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城戸朱理のブログ: 仕事

2019年11月28日

柳美里さんとのハガキ・プロジェクト



2013年11月から翌年にかけての約半年間、柳美里さんと毎日、葉書を出し合うハガキ・プロジェクトを進めていた。

これは、お互いが抱えていた書き下ろしの進行具合をハガキで報告しあって原稿を書き進めようという企画で、柳さんが提案してくれたものだったのだが、なんと、互いに「なぜ、原稿が書けないのか」という言い訳に終始するという結果に終わってしまった。


目的は果たせなかったものの、互いに百通を超える葉書を書いており、物書きの日常が垣間見えるものになっているので、逆に面白いかも知れない。


その後、2015年3月に柳さんは福島県南相馬に転居されたので、相談して柳さんの鎌倉時代(?)にやり取りした葉書は、鎌倉文学館に寄贈した。



ハガキ・プロジェクトを再開したのは、2015年11月。

目的は例の書き下ろし原稿なのだが、第二次ハガキ・プロジェクトでも、書き下ろしはお互いに進まず、柳さんが新たな小説の構想やストーリーを書き綴ったり、私が書いてみたい詩集のことを書き送ったりと、近況以外にも、葉書だからこそ書ける内容になっていたのが面白かった。

この第二次ハガキ・プロジェクトは、先日、北上の日本現代詩歌文学館に寄贈したが、柳さんは南相馬で書店フルハウスを始める前、私は吉増剛造さんと京都でドキュメンタリー映画「幻を見るひと」の撮影が始まっていたので、お互いにあわただしくも、緊張度の高い時期の記録になったかも知れない。


書き下ろしを終えて、温泉でゲラに手を入れるという当初の目標は、いまだに実現していないが、葉書は残った。

あとは、目的を達成するだけという本末転倒のハガキ・プロジェクトだが、私が今年の3月に花巻の大沢温泉に滞在して新詩集の推敲と清書をしていたところ、柳さんも9月に、再結成した青春五月党の新作の戯曲「ある晴れた日に」を大沢温泉で書き下ろしたそうだから、温泉で仕事するという目標(?)だけは実現したことになる。


本来の目標を達成できる日は、はたして来るのだろうか?
posted by 城戸朱理 at 08:11| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月29日

「みらいらん」第4号(2019 夏号)で吉増剛造さんと対談

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「みらいらん」(洪水企画)の田村隆一特集のために、鎌倉文学館の一室を借りて、吉増剛造さんと対談したのは、5月16日のこと。

文学館の薔薇園が見事だった。


田村さんは、まだ20代の私が聞き手をつとめた1988年の「現代詩手帖」のインタビューで、自らの最後の詩集は『1999』と語られたが、その言葉通り、詩集『1999』を刊行して、21世紀を見ることなく、1998年に亡くなられた。

悦子夫人が建てた妙本寺の田村さんのお墓の側面にも「1999」という数字が刻まれている。


去年は田村隆一没後20年だったのだが、詩壇では、これといった動きがなく、残念に思っていたところ、洪水企画の池田康さんが田村隆一特集を企画してくれたのである。


田村さんに仲人をしてもらった吉増剛造さんと、田村さんが晩年を過ごした鎌倉で対談するのは感慨深いものがある。

対談は、題して「彗星のように回帰する日」。


特集執筆陣は、新倉俊一、八木忠栄、山内功一郎、田野倉康一、和合亮一、中原秀雪、石田瑞穂、神泉薫、広瀬大志。



充実した田村隆一特集が実現したことを喜びたい。
posted by 城戸朱理 at 10:31| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月25日

「甕星」vol5、特集「おそれ」にインタビュー掲載

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「甕星(みかぼし)」を編集・発行する異端美学の研究家、平井倫行氏とは、詩人の菊井崇史さんを介して出会った。

平井さんは、博士論文執筆のため今は休載されているが「図書新聞」に「刺青の栞」を連載しており、松田修『刺青・性・死 逆光の日本美』(講談社学術文庫)にも素晴らしい解説を寄せられている。


「甕星」にも「松田修資料整理報告」が掲載されているが、寄稿者でもある菊井さんが全面的に編集をサポートされているそうだ。

甕星は『日本書紀』に現れる星の悪神、天津甕星から取られた誌名だが、その名にふさわしく、今号の特集は「おそれ」。

平井さんから「恐怖」について語ってほしいという依頼を受け、2月26日に北鎌倉の侘助でインタビューを受けたのだが、それが「文藝×怪異『影談』」というタイトルで掲載されている。


「『遠野物語』オシラサマと『聊斎志異』(りょうさいしい)を手掛かりとして」という副題がつけられているが、
私があらかじめ『遠野物語』と『聊斎志異』を取り上げることを平井さんにお伝えして、インタビューの場に臨んだ。

清時代の蒲松齢が怪異談四百余話を集成した『聊斎志異』は、私の15歳のときからの愛読書だが、まさか、こんなふうに語る日が来るとは思わなかった。


ラヴクラフトへのオマージュ、泉井夏風「円匙を手に灰を掘る」、吉野東人「デイドリーム・ワンダーランド」、山田JETギャラガー「悪夢十夜」、窪田由美「OSORE」など不吉さがみなぎる誌面。

そこに鈴木基弘『「居酒屋」小考』といった論考も掲載されているのが面白い。


「甕星」は次号で舞踏特集を企画しており、実現が楽しみだ。
posted by 城戸朱理 at 11:43| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「白亜BIBLION」vol.70にインタビュー掲載

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私の母校である岩手県立盛岡第一高等学校図書館の機関誌「白亜BIBLION」のインタビューを受けたのは、今年の初め、1月13日のこと。

年一回の発行だから、70年もの間、刊行されてきたことになるが、そう思うと凄い。


卒業生へのインタビュー企画は15回目になるようだが、6年前の9回目に続いて、私は2回目の登場となる。


当日は佐藤牧子先生の引率で、図書委員の吉田智哉くんと四日市光太郎くんが鎌倉まで来てくれた。

おふたりともサマセット・モームやドストエフスキーを読んでいるという読書好きだが、志望する大学は理系。

優秀な後輩を前に、私が語れることが本当にあるのか戸惑ったが、鎌倉文学館の一室を借りてインタビューを受けた。


盛岡一高は、石川啄木、宮澤賢治ふたりの詩人が先輩にいるので、私が詩について語るのはおこがましいが、吉田くん、四日市くんがあらかじめ質問を用意して、インタビューは進んだ。

なかには「詩作という営みを一言で表現するとしたら?」といった難問もあって、私自身が自分の根源を見つめ直す機会になったことに感謝したい。


吉田くんは、鎌倉でも鎌倉文学館が特に印象深かったと感想を書かれ、四日市くんは、私へのインタビューの間に「本当にこういう人が実在するんだなあ」という「謎めいた感動」をしばしば覚えたのだとか。

おふたりにとって、そして在校生のみなさんにとって、何であれ得るものがあるとしたら幸いである。


このインタビューには後日談があって、岩手日報学芸部長在職中に急逝された一戸彦太郎さんの陽子夫人からメールをいただいた。

陽子さんはピアノを教えておられるのだが、なんと四日市くんは陽子さんに師事してピアノを弾かれていて、学祭でショパンの「革命」を弾くべく猛練習中なのだという。

思いがけないご縁に、彦太郎さんのことを偲ぶことになった。
posted by 城戸朱理 at 11:42| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月21日

『賢治学』にシンポジウム掲載

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岩手大学の宮澤賢治いわて学センター編による『賢治学』第6号が刊行された。

特集は「宮澤賢治得業論文100年」で賢治の得業論文(卒業論文)自筆稿が収録されている。


さらに本書にはかつて宮澤賢治が学んだ旧盛岡高等農林学校本館(重要文化財)で、昨年の3月4日に開催されたシンポジウム「賢治詩歌のこころを語る」も収録されている。

このシンポジウムは、岩手出身の佐藤通雅(歌人)、照井翠(俳人)と私の3人によるもので、佐藤さんと照井さんのお話には賢治の短歌と俳句を考えるうえでの貴重な示唆をいただいたし、私も、宮澤賢治について考えていることを初めて整理して語ることができた。

このシンポジウムをきっかけに、いずれ、宮澤賢治について、きちんとした論考を執筆しなければという思いを新たにしたが、その透明な光と風の世界は、明快さと謎が織り成す音楽のようでもある。




もしも楽器がなかなったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
(宮澤賢治「告別」)
posted by 城戸朱理 at 11:47| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月01日

『東川町 椅子 コレクション3』(発行・写真文化首都 「写真の町」東川町/発売・かまくら春秋)

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北海道の東川町に寄贈された織田憲嗣氏による椅子のコレクションは、近現代のインダストリアル・デザインを一望できる貴重なものだが、
そのコレクションをさまざまなジャンルの執筆者によるエッセイとともに紹介する『東川町 椅子』の第三巻が刊行された。


執筆者は、荻野アンナ、林望、茂木健一郎、横尾忠則、壇ふみと実に多彩で、それぞれの椅子に対するアプローチが面白い。

歌人では岡井隆、東直子さんが、詩人は蜂飼耳さんと私が参加している。



現代人なら、椅子のない暮らしをしている人はいないだろうが、いざ、椅子について何か書こうとすると、とまどうのは、それが生活のなかで、当たり前にあるものだからだろうし、それだけに、執筆者が、どこに着目したのかを読むのは、視界が開けていくかのような楽しさがある。


私も依頼を受けたときには、とまどったが、「椅子取りゲームは、かなしい遊びだ」という一行から起稿したとき、自然に中原中也の詩「港市の秋」がよみがえり、一気に書き上げることができた。



東川町では、いずれ織田コレクションを展示する場を作る予定だと聞いているが、そのミュージアムが出来たときには、この本も既刊の二冊とともに図録を兼ねて置かれることになるのだろう。


その日が来たら、ぜひ東川町を訪ねてみたいものだ。
posted by 城戸朱理 at 18:00| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

城戸朱理講演を再録、「出光美術館 館報182号」

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昨年2月に出光美術館で開館50周年記念展「古唐津ーー大いなるやきものの時代」に合わせて、私が講演させていただいた「古唐津と私」が再録された「出光美術館 館報182号」が刊行された。


この古唐津展は、出光興産の創業者、出光佐三が収集した古唐津三百余点を展示するもので、実に壮観だったが、普通なら陶磁学者や陶芸家が講演する水曜講演会に呼んでいただけたのは嬉しかった。


表紙は古唐津の奥高麗茶碗、銘「さざれ岩」。

朽ち葉色の静かな、それでいて揺るぎない姿は、奥深い魅力をたたえて、やはり、素晴らしい。


窯跡の発掘調査や科学的分析にも従事する陶磁学者や、実際に土と炎に対峙する陶芸家に比べるならば、私のような愛好家は、日々、眺めては使うという一点で陶磁器と向かい合うことになる。

そこから何が見えてくるのか。

語りつくすことは出来なかったが、この講演のおかげで気づいたこともあった。


館報182号には、私の講演のほかに、兼築信行早稲田大学教授による「和歌懐紙と披講」と出光佐三記念美術館学芸員の田中伝氏による「門司出光ギャラリー〜知られざる出光美術館前史」が収録されている。
posted by 城戸朱理 at 10:26| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月19日

西村我尼吾さんの選考方法



2002年に第1回が開催された芝不器男俳句新人賞は、それまでの50歳まで青年、還暦で新人という俳壇のありように風穴を開け、20代、30代の若き俳人の登竜門となった。


芝不器男俳句新人賞の創設と、その後の運営に尽力されてきた西村我尼吾参与は、今回から選考委員に加わられたが、公開選考会で、度肝を抜かれたのは、我尼吾さんの選考方法だった。


公開選考会の前々日にはインドの首脳と会談して帰国されたばかりとおっしゃっていたが、ASEANの国際経済研究所AREAの事務総長として多忙な毎日を送られているにもかかわらず、応募作、全1万4千句すべてを、技術点・芸術点・構成など5点満点で採点し、応募者140人の合計得点を計算されていたのである。


その結果、予選通過作は260点が分岐点になったのが判明。


一位は芝不器男俳句新人賞を受賞された生駒大祐さん、二位は城戸朱理奨励賞を受賞された表健太郎さんで、ともに280点超。

ちなみに我尼吾さんによると、私が選んだ予選通過作の10人は、いずれも270点を超えていたそうだ。

対馬康子さんや中村和弘さんが「俳味」を大切にされるのに対して、齋藤愼爾さんや私が「実験性」を重視するといったように、選考委員によって傾向はあるものの、西村我尼吾委員の採点によって、目に見える形で計量化されると、主観を超えた客観性があるのかも知れないと思わざるをえない。



今回の応募者140人に関しては、全員の評を西村我尼吾さんが公式ホームページにアップされることになっているが、得点も明記してもらうと、次回の応募の目安となるのではないだろうか。


我尼吾さんは、予選通過作すべてにキャッチフレーズまで用意していた。


1番、「放浪の野生児」
14番、「デジャ・ヴュの色の魔術師」
28番、「異界を拓く者」
34番、「抽象の槍を光らせる」
45番、「俳句交響詩」
81番、「残像の旅人」
95番、「自縛の騎士」
100番、「小津安二郎的世界」


このキャッチフレーズは大いに客席を沸かせたが、我尼吾さんの、あふれんばかりの俳句愛に圧倒された一夜だった。
posted by 城戸朱理 at 14:27| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月02日

澁澤龍彦邸でのインタビュー

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2月28日は、日本文学の研究者、スティーヴ・コルベイユ先生が、日本の1950〜80年代の翻訳が果たした社会的意義を研究するため、私と澁澤龍子さんにインタビューするべく、鎌倉まで来てくれた。


まずは、13時に北鎌倉の侘助で待ち合わせる。

侘助店主、菅村睦郎さんは私たちのために奥のテーブルを用意してくれた。

テーブルはかつての小津安二郎邸の台所の床材を使ったものだから、そこから映画の話になり、コルベイユ先生が異様な映画好きであることが判明。

パリ留学時は、シネマテーク・フランセーズに通って、成瀬巳樹男監督作品の連続上映に日参したこともあるという。

しばらく、映画の話で盛り上がってから、インタビューを受ける。

最初は詩の翻訳のことを聞かれるままに答えていたのだが、最後は、ジョルジュ・バタイユと澁澤龍彦における「エロティシズム」という概念の差異を巡るディスカッションの様相を呈することになった。



3時過ぎに澁澤龍彦邸に到着。

龍子さんと柴犬の「もみじ」が出迎えてくれる。


コルベイユ先生の龍子さんへのインタビューは2時間続き、終了したのは5時半。

私は、ときおり感想を言ったりしながら、もみじと遊んでいたものだから、毛だらけになってしまったのだった(笑)。
posted by 城戸朱理 at 12:12| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

新しいノートで新しい仕事を

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ハワイのアラモアナ・センターにはパピルスという文具店があって、実に美しいノートやカードなどを扱っている。

ハワイに行くたびに必ず覗いては、便箋や封筒、ノートなどを求めるのだが、そのうちの一冊を使って、新しい仕事を始めることにした。

クロース張りの厚手のノートで、万年筆向きの紙が使われている。


バンビことパンクな彼女に勧められ、気ままな随筆を書いているのだが、発表する気はないし、ひそかな楽しみのようなものかも知れない。

このノート一冊を書き終わったら、内容を明かす日が来るかも知れないが、今は伏せておく。


一篇ごとに、対応する写真をバンビがプリントして貼り込んでくれているので、作業じたいが楽しい。

詩集の入稿原稿を準備するかたわらで、この仕事を続けていきたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 15:56| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

「鎌倉ペンクラブ」会報第18号

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「鎌倉ペンクラブ」会報第18号が刊行された。


会員による「近況」や「自著を語る」「私の一冊」といったエッセイのほかに、倉和男さん(元神奈川文学振興会事務局長)による連載「文学館縁起」は十一回目となり、久保義信さん(編集者)の「志賀直哉を読む」の新連載も始まった。


私は「近況」として、最近、手がけた仕事について書いたが、「自著を語る」では藤沢周さん(作家)が映画化された『武曲』と書き下ろしの『武曲II』について、フジサンケイグループの正論大賞を受賞された新保祐司さん(文芸批評家)が『内村鑑三』について執筆している。



巻末には2017年7月から12月の事業報告もあって、公開講座「明治の青春と鎌倉」が紹介されている。

私も島崎藤村について講演させていただいたが、『夜明け前』の前で終わってしまったため、事務局から打診があり、4月に再び島崎藤村について語ることになった。

今度は『夜明け前』から話すことになる。


「鎌倉ペンクラブ」会報は第6号で「特集 城戸朱理」が組まれており、バックナンバーも含めて若宮大路の島森書店で扱っているので、鎌倉散策のおりには、ぜひ。
posted by 城戸朱理 at 17:56| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

手書き原稿の逆説



PCの普及で、データ入稿が当たり前になったものだから、不思議な逆説が生じた。

文学館から手書き原稿を求められると、作家も詩人も、すでに印刷された自著を見ながら、原稿用紙に書き写すしかない。

中世の修道士のようではないか。


2012年に鎌倉文学館で開催された「カマクラから創る 藤沢周・城戸朱理・柳美里・大道珠貴」展のとき、藤沢さんと柳さんは、赤字が入ったゲラ刷りを出品されていたが、凄い量の書き込みで、作家の体温が感じられた。

ここまで行くと、手書き原稿は必要ないとも思ったが、原稿はデータ、やり取りはメールという時代になって、文学館の学芸員は、将来、展示するものがなくなってしまうのではないかという危惧を抱いているという。



私の場合も、原稿用紙に手書きするのは、詩と400字詰め原稿用紙10枚以上の長めの批評だけだから、今年になってから手書きしたのは「表現者クライテリオン」に寄せたT.S.エリオット論20枚と『現代詩文庫 和合亮一詩集』の解説12枚のみ。

160篇に達した書き下ろし詩篇は、これから推敲しながら手書きすることになる。


それ以外の原稿は、すべてデータ入稿しているが、北海道の東川町の小田憲嗣東海大名誉教授の世界的な椅子コレクションを紹介する『椅子』に寄稿したエッセイは、東川町に完成予定の新図書館で展示するべく、手書き原稿もという依頼だった。

さらに富山市が刊行する『富山の置き薬と日本の健康』に寄せたエッセイも、刊行後、富山市の図書館で展示するために、手書き原稿を求められている。

そうなると、データ入稿した原稿をプリントアウトして、それを見ながら原稿用紙に手書きすることになる。

逆説としかいいようがないが、奇妙なことになったものだ。


万年筆の最良のメンテナンスは使うことだから、手書きが増えること自体は歓迎だが、だったら最初から手書きすれば良かったと思いながら、原稿用紙を広げている。
posted by 城戸朱理 at 09:19| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

エッセイの打ち合わせ




かまくら春秋社の山本太平さんから連絡があり、24日(金)は、若宮大路のかまくら春秋社に行った。


鎌倉で飲み歩いてはエッセイを書くという「夜の鎌倉」という企画の打ち合わせのためである。





これが仕事でいいのだろうか?


たんに飲み歩くのであれば、いつもやっていることと変わらないし、それを原稿にするとしても苦労するわけではない。



これはユートピア、「われアルカディアにもあり」だなと渋沢孝輔さんの詩集のタイトルを思い出しながら打ち合わせに臨んだのだが、私が勝手に「かまくら春秋」誌の連載と思っていたところ、渡された企画書を見たらーー単行本の企画だった。


別に雑誌連載でも単行本でもやることに変わりがあるわけではない。


ただし、軒数は増えるので、飲みに行く店が増えるだけである。




私に尻尾があったら、パタパタ振っているところだ。



しかし、気づいてみたら、尾崎左永子さんの歌誌「星座」に掲載される学生の詩の選評に、北海道東和町にある椅子博物館の図録に寄せるエッセイと、かまくら春秋からの依頼が重なっている。


飲み歩くのが先か、執筆が先か、迷うところである。




伊藤玄二郎代表から聞いたのだか、鎌倉の飲み屋で日本酒というと、小林秀雄が好んだ立山、永井龍男が好んだ八海山、そして里見ク常飲の菊正宗が御三家なのだとか。



小町通りの奈可川では、柳川鍋を出したところ、小林秀雄に「こんなのは柳川じゃねえ、俺の言う通り作ってみろ」と言われて、それを永井龍男に出したところ「こんなのは柳川じゃねえ」と言われ、
それ以来、小林風柳川と永井風柳川がメニューに載るようになったそうだが、天ぷら・ひろみにも、小林秀雄が好んだ天種の小林丼と、小津安二郎監督の好みの小津丼がある。



かつての鎌倉文士は、肩で風を切っていたと伊藤代表が言っていたが、江藤淳のように飲み歩かなかった文士は、何の逸話もなかったりするのだから、飲み屋というのは不思議なところだ。




一方、田村隆一のように逸話だらけの詩人もいるが、田村さんが日参した長兵衛も、今はない。


田村さんは「かまくら春秋」の連載が、詩集『夜の江の電』になったが、私も飲み歩くかたわらで詩を書いてみよう。





打ち合わせのあとは、山本太平さんとクルベル・キャンに繰り出し、この企画にふさわしく、飲みながら、さらに具体的な打ち合わせをしたのだが、やはり仕事とは思えない好企画である。


誰にとっていいのかは問題だが、考えれば解決するのが問題というものではないか(?)。

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2017年09月12日

第5回芝不器男俳句新人賞



芝不器男俳句新人賞実行委員会から第5回芝不器男俳句新人賞の選考委員就任依頼が来たので、お引き受けした。


応募は、今年、2017年10月〜12月10日の予定。

これまで通り、名前・年齢を伏せての公開審査になるが、選考会は来年3月を予定している。


芝不器男俳句新人賞では、本賞のほかに選考委員の名前を冠した奨励賞もあるので、本賞ひとりと奨励賞5人が受賞者となる。


冨田拓也・杉山久子・御中虫・曽根毅といった本賞受賞者のみならず、
関悦史・神野紗希・佐藤文香・九堂夜想・岡田一実・堀田季何・西村麒麟ら、これまでの奨励賞受賞者の活躍によって、
俳壇の登竜門となった感がある芝不器男俳句新人賞だが、百句競作という難関に、ぜひチャレンジしてもらいたい。
posted by 城戸朱理 at 09:04| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

「詩と思想」座談会



「詩と思想」編集委員の小川英晴さんから声をかけていただき、今年も座談会に出席することになった。

顔ぶれは、去年と同じく、ジャーナリストの徳山喜雄さんに私、司会が小川さんである。


おふたりの希望で、7月24日に、鎌倉で収録することになったのだが、暑い日だった。

菅村睦郎さんにお願いして、北鎌倉の侘助を早めに開けてもらい、風が吹きぬける奥のテーブルに着席する。

小津安二郎監督邸の床材を使ったテーブルを囲んで、座談会は始まった。


テーマは「ネット詩と現代詩の行方」。


ただし、個別論は原稿依頼をしてあるので、この座談会では、もっと広い視座から、インターネットと文明の変容について語り合うことになった。

そうなると、徳山さんが欠かせない。


徳山さんは去年の段階では、朝日新聞の記事審査室幹事をされていたが、会社を辞められ、今は立正大学で先生をされている。

私が、今年の3月11日に、盛岡で対談したジャーナリスト・作家の外岡秀俊さんは、朝日新聞時代の尊敬する先輩だったそうだ。


1990年代以降のネットの普及で、高度情報化社会が到来したが、同時に私たちは、旧来のアナログ・メディアよりデジタル・メディアのほうが寿命が短いという奇妙な逆説を前にしている。

和紙に筆書きならば、1000年の耐用年数があるが、CD-RやDVDの耐用年数は、20〜30年。

ネットには、情報があふれているが、フェイクニュースも多く、Wikipediaも間違いが目につく。

この混乱のなかで、詩の言葉は、どこに向かおうとしているのか。


スリリングな座談会になったと思う。

掲載は「詩と思想」11月号。

興味のある方は、ぜひ手にとってもらいたい。
posted by 城戸朱理 at 10:54| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

原稿を一気に仕上げて



鎌倉ペンクラブが、来年の明治150年を前に、今秋、鎌倉と縁のあった明治時代の文学者をめぐる講演会を企画、私に島崎藤村についての講演依頼があったので、お引き受けすることにした。

「詩と思想」からも、11月号の特集座談会への出席の依頼があったが、こちらは夏のうちに収録することになっている。


吉増剛造さんのドキュメンタリー映画のことで、ニューヨークのジョナス・メカスと連絡を取ることになったのだが、この案件も順調に運んでいる旨、井上春生監督から連絡があった。


あれこれ、日程調整をしつつ、岩手日報随筆賞授賞式のために盛岡入りする前に急ぎの原稿を仕上げねばならなくなり、7月13日は、まず「映画芸術」誌のためのジム・ジャームッシュ「パターソン」評を執筆。

今年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された「パターソン」は、アメリカ、ニュージャージー州の小都市パターソンを舞台に、詩を書くバス運転手、パターソンを主人公とする詩へのオマージュ。

この映画については、いずれ、別にアップしたい。


午後は、Edge公式ホームページのために、吉増剛造、前田英樹、鯨井謙太など5本の番組を見直し、紹介文を書く。

夕方、5本の原稿を書き上げ、ひと息ついたのだが――

「映画芸術」から夕方、ゲラが来たところ、規定の文字量を大幅に超過し、約三分の一を削らなければならないのが判明。

とりあえず、削れるだけ削って、夜には再校が出たのだが、まだ14行のはみ出しが。

途方に暮れていたら、バンビことパンクな彼女が、いつの間にか手を入れ、見事に14行分を削ってくれた。

このあたりは、さすが編集歴20年のプロフェッショナルである。

それにしても、私が文字量を間違えることなんて、滅多にないので、ジャームッシュの映画に、それだけ書くことを促す力があったということだろうか。

いや、そうではなくて、たんに私の不注意なのだが。


翌朝は、Edge公式ホームページの紹介文5本を見直してから、テレコムスタッフの平田潤子ディレクターにメールで送り、着替えをトランクにパッキングして宅急便で送り出す。

あわただしく10時半にタクシーで鎌倉駅に向かったのだが、猛暑のせいもあって、新幹線に乗る前に私もバンビも疲れはてていた。
posted by 城戸朱理 at 07:39| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

年内最後の締切



12月26日(月)に、『火山系』からの一篇、「悪い土地」が掲載されている「現代詩手帖」1月号作品特集が届いた。

10年前に比べると、執筆陣の顔ぶれは、だいぶ変わった。

年を重ねて、いよいよ先鋭な詩人もいるが、全体的には、伸びていくさまざまな力と、衰えていく力が交錯する場となった感がある。

それは、そのまま「戦後詩」との距離にほかならないのだろう。


この日は、年内最後の締切となる原稿を執筆。

「現代詩手帖」2月号、ボブ・ディラン特集のためのエッセイである。

私が初めて買ったディランのレコード(CDにあらず!)は、1976年にリリースされた「激しい雨」と「欲望」だから、もう、40年も前のことになる。

昼すぎに書き終え、事実関係を確認してから編集部にメールし、さらに依頼されたコメントを書いた。

夕方から、久しぶりに居間に積み上げてあった本を整理したのだが、書斎は手つかずのままだし、寝室も本が山脈を成している。

どうにかしなくては。


27日(火)は、エッセイを寄稿した「東日本大震災復興支援文集 SYMPHONY 交響曲」が届いた。

寄稿者は、瀬戸内寂聴、梅原猛、山折哲雄、阿刀田高、内舘牧子氏ら、被災地と何らかの関わりがある方々で、「るろうに剣心」の大友啓之監督も執筆されている。

この文集は、高校に無料で配布されるもの。

編集の八重樫久美子先生、そして、編集委員会のみなさん、ご苦労さまでした。


夕方から、テレコムスタッフの平田潤子、熊田草平両氏と今後のEdgeのコンテンツを確認してから、打ち上げとなる。

場所は銀座、数寄屋橋のバードランド。

暁方ミセイさん、暁方篇の音楽を作曲してくれた小鹿紡さんを招いて、過酷な中国雲南省ロケの慰労会をした。

若いときに日参した店だけに、店主の和田利弘氏が出てきてくれる。

和田さんと私が話していたら、「よく、いらっしゃるんですか?」と暁方さん。

「ぜんぜん、来ない」(笑)と和田さん。

さらに「昔は、うちが週6日、営業していると、5日は来て飲んでた」と私の過去を暴露(笑)。

そう、あのころは、店を閉めてから、よく和田さんと飲みに行ったっけ。

あげくのはてに、バードランドに戻って、さらに飲んだりしたが、なにせ、酒は売るほどある。

ふたりで酔いつぶれ、椅子を並べて寝てしまったこともあった。

高貝弘也くんも、よくバードランドで酔いつぶれていたものである。


今や、和田さんのお弟子さんたちが次々と独立し、銀座バードランドのみならず、千住のバードコートもミシュランガイドで星を獲得している。

奥久慈軍鶏の焼鳥から、締めの親子丼、鴨御飯、デザートのプリンとライスプディングまで、相変わらず見事なコースだった。

バードランドのあとは、資生堂のバーSで、カクテル。


翌日も東京で所用があったので、私は、ホテル・モントレ半蔵門に泊まった。
posted by 城戸朱理 at 21:51| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

誰にも言わない仕事を



吉増剛造さんは、編集者はもちろん、誰にも言わずに続ける仕事をひとつは持つべきだと語っていた。


それは、もはや世間で言うところの「仕事」ではないだろう。

私などは、ジョン・ラスキンや瀧口修造を思い出すのだが、ふと思い立って、止むに止まれず、ひそかに継続する仕事、と言えばいいだろうか。

そして、その「仕事」とは、原稿を書くことでさえないのかも知れない。


私も、かねてから夢想している仕事がある。

来年は、その「ひそかな仕事」を始めるのが、私の目標である。

もちろん、誰にも言わずに。
posted by 城戸朱理 at 10:57| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月07日

静かな仕事



最近、「静かな仕事」をしたいという想いが強くなった。


ひそやかに、誰にも伝えず、毎日、少しずつ進めていくような仕事である。


もちろん、文筆業で生きている以上、新聞社や出版社の原稿依頼には、これからも積極的に応えていくし、ブログも更新していくことだろう。

しかし、そうした顕在化しやすい仕事だけではなく、静かな仕事もひそかに続けていきたいと思う。


思えば、私にとって『漂流物』は「静かな仕事」だった。

鎌倉の海岸を歩き、打ち寄せられた漂流物を、ひたすら撮影する。

当時は、デジタルカメラを使っていなかったので、ライカで写した写真は紙焼きし、それを書斎で眺めているうちに、言葉を添えるようになった。

一冊にまとめることも考えていなかったし、発表する予定もなかったのに、私は、その仕事に熱中していたのを思い出す。


そんなふうに、静かな仕事にも打ち込みたいと思うのだ。



今年は、詩に関していえば、吉増剛造の年だったといえるだろう。

竹橋の国立近代美術館で開催された「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展と、それに合わせて刊行された『我が詩的自伝』(講談社現代新書)、『怪物君』(みすず書房)を始めとする9冊もの新刊は、やはり、圧倒的だった。

竹橋の展示では、東日本大震災以降、吉増さんが書き(描き?)続けた600枚を超える「詩の傍らで」が、目を引いたが、同時に、40年にわたって書き続けられた日記や、声のメモとしての1000本を超えるカセットテープに圧倒された人も少なくないだろう。

それは、日常を非常時として生き抜いてきた詩人の航跡であり、その波紋は、いまだに広がり続けている。

そして、吉増さんが続けてこられたのも、まさに「静かな仕事」だったのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 08:17| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月29日

「毎日新聞」詩の月評「詩の遠景・近景」最終回



今日、3月29日の「毎日新聞」夕刊に、5年間続いた月評「詩の遠景・近景」最終回が掲載される。


2年間、月評を担当された松浦寿輝さんの後を受けて、私が連載を始めたのは、2011年4月から。

それは、東日本大震災、原発事故から始まって、世界の安全保証が揺らぐ激動の5年間でもあり、不安の時代の始まりでもあった。


それだけに、詩の変化も目覚ましいものがあり、大きな揺らぎに対峙し続けた5年間でもあったように思う。


今回、取り上げたのは次の4冊。



和合亮一『昨日ヨリ優シクナリタイ』(徳間書店)

和合亮一『生と死を巡って』(イースト・プレス)

久谷雉『影法師』(ミッドナイト・プレス)

八柳梨花『Cliche』(七月堂)



担当を始めとする関係者各位とお付き合い下さった方々に感謝したい。
posted by 城戸朱理 at 07:56| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする