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城戸朱理のブログ: エッセイ

2017年03月30日

地政学的な危機



英国の「ファイナンシャル・タイムズ」(3月9日)が、朝鮮半島の現状を「コリア・クライシス」と報じた。

アメリカのCNNなどのメディアも、同様のトーンで、朝鮮半島の危機的状況を報道しているそうで、日本のメディアより、強い危機感をにじませている。


それも当然だろう。

北朝鮮が、度重なる核実験、さらにはミサイル発射と軍事的挑発を強めるなか、
韓国は、朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾、罷免によって政治的空白が生じたうえに、
THAAD(高高度ミサイル防衛システム)の配備をめぐって、韓国が米中2大国の衝突の場となり、中国の露骨な経済制裁が、ただでさえ不振だった韓国経済を圧迫している。

ちなみに、韓国は昨年のGDPが世界11位と、経済的には大国なのだが、その約80%を輸出に頼っているため、貿易依存度が異様に高く、もともと内需が弱い。

日本の貿易依存度が、15%ていどであることを思えば、韓国の貿易依存度が異常なまでに高いものであることが分かるだろう。

世界経済の減速による輸出の不振に加えて、もともと低かった韓国の内需を、不動産バブルで約130兆円まで膨れ上がった家計負債が圧迫し、消費者心理を冷え込ませている。

ちなみに、昨年の韓国の国民ひとりあたりの国民総所得(GNI)は、2万7561ドル。

国民総所得は、ある国の国民の生活水準を示す経済指標だが、韓国は、2006年に2万ドルを超えて以来、10年もの長きにわたって、先進国入りの指標となる3万ドルの壁を超えることができず、2万ドル代を推移していることになる。


韓国経済の失速は、若年層(15〜29歳)の12.3%という高い失業率を見ても明らかで、韓国メディアでも、これから韓国が日本のように「失われた20年」を迎えるのではないかという報道が、去年からずいぶん目につくようになった。


たしかに「漢江(はんがん)の奇跡」と呼ばれた韓国の経済成長は、目覚ましいものがあった。

日韓が国交回復した1965年の段階で、両国のGDPは約30倍の開きがあったが、近年だと、韓国のGDPは1兆3000億ドルと日本のGDP4兆9000億ドルの約26%、その差は4倍まで縮まっている。

だが、基幹産業が中国の猛追を受けており、技術革新では日本に遅れを取り、成長エンジンが見当たらない。

さらに、財閥中心の経済構造に国民の不満が募り、人口も減少に転じたため、今後は、これまでのような経済成長は見込めないというのが現実だろう。


しかも、次期大統領が確実視される文在寅(ムン・ジェイン)「ともに民主党」前代表は、かねてから親中、親北、反日、反米の左派として知られ、
文在寅大統領が誕生したら、北朝鮮と韓国の連邦制統一、最悪の場合には共産党独裁の赤化統一のシナリオを予想する識者さえいる。

もし、そうなったら、実質的には北朝鮮主導の半島統一となり、米軍は朝鮮半島から撤退、韓国は地上から消滅することになりかねない。

もっとも、文在寅候補が、実際に大統領として執権するようになれば、単純に反米を貫くとは思えないので、状況が、そこまで急変することはないのかも知れないが、可能性が捨てきれないのも事実だ。


かつては、中国(清)とロシア、日本という列強の、そして今は中国とアメリカという二大強大国の思惑が衝突する朝鮮半島の地政学的な困難さ。

そして、朝鮮半島と対峙する日本列島の位置を思えば、それは日本という国の困難さでもあることを忘れてはならないだろう。
posted by 城戸朱理 at 19:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

宮澤賢治「雨ニモマケズ」手帳を使い始めて

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盛岡の光原社で求めた復刻版の宮澤賢治の手帳を使うことにした。

この手帳は、横罫なのだが、賢治は裏表紙から縦書きで使っているので、私も「雨ニモマケズ」が書かれたあとのページから、縦書きでメモを取り始める。

メモは、手書きに限る。

ハーバード大学の調査で、手書きとPCを比較した場合、手書きのほうが記憶として定着するという結果が出たが、手書きだと、記憶に残るだけではなく、次の思考が呼び起こされるところがある。

乱雑でも構わないし、気になったことを何でも書いておくと、新しい関係が立ち上がり、それまで気づけなかったことが、突然、見えてくることもあるのだ。

私は、ノートも用意して、気になったことを書きつけるようにしている。

ノートはテーマ別にも用意しているが、実際は、テーマを決めず何でも書き込むことにしている雑記帳から、何かを発想することが多いようだ。

つまり、考えを整理するのではなく、雑多な事項の「遠いものの連結」(西脇順三郎)によって、新しい考えが生まれるということだろうか。


「雨ニモマケズ手帳」に、ここしばらく詩について考えていたことをランダムに書いてみたら、私にとっても思いがけない詩の問題が見えてきて、自分でも驚いているところなのだが、それは、これから自分が書くべき詩を、その方位と地平を照らすものになるかも知れない。


それが、どんなことなのかは、詩集の形で問うことになるだろう。

人は、結論を求める。

しかし、大切なのは問い続けることだ。
posted by 城戸朱理 at 09:51| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

つくしを摘んで

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鎌倉では、あちこちにつくしを見かけるようになった。

龍子さんによると、澁澤龍彦先生は、つくしを摘むのがお好きだったとか。

春に澁澤邸を訪ねると、龍子さんは必ずつくし料理を出して下さるが、生前の澁澤先生は、若い編集者が来ると、見たことがないだろうと、得意気につくし料理を振る舞ったそうだ。


つくしは、袴を取るのが大変で、指が黒くなるが、これは指に酢をつけながらやるといいらしい。

下処理が終わったら、胡麻油で炒めたり、梅肉と和えたり、玉子とじにしたりする。

春の味覚のひとつだが、それ以上に、つくしは、野原や土手に、ぬっと出ている感じが面白い。

漢字だと「土筆」になるが、たしかに地面に筆を立てたかのようでもある。


田鼠の穴からぬつと土筆かな(小林一茶)


土筆は春の季語。

古句には「つくづくし」とも詠まれている。
posted by 城戸朱理 at 11:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バンビ=鹿千代の悪だくみ???

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あるときは、生きているこけし=生(なま)こけし。

そして、あるときは、子供剣士・鹿千代。

しかして、その実体は――

そう、バンビことパンクな彼女である。


「鹿千代にござりまする!」

また、鹿千代になってしまった――

「ちっちゃいのでござりまする」
・・・

困ったことに、鹿千代は、六つか七つの子供という設定なのだ。

「鹿千代は、お腹が空きましてござりまする」
・・・・・・

何か作ってくれという意味である。


仕方がないので、私が昼食の準備をすることにした。

考えてみると、ここ数年、多忙を極めていたせいもあるが、料理はバンビに任せっぱなしだったから、私が厨房に立てるというのは、余裕ができてきたということで、悪い話ではない。


ラードでタマネギのみじん切りと挽き肉を炒め、さらに人参、キャベツをさっと炒めて、鳥ガラスープで煮てから味噌を溶く。

生麺を茹で、茹で玉子をトッピングして、味噌ラーメンを作ったのだが、ちょうど出来上がったところで、バンビ=鹿千代がやってきた。

スープには仕上げに、おろしニンニクとショウガ、そして山椒を。

これは、味噌ラーメンの名店、さっぽろ純連の調理法から学んだ。


「美味しゅうござります」
・・・


そして、翌日。

夕方にバンビ=鹿千代からLINEで連絡が来た。

「鹿千代は、お肉を食べとうござりまする」
・・・

「京都の焼肉はつだ風にお願いいたします」
・・・・・・


焼肉はつだのタレが買ってあったので、バンビ=鹿千代が自分用に買ってあった牛肉を、はつだ風に焼いていたら、バンビが帰ってきた。


「ステーキも焼いてほしゅうござりまする」
・・・

冷蔵庫を覗いてみたら、綺麗にサシが入った和牛A5等級のステーキ肉が。

どうやら、自分用にステーキ肉も買ったらしい――

「にゃふ〜ん!」と喜びながら、ステーキ肉をカゴに入れるバンビが、目に浮かぶかのようだ。


かくして、私は焼魚、バンビはステーキと焼肉の夕食になったのだが、なにせ鹿千代は六つか七つの子供という設定だから、鹿千代になられると、料理も私がせざるをえない。

ひょっとして、それが、バンビの狙いだったのか!?


パンクだから仕方がないが、さらなる警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 09:51| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

第三次こけしブーム???

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戦前、そして高度成長期に続いて、現在は、第三次こけしブームなのだとか。

手作りの伝統工芸品なのに、数千円で入手できることから、若い女性を中心に人気が高まり、こけし女子、略して「こけ女」なる言葉まで生まれたほど。


不定期月刊(?)のこけしと温泉の専門誌「こけし時代」もひそかに人気らしいが、実は、この雑誌を編集しているのは、バンビことパンクな彼女の友人なのである!


ちなみに、こけしは、江戸時代から東北地方で作られてきたが、地方ごとに呼び名は違ったそうだ。

それが、昭和15年(1940)に宮城県の鳴子温泉で「全国こけし大会」が開催され、こけしという名称が定着することになったらしい。


第一次こけしブームは、昭和6年(1931)に刊行された『こけし這子(ほうこ)の話』がきっかけだったという。

著者は、児童文学者の天江富弥。

初めて、こけしを系統別に体系化した本なのだが、この影響でコレクターが急増。


第二次こけしブームは、昭和30年代後半から40年代前半にかけての高度成長期で、道路や交通機関の整備が進んだおかげで、賑わうようになった温泉地の土産物として、こけしが飛ぶように売れたのだとか。

第一次こけしブームが、民芸品や骨董の収集家や都市部のインテリ層によるものだったのに対して、第二次ブームの中心になったのは、サラリーマン。

それだけに、売れ行きも凄く、最近、骨董市を覗くと、異様にこけしが目につくが、この第二次ブームのときに買われたこけしが売りに出されているのだろう。


現在の第三次こけしブームは、女子が中心で、素朴なゆるキャラとして人気を博している。


そして、バンビは、こけしが静かなブームになる前から、こけし風の髪型にして、生きているこけし=生(なま)こけしになって遊んでいたわけだから、先見の明があったと言えなくもない。

いや、ちょっと待てよ。

こけしを飾って和むのと、自分がこけしになるのでは、かなり違うか。
posted by 城戸朱理 at 11:25| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

宮澤賢治の手帳

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賢治の詩のうちでも、もっとも広く知られているのは「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」だが、これは詩として発表されたものではなく、
賢治の没後に発見された手帳のメモであり、賢治自身が自ら、こうありたいという姿を綴ったものである。

「雨ニモマケズ」が記されているのは、賢治が、闘病中の1931年に使っていた黒い手帳の51ページから59ページにかけてで、11月3日の日付を持つ。

筆跡から見ても、一気に書き上げたのは間違いないが、賢治自身、この走り書きのメモが、後世、自分の代表作のひとつになるとは思っていなかっただろう。

また「雨ニモマケズ」の後には「南無無辺行菩薩/南無上行菩薩/南無多宝菩薩/南無妙法蓮華経/南無釈迦牟尼仏/南無浄行菩薩/南無安立行菩薩」と「法華経」を中心に諸仏を列記したページもあり、法華経に深く帰依した賢治の姿が浮かび上がってくる。


この手帳は、研究者に「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれているが、光原社で、その復刻が売られていたので、求めてみた。


鞄に入れておくと、ごく普通の手帳にしか見えないが、なかに記されている言葉を思うと、何の変哲もない手帳が、精神性を帯びるかのようで、心地よい緊張がある。

「雨ニモマケズ手帳」は、およそ三分の二が白紙のままなので、私も手帳として使うつもりだが、自分が、どんな言葉を書きつけることになるのかは、分からない。
posted by 城戸朱理 at 10:40| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

桃花&バンビ

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食事を終えて、記念撮影。

バンビことパンクな彼女は、さっそく佐藤桃花さんのポーズを真似している。

この両手を広げるポーズは、女子大生に流行っているのだろうか。

それとも、佐藤さんのオリジナルなのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 16:41| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

食卓の古唐津、その2

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「鹿千代にござりまする」

また、バンビことパンクな彼女が、時代劇モードで、子供剣士・鹿千代になってしまった。

「糠之丞(ぬかのじょう)が、活躍しているのでござりまする」
・・・

糠之丞とは、バンビ=鹿千代のぬか床の名前である。

たしかに、毎日、食卓に並ぶぬか漬けの味が、よくなっている。


ぬか漬けは、夏なら半日、冬なら一日で食べられるが、二日、三日と置くにつれ、古漬けに近づき、味わいが深まる。

浅漬けのみずみずしさも捨てがたいが、古漬けをミョウガやショウガと一緒に刻んだものもいいものだ。


バンビ=鹿千代が、キュウリのぬか漬けを盛ったのは、例によって古唐津。


松浦古唐津の市之瀬高麗神窯で焼かれた馬盥の小鉢で、灰釉の無地唐津だが、酸化炎で焼かれて黄褐色に発色している。

これを黄唐津とも呼ぶが、古唐津のなかでも、もっとも経年変化が出やすい手なので、使うにつれて味わい深くなっていくことだろう。


十三代中里太郎右衛門(中里蓬庵)の研究によると、市ノ瀬高麗神窯は、慶長3年(1598)に、肥前佐賀藩の藩祖・鍋島直茂が、慶長の役の朝鮮出兵の帰りに連れ帰った李朝の陶工によって開かれた窯という伝承があるそうだから、江戸初期の所産ということになる。

ただし、陶磁学では、かねてから古唐津や織部などの美濃ものは、江戸初期の所産であっても、すべて桃山と表記するのが通例となっているようだ。

井伏鱒二の『珍品堂主人』のモデルになった秦秀雄などは、明らかに江戸時代に入ってからの織部を、桃山とするのに異議を唱えていたが、
実は10年単位で区分できるにも関わらず、陶磁学上は、桃山の様式のものを一括して、桃山時代としているわけで、これは、日本陶磁史上での、桃山という時代の重要性を示すものだろう。


ともあれ、古唐津の小器のどれかが食卓に並ぶのは、わが家の習慣になりそうだ。
posted by 城戸朱理 at 08:42| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月09日

インディペンデント映画



久しぶりにジム・ジュームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984)を見た。

これといって何も起こらないのだが、コミカルでありながら空虚さを抱えた若者たちの群像は、今見ても素晴らしい。

20代のとき、初めて見たときの興奮が甦るかのようだった。


この作品は、ヴィム・ヴェンダースがハリウッド進出に失敗し、余った1時間分ほどの35mmフィルムをジャームッシュにプレゼントしたところから始まった。

ヴェンダースとしては、15分ほどの短編が撮れると思ったらしいが、ジャームッシュは入念なリハーサルを重ねてフィルムの無駄を廃し、第一作目となる長編を作り上げた。
(この前に「パーマネント・バケーション」が撮られているが、これは卒業制作である)


そして、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)、カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)、さらに全米映画批評家協会賞卯を受賞し、世界のシネアストの注目を集めることになる。


ジャームッシュは、今年のカンヌにも「パターソン」を出品しているが、「ブロークン・フラワーズ」(2005)で、カンヌの審査員特別グランプリを受賞しているので、残すは、最高賞のパルム・ドールのみとなる。


そんなことはともかく、ジャームッシュの凄さは、アメリカに生まれながら、ハリウッドとは無縁のインディペンデント映画を撮り続けているところだろう。

映画制作には、とにかくお金がかかる。

これといったスターが出演しない一般的なハリウッド映画でも、平均予算は20億円を超えると聞いたことがあるが、ジャームッシュは予算に縛られず、映画を作る道を見いだしたことになるわけで、これは創作の自由を保証するものとなるだろう。


インディペンデント映画の先駆と言えば、ジョン・カサヴェテスだが、カサヴェテスのことを考えると、私はいつも愉快な気分になる。

監督第一作は、「フェイシズ」(1968)。

なんと、自宅を抵当に入れて資金を作り、その自宅で撮影したという無茶ぶりが素晴らしい。


「フェイシズ」は大いに話題を呼び、インディペンデント映画というジャンルの確立に寄与したが、その後、カサヴェテスは、「グロリア」(1980)で、ベネツィア国際映画祭の金獅子賞、「ラヴ・ストリームス」(1984)で、ベルリン国際映画祭の金熊賞、国際批評家連盟賞を受賞している。

こう書くと華々しい経歴のようだが、彼は、妻のジーナ・ローランズとともに、ハリウッドの俳優業で得たギャラを映画制作に投じており、映画制作の資金作りのために俳優をしていたふしさえある。

ふつう、カサヴェテスやジーナ・ローランズほどの役者なら、ハリウッドのスターになったところで満足しそうなものだが、そうでなかったところが、痛快である。

誰かに頼まれたのではなく、自分が撮りたいものを作ろうとしたら、世界的な巨匠になるまで待つか、インディペンデントしかない。


映像のデジタル化によって、映画制作は敷居が低くなった。

今や、あの「シン・ゴジラ」もそうだったように、iPhoneでも映画が撮れる時代なのだ。

そのせいもあって、インディペンデントの制作本数は増えている。

だからと言って、カサヴェベテスやジャームッシュのような才能が、次々に現れてくるわけではないにしろ、新しい力の胎動を感じるようにはなったのも事実である。


詩もまた、あらかたがインディペンデントなわけだから、手にした自由を振り切るほどの詩を書くことを目指すしかない。
posted by 城戸朱理 at 10:40| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

酒を飲まないと

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晩酌は長いこと、私の習慣だが、やらなければならないことが山積していたので、数日だけ酒を飲まずに過ごしたところ、実に面白い発見があった。

何が面白かったのかというと、夕食の献立である。

たとえば、湯豆腐。

寒い季節、湯豆腐で呑み始め、お造りや焼き物が出てくるのを待つのはいいものだが、呑まないとなると、湯豆腐は、御飯の菜には淡白すぎて物足りない。

これが旅館に泊まって、朝食に湯豆腐が添えてあったりすると豊かな気持ちになるものだが、どうも夕食には向かないようだ。

そういえば、お造りも、酒と飯、どちらにも合うものは少ない。

マグロや鯛なら、酒の当てにもなるし、御飯にも合うのは言うまでもないが、たとえば、烏賊なら、どうだろうか。

旬の烏賊の、甘さとみずみずしさは酒を呼ぶが、これが飯の菜となると、やはり物足りないような気がする。

そして、逆にカレーやオムライスといった、いかにも家庭的な料理だと、酒は飲めない。


世の中には、酒は飲めないが、珍味に類する酒肴が好きだという人も稀にいるから、いちがいには言えないが、酒徒と下戸では、献立がまったく違うものになるというのが現実だろう。


酒徒の立場から言うと、懐石料理は酒なしには考えられないし、吉田建一ではないが、フランス料理やイタリア料理は、ワインのためにある。


ちなみに和食だと、武家の正式な料理は、お膳が並ぶ本膳料理、一方、禅宗で精進料理が生まれ、その流れを汲んで、茶の湯の懐石料理が始まった。

江戸時代には、俳諧や和歌の会の酒席のために、本膳料理を簡略化した会席料理が生まれ、一方で、仕入れた食材と客の要望に合わせて調理をする即席料理も発達する。

今日の割烹料理は、即席料理の流れを汲むところがあるのだろう。

八寸や先付けから始まって、お椀、お造り、焼き物と続く、現代の正式な和食は、北大路魯山人と吉兆の創業者、湯木貞一によって大成されたものと言われているが、懐石の作法で本膳料理の品数を出すものと言えなくもない。

そして、茶懐石でさえ酒ありきなのだから、和食においても、料理じたいが酒と測り合っているようなものである。


ところが、呑まずに食事するだけだと、実に簡単に済むのは驚くばかりで、30分もあれば食事が終わってしまう。

澁澤龍子さんは、せっかく2時間、3時間をかけて料理をしても、食べるだけだと30分で終わってしまうので、ワインを飲みながらゆっくり食事を楽しむとおっしゃっていたが、うなずける話だ。


飲まないと、その分だけ、時間は出来る。

おかげて、やらなければならないことははかどったが、それは、それであわただしい。

「人生は退屈の味を知ってから始まる」とかたったのは吉田健一である。

そして、退屈する間もないほど日々の仕事と雑事に追われている私のような人間は、酒を前にして、ようやく退屈の入り口に立つことができるようだ。
posted by 城戸朱理 at 12:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

小津安二郎邸の名残り

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北鎌倉の侘助。

店主の菅村睦郎さんは、私の高校の先輩だが、壁には和紙、天井には革が貼られ、時間の経過をたたえた古色が店内の空気を鈍色に染めているかのようだ。

睦郎さんは、去年、裏手に庭を作り、それに合わせて、物置になっていた店奥の一画を個室風に作り変えたのだが、そこに置かれているテーブルが、実は、今は取り壊されてしまった小津安二郎邸の台所の床材を使ったもの。

小津邸取り壊しのとき、侘助の常連の植木屋さんが手伝ったのだが、廃材として捨てられた木材から譲り受けた一枚板の台所の床材にスチールの脚を付けたのだという。


生涯、独身だった小津安二郎は、北鎌倉の家に母親と暮らしていた。

「無」という一文字が刻まれたお墓は円覚寺にあるが、いまだに小津監督の命日、12月12日には、日本中から墓参りに来る若いファンが絶えない。
posted by 城戸朱理 at 08:48| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月10日

いかれバンビと時代劇???

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井上春生監督が、この20年でいちばん好きな時代劇と語っていたのが、山田洋次監督「たそがれ清兵衛」だった。

原作は、藤沢周平。

藤沢周平の読者なら、おなじみの海坂藩(うなさかはん)七万石を舞台とする物語である。

東北の小藩、海坂藩は架空の藩だが、実在しなかったがゆえに史実にとらわれることなく、物語を紡ぐことができる。

「平成のベストセラー作家」佐伯泰英の累計2000万部超の人気シリーズ、「居眠り磐音江戸草紙」も、主人公の坂崎磐音(いわね)の故郷を、架空の豊後関前藩としているが、これも藤沢周平の海坂藩にならったものだろう。


映画の「たそがれ清兵衛」は、アカデミー賞外国語映画部門の候補になっただけあって、リアリティも、主演の真田広之も素晴らしい。

そのせいで、バンビことパンクな彼女は、時代劇にハマり、藤沢周平原作の映画を続けて観ることになった。

「隠し剣 鬼の爪」(山田洋次監督)と「必死剣 鳥刺し」(平山秀幸監督)である。


そして、バンビは興奮し、すっかり江戸時代の剣客モードになってしまったのである。


「隠し剣、バンビの爪!」
・・・

「あれ、バンビは爪じゃなくて蹄かな?」
・・・・・・

「バンビ剣、鳥刺し!」
・・・

そして、エアー素振りを始めてしまったのである。

「隠し剣、バンビ刺し!」
・・・・・・

今度は、映画2本が混ざっている――


その翌日、私が夕飯の支度を終えたころ、バンビがバイクで帰ってきた。

ドアを開けたら、


「鹿千代にござりまする。
ただいま、戻りました」
!!!

「鹿千代は、着物も帯もいらないのでございます。
ただ、お父さんやお母さんの、仇を討ってやりたいのでございます」
!!!!!!

何なんだ、鹿千代って?

「小美人剣士、鹿千代物語だよ!」
・・・・・・

「小鹿千代」では様にならないので、「小」と「鹿」を分割したらしい。

しかし、鹿千代では、武家ではなく芸者のような名前である。


とにかく、お風呂に入るように言ったら、


「鹿千代は、お風呂をいただきます」
・・・・・・


夕食を終えると――


「鹿千代は、勉強しとうございまする」
・・・・・・


困ったことに、鹿千代になったバンビが「勉強」というのは、Amazon Videoで時代劇を観ることなのである。


そこで、小林正樹監督「切腹」(1962)を観ることにした。

切腹という武家の作法を通して、武士の体面と虚飾をスタティックな画面で描き、カンヌ国際映画祭でも審査員特別賞を受賞した時代劇の傑作である。

三池崇史監督、市川海老蔵主演でリメイクされたのが「一命」だが、海老蔵の熱演にもかかわらず、やはり、「切腹」には及ばない。


「鹿千代は、切腹はイヤでございまする。
走って逃げまする」
・・・・・・


鹿千代になっても、やはりパンクなのである。

それにしても、鹿千代はやけに子供っぽい。

いったい、何歳という設定なのだろう?


「ちっちゃいよ」
!!!

「六つか、七つ」
!!!!!!

まだ、子供じゃないか!?

「鹿千代にござりまする!」
・・・・・・


どうやら、当分は子供の鹿千代になって、時代劇モードで遊ぶつもりらしい。

パンクだから仕方がないが、厳重な警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 00:12| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

田村隆一が日参した酒屋

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材木座海岸、光明寺のそばに、昭和のたたずまいを残す酒屋、萬屋がある。

なんとも懐かしい雰囲気で、店内には角打ちのスペースがあり、常連が、飲んでいる様子が、外からも見えるものだから、つい誘われてしまう。

今は、テーブルと椅子になったが、以前は、靴を脱いで上がり框に上がるようになっていた。


実は、この店、田村隆一が、一時期、日参していた店。

田村さんは、萬屋さんのことを『鳥と人間と植物たち―詩人の日記』(主婦の友社)で、二度、言及している。

店名が出てくるほうの一節を紹介しておこう。



昭和四十五年の秋、ぼくは東京から逃げ出して、鎌倉の材木座海岸の借家に移った。昔の漁師町の名残りのせいか、この町内の朝はいたって早い。
豆腐屋さんの朝の早いのはわけがわかるが、軒をつらねている明治中期創業の酒屋さんも床屋さん(バーバー・ショップでは断じてない)も、朝七時から店をあける。おかげでぼくは、酒屋さんの朝の常連となった。
冬だと、古風な上り框のそばに、石油ストーブがあかあかと燃えていて、店に入っていくと、お内儀がだまって座布団をおいてくれる。それから、朝の挨拶をして、ビールを一本おねがいする。朝刊ももってきてくださるので、ビールをゆっくり飲みながら、新聞を読む。
毎朝通うと、アル中と思われるから、二週間ぐらい、朝のビールを断つときもある。二日酔いの迎え酒には、この店で、ビールを二、三本飲み、すっかりご機嫌になると、ウイスキーと「かに」のカンヅメをもらって、近くの友人の家におしかけて、夜まで酒がつづくということも、まま、ある。(中略)
そのうちに、このお店の常連と仲良くなった。五十がらみの実直な人で、横浜の工場の警備員をやっているという話である。夜から朝までの仕事をおえて、自宅に帰る途中、萬屋さん(お酒屋の屋号)によって、日本酒を冷やで二杯飲むのが、きまりとなっているらしい。
夜は、町内の人たちでにぎあう。植木屋、大工、鳶、漁師、菊造り、市営バスの運転手(非番の日は、引越の運送のアルバイトをしている)といった陽気な人たちで、みんな小学校の同窓らしいから、はたで見ていて、気持ちがいい。
それに、この人たちは、みんなハンサムである。新聞、牛乳を配達する青年たちも、いたってハンサムなのだ。しずかで、おちついていて、実があって、しかも快活なのだから、云うところはない。
この町には、東京の下町にもあった「町内」が、じつにこのましい形で、そっくり残っていて、この小さなコミュニティの活力になっている。
中世の鎌倉文化の血が、ぼくの眼に見えない部分で、しずかに呼吸しているのかも知れない。(「家の中の死者」)



というわけで、私も散歩の途中で、萬屋さんの角打ちに混ぜてもらうことにした。

冷蔵庫から氷を出して、焼酎の水割りを作る常連、持参した崎陽軒の焼売を開き、振る舞う常連と、昭和と変わらぬ風景が、いまだにある。

エビスビールを飲みながら、常連のやり取りを聞くともなく聞いていたのだが、この雰囲気は、北鎌倉の侘助に通じるものがあるなと思った。

侘助も、藤沢周氏のような芥川賞作家や美術家、鳶職や植木屋に元会社重役や編集者と、さまざまな仕事の人が集う「町内」が息づいている。

田村さんがこよなく愛した下町的な共同体が、鎌倉には、まだ残っているのだろう。

田村さんは、先に引用した「家の中の死者」で、次のように書いている。



ぼくも、こういう土地で生れて、そして死にたかった。



その言葉通り、鎌倉で生まれはしなかったが、田村隆一は鎌倉の妙本寺に眠っている。


田村さんの材木座海岸の借家時代は、1970年9月から、翌年の11月までで、同月に田村さんは稲村ヶ崎の「持ち家」に転居している。

稲村ヶ崎の引越しには、萬屋の常連が手助けしてくれたことを、田村さんが書いていた。

、『退屈夢想庵』(新潮社)、巻頭の一節である。



三年半まえ、材木座の借家から、稲村ヶ崎の谷戸の奥に引越してきたとき、材木座の明治中期創業の酒屋さんの常連のお世話になった。(中略)
なかでも植木屋のイタさん(イタリア人に似ているので、こういうニックネームがついている。別に板前さんではない)と、その仲間には、わが小庭づくりのお世話になった。



田村さんは、イタさんを始めとする常連に手伝ってもらって、二十坪ほど小庭に、花水木や夏柑、金モクセイや柚子の木を植えたらしい。



角打ちならば、鎌倉駅から近い御成通りの酒屋、高崎屋も、店頭で酒が飲める。

正しくは、店頭ではなく、店の奥右手の立ち呑みスペースなのだが、是枝裕和監督の「海街diary」で、長澤まさみが立ち呑みしていたところが、まさに高崎屋だった。


私が、鎌倉に転居した13年前は、高崎屋の向かいに滝の湯という銭湯があった。

原稿を書き終えた日には、まだ明るいうちに一番湯に浸かり、それから向かいの高崎屋さんで、初夏ならヒューガルデン、それ以外の季節は、エーデルピルスを飲んでから、飲み屋に繰り出したものだった。

滝の湯は、薬草を浸した中将湯で、お湯は茶褐色。

一番湯ともなると、痺れるほど熱く、備え付けの板で、お湯をよく揉まないと入れないほどだった。

端午の節句に、菖蒲湯に気持ちよく浸かっていたら、アメリカ人が四人、どやどやと入ってきて、菖蒲を怪訝そうに摘まんでいたので、由来を英語で説明したこともあった。

けれども、滝の湯で冬至の柚子湯に入った記憶はない。

銭湯で、柚子湯に入ったのは京都、錦小路の錦湯だったっけ。


滝の湯は廃業してしまったが、戦前の木造建築で、なんとも言えない風情があった。
posted by 城戸朱理 at 08:38| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

換気扇と電傘を掃除して

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わが家では、照明はすべて骨董屋で探した戦前の電傘に、白熱灯を使っている。

気がついたら、居間のシーリングライトに、ずいぶんと埃がたまっていた。

目線から外れたところは、どうしても掃除が行き届かないが、それより気になっていたのは、キッチンの換気扇である。


この何年か、忙しさにかまけて、ろくに掃除していなかったので、換気扇のまわりには油汚れも目立つ。


バンビことパンクな彼女と一緒に換気扇を掃除することにした。

外した換気扇をバンビが洗う間に、私が高い位置の換気扇回りを掃除したのだが、エタノールを使っても、こびりついた油汚れは、なかなか落ちない。

何か、木べらのようなものがあるといいのだが。


「赤福のへらみたいなのがあるといいのかな?」

たしかに、赤福に付いているへらなら、うってつけかも知れない。

「あるよ」
???

バンビが引き出しから取り出したのは、赤福の木べらではないか!

どうして、こんなものが?

「三味線のバチみたいで、好きなんだなあ!」
・・・・・・


そんな理由で取ってあったとは――


試しに使ってみたら、こびりついた油汚れも、こそげ落とすことができる。


「こうやって、いざというときに、お役に立つ賢い子なんだよ!」
・・・

「お手々にたっぷりお小遣いをのせてあげたりしてみたいものだね!」
・・・・・・

バンビが、換気扇本体を磨き上げる間に、エタノールを含ませた雑巾で拭いていたら、ステンレスもピカピカになった。


椅子に乗って、不自然な姿勢で作業をしていたものだから、汗だくになってしまったが、新品のようになった換気扇は気持ちよい。


勢いで、居間のシーリングライトを始めとする電傘も掃除したのだが、部屋が明るくなった気がする。
posted by 城戸朱理 at 08:51| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

裏地で選んだジャケット

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1980年代には倒産さえ囁かれたが、1994年、クリエイティブ・ディレクターにトム・フォードを迎えて、GUCCIは再建を果たした。

それだけに、トム・フォード辞任後が危ぶまれたが、2005年にクリエイティブ・ディレクターに就任したフリーダ・ジャンニーニは、ブランド・イメージを損なうことなく、トム・フォードの男性的なラインから、より中性的なコレクションを展開し、高い評価を得た。


実は、私が、GUCCIを意識するようになったのは、東日本大震災以降、GUCCIが、被災地の子供たちに返還不要の奨学金を給付するユネスコ協会就学支援金の支援を続けていることを知ったからで、フリーダ自身も仙台を訪れ、奨学生と会ったり、ワークショップを開催したりしているという。


フリーダ・ジャンニーニは、2015〜16秋冬コレクションを最後に、GUCCIを退いたが、ここ数年のコレクションは魅力的だった。


なかでも、裏地が気になって購入したジャケットがある。

一着は、赤系のツィードで、裏地には鳥をプリントしたシルクを使ったもの。

このジャケットには、黒のモヘアに黒糸で鳥を刺繍したタートルネックセーターを合わせるようになっている。


もう一着は、カナダの現代画家クリス・ナイトが、GUCCIの伝統的なパターンであるフローラを独自に解釈した「フローラナイト」をシルクプリントした裏地のブレザーだった。

フローラナイトは、ベラドンナやダチュラといった妖しい花に、魔除けでもあるクローバーやイヌホウズキを配したもので、妖艶な雰囲気が漂う。


どちらも裏地だから、着用しても見えるわけではないが、こうした遊び心は、洋の東西を問わず、惹かれるものがある。


2015年の暮れから翌春にかけて鎌倉文学館で開催された「作家 身のまわり」展では、大の猫好きとして知られた大佛次郎が、日本画家に猫を描いてもらったと裏地の羽織が展示されていたが、それに通じるものがあるのだろう。
posted by 城戸朱理 at 12:28| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月27日

ホテル・ニューカマクラ

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年間観光客が1200万人を超える観光地なのに、鎌倉にはホテルが少ない。

プリンスホテルを始めとして、いくつかあるホテルは、ぜんぶ泊まったことがあるが、抜群に面白いのは、やはりホテル・ニューカマクラだろう。


鎌倉駅のホームからも見える木造の洋館は、大正13年(1924)に建てられたもので、関東大震災前には、文人がよく利用した料亭・貸し別荘、平野屋があったところ。

大正12年に、岡本かの子は、避暑で平野屋を訪れた芥川龍之介と偶然、出会い、小説「鶴は病みき」を書いた。


バス、トイレは共有ながら、掃除が行き届き、赤いカーペットに、シャンデリア、ステンドグラスと内装は、実に洒落ている。

レストランはないので、素泊まりのみ。

鎌倉駅西口から徒歩一分、平日なら一泊5000円からというという手頃さ。


吉増剛造さんも気に入られて、鎌倉に来るときは、バンビことパンクな彼女が予約を入れるのが恒例になった。

吉増さんは、いつも和室を利用されるが、御自宅の書斎も、和室に文机だから、ホテルな部屋でも「怪物君」の制作を続けているのだろう。
posted by 城戸朱理 at 14:30| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月20日

bambi in Vivienne Westwood!?

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洗面所から、バンビことパンクな彼女の楽しげな歌声が聞こえてきた。


「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」

バンビのテーマ曲である。

「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」

いつもより、威勢がいいような気がする――

「ビコバン、ビコバン、ビコバン〜♪」

今度は、逆転してしまった――

「バンビィ〜♪」


何をやっているんだろう?

「毛繕いをしているんだよ!」
・・・・・・

バンビなのに、猫のようなことをしていると思ったら、たんなるブラッシングを毛繕いと言っていたのである!

一事が万事、こんな調子だが、バンビと言ってもマッド・バンビ、パンクなので、仕方がない。


「試写のあとで、ヴィヴィアンに寄れるね!
きっとセールになってるよ!」

それが狙いだったのか!


仕方がないので、試写と打ち合わせを終えてから、バンビを連れて、パンクの聖地、ヴィヴィアン・ウエストウッドへ。


まだ春物の新作は入荷していなかったが、秋冬物は定番を除き、セールになっていた。


とはいえ、昨年のうちに、レザーのライダース・ジャケットはすでに入手済みだし、ベーシックなカーディガンも買い足したし、コートも足りている。

あれこれ試着してみて、着丈の長いスウェット地のラヴジャケットとカラフルなパターンの巻きスカートの2着を買ってあげることに。

「この巻きスカートは、前から目をつけていたんだよ!」

目はつけたものの、イタリア製の輸入品だけに、コート並みの値段だから迷っていたらしい。

巻きスカートと言っても、ヴィヴィアン・ウエストウッドならではのアバンギャルドなデザインで、セールなら半額である。

かくしてバンビは、2着のヴィヴィアンをゲット、帰宅すると、さっそく着ている。


「このジャケットは、裏地がふわふわしてて、とってもあったかいね!」


そして、そのまま寝てしまったのである!

バンビは気に入ったものを枕元に置いたり、寝床に引っ張りこむ癖があるが、ジャケットはパジャマではない。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 20:33| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月14日

犯人は誰だ?

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寝室からバンビことパンクな彼女の歌声が聞こえてきた。


「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」

いつものテーマソングである。

「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」
・・・

「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」
・・・・・・

「にゃんこ〜〜♪」


何をしているのだろうと思って覗いてみたら、お腹に大きなキティちゃんの顔をのせて、なごんでいるではないか。

何なんだ、そのキティちゃんは?

「これは湯たんぽキティだよ〜」
・・・

「このキティちゃんをお腹にのせておくと、ポカポカなんだなあ!」
・・・・・・

「貸してあげようか?」
・・・・・・


そんなものがあったとは――


東京でホテル泊まりになったときのこと。

コンビニでミネラルウォーターやビールを買っていたら、バンビがパタパタとやって来た。

「これも買ってあげてね!」

見れば、妙に四角っぽいキティちゃんである。

何なんだ、これは?

「これは使い捨てのカイロを入れるキティちゃんだよ!」
・・・・・・

こんなものまであったとは――


海外から日本に戻ってきて、いかにも日本に帰ってきたなと思うのは、空港でコンビニに寄ったときである。

日本人は、どんなものでもキャラ化するのかと思えるほど、やたらとあるのだ、「カワイイ」ものが。

何も湯たんぽをキティちゃんの顔にしたり、使い捨てカイロのケースをキティちゃんにしなくてもいいのではないかと思うのだが、してしまうのである、日本人は。


そして、バンビの身辺は、次第にキティちゃん化していくのだった――


ある日、気づいたらデスクのマウスパッドが、イチゴに化けたキティちゃんになっていた。

さらに、携帯用のウェットティッシュのケースにまで、キティちゃんの顔が付いている。

バンドエイドまで、キティちゃん柄に――


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 23:42| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月13日

トランク、ついに壊れる

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東京のホテルからトランクを宅急便で送り返し、鎌倉に届いてみたら、本体に亀裂が走っていた。


2013年にフィンランドから帰ったら、角が割れていたので修理に出し、2015年にハワイだったがニューヨークだったか忘れたが、海外から戻ったら、今度は取手が取れたので直し、騙し騙し使ってきたのだが、どうやら寿命らしい。


このトランクは、ドイツのリモア社のサルサで、発売直後に、バンビことパンクな彼女が、誕生日プレゼントに買ってくれたものだから、もう15年ほど酷使したことになる。

海外が20回以上、国内に至っては旅行、出張、さらにはホテルでの缶詰と100回以上、使ったのではないだろうか。


トランクの亀裂を、バンビに見せたら――


「ぼく、トランクだよ」
・・・

いきなり、トランクになってしまった――

「お腹がさけちゃったんだよ」

パンクだから、なんでも、お遊びのネタにしてしまうのである。

「だから、こうやって、しゃべることが出来るようになったんだなあ!」
・・・・・・

別にトランクが、しゃべれなくてもいいのである。


ともあれ、私にとって、トランクは必需品だから、新調しなければ。

「でも、唐津くんちのステッカーが勿体ないね!」

飛行機をよく利用する人なら分かるだろうが、トランクのメーカーは限られているから、空港で受け取るとき、見分けがつくようにステッカーを貼ったりして、カスタマイズする必要がある。

私のトランクには、唐津で買った「唐津くんち」のステッカーが貼ってあるのだが、これは、諦めるしかない。

唐津神社の秋季例大祭である唐津くんちは、14の曳山が町を練り歩くのだが、この曳山は、乾漆によって、江戸時代から明治初期に作られた工芸品で、赤獅子、青獅子、金獅子、飛龍など神話的なモチーフや、酒呑童子と源頼光の兜、源義経の兜、上杉謙信の兜、武田信玄の兜など雄壮なものが多い。

そのなかで、小学生のいちばん人気は、魚屋町の曳山の鯛。

鯛は――たんなる「お魚」である。

龍や酒呑童子に混じって、ただの「お魚」が曳山になっているところが傑作だし、これが実にかわいい。

唐津くんちを見に行くのは、私の夢のひとつである。


新しいトランクは、またリモアを買うか、グローブトロッターにするか、迷っているのだが。
posted by 城戸朱理 at 15:46| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

バンビ、覚醒???

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初めてのスターウォーズ、しかも3Dの「ローグワン/スターウォーズ・ストーリー」にバンビことパンクな彼女は大興奮、とりわけ、ジェダイ騎士のフォースとライトセーバーが気に入ったらしい。


「フォースが覚醒しちゃったなあ!」

嘘である。

「騎士名は、バンビ・ケノービだよ!」

冬毛が伸びたバンビのような名前である。

「オビ=ワン・バンービのほうがいいかな?」

わんことバンビが合体したようで、まったく強そうではない。

千世代にわたる銀河共和国の守護者、ジェダイ騎士の名前としてはどちらもヘンである。


毎年、無印良品のスケジュールを書き込めるカレンダーを使っていたのだが、今年の分を買い忘れていたので、チェックしたところ、湘南テラスモールの無印良品でも売り切れだった。

すると、帰宅してから――


「カレンダーが、大船の無印良品にあるのが分かったよ」
???

「フォースを使ったんだよ!」
・・・

嘘である。

ネットで在庫を調べたに違いない。

「フォースの力が、ぴくぴくしちゃうなあ!」
・・・・・・

フォースは「力」という意味だから、同語反復である。


スーパーで新鮮な野菜を見ても――

「この野菜は、フォースがあるね!」
・・・・・・

お湯を沸かすと――

「フォースで沸かしたんだよ!」

嘘である。

ガスコンロで沸かしたのである。


一事が万事、こんな調子で、しかも、ネットでライトセーバーの玩具をチェックしているではないか!

油断すると、玩具のライトセーバーを買って、家のなかで「むーん、むーん」とか言いながら振り回しかねない。

パンクだから仕方がないが、いよいよ厳重な警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 05:08| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする