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城戸朱理のブログ: 仕事

2013年04月23日

今日の「毎日新聞」夕刊に詩の月評が掲載



今日、4月23日の「毎日新聞」夕刊に、月評「詩の近景・詩の遠景」が掲載される。

今回、取り上げたのは次の2冊。


和合亮一『詩の礫 起承転転』(徳間書店)

嶋岡晨『魂柱・反世界遺稿』(洪水企画)


詩壇を超えて、海外まで反響を呼んだ『詩の礫』の続篇と、「詩鬼」嶋岡晨による怒濤の新詩集。

この2冊には、東日本大震災以後の詩の姿が示されているのではないか。

興味のある方は、御一読を。
posted by 城戸朱理 at 10:09| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月28日

今日の「毎日新聞」夕刊に詩の月評が掲載

一昨年から私が担当している月評「詩の近景・詩の遠景」が、今日、1月28日の「毎日新聞」夕刊に掲載される。

今回は次の四冊を評した。



与那覇幹夫『ワイドー沖縄』(あすら舎)

季村敏夫『日々の、すみか』(書肆山田)

浜江順子『闇の割れ目で』(思潮社)

『現代詩花椿賞三十回記念アンソロジー』(資生堂)



名詩集『赤土の恋』が忘れがたい沖縄の詩人、与那覇幹夫の新詩集は、沖縄に生きることを語って重く、
季村敏夫は阪神大震災後に刊行された詩集の復刊だが、東日本大震災以後、その意義をさらに増しているのではないだろうか。

興味のある方は、御一読を。
posted by 城戸朱理 at 09:24| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

今年の仕事

結局、去年後半は、予定していた仕事に手をつけることができなかった。

今年は、まず中央公論に約束している『空海』を書き上げるのが目標だが、その前に「現代詩手帖」集中連載の詩論を書き切りたい。

この集中連載を終えると、『潜在性の海へ』に続く、2005年から今までの論考をまとめた詩論集を刊行することができるだろう。

それを終えたら、書き下ろしのために、ホテルに缶詰になる予定。


そして、今年の後半には、『西脇順三郎』の書き下ろしに着手したいものだ。


現在のところ、仕事での旅は、鹿児島、京都、フィンランド、ニューヨークが予定に入っているが、それ以外にも何かあるかも知れないし、何よりも詩作に集中する時間も持ちたいと思う。


昨年は、念願のデジタルカメラ、ライカX2を、発売と同時に入手しながらも、取説に目を通す余裕さえなかった。

新春は、このカメラを持って、鎌倉の海岸を歩くところから始めたい。
posted by 城戸朱理 at 08:54| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

今日の「毎日新聞」夕刊に時評掲載

今日の「毎日新聞」夕刊に月評「詩の近景・詩の遠景」が掲載される。

今回、取り上げたのは下記の四冊。


岡田喜秋『人生の旅人・啄木』(秀作社出版)

高階杞一『いつか別れの日のために』(澪標)

山田兼士『家族の昭和』(澪標)

三井喬子『岩根し枕ける』(思潮社)


私たちが生きている世界とは別の異界を覗き、異界を創造する詩集。

詩の言葉の権能が、ここにある。


興味のある方は、御一読を。
よろしくお願いいたします。


城戸朱理
posted by 城戸朱理 at 14:14| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

今日の「毎日新聞」夕刊に詩の月評掲載

今日の「毎日新聞」夕刊に月評「詩の近景・詩の遠景」が掲載される。


今回、取り上げた詩集は次の3冊。


嶋岡晨『終点オクシモロン』(洪水企画)

宮岡絵美『鳥の意思、それは静かに』(港の人)

金子鉄夫『ちちこわし』(思潮社)


新しい詩の言葉が動き始めた、そんな気配がある。

興味のある方は、御一読を。
posted by 城戸朱理 at 11:13| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

「Free&Easy」6月号に取材記事掲載

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先に取材を受けた「Free&Easy」6月号が発売された。

特集は「スタイルのある静物と暮らしたい」。


昨年の7月号でも取材を受け、私が使っている調理器具や作った料理が4ページ掲載されたが、
今回は調理器具の取材という依頼。

ところが、撮影中に骨董にシフトし、結局、骨董2ページ、調理器具1ページ、仕事道具1ページの計4ページとなった。


写真は、私の手元にある骨董のごく一部だが、自分でも、どこに何があるのか分からなくなっているのには参った。


実は、「Free&Easy」だけに、ラギットなラルフ・ローレンのRRLに着替えようと思っていたのだが、何やら余裕がなく、
袖口がセリエ・ボタンのエルメスのシャツを着たまま、取材を受けることになったのだった。


興味のある方は、御一読を。
posted by 城戸朱理 at 08:20| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

今日の「毎日新聞」夕刊に詩の月評掲載

今日、3月22日の「毎日新聞」夕刊に月評「詩の近景・詩の遠景」が掲載されている。

今回、取り上げて紹介したのは、次の3冊。


伊達風人の遺稿詩集『風の詩音』、
長谷部裕嗣『いないはずの犬』、そして藤富保男の散文集成『詩の窓』。


33歳で夭折した伊達風人氏は、自らの詩作で、
詩を書くことの意味を問いつづけたのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 22:45| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

「毎日新聞」夕刊に詩の月評が掲載

昨年から私が担当している「毎日新聞」の月評「詩の近景・詩の遠景」が、2月20日夕刊に掲載された。

今回、論じたのは、ゲーリー・スナイダー・コレクション(思潮社)の3冊。

幻の第一詩集『リップラップと寒山詩』、
スナイダーの詩業を通覧できる選詩集『ノー・ネーチャー』、
そして、詩人の根幹を示すエッセイ集『野生の実践』である。


ビート・ジェネレーションを代表する詩人であり、
ジャック・ケルアックの『ダルマ行者たち』のモデルとなったスナイダーは、
京都の相国寺、大徳寺10年にわたって禅を修行したアメリカ西海岸の禅の指導者でもある。

また、エコロジー運動の先駆者としても世界的に名高いが、
以前、私も関わっているイベントで、シエラネバダ山麓に暮らすスナイダーに、夏場の来日を打診したところ、
冬に備えて薪割りもしなければならないのし、忙しいからダメだという返事をもらったことがあった。

スナイダーは、薪ストーブで暮らしているのかと感心したが、
薪割りをする詩人も、その作品を彷彿とさせるものがあるではないか。

どの詩かは、『ノー・ネーチャー』を見ていただきたい。


福島第一原発の事故以来、エネルギーについての論議が盛んだが、
スナイダーの生き方は、それに対するひとつの答えでもある。


道元や宮澤賢治に影響を受けたアメリカの詩人。

私たちは、スナイダーから東洋の精神を学ぶことになる。

それは「環太平洋文学」の始まりでもあるのだろう。
posted by 城戸朱理 at 11:26| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

今日の「毎日新聞」夕刊に詩の月評が掲載

今日、1月24日の「毎日新聞」夕刊に、今年最初となる月評「詩の近景・詩の遠景」が掲載される。

今回、取り上げたのは次の3冊。


長田弘『詩の樹の下で』(みすず書房)

野村喜和夫『ヌードな日』(思潮社)

今井義行『時刻の、いのり』(思潮社)


震災、原発事故、金融危機。
転換期の詩の言葉は、どこにあるのか。


興味のある方は、御一読を。
posted by 城戸朱理 at 15:29| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月18日

ノートとメモ帳

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散逸しないようにノートを使うのが、いちばんいいとはいえ、
やはり、メモ帳も持たないわけにはいかない。

外出時や旅行先では、わざわざノートを出す余裕がないこともあるからだ。

一時期はセザンヌやヘミングウェイも愛用したイタリアのモールスキンの
5冊組みになった小型のメモ帳を買い込んで、愛用したが、
これだと、ノートのように綴じられているので、なくなる心配がない。

しかし、誰かにメモを渡すには、やはり切り込みがあるメモ帳のほうがいいので、
結局、フランスのRODIAは、欠かすことが出来ないようだ。

耐水ペーパーなので、旅先でも重宝するが、
銀座、伊東屋オリジナルのヌメ革のカバーにセットして、持ち歩くようにしている。

この革カバーも10年ほど経つので、だいぶ貫禄がついてきた。

RODIAは、ソニープラザでも手に入るので、やはり便利だ。


もう一冊は、エルメスのメモ帳。

5年、10年ではびくともしない革は、エルメスならでは。

紙はごくごく薄いが、品質は最高で、裏に透けることもない。

リフィールが、あまりにも高価なのが難だが、余分に買い込んでおいたので、しばらくは大丈夫だろう。
posted by 城戸朱理 at 12:15| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

ヨーロッパのノート

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アメリカの文具は、いい意味で大雑把なところがあって、
ノートなどものびのびと使えるが、
いかんせん紙質が悪く、万年筆を使えないものが多い。

やはり、ヨーロッパの文具とは比較できないようだ。


フランスでは、幼稚園から万年筆使うことを習慣づけるが、
これは、言葉に対する意識と伝統の違いというものだろう。


私は、アメリカのmead社のノートが好きで、今でも使っているが、
大量生産は得意なものの、職人芸に乏しいアメリカでは、ヨーロッパのような文具は作れないのだと思う。


最近は日本製もいいものがあるが、几帳面すぎて面白みに欠けるのは、国民性というものだろうか。


写真は最初の2枚が、手すき紙を使ったフランス製の革表紙のノート。

大切にしている一冊で、これには、傑作のメモを取る予定なのだが。


次の瑪瑙紙のハードカバーのノートは、イタリア製。

これは詩篇『失題』の詩想をメモするのに使っている。


最後の2枚の写真だけは、日本製で、MIDORIのトラベル・ノート。

革カバーは、使い込むと味が出るように、わざと粗くなめされており、ノートは交換可能。

元々は旅行するときに携帯して、旅の記録を取るように作られたもので、
チケットやレシートを入れるスペースも付いているが、
鞄に突っ込んでおいて、思いついたことを何でもメモするのにも使うようになった。

国産にしては、微妙な緩さがあって、ラテン的と言えばいいのだろうか、
自由な気分で使えるところが気に入っている。


ノートは、使いやすければ何でもいいのだが、万年筆も使える紙質と一冊を使いきるまでの耐久性が、
私の場合は、チェックすべきポイントとなる。

そのうえで、愛着が持てれば、言うことはない。

ここで紹介したのは、その例なのだが。
posted by 城戸朱理 at 09:18| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月11日

ノートの取り方、その2

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千葉雅也氏が語るように、丁寧にノートを取ろうとすると、
それ自体が目的になってしまうことがある。

しかし、ノートを取ること自体は、決して目標ではないし、
そのノートから、何を創造することができるかが重要なわけだから、
極論すれば、どんな乱雑な字だろうが、自分が分かれば、それで構わない。


重要なところにはアンダーラインを引き、連想したこと、関係があると思うことを、
矢印を引いて、できるだけ自由に書き込んでいく。

つまりは、幾何学的なノートのほうが、発想が広がるように思う。

言語中枢脳は左脳だが、だからこそ右脳的なノートを作ったほうが、
当たり前ではない発想が生まれるということなのだろう。


写真は、いつも鞄に突っ込んでおいて、気になったことをメモしていたノートの任意のページ。

たまたま開いたページを撮ったのだが、2004年12月11日に慶應大学で開催された
日本アメリカ文学会の例会でのエズラ・パウンドをめぐるシンポジウムに、
パネリストとして出席したときに、野村喜和夫、新倉俊一氏らの発言をメモしながら、
自分で考えたことを走り書きしたページだった。

ちなみに、このノート、次のページからは、かつて田村隆一とよく飲んだという方と、
鎌倉の飲み屋で会ったときに聞いた田村さんのエピソードが、何ページかにわたって書かれている。

今後の仕事の予定や、新しい企画なども、あちこちに書かれているが、
後になって見ると、考えたことの半分も実現できていない。

それは、これからも同じなのだろうが、だからこそ、
もっと考えを深め、発想を広げていかなければならないとも思う。
posted by 城戸朱理 at 12:11| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ノートの取り方、その1(再掲載)

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気鋭の現代思想研究者、千葉雅也氏がツイッターで、
ノートの取り方について語っていたのが面白かった。

千葉さんは、綺麗にノートを取るよりも、ジャンル横断的に、
気になったことをランダムに、字も速記風に書いたノートのほうが、
思いがけないアイデアが生まれることがあることをツイートしていたのだが、
これは、まったく同感で、私も気になったことを何でもメモするノートをいつも用意している。


メモ帳やレポート用紙だと散逸してしまうし、あとで整理するのは二度手間になるので、、
肝心なのは、一冊に綴じられたノートを使うことだろう。


私の場合、詩想をメモする創作ノートと、シュルレアリスムやフルクサス、視覚詩や田村隆一など、
とくに関心のある項目は、ジャンルごとにノートを用意しているが、
気になったことをランダムにメモするノートが、
結局、いちばん仕事の役に立っているかも知れない。


ノートは、使いきることを考えて、薄手のものを選ぶようにしている。

別に特別なものではなく、いちばんよく使っているのは無印良品のノートで、
表紙にラベルシールを貼り、何のノートか項目を書いておくだけなのだが、
いつでも新しいノートが用意できるように、無印良品のノートは、ストックを切らさないようにしている。


今年、使おうと思っているのが、写真のエルメスのブロックノート。

エルメス・オレンジの箱に、薄い10冊のノートがセットされており、
免税店で求めても1万5千円ほどしたが、ノートはノート、使わないことには意味がない。

このノートに、どんな詩想やアイデアを書くことになるのか、楽しみだ。


松浦弥太郎「暮らしの手帖」編集長の『日々の100』で紹介されていた
エルメスの革表紙のロールノートも持ち歩くのによさそうなので、探しているのだが、
日本でも海外でも、見つからない。

もう製造中止になったのだろうか?


無印良品で、万年筆でも書ける上質紙のノートを見つけたので、
これも2冊、購入してみた。

私は、長時間乾燥の手作り中性紙の満寿屋の原稿用紙を使っているのだが、
満寿屋がノートを作り始めたので、これも試してみたいもののひとつ。


携帯のメモ機能を利用することもあるが、若い千葉さんでも、
ノートに手書きするという昔ながらの方法が、発想の元になるというのだから、
やはり、どんなにPCが普及しても、紙以上の記録媒体を、人類は、いまだに持ちえていないということなのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 12:10| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月10日

今年の仕事

今年は、連載原稿だけで、年間の締切が120本ほどになる。

これは、私としては平均的な本数だが、
すでに思潮社に次の詩集『漂流物』と3冊目の詩論集の原稿を入稿してあるし、
「現代詩手帖」の詩論「洪水の後で」短期集中連載が終われば、
『潜在性の海へ』以降の詩論をまとめる4冊目の詩論集の原稿も完成することになるので、
今年は、それ以外は、骨董・工芸をめぐる随筆『日本人の眼』をまとめるのと、
『空海』と『西脇順三郎』の書き下ろしに専念したいと思っている。


テレコムスタッフ制作のアート・ドキュメンタリーEdgeの企画・監修、
フェリス女学院大学、早稲田大学、女子美術大学大学院への出講もあるが、
どちかと言えば、ゆるやかな、単行本を中心にした年になるのではないだろうか。


もちろん、予定は未定だが、それでも予定を立てないわけにはいかない。

何が起こるかは、分からないとしても。
posted by 城戸朱理 at 11:38| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月05日

ノートの取り方、その1

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気鋭の現代思想研究者、千葉雅也氏がツイッターで、
ノートの取り方について語っていたのが面白かった。

千葉さんは、綺麗にノートを取るよりも、ジャンル横断的に、
気になったことをランダムに、字も速記風に書いたノートのほうが、
思いがけないアイデアが生まれることがあることをツイートしていたのだが、
これは、まったく同感で、私も気になったことを何でもメモするノートをいつも用意している。


メモ帳やレポート用紙だと散逸してしまうし、あとで整理するのは二度手間になるので、、
肝心なのは、一冊に綴じられたノートを使うことだろう。


私の場合、詩想をメモする創作ノートと、シュルレアリスムやフルクサス、視覚詩や田村隆一など、
とくに関心のある項目は、ジャンルごとにノートを用意しているが、
気になったことをランダムにメモするノートが、
結局、いちばん仕事の役に立っているかも知れない。


ノートは、使いきることを考えて、薄手のものを選ぶようにしている。

別に特別なものではなく、いちばんよく使っているのは無印良品のノートで、
これはストックを切らさないようにしている。


今年、使おうと思っているのが、写真のエルメスのブロックノート。

エルメス・オレンジの箱に、薄い10冊のノートがセットされている。

免税店で求めても1万5千円ほどしたが、ノートはノート、使わないことには意味がない。

このノートに、どんな詩想やアイデアを書くことになるのか、楽しみだ。


松浦弥太郎「暮らしの手帖」編集長の『日々の100』で紹介されていた
エルメスの革表紙のロールノートも持ち歩くのによさそうで、探しているのだが、
日本でも海外でも、見つからない。

もう製造中止になったのだろうか?


無印良品で、万年筆でも書ける上質紙のノートを見つけたので、
これも2冊、購入してみた。

私は、長時間乾燥の手作り中性紙の満寿屋の原稿用紙を使っているのだが、
満寿屋がノートを作り始めたので、これも試してみたいもののひとつ。


携帯のメモ機能を利用することもあるが、若い千葉さんでも、
ノートに手書きするという昔ながらの方法が、発想の元になるというのだから、
やはり、どんなにPCが普及しても、紙以上の記録媒体を、人類は、いまだに持ちえていないということなのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 10:42| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

「Prelude 前奏曲〜東日本大震災復興支援文集2011」(東日本大震災復興支援文集編集委員会)

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岩手県高等学校文化連盟文芸専門部の呼びかけによる「東日本大震災復興支援文集2011」が完成した。


B5版64ページ、この冊子は被災地の高校に無料で配布されるもので、
岩手県出身の作家や有名人、また東北に縁がある方々の寄稿で構成されている。


執筆陣は瀬戸内寂聴、山折哲雄、高橋克彦、新井満、伊集院静、内館牧子といった諸氏から、
「ドラゴン桜」の漫画家、桜木健二氏まで、実にユニーク。


私もエッセイ「決して奪われないもの」を寄稿している。


編集長は岩手県立不来方高校の八重樫久美子教諭が担当された。


一般に頒布しているのかは分からないが、興味のある方は、下記までお問い合わせを。

川口印刷工業
TEL019-632-2211
posted by 城戸朱理 at 11:33| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月19日

12月19日、今日の「毎日新聞」夕刊に「今年の詩」掲載

今月は「毎日新聞」の月評「詩の近景・詩の遠景」は休載。

かわりに、今年一年の詩を回顧する「今年の詩」が、今日の夕刊に掲載される。


東日本大震災以後の震災詩の双璧、
和合亮一『詩の礫』(徳間書店)と
辺見庸『眼の海』(毎日新聞社)
詩壇の話題を呼んだ福間健二『青い家』(思潮社)、
それに吉増剛造『裸のメモ』(書肆山田)、
渡辺玄英『破れた世界と啼くカナリア』(思潮社)、
以上5作を、今年の際立った詩集として取り上げて紹介した。

興味のある方は、御一読を。
posted by 城戸朱理 at 13:06| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月12日

書き下ろしの西脇順三郎論、版元決まる

来年は、西脇順三郎没後30年。

かねてから、時間を取って、西脇論を一冊、書き下ろすつもりでいたが、
ありがたいことに、出版社が決まった。

しかし、版元が決まっても、まだ1枚も書いてはいないのだが。


懸案の仕事を終えたら、来年の後半に、この仕事をしたいと思っている。

刊行は、書き終わり次第なので、早ければ来年中、
遅くとも再来年には形にすることが出来ると思う。


また、「表現者」に連載した骨董や工芸、そして茶の湯をめぐるエッセイ「日本人の眼」も、
版元が決まり、出版の形態を、これから相談することになるが、
こちらは軽便な版での刊行が似合うかも知れないと考えている。


ほかの単行本は、『漂流物』、そして詩論集『都市の文書』(仮)が、
すでに原稿を思潮社に預けてあるが、
「現代詩手帖」短期集中連載の詩論「洪水のあとで」が終わり次第、
『潜在性の海へ』以降に書いた詩論を集成する
『アンティ・コスモス』の入稿原稿をまとめるつもりなので、
こちらも、来年なかばには思潮社に原稿を渡すことになる予定である。
posted by 城戸朱理 at 11:36| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月12日

今日の「日本経済新聞」にコメント掲載

「日本経済新聞」11月12日朝刊、文化欄に
「欧米古典詩 新訳に新味」という記事が掲載されている。


アルチュール・ランボーについて、鈴村和成氏が、
トリスタン・ツァラについて塚原史氏が、
そして、T.S.エリオットについて、私が語っているのだが、
詩の翻訳の意味を考えるうえで、重要な示唆を孕む記事になっている。


興味のある方は、御一読を。
posted by 城戸朱理 at 12:10| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月21日

「毎日新聞」に詩の月評が掲載

昨日の「毎日新聞」10月20日夕刊に詩の月評「詩の近景・遠景」が掲載された。


今回、取り上げたのは、次の3作。


和合亮一「詩の礫」(「思想地図beta」第2号、contectures)

粒来哲蔵『蛾を吐く』(花神社)

吉増剛造『裸のメモ』(書肆山田)


和合亮一の「詩の礫」は、ツイッター発表時のドキュメンタルな要素を排し、
長篇詩として再構成した雄篇である。


詩は、潜在的に危機を内包している。

その実例として、3人の詩人の作品を検証した。


興味のある方は、御一読を。

城戸朱理
posted by 城戸朱理 at 10:52| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする