サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ: 本

2012年08月30日

吉田太一『遺品整理屋は見た!』(扶桑社)

120828_1405~01.jpg



瓜南直子さんの遺品整理を手伝いしていて、ふだんは忘れている当たり前のことに気づかざるをえなかった。

人間は身体ひとつで生まれてくるが、生きていくうえでは、さまざまな道具や物が必要となる。

そして、ひとりの人間が亡くなると、それらの物は、突然、「遺品」になってしまうのだということを。


そうしたことに思いを巡らしていたとき、ふと、以前、BOOK・OFFで見つけた本のことを思い出した。


著者は、運送業をしているとき、引越しに際して大量の不要品が出るのに注目し、日本初の引越し屋のリサイクルショップを開業、
さらに独居老人が増加し、孤独死が社会問題になるとともに、
遺品整理に困っている遺族が多いことに着目して、これまた日本初の遺品整理専門会社を立ち上げたという起業家だというから、着眼点が鋭い。

その実体験を綴ったのが、『遺品整理屋は見た!』なのだが、これは食事中には決して開いてはならない本である。

遺族が遺品整理を依頼するのは、孤独死のとき。
当然、そこには死後、数日から数週間を経た遺体もあるからだ。


なかには、床はもちろん、天井から壁まで血だらけという殺人現場も。

しかも、遺品処理を依頼した夫は、妻が殺されたというのに、冗談と無駄話ばかり。

それから一週間ほどして、その夫が殺人犯として逮捕されたという小説のような話もある。


あるいは、家財道具や両親の遺骨を置き去りにして、夜逃げした44歳のニート男性。

ゴミ屋敷と化した賃貸マンションは、アニメとフィギュア、そしてアイドルのポスターが。

両親が亡くなって、ニート男性は家賃が払えなくなり夜逃げしたわけだが、結局、ホームレスになるしかないのではないだろうか。

今後、増えそうなケースだが、親がかりのニートは、親が死ぬと生活の術を失うことになる。

ニートのホームレス化は、今後の社会問題になると思う。


著者によると、孤独死する人の3割はクーラーがなく、1割は置き電話も携帯電話も所持していないそうだ。

社会との関わりを絶たれたときの、人間の孤独がどのようなものなのかを、遺品が語っているようにも思えてくる。


また、遺族が遺品として取っておくのは、約1割だという。

つまり、荷物の9割はゴミとなるわけだが、ふと身の回りを見渡してしまった。


人間は、いつかは分からないが、誰もが必ず死のときを迎える。

そのとき、すべての物は、遺品となってしまうのだ。

私たちは、そのことに気づかないふりをして、日々を生きているのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 09:42| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

柳美里『ピョンヤンの夏休み』(講談社)

111230_1439~01.jpg



北朝鮮では金正日が死去、世界に緊張が走った。

金正恩体制も軍事優先を明らかにしているものの、
政権が安定するまで、軍事行動はないだろうとする有識者が多い。

テレビでも北朝鮮の様子が報道されたが、日本人は、
テレビによる独裁政権の報道以外、北朝鮮のことを、ほとんど知らないとというのが現実だろう。


テレビに映らない普通の北朝鮮の人たちは、何を思い、どんな生活を送っているのか。


柳美里さんの新刊『ピョンヤンの夏休み』は、
今まで語られたことのない北朝鮮の人々の姿を浮き彫りにするノンフィクション。

今こそ、読みたい一冊と言っていい。


鎌倉駅北口のたらば書房には、著者サイン本も平積みになっている。

鎌倉に初詣のおりには、鎌倉土産に、冬だからこそ(?)『ピョンヤンの夏休み』を。


映画のタイトルにしたいような書名だが、
柳美里さんと丈陽くんの表紙の写真も素敵だ。
posted by 城戸朱理 at 14:56| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

キャンディーズ写真集(徳間書店)!?

111001_1008~01.jpg



宅急便の封をとくと、そこから出てきたのは
・・・目に痛いほど、色鮮やかな写真集ではないか!

しかも、キャンディーズ???

書名は『マルベル堂90周年記念企画 キャンディーズ プロマイドから微笑がえし 464カットすべて掲載』と異様に長い。


ブロマイドのマルベル堂90周年記念企画として、
マルベル堂から発売されたキャンディーズのプロマイド464カットをすべて収録、
しかも超特大プロマイドポスター付きの永久保存版である。


マルベル堂社長のインタビューによると、「ブロマイド」ではなく、正しくは「プロマイド」。

歌謡曲の全盛期だった1970〜80年代が黄金期で、
キャンディーズは、そうした時代の立役者だったのだそうだ。


ファン代表12人の熱烈メッセージも収録されている。

顔ぶれは江口寿史、小松政夫、佐野史郎、フィンガー5のAKIRA、
ピンク・レディーのmie、平尾昌晃、なぜか経済アナリストの森永卓郎と多彩なものなのだが、
なぜか、そのなかに私の名前が・・・


そうだった。

徳間書店書籍編集部の加々見正史編集長の求めで、コメントを書いたのだった。

私の名前があると「意外性」があるという理由だけで依頼されたような気がするが、
いざ応えると、いつの間にか「ファン代表」のひとりにされているではないか。

キャンディーズのことは、もちろん覚えているが、
世代的には私より少し上が熱心なファン層になる。

本気のファンに申し訳ない気持でいっぱいになったが、
これだから、優秀な編集者は怖い。


ところで内容は、はちきれそうに健康なラン、スー、ミキが満載で、
衣装にも、ポーズにも昭和の香りが立ち込めている。


プロマイドというジャンルの面白さを改めて確認できる写真集と言えそうだ。
posted by 城戸朱理 at 10:42| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

吉田健一『酒肴酒』(番町書房)

110904_0652~01.jpg



吉田健一の本は、その人気にもかかわらず、古書値がつくものが、ほとんどない。

それだけに、気楽に求めることが出来るが、
だいぶ前に『続 酒肴酒』を古本屋で購入し、
続編があるのなら、当然、正編もあるわけだから、
いずれ見つけたいものだと思っていたら、思いがけないところにあった。


鎌倉の立ち飲み、ヒグラシ文庫である。

この店、飲み屋なのだが、一画で古本を扱っており、なかなか癖のある選書。

そのなかに紛れていたのだ。

ほかにも『荒川洋治詩集』『続・荒川洋治詩集』『城戸朱理詩集』と、
思潮社の現代詩文庫が3冊あったのだが、私のは売れたようで、今は荒川さんの2冊が残っている。

いったい、誰が買ったのだろうか?


『酒肴酒』は、考えつくかぎり、最高の書名で、タイトルを見ているだけでも、
酒杯を傾ける合間に、肴をつまみ、また飲む様子が伝わってくる。

ちなみに、魚を「さかな」と読むようになったのは近世のこと。

それ以前は「うお」と読んでいたらしい。

だから、酒菜を肴というのは、魚が、とりわけ酒に合うからなのだろう。


吉田健一『酒肴酒』は、番町書房の「ユーモアエッセイ集」シリーズの一冊で、著者の顔のイラストが表紙。

このシリーズ、吉田健一は、3冊あるようだが、
私の購入価格とともに列記すると、以下のようになる。


『酒肴酒』(昭和49年)、600円
『続 酒肴酒』(昭和49年)、200円
『酒に呑まれた頭』(昭和50年)、500円


いずれも新刊の文庫本より安いくらいだが、その楽しさは極上で、
なにせ、酒と肴の話しか出てこない。

ユーモアもあるのだが、それだけではなく、確固たる思想がある。

思想というものはイデオロギーとは違うと、吉田健一が
『日本に就いて』(ちくま学芸文庫)で書いているが、そういう意味での思想である。
posted by 城戸朱理 at 08:50| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

高原書店で買った本

110830_0929~01.jpg110830_0929~02.jpg110830_0930~01.jpg



年に一度、町田で旧友が集い、高原書店を覗いてから、
柿島屋で馬刺しと桜鍋を囲んで飲むというのが、恒例になった。

もともと、私が提案したコースだが、ふだん縁のない街を歩くのも楽しいし、
高原書店の充実ぶりが、友人たちにも受けたからだろう。


高原書店は、かつての新宿古書センターの本店で、
四国の徳島に倉庫を持ち、200万冊と、大学図書館以上の在庫を誇っている。


ビルひとつが古書店になっているのだが、部屋ごとにジャンル分けがされており、本を探しやすい。


今回は、高原書店に行く前に、町田駅に近い成美堂で、まず次の2冊を買った。




高村光太郎『智恵子抄』(龍星閣、昭和26年、新版第一刷)

高村光太郎『智恵子抄その後』(龍星閣、昭和26年、第二刷)

後者は『智恵子抄』以後の詩と随筆をまとめたもの。
最近、光太郎が岩手での独居していたときのエッセイが気にかかる。




高原書店で購入したのは、以下の6冊。




『回想の西脇順三郎』(三田文学ライブラリー、昭和59年、非売品)

非売品のため、神田だと数万の古書値がつくが、4000円で買えた。
何か、西脇詩の根源を示唆するエピソードや面白い話が拾えればいいのだが。


安井浩司句集『汝と我』(沖積舎、昭和63年、初版)

前衛俳句の第一人者。すでに持っている本だが、友人に贈る分として購入。
ふだんは全句集で読むが、目につくかぎり句集も求めるようにしている。
『赤内楽』は持っているが、第一句集『青年経』は、いまだ未入手。


白石かずこ『わたしの中のカルメン』(文化出版局レモン新書、昭和46年、初版)

白石かずこのエッセイ集。詩からオシャレ、性まで多彩な内容。

文化出版局から「レモン新書」が刊行されていたのは知らなかった。
巻末の広告を見ると、ほかにも富岡多恵子『青春絶望音頭』、田原総一郎編『テレビ公害のうらおもて』、
楠本憲吉『和菓子風土記』と、なかなか魅力的なラインナップ。

こういう雑本は逆に見つけるのが難しい。
著者近影もイカしてるし、タイトルが、白石さんらしくて、いいではないか。


高田保『河童ひようろん』(要書房、昭和27年、八版)

表紙の愛らしい河童のイラストでジャケ買い。
高田保は劇作家だが、尾崎士郎『人生劇場』の「吹岡早雄」のモデルにもなった。
軽妙な随筆でも知られ、『ブラリひょうたん』が有名だが、こちらも八刷と、当時は売れたらしい。
タイトルの脱力感が、たまらない。


松本謙治『古書の見方・買い方』(東洋経済新報社、昭和49年、初版)

古書が異常に値上がりし、利殖の対象となりえた70年代ならではの出版物。版元も「東洋経済新報社」と、それらしい。
それだけなら手を出さないが、目次を確認したら、第一章が「ある愛書家詩人の死」とあるではないか。

この詩人とは、立原道造のこと。死後、彼の蔵書は展示・即売され、
立原道造全集全三巻刊行費用に当てられたのだという。
このリストが凄く、購入することに。
立原道造、読書家にして愛書家だったのだなと納得。
それを知ると、立原道造の詩を見る目も変わるかも知れない。


荻原魚雷『古本暮らし』(晶文社、2007年、初版)

高原書店には、本についての本という棚があり、そこで発見。
最近の古本エッセイだが、たしか山内功一郎くんが褒めていたはず。




資料として買ったものもあれば、じっくり読むために買った本もある。

いずれ売る本も出てくるだろうが、書架に収め、繰り返し手にすることになる本もあるに違いない。
posted by 城戸朱理 at 07:05| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月14日

ハワイの書店で

110614_0931~01.jpg



ハワイでは、バーンズ&ノーブルズにボーダーズ、大手書店を4軒覗いたのだが、
6年前に比べると、ずいぶん変わっていた。

小説も含めて文学の棚は、かなり縮小され、かわりに日本のマンガの棚が増えている。


かつては詩書が充実していたボーダーズからは、詩の本が消え、
かろうじて、バーンズ&ノーブルズには残っていたが、
食指が動くほどのものは、ほとんど見当たらない。

前回、行ったときは、ボーダーズで、ディラン・トマスの朗読CDボックスを含む書籍など、
300ドル以上も買い物したが、今回は、結局、何も買わずに出てきた。


ただ、ベストセラー詩人、ビリー・コリンズの詩集は数が多く、人気のほどがうかがえたが。


ワイキキの高級住宅地、カハラのカハラモール内にある
バーンズ&ノーブルズが、詩書はいちばん充実していただろうか。

今回、唯一、購入したのが、アレン・ギンズバーグ『吠える』刊行50周年を記念して出版されたエディション。

これは草稿のファクシミリ版を含む、いい編集である。


もちろん、必要なものは、Amazonで注文すればいいわけだが、
書店で出会う本が少なくなるのは、やはり悲しいものがある。


ぜんたいとしては、90年代にリブロが、ひたすら一般化していって、
特徴のない普通の本屋になっていったのと同じような変化が、アメリカの書店でも、起こっているらしい。
posted by 城戸朱理 at 09:36| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

田村隆一のエッセイ、その3


『田村隆一全詩集』で書誌と年譜を担当した田野倉康一氏によると、
田村さんのエッセイのうち、何冊か見つかりにくいものがあるそうだ。


それは、『あたかも風のごとく』(風濤社、1976)、『もっと詩的に生きてみないか』(PHP研究所、1981)、
『ボトルの方へ』(河出書房、1982)、『土人の唄』(青土社、1986)あたり。

こうした本は古書店でも雑本扱いで、古書値がつかないため、
専門店化している神田や早稲田の古書店街では、逆に見つかりにくい。


もちろん、ネットで検索すれば、ほとんど見つかるが、
こうした本は、ふらりと入った町の古本屋で見つけるのが楽しいし、
急いで田村さんの全エッセイを揃える必要があるわけではないので、
私などは、むしろ探すこと自体を楽しんでいるのだが、
考えてみると、仕事の資料として急ぎ必要な本は、
ネットで注文するが、それ以外は、現物を手に取って、後書きや奥付を確認してから買うというのが、
習い性になっているせいもあるのだろう。


実際、「日本の古本屋」や「スーパー源氏」のおかげで、
ネットで本を探すのは極めて容易になった分、古本屋を回る意味も大きく変わったように思う。


今では、古本屋を回るのは、探していない本と出会うためで、
そのついでに、まだ手元にない田村さんのエッセイを
見つけることが出来たら、嬉しいではないか。


田村隆一のエッセイ集は、初期のごく一部を除くと、
古書値は500〜1000円ていどのものだから、
文庫本を買うように気軽に求めることが出来るし、
内容的には、戦前から戦後に至る昭和という時代の雰囲気や香気が封じ込められていて、
休日の午後に読み耽るのにふさわしい。


同じネタが多いのに、そのつど読ませるのは、やはり名人芸というところだろう。


そして、ときには、詩人、田村隆一の詩作の秘密を
垣間見たりすることもできるのだから、なおさら面白いのだが。
posted by 城戸朱理 at 09:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月27日

田村隆一のエッセイ、その2

110225_1250~01.jpg



田村隆一の書誌を確認したとき、誰でもすぐに気づく特徴がある。

それは、『ぼくの〜』というタイトルの本が多いことだ。

具体的には、次のようになる。



『ぼくの遊覧船』(1975)
『ぼくの交響楽』(1976)
『ぼくの憂き世風呂』(1980)
『ぼくの東京遊覧』(1980)
『ぼくの中の都市』(1980)
『ぼくが愛した路地』(1985)
『ぼくのピクニック』(1988)
『ぼくの東京』(1989)
『ぼくの草競馬』(1990)
『ぼくの人生案内』(1998)



ちなみに『ぼくが愛した路地』だけは、「ぼくの〜」ではなく「ぼくが〜」だが、
印象はさして違わないような気がする。


全40冊のエッセイのうち、10冊、4分の1が『ぼくの〜』という書名なわけだから、
これはもう田村さんの専売特許と言っていい。


『ダンディズムについての個人的意見』というタイトルも、
「ぼくの意見」という意味だろうから、この範疇で考えることができるだろう。


この「ぼくの〜」という形容は、垂直的な初期の詩群からイメージされる詩人像にはそぐわないが、
あくまでも個人的な意見であることを表明するとともに、軽妙さも感じさせ、
後期田村隆一の詩作品のイメージには、極めて似つかわしいものだと思う。


ちなみに、田村さんがエッセイ集に初めて「ぼくの〜」というタイトルを採用した
『ぼくの遊覧船』が刊行されたのが、1975年。

それ以前に刊行されている単行詩集は、
『四千の日と夜』『言葉のない世界』『緑の思想』『新年の手紙』の4冊だけで、
エッセイ集に「ぼくの〜」というタイトルが現れるようになってから、
ほとんど年次詩集のような多産な時代を田村さんは迎えることになる。

その意味では、「ぼくの〜」という言葉は、
田村隆一の詩の本質的な変化に関わる問題であると言ってもいい。


そういえば、『ぼくの海日誌』というタイトルの詩集もあったっけ。

これも素晴らしい詩集である。
posted by 城戸朱理 at 12:36| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

田村隆一のエッセイ、その1

110224_0946~01.jpg



田村隆一はアガサ・クリスティを始めとするミステリーの翻訳などを含めると、
生涯に何と180冊もの本を刊行している。


田野倉康一による労作「田村隆一書誌」によると、
そのうち、エッセイ集は、没後、刊行された『自伝から始まる八十章』を入れて、40冊になる。

これは対談集や聞き書きなども含めてだが、特徴は、いわゆる詩論や批評が見当たらないことだろう。


もちろん、詩に対する言及はいたるところにあるし、
田村さんの最初の散文集であり、文庫化もされた『若い荒地』(1968)のように、
貴重な時代の証言はあるのだが、
真っ向から詩を論じたものがないのは、いかにも田村さんらしい気がする。


内容的には、早川書房のポケット・ミステリーを創刊した初代編集長で、
クリスティーの翻訳者でもあるだけに、『田村隆一のミステリー料理事典』(1984)や
『書斎の死体』(1978)、『殺人は面白い』(1991)といったミステリー関係、
あるいは酒仙として知られた詩人だけに、
『ウィスキー讃歌』(1979)『ボトルの方へ』(1982)、
『酒飲みのちょっと気になる話』(1983)といった酒関係のエッセイも多い。


そして、それ以外は、いわゆる身辺雑記のエッセイ集である。

それだけに、古本屋でも雑本扱いで、ごく初期のものを除くと古書値はつかないが、
詩人、田村隆一の変遷や成熟を考えるうえで貴重な資料となるものがあるのも事実だろう。

装幀も洒脱な『詩人のノート』(1976)や『鳥と人間と植物たち』(1979)はとくに重要だと思う。

田村隆一の詩が好きな人は、ぜひ読んでみてもらいたい。


個人的には、『ダンディズムについての個人的意見』(1990)や
「新潮45」に連載された晩年の日記、『退屈無想庵』(1993)と
『すばらしい新世界』(1996)も好きな本だ。

ところが、どちらも新潮社が版元なのに、
後者などは、古本屋でもめったに見かけない。(つづく)
posted by 城戸朱理 at 17:50| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

装幀者から贈られた本

110118_1755~01.jpg



佐賀県は唐津にお住まいの高橋昭八郎さんから、書籍小包が送られてきた。

開けてみると、ジョン・ソルト著『北園克衛の詩と詩学』(思潮社)ではないか。


注文しようと思っていた矢先のことだったので、驚いたが、
なぜ、高橋さんがジョン・ソルトの本を送って下さったのか、
不思議に思っていたら、高橋さんが装幀を担当されていたことが分かった。


その経緯をジョン・ソルトは「原著者による謝辞」において、次のように語っている。




「本書の英語版が制作されているとき、その英語版の表紙のデザインを
高橋昭八郎にお願いできないものかと編集者に依頼した。
私の意見では、高橋は北園と新国誠一以来の偉大な視覚詩人であり、
しかもVOUの同人であったからだ。
私の願いは拒絶されたが、ハーバード大学アジア・センターには専属のデザイナーがいて、
また、他の出版された本との一貫性を守りたいというのがその理由であったので、私も納得した。
だから、思潮社がーー高橋昭八郎の歴史的な重要性を理解してーー
彼を起用することに同意してくれたときは二重に嬉しかった。
高橋の創造性と美的感受性には脱帽だ」




ジョン・ソルトは北園克衛研究でハーバード大学より博士号を取得、
1987年からエドウィン・O・ライシャワー日本研究所研究員をつとめているが、
前衛運動の研究者である彼に偉大な視覚詩人と呼ばれ、
北園克衛、新国誠一と並び称されている高橋昭八郎の
世界的な評価の高さには、私も嬉しくなったことを告白しておこう。


書籍が刊行されたときには、装丁幀者は2冊を受け取るはずだが、
高橋昭八郎さんは、そのうちの一冊を私に送って下さったのだろう。


かつて、吉岡実氏が『ウンガレッティ詩集』(筑摩書房)の装幀を担当されたとき、
装幀者分の2冊から、私に一冊を贈って下さったことがあったが、
吉岡さんは自著ではないからと言って、後ろの見返しにサインを入れてくれたことがあった。

高橋昭八郎さんは、献呈札に万年筆でサインをして下さっているが、
私にとって、この本は高橋昭八郎さんのおかげで、より貴重なものになったのは間違いない。
posted by 城戸朱理 at 11:07| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月06日

出石尚三『スーツの百科事典』(万来舎)

100904_1647~01.jpg


スーツをめぐる本邦初の百科事典。

版元からいただいた本だが、まず、その分厚さに圧倒された。


内容的には男性用スーツの変遷を、小説を始めとする資料を駆使して語る文化史から始まって、
歴史的なスーツ・ドレッサーとされる人々や着こなしのヒント集から、おしゃれな小話、さらには、仕立職人用語辞典まで、
およそスーツを巡って考えられるコンテンツのすべてを集成した本と言っていい。


スーツの文化史で最初に登場するのは、言うまでもなくジョージ・B・ブランメルである。

19世紀初頭に身だしなみがいいというだけの理由で、イギリス国王ジョージ四世に偏愛され、
ボウ(美装子)・ブランメルとも呼ばれた稀代のダンディ。


やはり、ダンディで知られたロマン主義の詩人、バイロン卿は、
「ナポレオンになるより、ブランメルになりたい」と語り、
バルザックはブランメルに取材して『風俗のパトロジー』を書いた。

ブランメルの功績は、それまでは装飾的だった貴族たちのスタイルを
徹底的に簡素で洗練されたものに変えたことで、
著者もそこに紳士服の近代化を見ている。


本書でも紹介されているブランメルの次の言葉は、彼の哲学をよく語るものだろう。


「街を歩く見知らぬ人が君を振り返って見たなら、君の着こなしは失敗である」


ただただ、洋服を美しく着ることだけに、生涯を賭けた男、ブランメル。
それは、なんと奇妙な人生であることか。


ともあれ、ブランメルを転回点に、紳士服は近代化し、
19世紀なかばには、正装であるフロック・コートやイヴ二ング・コートではなく、
ラウンジでくつろぐためのラウンジ・スーツが生まれ、これが今日のスーツの原型になった。



本書を手にしてもらえば分かるが、たぶん、たいていの人が、とくに意識することもなく身につけているスーツは、
語り始めると、尽きせぬ背景と逸話があるものらしい。



私がいちばん興味を引かれたのは、著者の友人だという技術者の話だった。

彼は、「ごくまっとうな人物」だそうだが、ひとつだけ趣味があって、ミリタリーマニア、
つまり、軍服のコレクターなのだという。

その彼が出張で、紛争が多い某国を通過しようとしたとき、税関で止められ、
下着まで脱がされる厳重な取り調べを受けることに。

理由は、服装にあった。

彼が着ていたのは、御自慢の古い米軍のカモフラージュ柄の野戦服だったのである。


笑うに笑えない話だが、もし彼がスーツを着ていれば、
そんな災難にあわずに済んだのも事実だろう。


なるほど、人間は見かけではないが、いちいち、
すべての人と話し込んで、その人間性を確認しているわけにはいかない。

戦場で迷彩服を着ていれば兵士と見なされるし、
丸の内でスーツを着ていたら、会社員だと思われるのが普通である。


スーツが世界中の男性の標準的な衣服となったのは、
言うまでもなく、今日の世界が欧米の覇権のもとにあるからだが、
それだけに、服飾に関しても、ルールを知る必要があるということか。
posted by 城戸朱理 at 06:38| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月16日

『伊東静雄日記 詩へのかどで』(思潮社)

100716_0715~0001.jpg


伊東静雄(1906〜1953)の若き日の日記が公刊された。

これは著者、17歳から23歳、
旧制佐賀高校2年から京都帝国大学を卒業、
大阪府立住吉高校に勤務するまでの約5年半分で、
大学ノート5冊に記されたものなのだという。


「日本浪漫派」や「四季」に拠って、
昭和初期に鮮烈な叙情詩を残した詩人の若き日の日記が、
没後半世紀以上を経て出てくるのだから、何が起こるか分からない。


実は、この日記、かつての恋人のことや女性関係が書かれているだけに、
新妻に配慮して、結婚前に静雄が実弟に託したものなのだとか。


「詩へのかどで」というタイトルは、
詩人自身によって、大学ノートの一冊目に記されたものなのだというから、
伊東静雄自身が、この青年期の記録を、
詩に対して確信を深めていく過程として把握していたことが分かるが、
ひとりの詩人が誕生するまでの精神の軌跡を描いて、
興味が尽きない一冊である。


「図書新聞」に書評を寄稿したので、詳しくはそちらで。
posted by 城戸朱理 at 07:36| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月10日

松浦弥太郎『日々の100』(青山出版社)

100610_1009~0001.jpg


最近、古本屋で「暮らしの手帖」の
バックナンバーを探す若者が増えているという。


最近、私も手に取る機会があったのだが、
たしかに、これが面白い。


日本画家の瓜南直子さんが、昔の「暮らしの手帖」を
たくさん持っていたはずだから、
今度、見せてもらおうと思ったが、
バックナンバーばかりではなく、
新しい号も定期購読しようかと考えているときに出会ったのが、
「暮らしの手帖」編集長の松浦弥太郎さんの本だった。


これは、ハンカチや靴から始まって、
文房具や本に至るまで、暮らしを彩る物をめぐる随筆集なのだが、
物の写真と随筆という組み合わせは、
よく女性誌の連載をまとめた本で目にするものの、
この本は、たんなる物の紹介では終わらず、
むしろ、随筆のほうに主眼があるのがさすがだと思った。


著書は、高校を中退して、
宅急便配送所の深夜労働で貯金をし、
18歳で渡米、アメリカの書店文化に魅了され、
中目黒と青山に古書店カウブックスをオープン、
古書店主のかたわらで執筆・編集活動を続け、
2006年から「暮らしの手帖」の編集長という、
いささか変わった経歴の持ち主。


選ばれている100の品々は、
いずれも著者の経験に裏打ちされたもので、
そのあたりは、たしかに「暮らしの手帖」的である。


しかし、私にとって楽しかったのは、
やはり、本についての随筆だった。


著者が17歳のときから読み続け、
いまだに肌身離さず(!)置いているという
ジャック・ケルアック『路上』とヘンリー・ミラー『北回帰線』。

谷川俊太郎と和田誠の共著で、
まだ若かりしふたりがなけなしの資金を投じ、
私家版で500部だけ刊行したという『しりとり』。

あるいは、『高村光太郎詩集』。
その一節を引用してみよう。



 『高村光太郎詩集』は、まさに暗闇の中にいた僕を
引っぱり上げてくれた存在だ。
幼い頃からつねに想い続けていた、本当のことは何か。
その問いにはじめて答えてくれた一冊だった。
 「最低で最高の道」という詩がある。
僕はこの詩に出合ったからこそ、こうして今を生きている。
命の恩人とさえ思っている。
 『高村光太郎詩集』とは十二歳の時に出合った。



なんと素晴らしい本との出会いだろうか。
この一節を読んで、私も久しぶりに『高村光太郎詩集』を開いた。
posted by 城戸朱理 at 11:12| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月03日

「暮らしの手帖」300号記念特別号(2002年12月)

100603_1654~0001.jpg


鎌倉宮に近いカフェに入ったら、
珍しくも「暮らしの手帖」が並んでいた。

そのとき、手に取ったのが、写真の特別号。


まず圧倒されたのは、再録されたエッセイの執筆陣だった。

佐藤春夫、志賀直哉、柳宗悦、
井伏鱒二、吉川英治、草野心平、
坂口安吾、壇一雄といった顔ぶれに、
川端康成、堀口大學、大佛次郎、高見順と鎌倉文士の先達も並ぶ。

まさに、錚々たる顔ぶれと言うしかない。


たとえば、安吾のエッセイ「わが工夫せるオジヤ」は、
新聞小説を書き上げた解放感から、飲みすぎて、
吐血までした安吾が、もっぱらオジヤを
食べるようになったという話なのだが、
多量のアルコールを摂取した結果、
「人間に幾つもあるわけではない
胃を酷使したことになったのである」といった調子で、
今日の小説家には、とても書けないような、
ユーモアと緩やかさに吹き出してしまった。


ほかの記事も、生活という側面からの
昭和という時代の貴重な証言になっており、
これは、ぜひ手元に置きたい一冊と思って、
北鎌倉は侘助の常連で
「暮らしの手帖」編集部の矢野太章(たかふみ)氏に
ツイッターで問い合わせたところ、
さっそく、侘助に持ってきてくれた。

矢野くん、ありがとう。


それ以来、食卓の傍らに置いて、
機会があるたびに開いているのだが、これが本当に愉しい。

それは、昭和という時代への
ノスタルジーのせいもあるのだろう。

しかし、それだけではない。

日本人が失ったものは何なのか、見えてくるところがあって、
考えさせられたりもする。

そのあたりが貴重だと思う。
posted by 城戸朱理 at 17:27| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月10日

童心に帰る本

100410_1116~0001.jpg


先日、大船の古本屋で面白いものを見つけた。
H.G.ウェルズ『透明人間』(創元社)である。

収録されているのは、「タイムマシン」、
「透明人間」「モロー博士の島」の3篇で、
ウェルズの代表作がずらりと並ぶ。

刊行は1956年。
「世界大ロマン全集」の一巻で、
この全集、ラインナップが面白い。


アレクサンドル・デュマやH.R.ハガード、
コナン・ドイルやモーリス・ルブランに、
『西遊記』や『金瓶梅』、
はてまたシェンキーヴィッチの『クオヴァディス』や
アンドレ・ジッド『田園交響楽』などが同居しており、百花繚乱。

今日ならば、古典文学、幻想小説、SF、ミステリーと
ジャンル分けされてしまうだろうが、
とにかく、読んで面白いものなら、
何でも入れてしまえといった破天荒さがある。

まだ、テレビもない時代だけに、
読書にも娯楽性が求められた、
そんな時代相が見えてくるように思う。


昔、同じシリーズのブラム・ストーカー
『魔人ドラキュラ』を荻窪の岩森書店の店頭ワゴンで見つけ、
400円で、求めたことがあるのだが、
『透明人間』も同じく400円だった。

ドラキュラも透明人間も、
子供向けの版で読んだり、映画で見たりして、
知っているような気分になっているが、
意外と原作は読んでいないものだから、
こうした本を読みふけるのは、
童心に帰るようなところがあって、実に愉しい。


『魔人ドラキュラ』のほうは、
平井呈一訳で、本邦初訳であるため、
3〜4千円の古書値がつくことも。


今回は、ほかに「ヴェルヌ全集」(綜合社)の
『二年間のバカンス』(1967)と
『気球に乗って五週間』(1968)も発見。

前者は、800円。言うまでもなく
『十五少年漂流記』という邦題で親しまれている物語だが、
ジュール・ヴェルヌの評価を決定した後者は、
今は邦訳が手に入らないのではないだろうか。

これには千円の古書値がついていたが、
さすがにプロは、そのあたりの事情まで踏まえて、
値付けをするらしい。
posted by 城戸朱理 at 11:21| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

ブックオフの活用法

私は吉田健一のエッセイが好きなので、
古本屋で彼の著作を見つけたときは、
求めるようにしているが、
別に集めているわけではないので、
吉田健一の少なからぬ著作が揃う日はないだろう。

そういえば、荻窪の岩森書店で、
吉田健一の著作初版一括という揃いを見たことがある。

10年以上前の話だが、
一冊一冊は、さして古書値を呼ぶものではないのに、
揃いとなると話は別で、25万円くらいだったろうか。

とにかく、すぐに手が出るような値段ではなかった。

おそらくは、吉田健一と同時代を生きた読者が、
刊行のたびに求めたものなのだろうが、
たしかに、同時代の作家ならば、
その全著作を揃えるのは、不可能ではない。

同世代の作家だと、第一作から著作を
送ってくれている人もいるので、
自然と全著作が揃うことになる。
私にとっては、藤沢周、堀江敏幸両氏が、
そうした作家に当たるが、
ブックオフを回っているうちに、あることに気づいた。


御存知のように、ブックオフでは、
本の内容や稀少性とは関係なしに、
定価と新しさによって値付けがされているが、
一定期間、売れないままだと売値が次第に下がっていき、
最後は、105円になる。


最近では、小説は文庫化されたとたんに、
単行本には古書値がつかなくなるので、
ブックオフを覗くと小説は意外と充実しているし、しかも安い。


もし、同時代の作家でこれと思う人がいたら、
もちろん、新刊本で買うべきだが、
過去の著作に関しては、
ブックオフを利用するのもいいだろう。

もし、ある作家の著作が初版揃いで一括となったら、
今度は逆に古書値を呼ぶかも知れないし、
本棚に並んだ様子は、気持ちがいいに違いない。

問題は、誰の著作を集めるかだが、それは人それぞれ、
私もひそかに買い集めている作家がいる。
posted by 城戸朱理 at 13:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

新書の楽しみ方

鎌倉駅前の東急ストアでは、
ときどき古本市をやっている。
市といっても一店舗だけの出店だから、
正確には出張古本屋というところだが、
昨日も古本市に遭遇し、
状態のいい寺山修司『幻想図書館』(PHP)初版や
海野弘『酒場の文化史』(サントリー博物館文庫)など4冊を購入した。

面白いのは、最近、古本を見ていると、
以前なら買わなかった新書を比較的、
よく求めるようになったことで、
昨日も樽見博『三度のメシより古本!』(平凡社新書)を
求めたのだが、ブックオフを覗くときも、
最近は、新書の棚を、よく見るようになった。


古書店主にして直木賞作家の出久根達郎氏は、
古本屋では、新書を扱わないと書いていたが、
その理由は、時代に即した
入門書的な内容のものが多いからだとか。


たしかに、うなずける話である。
しかもゼロ年代になってからは、
新書の性格じたいがさらに変化したのではないだろうか。


各社が新書市場に参入、
新書からベストセラーが何冊も生まれたが、
その一方で過剰なまでの新刊が刊行されるようになった。

書店の棚にはスペース的に限界があるから、
刊行の翌年に、まだ棚に並んでいるものは、
よほど話題になったものばかり。
内容もまるで雑誌の特集のように気楽なものが増え、
もはや飽和状態と言ってもいい。

これでは、新書に古書値がつかないのも当たり前だが、
少なくとも、90年代までは、
岩波や中公の新書は、
10年ていどの寿命を持っていたことを思うと、
隔世の感がある。


刊行点数が増えただけに、出たことを気づかない新書も増え、
すぐに絶版になるので、
面白いものがあっても、行き当たらないことも少なくない。

実際、かつての講談社現代新書など、
そのまま講談社学術文庫に
入ってもおかなしくないほど、
充実したものもあっただけに、
最近は、そうしたものを探すように。

もちろん、新書だから、どれも安い。
けれども、なかには面白いテーマや
高度な内容のものもあったりして、
読みふけることもある。
posted by 城戸朱理 at 12:52| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

2日間の古本屋巡り

『世界ー海』に続いて『幻の母』の入稿原稿を
思潮社に送りだしてから、
大船に出かけて、覗いたのが、
昨年、秋にオープンしたブックオフだった。


ここは、リサイクルのブランド品や
古着なども扱う大型店舗。

しかし、私の、お目当ては、
あくまでも本だけである。


結局、文庫3冊、新書5冊、単行本3冊の計11冊を購入。

しめて、3715円だったが、
面白いのは、池田憲章・高橋信之編著
『ウルトラマン対仮面ライダー』(文藝春秋)、850円。

そして、私にとっての掘り出し物は、
眞淳平『海はゴミ箱じゃない!』
(岩波ジュニア新書)、105円だった。

別に珍しい本ではない。
けれども、私が構想している詩的随想
『漂流物』の資料になることだろう。

ふだん、書店で岩波ジュニア新書の棚は見ないから、
知らなかったわけだが、古本屋を回るのは、
こういう本と出会うためだと言ってもいい。

探している本を見つけるのなら、ネットで十分だが、
古本屋を歩くのは、むしろ、
探していない本と出会うためなのである。


翌日は、詩論集『都市の文書』入稿作業のため、
倉庫に収納してある本の山のなかから、
執筆誌を探し出すのにひと苦労したが、
午後には気分転換に、藤沢方面の古本屋を覗くことにした。


藤沢駅行きのバスに乗り、まず手広のブックオフへ。

ここもリサイクルの家電や楽器、
古着などまで扱う大型店舗だが、
オーディオと楽器をチェック。
ラックスマンの真空管アンプや
マランツのプリメインアンプなど、
なかなか気になるものがあったりする。

しかし、買うのは、やはり本だけである。


結局、文庫3冊、新書2冊、単行本4冊の計9冊を2880円で購入。


ケッサクなのは柳田理科雄著の
『ゴジラvs柳田理科雄』(メディアファクトリー)、650円。

やったと思ったのが、
『月のUFOとファティマ第3の秘密』(トクマブックス)、105円。
著者は、「空間物理研究家」を名乗るコンノケンイチ。
いわゆる、UFOネタのトンデモ本だが、
シュレディンガーの量子力学や
ハイゼルベルクの不確定性原理まで持ち出して、
UFOを熱く語るあたりは、本当に面白い。

最近は、トンデモ本の刊行が減少し、
古書にも値がつくようになったが、
やはり、こういう本は百円くらいで買いたいものである。

嬉しかったのは、初沢克利写真集『パリ』(集英社)。

これは、70年代から現在までのパリの日常の風景を
1000点を超える写真で伝えるもので、
700ページを超える大冊。
定価は、4000円だが、450円で買えた。


ブックオフのあとは古本小屋を覗き、
さらに藤沢駅まで歩いて、
古本屋を回ったのだが、
ずしりと重い荷物も、本だと思うと、
気にならないのが、我ながらおかしい。


藤沢には、ブックオフのような新古本屋ではなく、
昔ながらの古本屋も10軒ほどあって、
なかなか充実しているが、
こちらは、また機会を改めて語ることにしよう。
posted by 城戸朱理 at 10:43| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月09日

思潮社のホームページ(アドレス間違いにより再掲載)

かねてから準備中だった
思潮社のホームページが、ついに開設された。

アドレスは以下の通り。


http://www.shichosha.co.jp/


トップページの「詩の本の思潮社」という書は、
西脇順三郎によるもので、
この額は、今でも思潮社編集部にかけられている。

HPで在庫の確認や注文も出来るので、
便利になるのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 12:00| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

思潮社のホームページ

かねてから準備中だった
思潮社のホームページが、ついに開設された。

アドレスは以下の通り。


http://www.shichousha.co.jp/


トップページの「詩の本の思潮社」という書は、
西脇順三郎によるもので、
この額は、今でも思潮社編集部にかけられている。

HPで在庫の確認や注文も出来るので、
便利になるのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 18:16| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする