サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ: 骨董・工芸

2020年01月21日

京都の骨董屋で見つけたもの

IMG_0514.JPGEffect_20200120_142450.jpgEffect_20200120_142427.jpgEffect_20200120_142408.jpg



京都にいるとき、バンビことパンクな彼女が、寺町の骨董屋に行きたいといいだした。


バンビのお目当ては、アンティークbell。

手足が付いた怪しいセルロイドの小さなダルマをありったけ買い占めたり、右耳だけ垂れた奇妙なウサギのヌイグルミを買ったりしたおかげで、店員さんに顔を覚えられ新年の挨拶をしているではないか。

今回も潰れかけたセルロイドの不気味なキューピーを買っていたが、何に使うのかは謎である。


私は底が分厚くなった脚付きのグラスを取り上げた。

シングルモルトを注ぐと、ウィスキーが弾丸のような形になる。

フランスの20世紀前半のものではないかということだったが、ウィスキーの立ち姿、という言葉が、ふと浮かび、このグラスと頑健な出で立ちの李朝の鉢を買うことにした。



さらに寺町の大吉へ。

店頭にオランダ、デルフト窯の輪花風の盃があって惹かれたが、いざ使うかというと分からない。

17世紀のものだが、白デルフトが気になっていたころなら、迷わず求めたかも知れない。


ここでバンビが気になったのが革製の丸いケース。

私はルーペだろうと思って、手に取ってみなかったのだが、これが伸ばして、取手を起こして外側に倒すとカップになるという携帯用のステンレス製ショットグラス。

スキットルと一緒に持ち歩けば、ホテルの部屋でも車窓でも、自分専用のバーになる。


戦前に趣味人が注文して職人に作らせたものということだったが、なかなか洒落ているではないか。

最近では、こんな無駄を楽しむ人もいなくなったような気がする。


いずれも、ささやかな買い物だが、探すとなると見つからない。

こんなものとの出会いも、また楽しい。
posted by 城戸朱理 at 11:44| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月20日

京都で選んだ百年前のコップ

IMG_0717.JPG



2013年から2018年まで、桜が満開になる時季は京都で過ごしたが、2年前のこと。

常宿の糸屋ホテルに帰るとき、いつもは通らない高辻通りを歩いていたら、なぜか電気屋の店頭で古いガラス器を売っていた。

私はビールによさそうな戦後のグラスを100円で買ったのだが、バンビことパンクな彼女が、また覗いてみようと言うので、散歩がてら行ってみたら、なんと以前より大量のガラス器が棚に並んでいるではないか。

しかも、店頭のものとは違って、およそ百年前、大正時代のグラス類である。


さすがに値段は店頭のものよりは高かったが、それでも骨董屋で見かけるものよりは、はるかに安い。

グラスが好きなバンビは、職人がさまざまな模様を手彫りしたグラヴィエールのコップを選び、私は、またもやビールによさそうな底の厚いグラスを求めることにした。

グラヴィエールは明治初期にイギリスから伝えられた技法だが、大正時代になると模様が完全に和様化しており、今になると新鮮なものがある。


包んでもらいながら、なぜ電気屋でガラス器を扱っているのか尋ねたところ、「戦後、電気屋になった店は、戦前はガラス屋だったんです」という思いがけない答えが。

日本全国で電化が進んでいったとき、ガラスメーカーは、こぞって電線に取り付ける絶縁のための碍子を作るようになり、ガラス屋も電気屋に鞍替えしていったのだそうだ。

今、棚に並べているのは、倉庫で忘れられたままになっていたデッドストックのガラス器で、すべて大正時代のものだという。

面白い話が聞けるものだと思ったが、私たちには想像ができないほどの生活の変化が20世紀にはあったのだろう。

それは、今でも変わらない。
posted by 城戸朱理 at 16:56| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月12日

京都、ごだん宮ざわの器使い

IMG_0365.JPGIMG_6629.JPGIMG_6631.JPGIMG_0340.JPGIMG_0352.JPG



ごだん宮ざわは、小さな店だし、海外のお客様が増えたせいもあって、予約が取りにくくなった。

今回も満席だったが、隣に小森松庵の手びねりのぐい呑みを持ち込んでいる若い数寄者のお客さんがいた。

聞けば、ご両親と「ごだん宮ざわ」目当てに博多からいらっしゃったのだという。



一年ぶりの「ごだん宮ざわ」は、予想通り、新しい器が増えていた。

博多の数寄者が宮澤政人さんに去年の買い物でいちばん気に入っているものを尋ねると、「どれも出会いがあって、うちに来たものですから」と宮澤さん。



「出会ってしまったら仕方がないですよね。
天国なのか、地獄なのか」



博物館級の器で、素晴らしい料理がいただけるのだから、客にとっては極楽だが、たしかに支払いのことを考えると、地獄でもある。



今回、お薄は野々村仁清の三玄院天目茶碗で出された。

これは去年の1月に初めて見せていただいたものだが、仁清が大徳寺三玄院に二百個納めた名高い茶碗で、宮澤さんは、そのうちの五客組に出会ったのだという。

さらに初見の鉄釉をかぶった端整な割山椒の向付が五客組で並んでいたが、これも仁清。


お造りのときの千鳥文の絵志野は、完器の伝世品で、桃山時代の本歌。


古染付や尾形乾山も増えていたが、モダンな意匠の京和蘭陀も、オランダ写しに乾山が使う陶印があった。

乾山と言えば書き銘だが、オランダ写しだけは陶印を用いている。



ただし、「ごだん宮ざわ」では、聞かないかぎり器の素性や由来を語ることはない。

あくまでも料理を引き立てる器として、さりげなく出される。

それがまた楽しい。
posted by 城戸朱理 at 00:44| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月28日

イギリスのアンティーク・ジュエリー〜新元号「令和」が発表された日に

IMG_9571(1).JPG



クリスマスだからだろうか、春先に奇妙な買い物をしたのを思い出した。

十字架型のアンティークのアクセサリーである。



新元号「令和」が発表された日のこと、散歩の途中でふらりと立ち寄った鎌倉のアンティーク・ショップにイギリスのアンティーク・ジュエリーが大量に入荷しているのを見つけた。


バンビことパンクな彼女は、イギリス文学を専攻しただけあって、英国好き。気になるものを選んでいたが、私も不思議なことに、写真のジュエリーが気になった。

生涯で何度もあるわけではない改元という出来事に、気持ちが華やぐところでもあったのだろうか。

今でも分からないが、ふと取り上げ、なぜかは分からぬままに購入を決めた。



19世紀末から20世紀初頭、ヴィクトリア朝かエドワード朝のものということだったが、エズラ・パウンドがロンドンにいたころものかと思ったのも買うきっかけだったかも知れない。


私の誕生石であるエメラルドを真ん中に、小さなダイアがちりばめられ、クロスの端にはルビーがあしらわれている。

身につけることなど考えられないが、ときおり取り出して眺めている。
posted by 城戸朱理 at 00:49| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月24日

mad bambiの骨董、その3

IMG_9526.JPGIMG_9529.JPGEffect_20191122_170713.jpg



骨董屋を回っているとき、私が見過ごしてしまったものをバンビことパンクな彼女が取り上げることがある。


古伊万里の赤絵輪線文蓋付茶碗もそのひとつ。

江戸中期のものだが、「これにかぶら蒸しを盛り付けたら美味しそうだよ!」とバンビが言うので求めることにした。


伝世品の天目茶碗は瀬戸で焼かれたもの。

これも古伊万里茶碗と同じく、江戸中期まで上がりそうだが、使い込んだ肌が気に入ったバンビが「城戸さんはお茶碗をたくさん持っているけど、バンビはないんだよ。これでお茶を点てるから買ってあげて!」と騒ぐので買ってあげたもの。

バンビは、この茶碗でお薄を点てては「ちゅーっ!」と喫している。


古伊万里は東寺に近い骨董屋で、瀬戸の天目茶碗は寺町の骨董屋で求めたものだが、パンクには珍しく、まっとうな買い物と言えそうだ。
posted by 城戸朱理 at 11:35| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月23日

mad bambiの骨董、その2

Effect_20191122_170543.jpgEffect_20191122_170604.jpgEffect_20191122_170631.jpgEffect_20191122_170528.jpg



出光美術館の学芸員をされている柏木麻里さんが「明治、大正から昭和初期にかけての戦前に、かわいいものってありますよね」と語られていたが、バンビことパンクな彼女も、よく、そのあたりのものを掘り出してくる。

もっともバンビの場合、時代は関係なく、絵付けが面白いとか可愛いとかいったパンクな基準があるらしい。


ガラス器はバンビが好きなもののひとつだが、プレスガラスの小皿は手塩皿に、リキュールグラスほどの小さなカップはビネガーやオリーブオイルを入れるのに使う気らしい。



小皿も、当然、絵付けの面白さで選ぶことになる。

明治の銅版転写による印判手の小皿は「ハート型だよ、珍しいんじゃない!」と言って、鎌倉の骨董屋でバンビが買ったものだが、これはハートではなく、吉祥文の桃を窓絵にして富士山を描いたものだろう。

もう一枚は、バンビが言うには「珍しくも踊る福助」ということになる。

大正あたりの美濃の産だろうか。



円山応挙を思わせる仔犬の絵皿は、バンビが大事にしているもので、金彩がはげないよう、あまり使わないようにしているようだ。

とぼけた仔犬がなんともいい味を出しているが、わが国の絵皿には、猫よりも犬の絵柄のほうが多いような気がする。


江戸時代後期に賀集民平が開窯した淡路焼は、黄釉や緑釉を施した小判型や角型の小皿をよく見かけるが、バンビが京都で選んだのは、関東では、あまり見かけない黄釉の桃型の小皿と花図絵付け皿。

緑釉の竹を模した小鉢は、私が以前、見つけたものだが、こういった小さな色とりどりの器は、食卓を賑やかにしてくれるのがいい。


淡路焼の竹を模した大きな鉢もあるのだが、そちらは、主にとろろを作るときに使っている。


ほとんどが京都の寺町あたりの骨董屋でバンビが取り上げたものだが、こうして食器棚には、パンクな骨董が増えていくのだった。
posted by 城戸朱理 at 00:02| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月21日

エルメスのトートバッグ

IMG_6760.JPG



仕事柄、大量の本や資料、ゲラなどを持ち歩くことが多いので、バッグも容量が大きいトートバッグを使うことが多い。

とりわけ、旅に出るときは、スーツケースを宅急便で手配しておいて、トートバッグひとつで出かけると身軽に動ける。



革製のトートバッグは、いくつか持っているが、10年以上使っているバッグのひとつがエルメスのトートバッグだ。

「タール」というモデルで、20年近く前に買ったもの。

今では廃盤になっている。


素材は雌仔牛の革を使ったヴァシェット・クリスベ・フィヨルド。

革本来の風合いを生かしたマットな表情で、ナチュラルな型押しがされているため、柔らかく、傷つきにくく、耐水性もある。

普段使いするには、容量がやや大きいが、旅行にはうってつけで、今でも愛用している。


エルメスの革製品の凄さは、その素材にある。

動物の「皮」は鞣しの工程を経て「革」になるわけだが、その工程を担うのがタンナーになる。

エルメスは、素材の安定供給のため、世界最高峰のカーフのタンナーとして知られるフランスのデュ・プイ社、アノネイ社を傘下におさめ、良質な革のなかでも、わずか数%という最高の革を調達している。

世界最高の素材を使って、ひとりの職人が全工程を担当、手作業でバッグが作られているため生産数に限りがあり、供給が追いつかない状態になっているが、エルメス以上のレザーバッグは考えらないというのも現実だろう。

欠点はーー値段があまりに高すぎること。

だが、メンテナンスを頼むと新品同様になって戻ってくるし、修理などアフターサービスも完璧なので、そこまで含めた値段ということなのだろう。


レザーバッグの手入れは乾いた布で、から拭きするのが基本で、乾燥してきたらクリームを入れるようにしている。

クリームは、エルメスも使っているサフィール・ノワール。

食品並みの衛生管理のもと、天然素材で作られるサフィールのクリームは、アロマセラピストの資格を持つ家人でも驚くほど香りがいいうえに、革への馴染みもいい。
posted by 城戸朱理 at 12:53| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月20日

mad bambiの骨董、その1

IMG_6691.JPGIMG_6693.JPG



バンビことパンクな彼女は、意外なことに骨董屋を覗くのが好きで、古い写真や葉書などをよく買っている。


だから、私が骨董屋を回るときには必ずついてくるのだが、紙類以外に何か買うとなると、パンクなだけに、何に使うのか見当もつかない、怪しいものばかりである。


京都の寺町の骨董屋さんでは、掌に乗るほどの小さなセルロイドのダルマ、しかも手足がついた不気味なヤツをありったけ買って以来、バンビは店員さんに「あのダルマのお客さん」として認識されたようで、年に数回しか行かないのに挨拶されるようになってしまった。


今年の1月に京都に行ったとき、バンビが骨董屋で買ったのは、古いウサギのヌイグルミ。

右耳が垂れているところが気に入ったらしい。

何に使う気なのかは分からない。


もうひとつは、赤絵の盃なのだが、見込みは梅にウグイス、胴は波に千鳥と、いかにもバンビ好みの絵付けのうえ、盃自体が笛になっており、バンビがこの盃を持ち出すとピーピーうるさいという困った代物である。

つまり、これは盃としてではなく笛として使われていることになる。

大正から昭和初期のものだが、バンビの場合、時代などは関係ない。

自分が面白いと思えば、それでいいらしく、小遣いで買えるものは自分で買っているし、すこし高いものになると「買ってあげて!」と私のところに持ってくるのだった。


パンクなだけに油断大敵、さらなる注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 13:18| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

ソウル、仁寺洞の骨董屋で

IMG_8850.JPGEffect_20191117_161949.jpgIMG_8645.JPG


8月24日、帰国前に久しぶりに仁寺洞(インサドン)を歩いてみた。

10年前までは伝統工芸品と骨董屋が並ぶ街だったが、今ではすっかり観光地化して、骨董屋もほとんど見当たらない。

裏通りに李朝の白磁の大壺が目立つ店があったが、仁寺洞通り(インサドンキル)に面した長生壺は健在だった。

以前、中沢けいさんと訪れたこともある。


日本では三島手と呼ばれる粉青沙器の徳利なども並んでいたが、どれも大きすぎて花入れにしか使えない。

何も買う必要はなかったのだが、バンビことパンクな彼女が「これがコロっとして可愛いよ」と言うので、李朝後期の白磁の小鉢を求めることにした。

古伊万里のコロ茶碗に似た形だが、小鉢なのか、薬湯を飲むための茶碗なのかは分からない。

ただ、普段使いできる頑健な作りで、手にも馴染む。


かつて東大門(トンデムン)市場の清渓川(チョンゲチョン)ぞいに建ち並んでいた骨董屋は、再開発のため、長安坪(チョンアンピン)に移転し、清渓川は、今やソウル市民の憩いの場となっているが、ソウルは、すべてが近代化され、綺麗になってしまった感がある。

朝鮮王朝時代に貴族階級の両班(ヤンパン)の住まいが軒を連ね、文化の街として知られていた仁寺洞も、例外ではないということか。
posted by 城戸朱理 at 01:07| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月17日

町田天満宮の骨董市で

IMG_8420.JPGIMG_9471(1).JPGIMG_9477.JPG



今年の夏も暑かった。

猛暑のなか、バンビことパンクな彼女が久しぶりに町田天満宮の骨董市に行こうと言い出したのは8月1日のこと。

何をしていても暑い。

どうせ暑いのなら、炎天下、骨董市に行くのもいいかと思ったのだが、歩いているだけで汗が噴き出してくる。


久しぶりの町田の骨董市はずいぶんと様変わりしていた。

戦後、昭和中期の物が増え、客もまばらで、活気がない。

酷暑のせいかも知れないが、景気を反映しているのだろう。


驚いたのは、昭和後期から平成にかけて、骨董の代名詞だった古伊万里が激しく値崩れしてしまったことで、酒盃になりそうな更紗文の猪口を求めたのだが、以前の半値どころか、四分の一くらいの値付けだった。


かつては西荻窪に店があった「しろねこ家」で見つけたのが、李朝の平茶碗。

李朝初期、15〜16世紀の所産で、どうということもない茶碗だが、見たとたんに、これでお茶漬けを食べたら涼しげだろうと思って手に取った。


バンビが町田に行きたがるのは、柿島屋で馬刺しとさくら鍋か、いくどんで焼肉を食べさせてもらおうという魂胆なのは分かっている。

この日は、いくどんで炭火の煙に巻かれながら焼肉とビールで暑気払いをした。
posted by 城戸朱理 at 16:23| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都、東寺の骨董市で

IMG_6501.JPGIMG_6504.JPGIMG_6686.JPG



今年は骨董屋も骨董市も、ろくに覗いていないが、1月に番組ロケの合間を縫って、石田瑞穂くんと東寺の弘法市に立ち寄ることができた。

地元で「弘法さん」と呼ばれ、親しまれている弘法市は、骨董市と言っても縁日のようにたこ焼など食べ物の露店や漬物や干物など、さまざまな店が並ぶので、そぞろ歩きしているだけで楽しい。


瑞穂くんは酒器を中心に見ている。


木箱を並べて、大量の盃や猪口を売っている業者さんがいたので、ふたりで漁ってみた。

幕末、明治あたりから昭和中期のもので、500円均一。

同手のものを探して、二十客ほど買っていた先客がいたが、お店で使うのだろう。

東京と違って、京都だと骨董を使っている店が多いが、居酒屋でも江戸後期から幕末あたりの器を使っている店は少なくない。

こんなふうに、毎月、21日に開催される東寺の弘法市や24日の北野天満宮の天神市などで、みつくろうのだろうか。



私が選んだ盃は二点。

雑多な盃のなかでは比較的、古手で幕末から明治あたりのもの。

盃として使うかは分からないが、珍味を盛ってもいいだろう。

なにせ、ふたつで1000円である。


弘法市では韓国の業者が必ず出店しており、李朝の白磁などを並べているが、そこで求めたのが高麗青磁の輪花小皿。

鈍い発色で発掘品だが、14世紀あたりのものだろうか。


いずれもコートのポケットに納まる小さな、そして、ささやかな買い物だが、せっかく骨董市に出かけるのなら、何かひとつでも見つけて帰りたいと思うのが、病人の心理である。
posted by 城戸朱理 at 00:34| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月01日

「レジブクロ」という名の革製バッグ

Effect_20191030_195142.jpg



衣類やレジ袋、食品の包装やトレー、食器から歯磨き粉、化粧品に至るまで、私たちの生活の至るところでプラスチックが使われている。

そして、プラスチックは廃棄すると微細に砕けていくだけで、半永久的に消滅することがない。

1mm以下のマイクロプラスチックになって、風に舞い、海洋を汚染していく。

マイクロプラスチックによる海洋汚染が生態系の破壊につながることが意識されるようになってから、世界的にプラスチックの使用量を減らす取り組みが始まっているが、
年間で900万トンのプラスチックゴミを出しているにもかかわらず、日本は、欧米に比べて明らかに対応が遅れている。

このまま、マイクロプラスチックの海への流入が止まないと、2050年には、海の全海洋生物を、海中のプラスチックの重量が凌いでしまうという試算もあり、マイクロプラスチックは、今や地球温暖化と並ぶ環境問題になっている。


日本ではまだスーパーでもコンビニでも、当たり前のようにプラスチックバッグが使われているが、エコバッグを持つとしても、プラスチック製では環境破壊の元になってしまう点で変わりはない。

布製を選ぶしかないが、薄手の布のバッグは貧相だし、革製となると小さくたたんで携帯することができない。


そんなときに出会ったのが、RENのバッグだった。

日本のブランドであるRENは、独自の加工法やカラーリングのオリジナルレザーのピッグスキン(豚革)やゴートスキン(山羊革)を使った革小物とバッグの工房で、とりわけ、革のなかでも、もっとも軽くしなやかなピッグスキンを使ったバッグは独特の風合いを持つ。

丸の内にもショップがあるのを知って、東京に出かけたときに寄ってみた。

消費税増税前に購入したのは、写真の豚革バッグで、商品名はなんと「レジブクロ」。

たしかにレジ袋と同じ形をしている。

エコバッグをいつも持ち歩いているバンビことパンクな彼女も欲しそうにしていたので買ってあげることにしたのだが、バンビには白を、私は黒を選んだ。


豚革は軽いだけではなく、使い込むにしたがって、馴染んでくったりと柔らかくなっていく。

「くったり」としか言いようのない柔らかさになるのだが、実にいい風合いになる。

丸めてバッグのなかに入れられるので、エコバッグとして使うだけではなく、大量に本を持ち運ぶときのサブバッグにもなるだろう。


豚革は唯一、国内で自給できるレザーだが、牛革や馬革に比べると傷が多く、個体差も激しいため、高級品には使われない。

それを逆手に取って、革本来の風合いを生かした物作りをしているところが面白い。

おまけに「レジブクロ」という商品名、洒落が効いているではないか。
posted by 城戸朱理 at 12:38| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月31日

馬具メーカーの万年筆ケース

IMG_6270.JPGIMG_6273.JPG



10月1日から、消費税が10%になった。

増税前の駆け込み消費も低迷したままで、日本経済の体力がなくなったことをあらわにした感がある。

今や、日本の国民ひとり当りのGDPは約3万9千ドルで、香港やニュージーランド、アラブ首長国連合にも抜かれ、世界で26位。

厚生労働省の発表によると、今年に入ってから、すべての月で、実質賃金指数も下がり続けている。

それだけに、今回の増税は消費者に大きな打撃となった。

日本の非正規労働者は就労人口の4割に達し、国民の7人に1人が貧困に苦しんでいる。

日本は貧しくなったし、これから、さらに貧しくなっていくのだろう。



わが家でも、増税前に何か買い足すべきものはないか考えた。


「ないよ〜。必要なものはみんなあるよ。
増税したら、もう何も買わないよ〜」とバンビことパンクな彼女。


たしかに去年あたりから、10月の消費税増税をにらんで、買い替えが必要なものは買うようにしていたので思いつくものはない。



写真のペンケースもそのひとつ。

皇室にも納入している日本唯一の馬具メーカー、ソメスがパイロットとコラボした万年筆用のペンケースである。

ソメスの革製デスクマットも10年以上、愛用しているが、ペンケースも頑健な作りで、万年筆を間違いなく保護してくれる。

セットしてあるのは、モンブランのマイスターシュテュック146と149、デルタのエボナイト軸のローマ・インペリアーレとドルチェ・ビータ・オーロ、それにペリカンのスーベレーン400と、私の主力の万年筆。

ペリカンのかわりにパーカーの「ビッグレッド」こと赤のデュオフォールドを持ち歩くこともある。

田村隆一さんが晩年、使っていたのは黒のデュオフォールドだった。


デルタのドルチェ・ビータは藤沢周氏も持っていると言っていたが、イタリアを代表する万年筆メーカーだったデルタは、2018年2月に廃業してしまった。

美しい万年筆を作る会社だっただけに残念だ。


いちばん古いモンブランの149は、もう30年使っているが、このペンケースは何年、使うことになるのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 09:15| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月21日

韓国、廣州窯の白磁

IMG_5355.JPG



骨董の世界、とりわけ茶道具に関しては箱書きが重視されるが、それはこれまで誰が所持してきたかという伝来を尊ぶからで、それとは別に真贋の保障となる鑑定の箱書きもある。

この箱書き、作家物の場合は遺族がすることが多い。


陶磁学者や陶芸家が、古作の箱書きをすることもあるが、なかでも絶大な信頼が寄せられているのは古山子(小山冨士夫)だろう。

世界的な陶磁学者だった古山子は、その晩年、作陶にいそしんだが、本人が酒豪だっただけに酒器は、とりわけ魅力がある。

小山さん自身は、中国の明時代の染付や高麗青磁、李朝、古唐津や初期伊万里など、さまざまな古器で晩酌されていたようだが、そのコレクションは書籍や雑誌で何度か紹介されている。


そのなかで、私が気になったのは、現代の韓国で焼かれたという廣州窯の白磁盃だった。

小山さんは次のように書いている。



「上の左は韓国の広州で今つくっている盃だが、
私のつくるものなどより、はるかに酒がおいしく、そしてのみいい。
晩酌はたいがいこれにしている。
ソウルの街で日本金にして二百円で買ったものである」



この記述がある『ぐい呑み楽し』(光芸出版)が刊行されたのは、昭和46年(1971)。

『値段の風俗史』(朝日新聞社)によると、当時はタクシーの初乗りが100円、ビールの大ビンが120円、映画の封切り館の料金が700円だったそうだから、200円は今なら800円くらいの感じだろうか。

ぐい呑みの値段としては、破格に安い。


韓国には、そんな手頃で使いやすい焼き物があるのかと羨ましく思ったものだが、10年ほど前にソウルを訪れ、仁寺洞(インサドン)を歩いているとき、廣州窯のお店を見つけた。

当時のソウルは、どちらを向いてもハングルばかりで、中を覗いてみたないと何の店か、分からなかったが、廣州窯だけは珍しくも漢字の看板が出ていたので、ひと目で分かった。


これが小山さんが書いていた廣州窯かと、いささか興奮し、ぐい呑みや小皿を求めたのだが、白磁のぐい呑みは3000ウォンと3500ウォンで、300〜350円ほど。

小山さんよりも安く買ったことになる。

口径15cm、馬盥型の白磁皿も、重宝している。


翌年、再訪して求めた陶器の筒盃は、やや高かったが、それでも1000円ほどだったろうか。

こちらは灰色の胎土に白化粧土をかぶった粉引と同手の焼き物で、使うほどに経年変化が楽しめる。


たしかに使い勝手はいいし、韓国に行くたびに食器類も少しずつ買い足していこうと思っていたのだが、次に行ったら、廣州窯のお店じたいがなくなっていた。


韓国にも久しく行っていない。

『リナ』に続く長編小説『ライティングクラブ』の邦訳が出たばかりの作家、カン・ヨンスクさんから久しぶりに連絡をいただいたが、また韓国を旅してみたいものである。
posted by 城戸朱理 at 16:38| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月04日

光原社で買ったもの〜角盆

IMG_4995.JPG



配膳用に使っていた鎌倉彫りの長方盆を落として割ってしまったものだから、大きめの丸い独楽盆を使っていたのだが、丸盆は収納がむずかしい。


角盆なら食器棚に収まるので、去年から探していたのだが、4月に盛岡に行ったとき、光原社の支店、北ホテル一階の「北の光原社」で、ようやく理想の長方盆と出会うことができた。

朴訥としながらも手強いデザインの、このお盆は、柳宗悦、河井寛次郎、松本民芸家具の池田三四郎ら、民芸運動を主導した方々が所持されていたもので、オリジナルは19世紀のアメリカ製なのだとか。

柳宗悦がハーバード大学の客員教授として渡米したおりに見つけたものだろうか。


光原社では、盛岡の木地師に頼んで同じ形の物を作り、自社工房で仕上げたそうだが、その最後の一枚だという。

特別に製作されたものだけに安くはなかったが、探していた角盆であり、しかも力強い形をしている。


これなら、一生使えるだろう。

少し迷ってから購入を決めたが、かさばるので、宅急便で送ってもらった。


目下、わが家は片付けの真っ最中なので、それが終わったら、このお盆を使いたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 14:17| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月18日

絵唐津の茶碗

IMG_2630.JPGIMG_2635.JPG



父方の祖父が京都で骨董屋だったというだけあって、加藤恭一さんは長いこと、骨董に親しまれている。

モダンなお住まいには、さりげなく古器があしらわれ、話題が骨董に及ぶと、志野といえば志野が、初期伊万里といえば初期伊万里が、次々に出てくるのには驚くしかない。


この日は唐津の話になったのだが、加藤さんがどこかに行ったと思ったら、居間のテーブルに茶碗が八つほど並んだ。

作家物の唐津がひとつ、あとは古作の唐津と李朝である。


ひとつずつ手にしてみたのだが、一目で唐津と分かるものもあれば、李朝か、唐津か、判別できないものもある。

唐津は、周知の通り、豊臣秀吉の文禄・慶長の役のときに、朝鮮半島から連れてこられた陶工が始めた焼き物であり、李朝とは兄弟のようなものだから、当然かも知れない。


あれこれ話しながら、掌にちょうど収まる絵唐津の茶碗を愛でていたら、「城戸さん、それが気に入ったようだね。持っていけば」と加藤さん。


加藤さんからは、李朝の刷毛目盃、粉引盃から始まって、あれこれいただいたが、こうして絵唐津茶碗も、わが家に到来することになった。



桃山から江戸初期の古唐津だが、掘りの手で灰釉は風化しており、呼び継ぎもあるものの、見込みは綺麗で、何よりも形がいい。

ころりとしていて、これが私の手にちょうど収まるサイズなのだ。


鉄絵は何を描いたのか分からないほど単純で、素朴このうえない。


鉄分の少ない砂目のさくりとした土で、窯は特定できないが、もともとは飯茶碗として焼かれたものだろう。


さっそく、お茶を点ててみたが、茶碗としてだけではなく、御飯茶碗に、小鉢に使い倒して、どう変わっていくのかを見てみたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 00:08| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月14日

光原社で買ったもの、その2〜陶磁器

IMG_2620.JPGIMG_2627.JPG



光原社で目についたものに、一群の白磁の器があった。

磁器なのにフォルムが柔らかく、白の階調も李朝に通じるものがある。

会津で白磁と青磁を焼いている五十嵐元次さんの作で、どれも好ましい。

最近、コーヒーに凝っているバンビことパンクな彼女が気に入ったのは湯呑みだった。



「この湯呑みは、上からみると梅の形をしているよ!
これにコーヒーを淹れたら、コーヒーが梅の形になるんだよ!
磁器だから染みにもならないし、コーヒー用に買ったらいいんじゃないかな?」



バンビの意見を容れて、湯呑み二客と手塩皿二客を選んだ。


もうひとつ、気になったのは御飯茶碗である。

奈良茶碗のように高台が高く、手早い網手文は、くらわんか手に通じるものがある。


「くらわんか」とは、江戸時代に淀川を行き来する三十石船を相手に「飯、くらわんか、酒、くらわんか」と声をかけながら酒食を売っていた煮売り屋が使っていた粗磁で、波佐見や砥部で焼かれたもの。

使い捨ての雑器ながら、逆に雅味があって、古陶好きに喜ばれる。


この江戸時代の雑器にならって、無印良品でも波佐見焼きの「くらわんか飯碗」を売り出したことがあった。


光原社で手にした御飯茶碗は、無造作な絵付けが、より、くらわんか手を思わせるところがある。

くらわんかに通じる趣の器が、今日でも焼かれているのは喜ばしいことではないか。


サイズ的には女性用なので、バンビの替え茶碗として求めることにした。
posted by 城戸朱理 at 08:47| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

光原社で買ったもの、その1〜漆器

IMG_2614.JPG



3月のこと。岩手大学での宮澤賢治のシンポジウムが終わった翌日は、久しぶりに光原社をゆっくりと見て歩いた。


光原社は、日本全国の民芸品のほかに漆器の自社工房を持っており、国産漆の過半を産する浄法寺町を控えているせいもあって、良質な漆器を扱っている。

定番として作り続けられている物がほとんどだが、ときどき見たことがない作が並んでいることもあって、これがまた素晴らしい。

赤と黒を塗り分けたモダンな茶托なども、その例だが、これは以前求めたもので、この意匠は数回しか作ったことがないそうだ。


今回、求めた三色盆も初見の品で、迷わず購入を決めた。

酒器を選んで晩酌するとき、お盆があるだけで結界が生まれる。

この三色盆には、李朝の白磁徳利と盃を置いたら似合うだろう。


秋の新酒を汲むときに使おうと思っている。
posted by 城戸朱理 at 08:41| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

当たり前のもの

IMG_1641.JPG



ここしばらく、古備前の徳利と斑唐津の盃で晩酌している。


桃山の古備前徳利と古唐津の盃は、古陶好きの酒徒、垂涎の取り合わせだが、これは戦前あたりから、やかましく言われるようになったものらしい。

だが、江戸時代にも「備前徳利、お酒が旨い」と里謡に囃されていたくらいだから、備前の徳利が酒を旨くすることは広く知られていたのだろう。


若いときは、熱に浮かされたように出会いを念じたものだが、いざ入手して使い始めても、渇きが癒えることはない。

病気のようなものだが、年を経て、気づいたら接し方がまるで変わっていた。



桃山時代の古備前徳利は火襷が見事で、箱には古山子(小山冨士夫)の極めがある。

盃は、岸岳の山瀬窯で焼かれた斑唐津。



備前の徳利は、酒の雑味を除き、冬は燗酒をひと肌に保つし、夏に冷酒を満たすと肌に結露して、深山の巖肌を見るようだ。

そして、巖間の清水にも似た清冽な酒を受けるとしたら唐津しか考えられない。

そんなことを思ったりしたのだが、最近は、備前の徳利と唐津の盃と見るだけで十分で、イギリスの鉄製の鍋敷きに湯豆腐の土鍋が来るのを待ちながら、酒を注ぎ、酒を酌む。

器に何かを思い巡らすことはない。

酒器も自分も当たり前のものとして、つまりは「自然(じねん)」として、ここにある。


さらに年を重ねると、備前でも唐津でもなく、徳利と盃にしか見えなくなるのかも知れない。

それは器物との関わりが、熟し切ったときなのだろうか。


時が満つると、変化するものが確かにあるようだ。
posted by 城戸朱理 at 20:09| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月16日

京都のアンティーク・ベルで買ったもの

IMG_2212.JPGIMG_2293(1).JPGIMG_2296.JPG



バンビことパンクな彼女が、昨年の秋に立ち寄ったアンティーク・ベルに行きたいというので、タクシーで向かった。


普段使いできる手頃なものを扱う店だが、バンビが気に入ったのは、幕末の伊万里の小皿である。

直径6cmもない手塩皿で、かつては塩を盛って銘々膳に置かれたものだが、バンビも塩を盛るのだという。

わが家では、海水の天日塩や岩塩など、常時、10種類ほどの塩を使い分けているので、料理に合わせて塩を選び、食卓に出せる手塩皿が欲しいらしい。

こんな小皿を愛でて、桐箱まで注文した前の所有者の心使いにも感じ入るところがあって、購入することにした。


ほかにも清朝の嘉慶年間の花唐草染付け皿が三客あったのだが、バンビが取り皿にいいと言い出した。

わが家では、取り皿に、古伊万里のなます皿を使っているが、なます皿は深さがあるので、バンビは、やや小振りなお皿もあるといいなと思っていたのだという。

こちらは直径15cmほど、時代としては、伊万里の手塩皿より古く、19世紀初頭のものになる。


今回はバンビが選んだ品を購入したが、器も、新作だけではなく、古器を交えると、食卓にも奥行きが生じる。
posted by 城戸朱理 at 08:12| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする