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城戸朱理のブログ: 骨董・工芸

2018年09月21日

韓国、廣州窯の白磁

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骨董の世界、とりわけ茶道具に関しては箱書きが重視されるが、それはこれまで誰が所持してきたかという伝来を尊ぶからで、それとは別に真贋の保障となる鑑定の箱書きもある。

この箱書き、作家物の場合は遺族がすることが多い。


陶磁学者や陶芸家が、古作の箱書きをすることもあるが、なかでも絶大な信頼が寄せられているのは古山子(小山冨士夫)だろう。

世界的な陶磁学者だった古山子は、その晩年、作陶にいそしんだが、本人が酒豪だっただけに酒器は、とりわけ魅力がある。

小山さん自身は、中国の明時代の染付や高麗青磁、李朝、古唐津や初期伊万里など、さまざまな古器で晩酌されていたようだが、そのコレクションは書籍や雑誌で何度か紹介されている。


そのなかで、私が気になったのは、現代の韓国で焼かれたという廣州窯の白磁盃だった。

小山さんは次のように書いている。



「上の左は韓国の広州で今つくっている盃だが、
私のつくるものなどより、はるかに酒がおいしく、そしてのみいい。
晩酌はたいがいこれにしている。
ソウルの街で日本金にして二百円で買ったものである」



この記述がある『ぐい呑み楽し』(光芸出版)が刊行されたのは、昭和46年(1971)。

『値段の風俗史』(朝日新聞社)によると、当時はタクシーの初乗りが100円、ビールの大ビンが120円、映画の封切り館の料金が700円だったそうだから、200円は今なら800円くらいの感じだろうか。

ぐい呑みの値段としては、破格に安い。


韓国には、そんな手頃で使いやすい焼き物があるのかと羨ましく思ったものだが、10年ほど前にソウルを訪れ、仁寺洞(インサドン)を歩いているとき、廣州窯のお店を見つけた。

当時のソウルは、どちらを向いてもハングルばかりで、中を覗いてみたないと何の店か、分からなかったが、廣州窯だけは珍しくも漢字の看板が出ていたので、ひと目で分かった。


これが小山さんが書いていた廣州窯かと、いささか興奮し、ぐい呑みや小皿を求めたのだが、白磁のぐい呑みは3000ウォンと3500ウォンで、300〜350円ほど。

小山さんよりも安く買ったことになる。

口径15cm、馬盥型の白磁皿も、重宝している。


翌年、再訪して求めた陶器の筒盃は、やや高かったが、それでも1000円ほどだったろうか。

こちらは灰色の胎土に白化粧土をかぶった粉引と同手の焼き物で、使うほどに経年変化が楽しめる。


たしかに使い勝手はいいし、韓国に行くたびに食器類も少しずつ買い足していこうと思っていたのだが、次に行ったら、廣州窯のお店じたいがなくなっていた。


韓国にも久しく行っていない。

『リナ』に続く長編小説『ライティングクラブ』の邦訳が出たばかりの作家、カン・ヨンスクさんから久しぶりに連絡をいただいたが、また韓国を旅してみたいものである。
posted by 城戸朱理 at 16:38| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月04日

光原社で買ったもの〜角盆

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配膳用に使っていた鎌倉彫りの長方盆を落として割ってしまったものだから、大きめの丸い独楽盆を使っていたのだが、丸盆は収納がむずかしい。


角盆なら食器棚に収まるので、去年から探していたのだが、4月に盛岡に行ったとき、光原社の支店、北ホテル一階の「北の光原社」で、ようやく理想の長方盆と出会うことができた。

朴訥としながらも手強いデザインの、このお盆は、柳宗悦、河井寛次郎、松本民芸家具の池田三四郎ら、民芸運動を主導した方々が所持されていたもので、オリジナルは19世紀のアメリカ製なのだとか。

柳宗悦がハーバード大学の客員教授として渡米したおりに見つけたものだろうか。


光原社では、盛岡の木地師に頼んで同じ形の物を作り、自社工房で仕上げたそうだが、その最後の一枚だという。

特別に製作されたものだけに安くはなかったが、探していた角盆であり、しかも力強い形をしている。


これなら、一生使えるだろう。

少し迷ってから購入を決めたが、かさばるので、宅急便で送ってもらった。


目下、わが家は片付けの真っ最中なので、それが終わったら、このお盆を使いたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 14:17| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月18日

絵唐津の茶碗

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父方の祖父が京都で骨董屋だったというだけあって、加藤恭一さんは長いこと、骨董に親しまれている。

モダンなお住まいには、さりげなく古器があしらわれ、話題が骨董に及ぶと、志野といえば志野が、初期伊万里といえば初期伊万里が、次々に出てくるのには驚くしかない。


この日は唐津の話になったのだが、加藤さんがどこかに行ったと思ったら、居間のテーブルに茶碗が八つほど並んだ。

作家物の唐津がひとつ、あとは古作の唐津と李朝である。


ひとつずつ手にしてみたのだが、一目で唐津と分かるものもあれば、李朝か、唐津か、判別できないものもある。

唐津は、周知の通り、豊臣秀吉の文禄・慶長の役のときに、朝鮮半島から連れてこられた陶工が始めた焼き物であり、李朝とは兄弟のようなものだから、当然かも知れない。


あれこれ話しながら、掌にちょうど収まる絵唐津の茶碗を愛でていたら、「城戸さん、それが気に入ったようだね。持っていけば」と加藤さん。


加藤さんからは、李朝の刷毛目盃、粉引盃から始まって、あれこれいただいたが、こうして絵唐津茶碗も、わが家に到来することになった。



桃山から江戸初期の古唐津だが、掘りの手で灰釉は風化しており、呼び継ぎもあるものの、見込みは綺麗で、何よりも形がいい。

ころりとしていて、これが私の手にちょうど収まるサイズなのだ。


鉄絵は何を描いたのか分からないほど単純で、素朴このうえない。


鉄分の少ない砂目のさくりとした土で、窯は特定できないが、もともとは飯茶碗として焼かれたものだろう。


さっそく、お茶を点ててみたが、茶碗としてだけではなく、御飯茶碗に、小鉢に使い倒して、どう変わっていくのかを見てみたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 00:08| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月14日

光原社で買ったもの、その2〜陶磁器

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光原社で目についたものに、一群の白磁の器があった。

磁器なのにフォルムが柔らかく、白の階調も李朝に通じるものがある。

会津で白磁と青磁を焼いている五十嵐元次さんの作で、どれも好ましい。

最近、コーヒーに凝っているバンビことパンクな彼女が気に入ったのは湯呑みだった。



「この湯呑みは、上からみると梅の形をしているよ!
これにコーヒーを淹れたら、コーヒーが梅の形になるんだよ!
磁器だから染みにもならないし、コーヒー用に買ったらいいんじゃないかな?」



バンビの意見を容れて、湯呑み二客と手塩皿二客を選んだ。


もうひとつ、気になったのは御飯茶碗である。

奈良茶碗のように高台が高く、手早い網手文は、くらわんか手に通じるものがある。


「くらわんか」とは、江戸時代に淀川を行き来する三十石船を相手に「飯、くらわんか、酒、くらわんか」と声をかけながら酒食を売っていた煮売り屋が使っていた粗磁で、波佐見や砥部で焼かれたもの。

使い捨ての雑器ながら、逆に雅味があって、古陶好きに喜ばれる。


この江戸時代の雑器にならって、無印良品でも波佐見焼きの「くらわんか飯碗」を売り出したことがあった。


光原社で手にした御飯茶碗は、無造作な絵付けが、より、くらわんか手を思わせるところがある。

くらわんかに通じる趣の器が、今日でも焼かれているのは喜ばしいことではないか。


サイズ的には女性用なので、バンビの替え茶碗として求めることにした。
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光原社で買ったもの、その1〜漆器

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3月のこと。岩手大学での宮澤賢治のシンポジウムが終わった翌日は、久しぶりに光原社をゆっくりと見て歩いた。


光原社は、日本全国の民芸品のほかに漆器の自社工房を持っており、国産漆の過半を産する浄法寺町を控えているせいもあって、良質な漆器を扱っている。

定番として作り続けられている物がほとんどだが、ときどき見たことがない作が並んでいることもあって、これがまた素晴らしい。

赤と黒を塗り分けたモダンな茶托なども、その例だが、これは以前求めたもので、この意匠は数回しか作ったことがないそうだ。


今回、求めた三色盆も初見の品で、迷わず購入を決めた。

酒器を選んで晩酌するとき、お盆があるだけで結界が生まれる。

この三色盆には、李朝の白磁徳利と盃を置いたら似合うだろう。


秋の新酒を汲むときに使おうと思っている。
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2018年04月27日

当たり前のもの

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ここしばらく、古備前の徳利と斑唐津の盃で晩酌している。


桃山の古備前徳利と古唐津の盃は、古陶好きの酒徒、垂涎の取り合わせだが、これは戦前あたりから、やかましく言われるようになったものらしい。

だが、江戸時代にも「備前徳利、お酒が旨い」と里謡に囃されていたくらいだから、備前の徳利が酒を旨くすることは広く知られていたのだろう。


若いときは、熱に浮かされたように出会いを念じたものだが、いざ入手して使い始めても、渇きが癒えることはない。

病気のようなものだが、年を経て、気づいたら接し方がまるで変わっていた。



桃山時代の古備前徳利は火襷が見事で、箱には古山子(小山冨士夫)の極めがある。

盃は、岸岳の山瀬窯で焼かれた斑唐津。



備前の徳利は、酒の雑味を除き、冬は燗酒をひと肌に保つし、夏に冷酒を満たすと肌に結露して、深山の巖肌を見るようだ。

そして、巖間の清水にも似た清冽な酒を受けるとしたら唐津しか考えられない。

そんなことを思ったりしたのだが、最近は、備前の徳利と唐津の盃と見るだけで十分で、イギリスの鉄製の鍋敷きに湯豆腐の土鍋が来るのを待ちながら、酒を注ぎ、酒を酌む。

器に何かを思い巡らすことはない。

酒器も自分も当たり前のものとして、つまりは「自然(じねん)」として、ここにある。


さらに年を重ねると、備前でも唐津でもなく、徳利と盃にしか見えなくなるのかも知れない。

それは器物との関わりが、熟し切ったときなのだろうか。


時が満つると、変化するものが確かにあるようだ。
posted by 城戸朱理 at 20:09| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月16日

京都のアンティーク・ベルで買ったもの

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バンビことパンクな彼女が、昨年の秋に立ち寄ったアンティーク・ベルに行きたいというので、タクシーで向かった。


普段使いできる手頃なものを扱う店だが、バンビが気に入ったのは、幕末の伊万里の小皿である。

直径6cmもない手塩皿で、かつては塩を盛って銘々膳に置かれたものだが、バンビも塩を盛るのだという。

わが家では、海水の天日塩や岩塩など、常時、10種類ほどの塩を使い分けているので、料理に合わせて塩を選び、食卓に出せる手塩皿が欲しいらしい。

こんな小皿を愛でて、桐箱まで注文した前の所有者の心使いにも感じ入るところがあって、購入することにした。


ほかにも清朝の嘉慶年間の花唐草染付け皿が三客あったのだが、バンビが取り皿にいいと言い出した。

わが家では、取り皿に、古伊万里のなます皿を使っているが、なます皿は深さがあるので、バンビは、やや小振りなお皿もあるといいなと思っていたのだという。

こちらは直径15cmほど、時代としては、伊万里の手塩皿より古く、19世紀初頭のものになる。


今回はバンビが選んだ品を購入したが、器も、新作だけではなく、古器を交えると、食卓にも奥行きが生じる。
posted by 城戸朱理 at 08:12| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月10日

錆びたグラス

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糸屋ホテルへの帰り道、いつもと違う通りを歩いていたら、なぜか電気屋が、店頭にコップを並べているではないか。

いずれも、戦後、昭和中期のもので、倉庫に眠っていたデッドストックのグラス類である。


目をひいたのは、底が分厚く、琥珀色がかったグラスだった。

安定感があるし、大振りでビアグラスに最適である。


不純物の鉄分が年を経るにつれて酸化し、酸化第二鉄に変わって、ガラスが琥珀色を帯びるようになったのだが、それが美しい。

いわば、錆びたグラスである。


今年の夏は、このグラスでビールを飲もうと購入したのだが、なんと値段は消費税込みで100円だった。

1950年代のものだと思うが、新品より安い。


ささやかな掘り出し物だが、洗い浄めて、ホテルの部屋でビールを飲むのに、さっそく使っていた。
posted by 城戸朱理 at 14:58| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月05日

浄法寺塗りのぐい呑み

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旅先では地酒を買い込んで、ホテルの部屋で晩酌するのだが、今回は酒器を持参しなかったものだから、バンビことパンクな彼女からクレームがついた。



「ホテルのグラスで飲むと、わびしいし、美味しくないよ!
このぐい呑みを旅用に買うといいんじゃない?」



県産品を扱うCUBEで、バンビが目をつけたのは、浄法寺塗りのぐい呑みだった。


岩手は古くから漆器の産地で、なかでも浄法寺町は国産漆の過半を生産する日本最大の産地である。

岩手の漆器といえば、菱形の金箔を置いた秀衡塗りが名高いが、このぐい呑みは、朱漆に黒漆をかぶせたモダンな根来塗りで、なかなか洒落ている。

漆器ならば軽いし、陶磁器のように割れる心配もないし、たしかに旅の盃には、うってつけかも知れない。

バンビの意見を容れて、この盃を求めることにした。


さっそく使ってみたのだが、軽いだけに、注いだ酒の重さを、じかに手にしているかのようで、なかなか具合がいい。


旅に出るときは、この浄法寺塗りの盃をトランクに潜ませることになるのかと思うと、愉快な気分になった。
posted by 城戸朱理 at 07:13| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月16日

李朝の盃

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刷毛目や粉引きなど、李朝の盃のことを続けて書いたので、李朝の盃のことを書いておきたい。


私が初めて李朝の盃を求めたのは、もう30年近くも前のこと。

第二詩集となる『非鉄』の原稿を一気に書き上げたとき、記念に求めたものだった。

李朝初期の白磁盃で、今でも酒器箪笥の奥にあるのではないだろうか。


その後、あちこちで出会うたびに取り上げた盃もあれば、いただいたものもある。


最初の写真が、加藤恭一さんからいただいた李朝盃。

ひとつは、見込みにだけ刷毛目がほどこされた李朝初期の内刷毛目盃。

もうひとつは、柔らかな玉子手の盃で、面白いことに桐箱には「初期伊万里盃」と書かれている。

本郷の骨董屋で求めたそうだが、業者は、より高値を呼ぶ初期伊万里と思いたかったのだろう。

だが、紛れもなく李朝である。

中期の所産だろうか。

白磁釉が黄みを帯びた上がりになっており、春めいた気配がある盃だったが、雨漏りが生じるにつれて、様子が一変した。

酒徒は、雨漏りを喜ぶが、家人からは呆れられるだけである。



ソウルや京都、あるいは松山など、旅先で求めた李朝盃も少なくない。


写真は松山で出会った無地刷毛目盃(左)と京都で求めた白磁盃に井戸手盃。

京都では、李朝より時代が上がる高麗白磁の盃を見つけたこともあった。


貫入が細かく入った井戸手盃は、李朝も末期の灯明皿で、東寺の弘法市で見つけたもの。

還元焔で焼成されたため、青みを帯びた上がりになっており、酒映りがいい。


高台の高い白磁盃は、祭器として作られたものである。

儒教を国教とした朝鮮王朝では、各家庭に祖先を祀るための祭器がひと揃いあった。

日本の骨董屋では、たんなる白磁よりも高値を呼ぶが、韓国に行くと、いまだに骨董屋に山積みされており、それほど評価されるものではないので、入手は難しくない。


もっとも、興味がない人が見たら、どれも大した違いはないだろう。

いずれも、やや深さのある小皿のようなものである。

小林秀雄は「嫌いと言うのは易しいが、好きと言い出すと、まことに混み入った世界に入るものである」(「徳利と盃」)と語ったが、年を経るにつれて感じ入る言葉だ。
posted by 城戸朱理 at 11:15| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

李朝の筒盃

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自在屋主人、勝見充男さんは酒器好きで有名で、盃123個を並べた『骨董屋の盃手帖』(淡交社)という著作まである。

古墳時代から明治、大正まで、稀品、優品から珍品まで、百を超える盃が並ぶのだから圧巻だが、そのわりには親しみやすさもある。


買うだけで、売らなければ骨董屋という商売は成り立たないから、売るものもあるのだろうが、時代が下るものを取り上げたり、愛らしいものも散見したりする「勝見好み」が今日の骨董業界のひとつの流れを作っているのも事実だろう。


その勝見さんが同書で 「この世の盃の中で、何が一番欲しいかと聞かれれば〈李朝の堅手の筒〉と答えるだろう」と語っている。

朝鮮王朝時代には、もっぱら白磁ばかりが焼かれたが、白磁に成りきらず堅い感じをするものを「堅手」と呼ぶ。

「筒」とは、筒状の立ちぐい呑みのことだが、たしかに李朝の盃は碗形(わんなり)ばかりで筒盃は見かけない。

ちなみに『骨董屋の盃手帖』で紹介されている李朝の筒盃は2点。

李朝初期の堅手と後期の白磁で、後者を勝見さんは「幻の李朝白磁筒」と呼んでいる。


堅手であれ、白磁であれ、業者にとってさえ幻なのだから、出会わないのも当たり前だが、私の場合は事情が違った。

李朝の筒盃が滅多にあるものではないことを知らなかった20年以上前に、小林秀雄が生前、よく立ち寄った鎌倉の骨董屋と、今はなくなった若宮大路の骨董屋で出会って、珍しい形があるものだと思いながら求めたのである。


刷毛目の盃は、厳密には半筒だろうが、こんな形状の粉青沙器は見たことがない。

さらに珍しいのは、くちばしの長い鳥のための水入れだろうかと思えるほど長い筒状の三島手で、何に使ったものか分からないが、盃には大きすぎるので、私は、これでビールを飲んでいる。



白磁の筒は李朝後期のもので、やや大振りだが、たっぷりと掛けられた白磁釉が美しい。


「幻」と知ったときには、すでに現物が手元にあった李朝の筒盃、そう思うと不思議な気がする。
posted by 城戸朱理 at 11:49| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月25日

粉引きの盃

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茶人は、粉引きを珍重する。

粉引きとは器胎が白い粉を吹いたように見えるところから名付けられたもので、李氏朝鮮から招来された高麗もののなかでも数が少なく、三井家伝来の「三好」、松平不昧公旧蔵の「松平」などの名碗が知られている。

ちなみに器全体が白化粧土をかぶったものを粉引き、腰までのものを無地刷毛目と呼ぶが、化粧掛けした白泥に染みが生じやすく、これを茶人は「雨漏り」と呼んで鑑賞する。


雨漏りが生じやすいということは酒器に使っても育ちやすいということになるが、酒が染みて器胎がとろけそうになっている粉引きの徳利や盃は酒徒垂涎の酒器と言えるだろう。


李朝工芸の美しさを発見した浅川伯教から青山二郎に伝世した粉引き徳利、銘「酔胡」など、雨漏りの肌といい、フォルムといい、絶品としか言いようがないが、そんなものが、そこらにあるはずはない。

たとえ発掘品でも、粉引きは稀少で、店頭に並ぶこともなく、顧客の手に渡っていく。


もう20年近く前のことになる。

茅ヶ崎の加藤恭一さんのお宅に遊びに行ったとき、塗り箱に収められた粉引きの盃を見せてもらった。

青山の李洞で求めたそうだが、李洞では最初に白洲正子さんに見せたところ、白洲さんは「家にはもっと厳しい形の粉引き盃があるから」と見送ったものだという。

李洞は、吉岡実さんに連れていってもらった店だから、面白い話だと思ったが、粉引き盃で飲む機会など滅多にない。

加藤さんにお願いして、粉引きで飲ませてもらうことにした。


そして、私がよほど嬉しそうにしていたのだろう、その様子を見た加藤さんの「持っていけば」のひと言で、粉引き盃は私のものになってしまった。



それからが大変である。

酒を注ぐとむらむらと雲のような染みが広がっていく。

乾くと染みは消えるのだが、酒を飲むために盃を使っているのか、盃の景色を見るために酒を注いでいるのか、分からぬ日々が続いた。


加藤さんは、この盃を80万で求めたそうだが、それを笑いながらくれてしまう気前のよさは驚くばかりである。



朝鮮半島、全羅南道の宝城で焼かれた粉引きは、胎土が黒いため、雨漏りが映えるので珍重されるが、この盃は宝城手ではなく、鉄分の多い赤褐色の胎土で、務安で焼かれたものだろう。

もっとも粉引きといえば、宝城か務安かくらいしか論じられないのも事実で、現地の窯跡調査が進めば、もっと様々なことが分かるに違いない。

朝鮮王朝時代、陶工は賤業だったため、韓国では最近まで蔑視の風潮が残り、窯跡にも調査が及ばなかったと聞く。

それだけではなく、李朝を愛した作家、立原正秋が愛用した盃を焼いた明川、斑唐津に似た藁灰釉を使う会寧といった窯は北朝鮮にあるので、調査のしようがない。

それを思うと、世界は、いまだに焼き物に現を抜かすほど平穏ではないことを痛感するが、しかし、だからこそ、酒器を選び、酒を酌む無心の時間は貴重である。



面白いことに、この盃は雨漏りが広がっていくのではなく、全体に酒が染み渡っていく。

何年か使ううちに、粉っぽかった白い肌は、色づき艶を帯びていった。



その後、無理をして宝城手の粉引き徳利も求めたが、李朝でも、粉引きほど酒になじむ器はないのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 11:28| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月24日

形見分けの李朝

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マガジンハウスの編集者だった加藤恭一さんはお祖父さんが骨董屋だったそうだが、御自身も骨董を趣味とし、優品をお持ちである。


あれは藤沢周氏が『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞を受賞した年のこと。

藤沢さんと加藤さんのお宅にうかがったときに、ふたりで骨董の酒器をいただいたことがある。



藤沢さんには李朝の粉青沙器(三島手)の徳利、私には李朝の刷毛目盃で、ともに李朝前期(15〜16世紀)の所産。

どちらも青山の李洞で求めたものだとうかがった。


当時は、李朝もののムックが刊行されるなど、何度目かの李朝ブームだったが、優品は数百万、数千万するものも珍しくなかった。

私などは、わずかに青山の古民藝もりたや有楽町の織田有で、李朝も末期の灯明皿や茶碗などの雑器を求めるのがやっとで、李朝の名残に親しむだけだったから、突然の贈り物に驚いたが、加藤さんは「形見分け」ですと笑っていたっけ。


伝世品ではなく発掘品だが、無傷の完品。

長年、愛用したため、刷毛目盃の白化粧土もとろりと色づいてきた。

酒徒が李朝を愛するのは、この経年変化にあるのだが、藤沢さんの徳利はどんなふうに育ったか気になってメールしてみたところ、写真を送ってくれた。

藤沢さんの徳利も、やはり育っている。


藤沢さんのメールには「高さ11センチ、幅7.5センチ」と寸法まで書いてあったが、一合二勺ほどの容量だろうか。

胴が張って、ころりとした姿が、なんとも愛らしい。


10年ほど前から、どういうルートかは分からぬが、北朝鮮の発掘品がソウルの骨董屋に出回るようになり、西日本の骨董屋でも見かけるようになった。

かなりの量があるらしく、李朝も値が下がったが、その意味では、20年前よりも手に入れやすくなったかも知れない。

それでも口径10cm以下で、盃に取り上げられる刷毛目には滅多に出会わない。


大切にしているが、この刷毛目盃には、李朝の黒高麗徳利を合わせている。
posted by 城戸朱理 at 11:32| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

珍妙な絵皿

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出光美術館の「色絵 JAPAN CUTE!」展を観たあと、わが家には色絵の器がほとんどないことに気がついた。

まったくないわけではないのだが、食卓に上がることは滅多にない。

藍一色の染付に比べると料理を盛り付けるのが難しいからだろう。


出光美術館では、デルフトを始めとするヨーロッパ諸窯が柿右衛門の絵付けを写した様々な器が展示されていたが、わが家もデルフトの色絵皿だけは食器棚に置いてあるので取り出してみた。


するとバンビことパンクな彼女がーー



「これは変態のお皿だよ!
色絵CUTE!じゃなくて、色絵FUNNY!なんじゃない!」


たしかに。

「カワイイ」ではなく「ヘン」かも知れない。



最初の天使の皿だけは19世紀、それ以外は17〜18世紀のものだが、絵付けのない白デルフトの静謐さに比べると、何やら騒がしい。

天使は腕白小僧にしか見えないし、鹿は楽しそうに笑っている。


花文の色絵皿だけは可憐な趣があるものの、最後の花鳥文皿など、柿右衛門か古伊万里が手本だろうが、描き込みすぎである。

しかし、簡略化された鳥は、なかなかいい味を出しているような気がしないでもない。

この花鳥文皿は、もっとも古い作になるが、こうして見るとヨーロッパでは、装飾性が高いものが好まれるのが分かるし、余白を生かすのは日本的な美意識であることを改めて思うことになった。
posted by 城戸朱理 at 10:43| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月30日

英国のヴィンテージ

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打ち合わせを終えて、立川を散歩しているときに、アンティーク・ショップを見つけた。

店名は、ガジェット・モード。


入ってみたら、イギリスから輸入した1940〜70年代のアウトドアグッズや雑貨を扱う店だった。


アンティークとは、百年以上たったものを言うので、ヴィンテージの店ということになる。


バンビことパンクな彼女は、イギリス文学を専攻したので、英国製と聞いて、興味津々。


最近、小さな秤や専用の温度計まで用意して、コーヒーのハンドドリップに凝っているバンビは、小さな耐熱ガラスの器が気に入ったらしい。


ファイアーキングのものだが、アメリカに対抗して、イギリスでは独自の器が作られたのだという。

ちなみにバンビによると、コーヒー10gで140ccを抽出するのが目安なのだとか。

バンビが目をつけたカップは、そば猪口を小さくしたような器型だが、たしかに140ccのコーヒーにはちょうどいい。

ミルクガラスにブルーの色どりも爽やかである。


もうひとつ、バンビが気に入ったのは、可愛いデザインのクリーマーで、これはベルギー製。

こうした器は、ソースを入れたり、ドレッシングを入れたりと汎用性が高い。


結局、バンビが気に入った3点を購入することにした。



ガジェット・モードは、キャンプ用品を始めとして、なかなか面白い品揃えの店である。

機会があったら、また覗いてみたいものだ。
posted by 城戸朱理 at 09:21| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月01日

陶器を焼かなかった陶芸家

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京焼きには、野々村仁清以来の色絵陶器の伝統がある。


唐津や備前、そして信楽に魅せられた者からすると京焼きは華美にすぎて、逆に惹かれるものではないのだが、京料理をいただく機会が増えるにつれ、器と料理の取り合わせのためには、欠かすことが出来ないのが分かるようになってきた。


李朝では皿の遺品が少ない。

なぜなのか、不思議に思っていたのだが、韓国に行ってみると汁物の料理が多いので、器は鉢が主体となるのが納得できるし、皿があまりないのも当然だと思えるようになる。


京焼きもそれと同じで、経験してみないと分からないことがあるということなのだろう。ただし、これは必要の問題であって、焼き物の美醜の問題ではない。




京焼きの雅陶といえば、永楽家を忘れることは出来ない。


代々、善五郎を名乗り、土風炉師の家系だった西村家の十一代保全は、金襴手など写しものの美陶で、その名をとどろかせた江戸時代後期の陶工だったが、
紀州徳川家に招かれ、「永楽」の銀印と「河濱支流」の金印を賜わったため、永楽を雅号として用いるようになり、幕末から明治を生きたその子、和全も名工として知られている。



しかし、激動の時代だった明治には、茶の湯も茶陶も顧みられなくなり、三代得全が明治42年に亡くなったあと、家業を継いだのは得全の未亡人、悠だった。


これが永楽四代の妙全になるが、古刀・古陶磁の研究家だった常石英明によると、妙全は自分で焼いたわけではなく、甥の正全が作陶を一手に受け持ったのだという。


得全、妙全を支えた正全は、後に永楽五代に数えられるようになるが、妙全の永楽印が押され、善五郎と悠が箱書きした四代妙全作は、すべて正全が作ったものということになる。


妙全は、箱書きするとき、善五郎と記したうえで「悠」という朱印を押しているが、これは「お悠さんの朱印」と呼ばれ、茶人に珍重される。


よくよく考えれば、奇妙なことだが、それは、女手ひとつで永楽家を支えた「お悠さん」への愛惜がなせる業なのだろうか。



表千家、裏千家、武者小路千家、三千家出入りの塗師、指物師など、十の職家である千家十職(せんけじっそく)に数えられ、茶碗師・楽家とともに土風炉師・焼物師の名家として知られる永楽家だが、私は、ほとんど求めたことはない。


やはり、綺麗すぎるからだが、わずかに保全や和全の小鉢や急須などを求めたことがある。


妙全の作は、刷毛目の盃がひとつあるだけだが、これも「お悠さんの朱印」を箱に見かけて興味を持ち、手にしたものだった。


筆勢のいい刷毛目だが、妙全の時代には、まだ「ぐい呑み」は一般的ではなかったらしく、きわめて小さい。


料理屋の「さかづき」のサイズで、常用するものではないが、熱燗を注ぐと生き生きとした表情を見せる。




いっさい、焼き物を焼くことのなかった陶芸家、永楽妙全。


その人はたしかに存在したわけだし、その人の作とされる美陶も存在するのだが、それは、決してとらえることの出来ない陽炎のようでもあり、幻のようでもある。
posted by 城戸朱理 at 13:23| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

京都で買ったもの〜一澤信三郎帆布のリュック

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京都土産として不動の地位を占める一澤帆布だが、創業は明治38年(1905)で、職人用に帆布製の鞄を作るようになったのは大正時代のこと。


戦後になって、リュックやテントなど登山用品も手がけるようになり、名を馳せたが、私の父も一澤帆布のリュックを愛用していた。


それが、タウンユースのバッグとして注目されるようになったのは、1980年代のことだった。

私も当時、購入したトートバッグやエプロンをいまだに愛用している。



海岸で漂流物を探して、写真を撮るときには両手が空いていたほうがいいので、リュックを探していたのだが、バンビことパンクな彼女の提案で、知恩院前の一澤信三郎帆布を見てみることにした。



写真を撮るときは、デジタルでもフィルムでも、細々とした備品があるので、ポケットが多いものが望ましい。



すると、あったのだ、まさにこれというバッグが。


ポケットは、内側にふたつ、外側は四つ、さらに背中に当たる部分にもひとつと、全部で七つも付いている。

サイドのポケットは、ペットボトルが入れられるし、フラップ付きのポケットには予備のフィルムを収納できる。

一澤帆布ならではの防水仕様だし、理想的なリュックである。


カラーは四色あったが、黒い服に映えそうなレンガ色を選んだ。



このリュックに機材を詰めて、海岸を歩いては漂流物を撮影したり、画材を持って、スケッチに出かけたりしよう。
posted by 城戸朱理 at 00:30| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

京都で買ったもの〜有次の雪平鍋

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久しぶりに鍋を買うことにした。


それというのも、傷みが目につく鍋が増えたからである。



処分したのは、ホウロウの鍋が多い。

ハワイで買ったふたつのホウロウ鍋はアンティークだから、もともと小傷があったのだが、ほかにも、焦げ付きが取れない鍋がある。


結局、鍋4個を処分することにしたので、バンビことパンクな彼女と相談して、とりあえず、有次で雪平鍋2つを購入し、様子を見ることにした。



有次は、創業1560年の老舗で、職人がひとつひとつ手作りしているだけに、鍋も美しい。



バンビの希望で、名前を入れてもらったが、雪平鍋は、下ろす前に米のとぎ汁やくず野菜を煮て、酸化皮膜を作ると、黒ずみを防ぐことが出来る。



それにしても、錦市場の有次の混雑ぶりは凄かった。

しかも、包丁を選んでいる欧米からの観光客が多かったが、今や、有次は海外でも知られるようになったのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 12:47| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

寺町の道具屋で見つけたコップ

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昨年の2月に、寺町四条を下った「CRAFT CANDY JOY」で見つけたガラスの徳利は、
力を入れたらパリンと澄んだ音を立てて割れてしまうのではないかと思えるほど薄く、
頼りないほど軽く、そのくせ、冷酒を満たすと、すずやかな存在感があって、夏の徳利に愛用した。


今回、出会ったのは、やはりガラス、一見したところ、何の変哲もないコップである。

だが、徳利と違って、こちらは厚手。


照明が暗い店内では気づかなかったが、ガラスは、かすかに緑がかっており、しかも底部は分厚い。

口縁部は乳白色が入っているように見えるが、これは擦れた跡で、水を注ぐと消える。


戦前、昭和初期のものだが、グラスは安定感があるほうがいいし、これでビールを飲んでみたいと思って求めてみた。


以前、鎌倉宮の骨董市で、同じように底が分厚いコップを見つけて、ビール用に愛用していたのだが、割ってしまったので、これは二代目ということになる。

戦前のコップなら、いまだに数千円で求められるので、ビールによさそうなものがあると、つい手が出てしまう。


新たに入手したコップにビールを注いでみると、コップによって、光のさしかたが違うのが面白い。


酒徒のささやかな楽しみである。
posted by 城戸朱理 at 08:47| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

猿投古窯の盃

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ごだん宮ざわでは、ビールをバカラのクリスタル・グラスで出してくれるが、ビールが実に美味しそうに見えるし、実際に美味い。

脚付きのグラスは割りやすいので、自宅では避けるきらいがあるが、これもお店ならではのもてなしであるとともに、器で酒の味が変わるという実例でもあるのだろう。



ごだん宮ざわには酒盃を持参することが多いが、今回は平盃を選んだ。

桐箱から取り出したら、「猿投(さなげ)ですか?」と宮澤政人さん。


愛知県名古屋市東部から大阪市北部に集中する猿投古窯で焼かれた盃である。


猿投古窯は、古墳時代から鎌倉時代初期まで700年にわたって続いたが、発見されたのは1950年代のこと。

それまで、わが国の灰釉による施釉陶器は中世の瀬戸窯、美濃窯が始まりとされていたが、
猿投古窯の発見によって、平安時代には灰釉陶器が焼かれていたことが明らかになった。


轆轤は厳しく、端正なフォルムを持つ。



私が持参した盃は平安後期のものだが、見込みの灰釉が剥楽し日の丸のようになっている。

酒を注ぐと、残った灰釉のガラス質が緑色に輝き、美しい。


宮澤さんは燗酒を古染付けと見紛う加藤静允作、瓢箪徳利で出してくれたが、いかにも土物といった猿投盃と石物の徳利の取り合わせは、いいものだった。
posted by 城戸朱理 at 16:04| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする