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城戸朱理のブログ: 詩

2009年02月09日

西脇順三郎のこと、その2

西脇順三郎の詩論を再読していると、
ギリシア以来の西洋の詩と詩論に、
彼がどれだけ通暁しているのかは、驚くばかりだが、
詩人自身、50歳まで、主だった詩と詩論を通史的に読んで、
勉強したことを述懐している。

たとえば、数学や物理学を勉強する場合、
定理をひととおり、勉強するだけで、
30年はかかると言われているが、
これは、詩に関しても同じなのかも知れない。

私も今年で50歳になるが、
ようやく、詩については、
通史的な理解ができるようにはなったものの、
いまだに勉強不足を痛感することがあるのは否めない。

きっと、こうしたことは、死ぬまで続くのだろうし、
それはそれで、慶賀すべきことなのだと思ったりもする。

さて、西脇順三郎だが、
しかし、こと近代となると、
西脇の立場ははっきりしたもので、
19世紀では、フランス象徴主義、
とりわけ、ボードレールとマラルメを重視している。

ボードレールは近代的な詩的思考の始まりであり、
詩において、それを完成させたのはマラルメであるというのが、
西脇の評価なのだが、
フランス文学者であれば、
マラルメの先の展開にシュルレアリスムを見るのに対して、
西脇はマラルメ的な詩の完成を
ジェームズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』に見ており、
このあたりは、さすがに卓見といえそうだ。

西脇はフランスのシュルレアリスムの紹介者として、
当初、知られたわけだが、
もちろん、英語文化圏のモダニズム運動も、
十全に理解していたのは言うまでもない。

ただし、シュルレアリスムには、
当初から「人生の廃墟」という批判をして、
距離を取っているし、
エリオットを始めとするモダニズムには、
自分も同時代を生き、同じていどの
仕事をしているという自負があったようで、
直接的な影響のあとは見られないように思う。
posted by 城戸朱理 at 10:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月07日

西脇順三郎のこと、その1

「討議 近代詩」のために、西脇順三郎を読み直していて、
あらためて気づいたことがある。

西脇といえば、戦前の『超現実主義詩論』や
晩年の『詩學』など、
時代を画した詩論の書き手でもあったわけだが、
詩論集と銘打たれているものだけでも、前掲の2冊以外に、
『純粋な鶯』『梨の女』『斜塔の迷信』と計5冊を数える。

しかも、それ以外のエッセイは、
英文学者としての著作を含めて、
10冊以上があるのだが、
『輪のある世界』『居酒屋の文学論』
『メモリとヴィジョン』といった著作でも、
詩に対する言及は、きわめて多い。

それにしても、詩集のみならず、
西脇は、詩論集やエッセイ集のタイトルも
本当に素晴らしいが、
とにかく、膨大と言ってもいい量の詩論を、
執筆していたことになる。

このことを私は失念していたわけだが、
討議が終わってからも、
機会があるたびに読み直しているところで、
新たな発見が続いている。

これは、以前、読んだときは、
その意味を正しく理解できなかったことが、
今になると、自分のなかで、
明確なかたちを結ぶように
なったということなのかも知れないが、
討議のためのレポートは、私にとっては、
いずれ、書き下ろすであろうモノグラフの
骨格が浮かび上がってくるようなものになった。

一冊の西脇順三郎論を、書き下ろすのは、
若い時分から、私の夢だったが、
どうやら、その時期が近づいてきているようだ。
posted by 城戸朱理 at 10:26| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月07日

高まる前衛運動再評価の気運

第二次世界大戦後、1950年代から60年代にかけて、
ヨーロッパ・南米・日本で、同時多発的に勃興し、
国際的な運動になったコンクリート・ポエトリー(具体詩)は、
文字の形象じたいに「詩」を見いだそうとするものだったが、
70年代には、言葉から写真やコラージュ、オブジェなど、
美術の素材を用いるヴィジュアル・ポエトリー(視覚詩)へと展開した。

ところが、海外に比べて日本では、この前衛運動は、
もっぱら美術の領域だけで問題にされ、
文学、ひいて詩の問題として検討されたことは、
これまで、ほとんどなかった。

しかし、21世紀を迎えて、
わが国のコンクリート・ポエトリーの創始者、
新国誠一の大規模な回顧展が国立国際美術館で開催されるとともに、
幻の詩集『0音』を含む実質的な全作品集が刊行されるなど、
具体詩と視覚詩をめぐる再評価の気運が高まっている。


新国誠一の「ASA」とともに、
日本のヴィジュアル・ポエトリーの牙城となったのは、
北園克衛率いる「VOU」だったが、
新国誠一とASA(芸術研究協会)を設立した藤富保男の全詩集、
『藤富保男詩集全景』(沖積舎)も刊行され、
その特異な世界の全貌が明らかになるとともに、
日本現代詩歌文学館では、3月14日から
「詩の姿〜藤富保男線描展」が開催されることになっているし、
新たな商業詩誌として出発した「びーぐる」第2号は、
特集「北園克衛と藤富保男」を企画している。


後期「VOU」を代表する伝説の視覚詩人、
高橋昭八郎は、代表作を集成する
作品集『第一語の暗箱』(2004)に続いて、
新詩集『ペ/ージ論』(思潮社)を準備中であり、
この新詩集の刊行も、ひとつの事件と言っていい。


さらに支倉隆子、ヤリタミサコと
視覚詩に積極的な詩人も健在だし、
作品数こそ少ないものの
卓越したセンスに支えられた
伊武トーマの視覚詩も、忘れがたい。

より若い世代の松井茂は、
コンクリート・ポエトリーの新世紀の継承者として
旺盛な活動を繰り広げており、
ヴィジュアル・ポエトリーの
新たな展開を担うと目される
辻虎志のような詩人も現れている。

その意味では、具体詩・視覚詩とは、
決して過去の前衛運動なのではなく、
現在進行形の問題でもあるわけで、
それは、私たちにとって、
詩と言語という問題を問い直す契機となることだろう。
posted by 城戸朱理 at 09:32| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

『源流考』、最後の一篇へ

この何日か、外出するときは、
『源流考』のためのノートと原稿用紙を持ち歩いては、
『源流考』の最後の一篇となる詩篇に取り組んでいる。

この一篇が書き上がったら、
全体の構成を再び検討してから、
入稿することになるわけだが、
すでに書き終えた『世界-海』とともに、

来年の出版に向けて作業を続けていきたい。
posted by 城戸朱理 at 09:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

「世界-海」、最後の一篇

12月10日に、新しい詩篇「疑問符のように」を書き上げ、
ほかの未発表の2篇とともに、
思潮社編集部に送った。

「現代詩手帖」1月号の作品特集のための原稿だが、
「疑問符のように」をもって『世界-海』は完成したことになる。

総行数は1250行ていどだろうか。


年明けには詩集原稿を入稿する予定なので、
『世界-海』は、私にとって、7冊目の単行詩集となるだろう。

前後して、『源流考』もまとめることになるが、
2冊とも来年中には刊行したいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 09:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月24日

原稿を書く場所



私の原稿は、そのほとんどが、書斎のデスクで書かれたものだが、書斎のデスクの前に座らなければ、原稿に手がつかないというわけではない。

ホテルに缶詰めになっているときは、ホテルの部屋のデスクで執筆することになるし、ときには、電車の車中で書くこともあれば、路上で書き出すこともある。


『潜在性の海へ』に収録されている手帖時評のうち、何十枚分かは、鎌倉から東京に向かう電車の車中で書いたものだし、『戦後詩を滅ぼすために』に収録した永田耕衣論は、荻窪から銀座に向かう地下鉄の車中で、そのあらかたを書き上げたものである。


しかし、だからといって、どこでも原稿が書けるというわけではなく、つまりは、自分のなかで言葉が動き出した瞬間をとらえることを大切にしているだけなのだろう。


これは、とりわけ、詩の場合がそうで、言葉が降ってくるような感覚に見まわれているときは、詩の一行が浮かんだとたん、道端で書き始めることもあれば、急いで喫茶店に入って、オーダーもそこそこに、書き出すこともある。



『千の名前』の諸篇などは、病院との行き来の暮らしのなかで、紙ナプキンや箸袋、煙草の空き箱などに、
書きとめた詩行から生まれたものだったし、『地球創世説』や『世界-海』も、言葉に刺し貫かれるようにして生まれたものだった。


そうした瞬間は、無上の喜びと苦しみであって、結局、酒も旅も読書も、そうした瞬間に没入していくための準備の時間にほかならず、

ひたすらな詩へこ待機によって、成り立っているのが、私の人生なのかも知れないと思うことがある。
posted by 城戸朱理 at 10:03| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

ベルギーの日本現代詩特集!

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ベルギーで30年もの歴史を誇る
文芸誌「リヴォルヴァー」2007年12月号で、
日本現代詩の特集が組まれ、
欧米で高い評価を得ているアーティスト、森万里子や
写真家、杉本博司の作品とともに
日本の現代詩が翻訳・紹介された。

作品が紹介されているのは、
白石かずこ、吉増剛造、藤井貞和、
伊藤比呂美、野村喜和夫から高貝弘也、和合亮一など12人。

私の作品も『地球創世説』からの
詩篇を始めとする4篇が紹介されているが、
私にとっては、韓国語、英語、イタリア語、
そして、昨年の中国語訳に続く海外での紹介になる。

この特集はネットでも公開され、話題を呼んでいるというが、
イギリスやフランスと違って、
ベルギーやオランダのようなヨーロッパの周辺の国々は、
異文化への関心が高いらしい。

そうした国々は、大国ならではの中華思想と無縁で、
それゆえに知的好奇心も旺盛なのかも知れない。
その意味では、日本と似ているところがあるのだろうか。

たんに詩人が行き来して交流するよりも、
作品をきちんと翻訳・紹介する、こうした交流は、
意義深いものだと思うし、
一方通行で終わらせない努力が
日本の側にも必要だろう。
posted by 城戸朱理 at 00:50| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月14日

和合亮一氏との対詩



「現代詩手帖」次号に掲載される和合亮一氏との対詩、
「千年後に倒れる樹氷のために」が完成した。

連詩や対詩といえば、これまで、
少なからぬ詩人によって試みられてきたし、
近年では、さらに多くの詩人たちによって
試みられるようになっている。

詩史的に考えるならば、入沢康夫・那珂太郎による
『わが出雲・わが鎮魂』と『はかた』の相互改作や、
1980年代の松浦寿輝・吉田文憲・朝吹亮二ら、
「麒麟」同人による共同詩集『レッスン』のように、
詩における共同性を問う画期的な試みはあったが、
たいていは、それぞれが応答するように
4〜5行ずつを書くのがもっぱらで、
誰がどのパートを書いたのかも、
明らかにされているのが一般的である。

結果として、なるほど友愛に満ちたものや、
魅力的なものがないわけではないのだが、
一篇の詩として成立しうるものではないし、
せいぜい技芸の披露にとどまるものが、
あらかたなのも、事実だろう。

なぜか?

おそらく、そうした対詩においては、
2人であること、つまみ共同性の意味が、
真に問われていないからではないのか。

私と和合亮一氏の対詩は、そこから出発した。

昨年、中国奥地の青海湖を和合氏とともに訪れたが、
今回は、青海湖から始まるイメージを発端とし、
私たちは、2人であるとともに
1人であることを生きようとしたのだと言えるだろうか。

今回の作品には「青海湖から」という副題を与えたが、
この試みは、これで終わるわけではない。

次には「大陸から」、そして「半島から」、
さらには「列島から」の全4部作を予定しており、
和合氏とともに、順次、書き進めていきたいと考えている。
posted by 城戸朱理 at 08:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

文学潮流と世代



一世代は、20年とも30年とも言われるが、田村隆一の説にしたがって(もっとも田村さんは、英和辞典に書いてあるというのが根拠なのだが)、
かりに30年とすると、面白いことに、あらゆる文学思潮は、一世代のうちに、隆盛と衰退を迎えているのが分かる。


西欧のロマン主義であれ、象徴主義であれ、
あるいはシュルレアリスムでも、その盛期は、ほぼ一世代、30年だといっていい。


このような汎世界的に影響を与えた文学運動でさえ、そうなのだから、日本の戦後詩のようにドメスティックな潮流が、それ以上であるはずはなく、
やはり、戦後詩の命運は、1945年の敗戦とともに始まって、70年代には尽きていたと考えるべきなのだろう。


それが、そう見えなかったのは、来るべき時代を見通すことができず、無意識のうちに保守化していた戦後詩人の怠慢によるものだろうし、
かつては、そういう呼び名がなかったのに、「戦後現代詩」などという呼び方まで作って、とうに有効性を完膚なきまでに喪失した戦後詩という理念を保守しようとした詩人が、
いまだに存在するということは、もはや保守的であることさえ越えて、時代遅れの自作を弁護するための醜態としか思えない。


今や、昭和という時代も遠のきつつあり、日本は10年前と比べてさえ、別の国のような状況を呈している。

戦後詩などという30年前に、その命運を終えた理念や方法が、今日の世界に対峙できるものではないのは言うまでもないことであって、
のどかに戦後詩のなかで覚めない午睡をむさぼるのは、各自の自由というものだが、そんなことに何ら文学的な意義も価値もないのも、また、言うまでもないことだろう。
posted by 城戸朱理 at 11:11| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

ある言葉から



昨年の「現代詩手帖」7月号、特集「城戸朱理」の藤沢周氏との対談で、藤沢さんから「非鉄にあらず」という一行がどのようにして生まれたのかを尋ねられた私は、
この一行を天啓のように思いついてから、それが現実に一篇の詩になるまでは、数年の時間があったことを語っているが、私の場合、詩を書くということは、
旅の記録や日々の感懐を書きとめるようなものではないので、その始まりは、つねに「天啓」のようなものかも知れないと思うことがある。

現在、『世界-海』『源流考』と、詩集2冊分の原稿を抱えているが、そこに、降って湧いたように、ある一行が到来し、今は、その一行から始まる3冊目の新詩集を構想しているところである。

あるいは、この夏の記憶とともに、その一冊は書き終えられるのかも知れないが、ふだん、当たり前に使い、当たり前に接している言葉が、まるで、違う顔を見せる瞬間というものがあるもので、
今は、ひたすら、その一行を前に、たたずんでいるところだが、この一行から、新しい詩が、どんなふうに展開されていくのかは、私にも、まだ分からない。
posted by 城戸朱理 at 08:02| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日

詩的老衰について

年を重ねても先鋭であり続けることは、難しい。

平均寿命が伸びすぎて、
日本が世界一の長寿国になったこととも
関係しているのだろうが、
若いときは、過激なまでに先鋭だった詩人が、
年を重ねるにつれて、凡庸な生活詩を書くようになり、
しかも、それは、たんなる一般化であるにもかかわらず、
高齢の詩人たちが、それを普遍化だと勘違いするという
これまた凡庸きわまりない詩的老衰を
1980年代以降、つまり、戦後詩が、その有効性を失ってから、
私たちは、何度となく目にしてきたし、
今でも、いくらでも目にするものなのだが、
そうした事態を見ていると、
日没ばかりが長くなっても、
長寿などというものは、
詩人にとっては意味がないもののように思えてくる。

実際、晩年の仕事が意味を持つ詩人など、
指を折って数えるほどしかいないわけであって、
それも当然かも知れないが、
そうした老衰のあげくの凡庸な生活詩は、
詩的主体と作者が、健やか、かつ牧歌的なまでに
一体化して見えるのが特徴で、
一見、谷川俊太郎的に見えたりもするのだが、
谷川詩が徹底した「私」の虚構化から始まっているだけに、まるで別物となる。

実際、「現代詩手帖」の作品特集を開くと、
そうした類の作品に呆れることが多いが、
普遍的な詩が、詩という特殊性を貫いたときに、
初めて実現できるものであるのに対して、
詩の一般化とは、その本質において、
まったく詩的ではない散文化を特徴としている。

普遍化と一般化。

似ているようでありながら、
これほど、違うものもない。
posted by 城戸朱理 at 06:53| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

詩と自然、その3

「自然(しぜん)」という言葉を、私たちは、
当たり前のように使っているが、
この言葉は、本来、日本語にはなく、
近代になって、英語の「ネイチャー」の訳語として、
仏教用語だった「自然(じねん)」を当てはめ、
「自然(しぜん)」と読むようになったもので、
「自然(じねん)」と「自然(しぜん)」では、
その意味が違うことを、
鈴木大拙が指摘している。

ただし、吉本発言における「自然」は、
そうしたことを踏まえたものではなく、
たんに後者のことを語っているようだ。

こうしたことを確認したうえで、
吉本隆明による若い世代の
詩への批判を読み返してみると、
いささか、首をかしげざるをえない。

なぜ、詩に自然がなければならないのか?
そして、本当に「新しい詩人」を始めとする
若い世代の詩には、自然がないのか?

この2点を厳密に検討してみるならば、
ともに答えは、吉本隆明氏の考えるところとは、
正反対であることは、すぐに理解できるのではないかと思う。

私としては、自分自身の詩が、
「自然(じねん)」と向かいあうものでありたいと思っているし、
「自然(しぜん)」を語ることも少なくないが、
詩は、別に「自然(しぜん)」を
語るための器ではないことは、
言うまでもないだろう。

また、若い世代の詩のなかに、自然がないのかと言えば、
これも、二重の意味で、
自然が満ちあふれているのではないかと私は考えている。

ここでは、具体的に検証はしないが、
若い世代ならではの自然観は、
「新しい詩人」や他の詩集の
あちこちにうかがえるし、
さらに、彼らが成長するうえで、
自然の環境だったメディア的、
あるいはサブカル的な感覚も十全に盛り込まれている。

このようにして、考えていくと、
吉本発言が、いかに根拠がないものかは、驚くばかりだが、
そのうえで、好意的に解釈するならば、
これは、大正時代に生まれ、
昭和初期に青春期を過ごした人間と、
昭和後期に生まれ、平成に青春期を迎えた人間の
自然観の違いとしか言えないかも知れない。

実際、もし、吉本隆明氏が、
自然がある作品と考えるものを、
実例で示したとしたら、
おそらく、その作品は、若い世代には、
不自然で前時代的なものにしか見えないのではないだろうか。

年とともに、こだわりを捨てていくのを達人化、
年とともに、こだわりを失っていくのを老人化というが、
はたして、吉本隆明氏がどちらの道を歩んでいるのか。

その答えは、さりげない発言のなかにも潜んでいる。
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2008年06月11日

詩と自然、その2



北川透氏は、ある対談で、
「今、吉本隆明が若い人たちに読まれている」と語ったことがあるが、ここで言うところの「若い」が、北川氏よりは「若い」という意味で、
50代、60代の団塊の世代以上の高齢者を意味しているのであれば、この発言は事実を語ったものということになるし、
社会的に「若い」、20〜30代を意味しているとしたら、たんに「真っ赤な嘘」というものである。


吉本隆明は、バブル期に、かつての左翼活動が目指していた平等な社会の実現を、高度資本主義が実現したと語った。


たしかに、「一億総中流」とまで言われた、経済的な活況のなかでは、吉本氏の語るところは、納得ができるものであったが、


今や、事態は、当時とは劇的なまでに変化し、新たなる貧困と格差社会、そして環境問題が、深刻な社会的問題となっている。

そして、吉本隆明氏は、そうした今日的な問題には、何らかの視座を示したことはないので、
若い世代が、吉本隆明に関心を持たないのも当たり前かも知れない。


たしかに、吉本隆明は偉大な思想家だが、それは、あくまでも、昭和の思想家としてなのであって、彼は、平成の思想家ではありえなかったのだと言ってもいい。


吉本隆明が、実際は、若い世代にはまったくと言っていいほど読まれていない、

あるいは、そう言うよりも、必要とされていないという昨日、語ったことを踏まえたうえで、
さらに問題を検討してみよう。




吉本隆明氏は、若い世代の詩人たちのペンネームが奇矯で、根拠がないことを語り、強い違和感を表明しているが、
今や、子供たちの本名が、驚くほど風変わりだったり、奇妙なものばかりになっていることを思えば、これは、時代の流れとしか言えないだろう。

実際、今の子供たちの名前は、「ゴールド」くんに「シルバー」くん(これは実在の兄弟の名前である)とか、
音を聞いただけでは、漢字が想像できない名前が主流で、私の甥も「こうや」、姪も「きらり」という名前である。


女の子に関しては、「雅子」とか「愛子」といった古典的な名前は、ほとんど消え失せ、芸能人ばりの名前ばかりになっている。


要するに、本名もそうなっているのだから、ペンネームがさらに奇矯なものになるのは、無根拠なのではなく、むしろ、当然のことだろうし、
年配の人が、ペンネームだと思っている名前が、実は本名だったというケースも、少なくないかも知れない。



断っておくが、私の名前の「朱理」も、本名である。



したがって、名前に違和感を覚えるのは、たんに世代の違いによるものでしかなく、取り立てて、問題にするようなものではないだろう。


それは、今の日本人に、「権左右衛門」とか「弥平」とかいった名前が見当たらないのと、同じことでしかない。

もし、吉本氏が、江戸時代生まれの祖父に、
「隆明なんていう名前は、ふざけている」と言われたとしたら、何と答えるのだろうか?



この問題は、これ以上、語る必要もないが、本当の問題は、やはり、若い詩人たちの詩に「自然」がなく、空疎だという意見のほうだと思う。


この吉本発言は、論理的なものではなく、漠然とした印象として語られたものであり、その意味では、反論の必要なぞ、まったくないものだが、
興味深いのは、空疎である理由が、「自然」の不在であることで、この発言は、吉本隆明が考える詩というものを逆に物語っているとも言っていい。

しかも、自然を語ることが、決して、詩が詩であるための必要十分条件などではないことを思えば、
それは、吉本隆明氏の意外なまでに古典的、とりわけ和歌的で、かつ個人的な詩観を露わにするものと言っていい。


では、ここで言うところの「自然」とは、いったい、何を意味しているのだろうか。(つづく)
posted by 城戸朱理 at 06:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

詩と自然

「新しい詩人」(思潮社)が刊行されて、
00年代の新世代が、その輪郭を明らかにしつつあるが、
一方、年配の詩人たちを中心に、批判の声も少なくない。

戦後のベビーブーマー世代の特徴を
「飼い慣らされた羊たち」と指摘し、
「団塊の世代」と名づけたのは、堺屋太一だが、
もっぱら保身に必死な
団塊の世代の発言のあらかたは、
真に受ける必要はないとはいえ、
やはり、吉本隆明による、
若い詩人の詩には、自然がない、
その作品は無だという苛烈な批判は、
波紋を呼ぶことになった。

この批判に対して、森川雅美編集による
詩誌「あんど」8号は、さっそく、
特集「新しさを超えて」を組んだが、
及川俊哉編集による「ウルトラ」次号も、
吉本発言に応える特集を企画しているという。

若い世代から、どんな反応があるのか楽しみだが、
一方、「あんど」で井川博年氏が語っているように、
「だいたい今の若者は吉本なんか読んでないし、
吉本ばななの父で、海で溺れ死にかけたオッサンくらいにしか思っていない」という指摘も、
当たらずとも、遠からずといったところで、
本音を言うならば、名前も知らないか、
かろうじて名前は知っているが、
海で溺れかけたことなどは
知らないというのが事実だろう。

要するに、関心がないのである。

また、井川博年氏から見たら、
吉本隆明氏は「オッサン」の世代かも知れないが、
若い世代から見たら、吉本氏は後期高齢者にほかならず、
「オッサン」ではなく、「お爺さん」になるのも
間違いのないところだと思う。

つまり、両者の間には、
本来、何の関係も成立しえないのである。

こうしたことは、吉本隆明を信奉する
50代や60代の読者には、信じられないことかも知れない。

たしかに、吉本氏を尊敬する年配の編集者によって、
いまだに吉本隆明の新刊や再刊が次々に出版され、
旧来の読者が、こぞって求めるために、
吉本隆明は、いまだに、よく読まれていることになるが、
読者は、もっぱら50代以上で、
若い世代の読者は、ほとんどいないため、
古書店では、吉本隆明の著作は、
棚ざらしになったあげく、
店頭の均一ワゴンに投げ出されているのが普通であり、
90年代には、すでに古書店が、
吉本氏の著作は買い取り自体を拒否するようになっていた。

むろん、あらゆる本は、
こうした忘却の時期を経て、
自らの位置を初めて歴史のなかに占め、
古典になるものは、古典になっていくので、
現状を嘆く必要はないが、
こうした、世代による温度差は、
自分の世代を客観視することができないと、
決して、見えてこないものらしい。(つづく)
posted by 城戸朱理 at 07:43| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月21日

「私のいる風景」(「読売新聞」)

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「読売新聞」4月19日夕刊の連載「私のいる風景」に
私のインタビューが掲載された。

私が選んだ「私のいる風景」は、「境界」。

異質なものが出会う場所が、
自分の詩作において、どんな意味を持っているのか、
さらには、現在、考えていることや、
詩論集『戦後詩を滅ぼすために』のことなどを語った。

興味のある方は御一読を!
posted by 城戸朱理 at 08:58| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月27日

筆書きのこと

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書斎の引き出しを整理していたら、色紙が出てきた。

とある文学館に頼まれて、
自作を毛筆で書いたときの試し書きだが、
ふだん、筆を使うことなど、まったくないので、
いささか緊張しながら書いたものだった。

詩句は、「非鉄にあらず」(「非鉄」、『非鉄』所収)、
「百年前のまぼろし」(「不来方」、『不来方抄』所収)、
そして、「刻むなら生成を」(「生成(なまなり)」、『不来方抄』所収)の3つで、
それぞれ数枚ずつ書き、
いちばん出来のいいものを送ったので、
手元に残っているのは、
うまくいかなかったものということになる。
ただし、私の場合、筆に慣れていないので、
うまくいったところで、大したものではない。

それにしても、毛筆を使うこと自体がないのだから、
考えると、情けない話である。

川端康成は原稿を万年筆で書いていたが、
原稿以外は、墨をすって筆で
書きたいと願っていたそうで、
遺愛の猿面硯と根来塗りの硯台は、
親交があった画家、東山魁夷に形見として贈られたという。

硯というものは、遺品として、意外なほど残されている。
空海が使ったという風字硯、
菅原道真の遺品だとされる唐白磁円面硯(国宝)から、
松尾芭蕉、富岡鉄斎まで。
そして、その伝統も川端康成の世代あたりで途絶え、
今や手書き自体が珍しい時代になったわけだが、
墨をする時間を持つこともなく、
毛筆もろくに使えない我が身を考えると、
これでいいのだろうかと思ってしまうことがある。
posted by 城戸朱理 at 09:14| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月25日

詩人はみんな馬鹿ばかり?

80年代にもっとも華々しく活躍した詩人が、
ある座談会で現代詩のことを聞かれて、
「詩人はみんな馬鹿ばかりだ」という発言を残し、
結果として、次第に詩から離れていった。

その後の彼の批評家、作家としての活躍を見ると、
それで正解だったのかも知れないが、
一方で「馬鹿ばかり」と言われた詩人たちのほうは、
それから20年近くたっても、同じようなものである。

とりわけ、詩人と称する人たちと会うと、
「詩」が話題にならないのは、驚くばかりである。
もちろん、詩人が詩の話をしているのも無粋きわまりない。
それをわきまえたうえで、別の話に興じるのであれば、
それはそれで、成熟というものだろう。

問題は、誰がどうしたとか、彼がこうしたとか、
たんなる詩壇の噂話を詩の話と勘違いしていることのほうで、
若い詩人たちも、その傾向が強いのが、東京の特徴かも知れない。

午後のワイドショウや女性週刊誌でもあるまいに、
この井戸端会議ぶりは、聞かされるほうは退屈以外の何ものでもない。

こうした状況を、和合亮一氏は、「東京の地方主義」と
ひと言で切って捨てたが、
東京に首都機能や出版社を始めとするメディアが集中しているからといって、
自分が中心にいるつもりになったら、
大間違いというものだろう。
噂話は、しょせん噂話、
井戸端会議は、しょせん井戸端会議である。
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2007年12月04日

「詩、この一年〜変化の実質 明らかに」(「毎日新聞」2007年12月3日夕刊)

「毎日新聞」の年間回顧の記事「詩、この一年」は、
2002年から、私が執筆しているが、
今年の回顧が、12月3日夕刊に掲載された。

私の原稿以外に、入沢康夫・安水稔和・井坂洋子、そして、
毎日新聞の酒井佐忠4氏が、それぞれ、
印象に残った5冊を挙げており、
今年は新川和江、新井豊美氏らの仕事が評価を集めた。

一方、私は、詩の最前線に焦点を絞って、論じているのだが、
21世紀を迎えて、次第に露わになりちつある、
今日の詩の変容については、
今後も検討が必要だろう。

今回、私が取り上げた詩集は、以下の6冊である。


杉本真維子『袖口の動物』
安川奈緒『MELOPHOBIA』
中尾太一『数式に物語を代入しながら何も言わなくなったFに、掲げる詩集』
高岡修『蛇』
広瀬大志『ハード・ポップス』
稲川方人『聖ー歌章』


もちろん、これ以外にも語るべき詩集は少なくない。
それに関しては、詩論「洪水の後で」を展開するなかで、
順次、触れていこうと思っている。
posted by 城戸朱理 at 10:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

「田村隆一は終わらない」(「朝日新聞」9月16日)

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「朝日新聞」9月16日に、私も取材を受けた「田村隆一は終わらない」という記事が掲載された。

来年、没後10年を迎える田村隆一だが、その仕事は若い世代からも高い支持を集めており、
再評価の気運が高まっていることが、この記事からも浮かび上がってくる。



田村隆一の詩は、これから旧来の評価を超えて、違う姿を見せ始めるに違いない。

小笠原鳥類氏は、高校3年のときに、田村隆一の詩と出会い、その詩の言葉の鮮やかさと鋭さに感嘆したというが、同時に、田村さんの風貌に、ほかの詩人とは違う「厳しい風のなかで生きているような鋭さ」を感じたという。


実際、田村さんは鋭い人であったし、それは生得のものであるとともに、彼が生きた時代によって、磨かれたものでもあったのだろう。


そのことは、田村隆一という詩人が、いかに「現在」と向かい合って生きていたかということを示すとともに、その詩業を貫くものを教えてくれるものでもある。


来年には、田村隆一をめぐるEdgeのイベントも予定している。


また、今まで書いてきたものとは違う視座からの田村隆一論も来年は発表したいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 09:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月24日

北園克衛が語る「勇気」

昨年、北上市の日本現代詩歌文学館で、
「パフォーマンス・ポエトリィ〜詩を演じる」が開催されたとき、
私も北上に赴いたおかげで、
藤富保男、 高橋昭八郎、伊藤元之氏から、
貴重なお話をいろいろ、うかがうことが出来た。

しかし、人間というのは困ったもので、
どんな貴重な話でも、そのままにしておくと、
ほとんど忘れてしまう。

自分が年齢を重ねるにつれて、
どれだけの貴重な話が、
その場かぎりで忘れられていくのかを意識するようになり、
メモや録音を出来るかぎり意識的に残すようになったのだが、
録音すると、記録は残せるものの、
テープ起こしする時間的な余裕がないため、
テープのまま死蔵してしまうという問題も生じる。

ICレコーダーを使ったときは、
すぐにノートに書きうつして、消去しているが、
このほうが、あとになると分かりやすいようだ。

こうした記録は、別に仕事に生かそうと思って、
残しているものではなく、
あくまでも自分のためのものでしかないのだが、
高橋昭八郎さんや伊藤元之さんへのインタビューは、
いずれ、活字として公にしなければならないと考えている。

昨年、詩歌文学館で高橋昭八郎さんから
うかがった話のなかで、特に印象深かったのが、
北園克衛の発言だった。

北園さんは、昭八郎さんの肩を叩きながら、
「勇気だよ、勇気!」と語ることがあったという。

昭八郎さんによると、この「勇気」とは、
誰に何を言われても、やりたいことを貫いていく勇気であり、
同時に、黙殺に耐える勇気を意味しているとのことだった。

たしかに、本当の意味での前衛的な仕事は、
その場で評価が返ってくるようなものではないわけであって、
「勇気」をもって貫かねばならないようなものなのだと思う。

北園克衛が語る「勇気」、
それは、実験的な精神に貫かれた前衛を生きるために、
欠かすことが出来ない姿勢なのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 08:34| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする