恣意性を
示すものなのだと言っていい。
さらに、そうした一切によって、、
フルクサスのアーティストよる
「美術」作品に見えないこともないこの作品が、
あくまでも「詩」にほかならないことを
宣言しているのだと考えることが出来るだろう。

チャーミングな見かけながら、
示唆に富んだ前衛的な「視覚詩」だと言うしかない。

この作品が制作された1985年は、
私が26歳で、第一詩集『召喚』を上梓した年だが、
戦後の現代詩のかたわらで、
世界とコンタクトを取りながら、
こうした前衛的試みが続けられていたことを、
私たちは忘れるべきではないだろう。
posted by 城戸朱理 at 09:38| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月26日

道後吟行

吟行とは、選者と参加者が一緒に名所などを歩き、
参加者が詠んだ俳句のなかから、
選者が入選句を選ぶというもので、
現代詩の世界では考えられないような話だが、
俳句の世界では、誰もが経験したことがある、
ごく一般的な作句法だという。

全員が同じ場所を歩くわけだから、
参加者はみな同じものを目にするわけであり、
しかも、同じ季節の同じ時間を共有するわけだから、
吟行の場合は、季語があるべきだと、
今回の道後吟行の選者をされた大石悦子さんが、
おっしゃられていたが、うなずける話だと思った。

今回の吟行は、芝不器男俳句新人賞授賞式の
関連イベントとして開催されたが、
選考委員も投句することになっており、
私も俳句を詠まなければならなかったのだが、
ひどい二日酔いのうえ、
対馬康子さん、西村我尼吾参与とともに、
「青山二郎の眼」展を見に行ったので、
松山で経験したものと言えば、
道後温泉と一遍上人生誕の地、宝厳寺だけである。

しかも、季語に関する知識が曖昧なため、
対馬康子さんにお尋ねしながら、作句したのだが、
「城戸さんは詩人だから、
無季でもいいんじゃない」と対馬さんに言われ、
それもそうだと納得したのだが、
だからといって、無季ならばともかく、
春の吟行で、夏や秋の季語が知らずに入っていたら、
やはり、笑い話である。
二日酔いの頭には、荷が重い仕事だったが、
10句ほどを試作し、そのうち3句を提出した。
次のようなものである。


湯けむりに善事(よごと)凶事(まがごと)春の闇

生霊(いきすだま)雪(すす)ぐがごとき出湯かな

色里や宝珠(ほうじゅ)のごとき善男子(ぜんなんし)


結局、季語は、最初の一句にしかなかった。
こうして見ると、ふだん詩を書いている人間は、
いささか、観念が先行しがちで、
具体的な事物に即して、
俳句を詠むという姿勢が
不足していることを痛感することになる。
その意味では、俳句は、詩人にとっても、
具体的な事物と向かい合う、いい訓練になるようだ。

今回の松山旅行中に私がモールスキンの
小さなメモ帳に記した試作も紹介しておこう。


磐座(いわくら)に神天降る春の山

人病んで今朧(おぼろ)なる山河かな

春孕む唐草染めて砥部の鉢

人形(ひとがた)と人の違いは月朧

女体とは春の闇のごときもの

裸体では人みな同じ鹿孕む

南無南無と帰依深きこと伊予の道

捨てられぬ身のいまだあり宝厳寺

神々も死に絶えたころ水の春

神々が今死に絶えて桜鯛


無季も有季もあるが、やはり、
具体的な事物に向かい合う姿勢が
足りないように思う。
これから、旅に出るときは、
『季寄せ』を一冊、バッグに
入れておこうと思ったりもしたが、
きっと、次にどこかに行くときには、
忘れていることだろう。
それよりは、「天為」の編集長の対馬さんか
「鷹」の編集長の高柳克弘さんに頼んで、
吟行に連れて行ってもらったほうが、いいかも知れない。

メモ帳には松山とは関係ないものも含めて、
次のような句もあった。
春以外の季節のものも混じっている。


絵踏みして野中(のなか)に猿を飼うごとし

「我」超えて夏野に影を立たしめん

遊行(ゆぎょう)とは捨てることとぞ女郎花(おみなえし)

雲の峰書き改めたる神統記
posted by 城戸朱理 at 09:54| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする