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城戸朱理のブログ: エッセイ

2017年07月27日

大沢温泉・豊沢の湯

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山水閣にある男女別の半露天風呂が、豊沢の湯。

ここは、いちばん広いだけではなく、深さもあり、バンビことパンクな彼女は、もっぱら豊沢の湯ばかり入っていたようだ。


洗い場も六つあり、混み合うことがなかったので、私もよく利用した。


かたわらを豊沢川が流れ、風が心地よい。


豪雨のあとなど、豊沢川も濁流となり、自然の表情も刻々と変わる。

ほかに変化といえば、日の光。

午後の傾いた光は、あらゆるものを、甦らせるようだった。
posted by 城戸朱理 at 08:32| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

大沢温泉・大沢の湯

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毎朝、目覚めると、まず大沢の湯に入った。

自炊部・湯治屋の突き当たりにある大沢の湯は、混浴の露天風呂で、夜間2時間だけは女性専用となるのだが、豊沢川べりにあり、川風に吹かれながら浸かっていると、我を忘れて、石か木になったような気分になってくる。


混浴だから、まれに女性が入ってくることもあるが、誰も気にしない。
posted by 城戸朱理 at 14:56| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

Edge公式ホームページ、全91作品アップ完了!



アート・ドキュメンタリー「Edge」公式ホームページは、最新作、杉本真維子篇を含む全91作品のアップが完了した。

杉本真維子篇のレビューは、田野倉康一氏が担当。


一時間に枠を拡大した「Edge Special 怪物君〜吉増剛造と震災」(2016)や「LIVE! Edge 鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑) 毒と剱」(2015)なども、私がレビューを担当してアップされた。


ほかにも、言語哲学者にして新陰流剣術の使い手、前田英樹(立教大学教授)が、宮本武蔵の『五輪書』を語り、武蔵が考案した二天一流の演武を見せるユニークなコンテンツも。


公式ホームページは下記から。


http://edgeofart.jp/


16年間で制作された91本がアップされたわけだが、現在のところ、番組のトレーラーとレビューで構成されている公式ホームページは、番組のために書かれた作品やディレクターのコメントなど、さらなる拡充をはかっていきたいと考えている。
posted by 城戸朱理 at 10:24| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅の必需品

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年に10回以上、旅に出るような暮らしを続けてきたので、洗面道具に、ハサミや栓抜き、ワインオープナーなどがセットになったスイス・アーミーナイフやミニ・マグライトなど、旅の必需品は、いつもポーチにまとめてあるが、去年から新たに加えたのが、プラスチック製のシューキーパーだ。


今回の旅は、8泊9日。

授賞式とパーティーがあるし、そのあとは山奥の大沢温泉に行くので、靴も一足では済まない。

ちなみに、持参したのは、授賞式&パーティーのスーツに合わせるルイ・ヴィトンのガラスレザーのキャップトウ(ストレートチップ)、
グリップのいいラバーソールで、油分を多く含み、雨天にも強いリス・レザー、登山靴と同じ頑丈なノルウィージャン製法で名高いフランスのパラブーツのアイコンたるUチップ「シャンボード」、
それにスニーカーが、アディダスのスタン・スミスの3足。


移動時にはジャケット&パンツにパラブーツ、大沢温泉周辺ではスタン・スミスを履こうと考えたのだが、革靴には、シューキーパーがあったほうがいい。

ただし、自宅で使っている木製のシューツリーだと荷物があまりに重くなるので、軽いプラスチック製のシューキーパーをひとつだけ持って、その日、履いた靴に入れるようにするわけである。


このやり方だと、靴をトランクに詰め込んでも型崩れしないし、旅先でもコンディションを保つことが出来る。

もっと長期の滞在だと、アニリン・カーフクリームや靴ブラシも持参するが、とりあえず、プラスチックのシューキーパーが、旅の必需品の仲間入りをしたのだった。
posted by 城戸朱理 at 10:12| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

新作コレオグラフ「桃」〜舞踏への切線

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鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)による新作コレオグラフ「桃」は、全公演完売、立ち見まで出る盛況だったが、それ以上に、鯨井氏が未踏の地平に立ったことを感じさせるものとなった。


なんと、土方巽による舞踏創草期から、舞踏評論を担ってきた大御所、97歳の合田成男さんも来場されたが、何か予感されるものがあったのだろう。

合田さんは、これが自分が会場に足を運んで見る最後の公演になるだろうとおっしゃったそうだが、鯨井氏の踊りに、土方巽的身体と舞踏を感得されたそうだ。

それはオイリュトミーによって形成された鯨井氏の肉体が、舞踏への回帰を意識したことを言うものなのだろうか。


今回、鯨井氏とユニット「CORVUS」を組む定方まこと氏は、踊りだけではなく、ピアノも担当したが、テーマを尋ねられた鯨井氏は「舞踏」と答えたそうだ。

ただし、その「舞踏」とは、かつてあったものではなく、いまだ見たことのない領域に開かれようとしているのだろうし、また、そうでなければ意味がない。


「桃」は、大倉摩矢子(舞踏家)、四戸由香(ダンサー)、桃澤ソノコ(オイリュトミスト)、定方まこと(オイリュトミスト・ダンサー)が、無造作に歩き、すれ違い、たたずむところから始まる。


大倉摩矢子の幽明境に歩み入るかのような動き。

四戸由香のグランギニョルな、壊れた人間=機械仕掛けのマネキンの踊りも圧巻なら、ナイフを持った定方まことの狂気と正気の狭間のような姿も目に焼きつく。

そして、ときにイザナミと化す桃澤ソノコの圧倒的な存在感。


そこを不具の乞食に身をやつした鯨井謙太郎が横切っていく。

その姿は、たしかに土方巽を想起させるところがあるが、そのように了解してしまうのであれば、この公演は、たやすい納得で終わってしまうのではないか。

むしろ、私は鯨井氏が舞踏家とダンサー、それにオイリュトミストと、異なるコンテクストの身体と踊りを異質なまま、ひとつの舞台に投げ込み、自らはオイリュトミーで作られた肉体で、舞踏を踊ろうとしたことに注目すべきだと思う。


また、この公演を、たとえば、無関係のまますれ違い、ときに衝突する現代人と、現代社会を襲うテロルを、乞食という低い地平すれすれの視点と、鳥の俯瞰的な視点の境に出現させたものと読み解くことも出来るかも知れない。

だが、そうした演劇的なドラマトゥルギーによって、解釈されるべきものではない気がする。


吉岡実の詩篇の朗読が流れるパートもあり、鯨井氏が吉岡実『薬玉』の詩句を呟く場面もあったが、日本神話におけるイザナミや昔話の桃太郎を重層化させながら、
踊りが言語による解釈を導くのでもなければ、物語性が肉体を動かすわけでもなく、あたかも肉体がそのまま言語であり、言語がそのまま肉体である世界を、鯨井氏は開示しようとしたのではないだろうか。

その言葉と肉体のはざまを、一個の桃が転がっていく。


乞食として横切るだけではなく、いざ踊り出すと天地をしたがえるようなダイナミズムを現前させる鯨井謙太郎も健在だったが、観客として座っているだけでも、何かと対決させられているような踊りを見たとしか言いようがない。

未踏の舞踏へ、肉体=言語の新たな地平へ。

何かが起こり、さらにそこから新たな何かが、立ち上がりつつある。



(撮影=小野田桂子)
posted by 城戸朱理 at 17:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

夏のシルクジャケット

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鎌倉でも、最高気温が30℃に達する夏日が到来。

今年の梅雨は、降雨量こそ少ないが、やはり湿度は高く、不快な日が続く。


これだけ暑くなると、さすがにスーツを着るのは特別な日だけになるが、外出するときは、最低、ジャケットだけは手放さないようにしている。

これは、私が自分で作ったルールなのだが、白洲次郎も、男は、ノータイでもジャケットを持つべきと語っていた。

だが、ジャケットを羽織ったら、どうしても汗をかいてしまうのが、日本の夏。

かなりの頻度で、クリーニングに出すことになるので、一週間分くらいは用意しておかなければならない。


夏の衣類と言えば、何よりも麻だが、最近はシルクのジャケットも愛用するようになった。

シルクは繊細なイメージがあるし、夏には向かないように思っていたのだが、実は丈夫で通気性がよく、綿の1.3〜1.5倍の吸湿性と放湿性を持ち、夏でも涼しい。

問題は、皺になったときの復元力が弱く、水に濡れると色落ちしやすいことだが、最近は、シルクの長所を生かし、欠点をおぎなうシルク・ウールやシルク・リネンの生地もよく見かけるようになった。


去年、購入したのが最初の写真のシアサッカーのジャケット。

シアサッカーは、生地に縞状の凹凸があるため、見た目にも清涼感があるが、肌に触れる面積が少ないため、さらりとした着心地で、夏にうってつけ。

通常はコットンだが、このジャケットは、シルク50%、ウール47%、エラスタン3%と、いかにもアルマーニらしい素材使いで、コットンのものより張りがある。

このジャケットは、銀座、松屋のアルマーニ・コレツィオーニで求めたものだが、試着したとき、直しの必要がないので、ショップスタッフが驚いていた。

たいていの人が袖を詰めるなど、何らかの補正が必要になるそうだが、私にはジャストサイズなのがありがたい。


次の写真は、シルク100%のショールカラージャケット。

ショールカラーは、タキシードなどによくあるデザインだが、ジャケットでも、シルクだとフォーマルな印象がある。

ところがシルクだけに軽いので気楽に羽織れるし、好きなデザインだ。


3枚目の写真も、シルク100%のジャケット。

シャツなみの軽さで、まさに夏向き。

すべてパッチポケットなため、カジュアルな印象になる。


最後の写真は、リネン84%、シルク16%なので、質感はリネン。

ショールカラーだが、胸ポケットを省略し、腰はパッチポケットのため、カジュアル感が強くなるので、カーディガンを羽織るような感覚である。


以上の3着は、いずれもアルマーニのコレクションラインのGIORGIO ARMANI。

アルマーニは、現在、ジョルジオ・アルマーニ、セカンドラインのエンポリオ・アルマーニ、ビジネスラインのアルマーニ・コレツィオーニ、カジュアルラインのアルマーニ・ジーンズとファスト・ファッションのアルマーニ・エクスチェンジで構成されているが、
来年から、アルマーニ・コレツィオーニとアルマーニ・ジーンズをエンポリオ・アルマーニに統合し、3ラインに整理されるそうだ。

そうなると、現在のアルマーニ・コレツィオーニとアルマーニ・ジーンズの売り場は、すべてエンポリオ・アルマーニに変わることになるのだろうが、
整理したいという欲求は、マーケティング戦略以上に、「モードの帝王」「マエストロ・ディ・マエストロ(巨匠のなかの巨匠)」と呼ばれるアルマーニも、老いのなかで、心境の変化があったということなのだろう。

動物愛護の視点から、アルマーニは、昨年、毛皮を一切使わないノーファーを宣言したが、アパレルをめぐる状況も変化しつつあるようだ。
posted by 城戸朱理 at 11:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

水原紫苑さん、第53回短歌研究賞受賞!

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水原紫苑さんが、第53回短歌研究賞を受賞された。

短歌研究賞は、歌集ではなく、「短歌」「歌壇」「短歌研究」などの短歌総合誌に発表された20首以上の作品と、それまでの実績を対象として選考される。

水原さんは「極光」30首詠(「歌壇」2016年7月号)での受賞。


「東京新聞」6月24日「詩歌への招待」欄に発表された「ヘブンリーブルー」連作も素晴らしかった。

そのうちの一首。



詩を織るは永遠の問ひ
たましひの殺人消えずわれこそあなた



同欄のエッセイで、水原さんは「世界はまず言葉から壊れてゆく。言葉が死ぬ時、世界も死ぬのだ」と書かれているが、これだけ端的に今日の危機を語ることができるのも、「永遠の問ひ」のさなかに生きているからなのだろう。


水原さん、おめでとうございます!
posted by 城戸朱理 at 09:28| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

ゴーストタウン化する日本

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鎌倉市の「広報かまくら」7月15日号では「空き家を増やさないために」という特集が組まれている。

鎌倉市の調査によると、鎌倉の空き家と考えられる戸建て住宅は、1108戸。

空き家が放置され、老朽化すると、倒壊などの危険を伴うことになる。

今や、空き家対策は、地方公共団体の急務となりつつあると言ってよい。


実際、日本では、住む人がいない空き家が増え続けている。

2016年6月の段階で、すでに空き家は820万戸、総住宅数に占める空き家率は、13.5%。

野村総研は、空き家の有効活用が進まなかった場合、2023年には、空き家が1400万戸(空き家率21.1%)となり、
2033年には2170万戸(空き家率30.4%)、なんと住宅の3戸に1戸が空き家になると予測している。


しかも、日本は人口減少期に入ったわけだから、現実を直視するなら、もう家を建てる必要はないわけであり、物の価格は需要と供給の関係で決まるわけだから、今後は、地価も家の価値も下落するだけなのは、火を見るよりも明らかだろう。


実際、東京を始めとする大都市の一等地を除けば、地値は下がり続けており、作家の佐藤洋二郎さんは、ネットで、地方都市の中古マンションの価格を調べるのが趣味だとおっしゃっていたが、今や100万を切る物件さえ珍しくないそうだ。

暮らす場所によっては、住まいが新車より安く買える時代が到来したわけだから、驚かざるをえない。



そうした状況に、いち早く気づいた坂口恭平は『0円ハウス』(2004)を上梓、「建てない建築家」として出発することになったわけだが、『0円ハウス』は、とあるホームレスに取材し、ホームレスを、狩猟と採集によって生きる現代の縄文人としてとらえたところが新鮮だった。

坂口恭平的な発想だと、家はもはや「0円」なのである。


たしかに東京の銀座など、一等地の地価はバブル期以上に高騰しているが、それ以外のエリアでは、土地や家が、資産たりえない時代が来ようとしている。


昭和という時代は、右肩上がりの成長期で、人口も増え続けたため、親が持ち家であっても、子供は親との同居を望まず、何十年ものローンを組んで、家を購入したわけだが、そうした核家族化の結果、家余りの現状が到来したのは当然のことでしかなく、今や昭和的な価値観は、完全に過去のものとなった。


空き家が増えた地区は、次第にさびれて、ゴーストタウン化していく。

核家族化のはてに広がる、この荒涼たる眺めは、団塊以上の世代には想像も出来なかった未来図なのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 11:16| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

電話とメールのマナー



電話とメールの使い分けに関して、若者と中高年の世代間ギャップが激しいそうだ。

コラムニストの石原壮一郎氏によると、おじさん世代は気にかかることがあると、すぐに電話してしまうきらいがあるが、それは、今やNGとのこと。

電話は相手の時間を奪うので、まずはメールで連絡するというのが、今日の若者の常識らしい。

また、仕事上の連絡を電話で済ますのは非常識であり、記録に残るメールが望ましいという声が目立つのだとか。

あの堀江貴文氏も、電話をかけてくる人とは仕事をしないとまで言っており、仕事の連絡を電話でするのは、今やデキない男のやることらしい。


たしかに、出版業界では、だいぶ前から、連絡はメールが常識になっているが、メールでやり取りしたうえで、さらに依頼書を郵送してくる編集部も珍しくない。

電話がかかってくるとしたら、校了間際に問題が見つかったとか、よほどの時だけである。


つまり、電話は仕事のツールとしては、緊急時限定のものになったということなのだろうか。

この緊急時も問題で、自分にとって緊急だとしても、相手にとって緊急だとは限らない。

電話の使い方も、難しくなったものである。


さらに、もの書きの場合は、執筆中に電話を受けると、意識が中断してしまうので、電話を取らないのが普通である。

私も執筆中は、携帯電話を書斎には置かないし、緊急の連絡であれば、電話に出なくても、メールなり何なりで必ず連絡が入るから、困ったことはない。


人生には、急ぐべきことなど、さしてないことも分かっているし、電話に頼らなければならないほど、切羽詰まっているとしたら、それはたんに仕事の段取りが悪いだけということだろう。


こうやって考えると、電話は必要ない気さえしてくるが、絶え間ない電話とFAXに悩まされる日も珍しくなかった20年ほど前のことを考えると、隔世の感がある。
posted by 城戸朱理 at 13:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

蔵前の古本屋

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神田の古書店街で買ったばかりの本を開きながら、ランチョンでビールを飲むのは、私が愛して止まない時間である。

ランチョンは二階だから、古書店街を見下ろすことができるが、いつも気になるのは、田村書店。

どう見ても、右に傾いている。

本の重さのなせるわざなのだろうか。


蔵前で見かけた御蔵前古書房も、やはり傾いていた。

専門は、「大江戸 大東京 相撲文献」と、いかにも蔵前らしい。

なんとも言えないたたずまいである。
posted by 城戸朱理 at 07:38| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月03日

そのころ、鎌倉では――

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私が岩手日報随筆賞の選考会を終え、若者たちと乾杯していたころ、鎌倉のバンビことパンクな彼女は――


自撮りをして、遊んでいたのである。

そして、送られてきた写真が「サルバドール・バンビだよ!」
・・・・・・


バンビは、高校生のころから、ダダイストやシュルレアリストが大好きで、とりわけトリスタン・ツァラの写真に衝撃を受けたらしい。

もちろん、いつも目を見開いてポーズするサルバドール・ダリもお気に入りで、その真似をしたわけである。


ダリのトレードマークたるカイゼル髭は、髪の毛でコピーするというムダな努力の甲斐もあって、たしかにダリっぽい。

だが、持っているのは狛犬の団扇である。。。


パンクなだけに、「前衛活動」と称するお遊びのためには努力を惜しまないのだが、はたして、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 07:57| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月01日

水都、盛岡

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盛岡駅から北上川にかかる開運橋を渡り、大通りを真っ直ぐ歩いていくと、アーケードが左手、市街中心部に湧水がある。

これが、大慈寺清水、清龍水とならぶ盛岡三大清水のひとつ御田屋清水で、藩政期には盛岡城のなかの藩主別荘、御田屋に湧く城内の茶道用の水だったという。

昭和初期に現在のかたちに整備されたというが、私も子供のころは両親と元日の若水を汲みに行ったりしたものだった。


御田屋清水の先、右手は石垣を残す盛岡城跡で、お掘りが続き、城跡公園を過ぎると、秋には鮭が産卵のために遡上し、冬には白鳥が飛来する中津川が流れている。


盛岡を離れて、もう40年近くなるが、それだけに、戻る機会があると、水に恵まれた街であることをしみじみと感じながら、散策することになる。
posted by 城戸朱理 at 14:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月17日

バンビ、怒りの鉄拳???

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居間から奇声が聞こえてきた。

「あちゃ! あちゃ!」

バンビことパンクな彼女である。

「あちゃ! バシッ!
あちゃ! ビシッ!」

今度は効果音まで入っている。

「あちゃーーっ!!!」


覗いてみたら、バンビがペコちゃんのように舌を出して、ブルース・リーの真似をしていた。


完全に私の失策である。

バンビがブルース・リーの映画を見たことがないというので、Amazon Videoで「燃えよドラゴン」を見せたのが、運の尽き。

ブルース・リーのカンフーに興奮したバンビは、ほかの出演作を次々に購入し、毎日、ブルース・リー映画を見ては真似するようになってしまったのである――


「スターウォーズ/ローグ・ワン」を見たあとは「ジェダイ騎士 バンビ・ケノービ」になってしまったし、
「たそがれ清兵衛」を始めとする時代劇にハマったときは、「子供剣士・鹿千代」になってしまったが、今度は――


「ブルース・リーの中国名は李小龍だからね、
李小鹿でバンビ・リー、
李狂小鹿でマッド・バンビ・リー!!!」
・・・

「あちょぉーーっ!」
・・・・・・


毎日、奇声に悩まされることになってしまった。

そればかりではない。

「あちゃ! あちゃ!
あっ!」
???

「腕がつったよ!」
!!!

「痛いよ〜、痛いよ〜」
・・・・・・

無茶をするからである。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 20:38| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

変わらないことの凄さ



かつて、オーソン・ウェルズは、好きな映画監督を3人あげてくれという質問に対して、次のように答えたという。


「ジョン・フォード、ジョン・フォード、ジョン・フォード」


私はオーソン・ウェルズも、ジョン・フォードも好きなので、この答えには痺れたが、奇妙なことを連想した。

それは、白洲次郎の英国留学以来の親友、ロビンのことである。

彼は、後に七世ストラッフォード伯爵になるのだが、いつも同じ服を着ていたことを白洲正子さんが書いている。

同じと言っても着替えなかったわけではない。

ロンドンのサヴィル・ロウのテーラーで、同じ生地、同じ型で一週間分のスーツを仕立てていたのだという。

「ジョン・フォード」と繰り返すように、毎日、同じスタイルだったことになるが、おそらくは、白洲次郎も顧客だったヘンリー・プールで仕立てたスーツではないだろうか。

同じスーツ、同じシャツとネクタイを揃え、いつも同じ格好をしていたというのだから、それが英国貴族流なのかと驚いたことがあった。

着回しなどという庶民的な発想とは無縁のあたりが、やはり貴族的だが、ロンドンではラウンジ・スーツはベーシックでも、シャツは派手なストライプが好まれる傾向がある。

サヴィル・ロウ仕立てのスーツなら、シャツはジャーミン・ストリートのターンブル&アッサーを合わせたのだろうが、七世ストラッフォード伯爵は、どんなシャツとネクタイを選んでいたのだろうか。


オーソン・ウェルズとジョン・フォードから話が飛んでしまったが、ストラッフォード伯爵のスタイルには、変わらないことの凄みを感じたし、「保守」とは、そういう姿勢なのだと思う。
posted by 城戸朱理 at 18:59| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

いかれバンビの悪だくみ???

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バンビことパンクな彼女は、紅茶党。

もともと、コーヒーはあまり飲まなかったのだが、最近、なぜか、コーヒーにハマり、あちこちから豆を取り寄せては、毎朝、ハンドドリップで淹れるようになった。

おかげで、美味しいコーヒーには不自由しなくなったのだが、コーヒーだけではなく、ひと晩かけて水出しした冷茶も、毎日、冷蔵庫に入っている。

ありがたいことだと思っていたら、冷蔵庫の脇に「冷茶制作」なるリストがマグネットでとめてあるのを見つけた。

作った日には、○が付いているのだが、余白には130円×116本=15080円という謎の計算が!?


「手作りだから、1本、130円として、このリストが埋まったら、15080円のお小遣いを城戸さんにもらおうという計画なんだよ!」
!!!!!!


なんと、バンビは冷茶を私に売りつけて、お小遣いをせしめようとしていたのである!!!


「ペットボトルは買わなくて済むし、美味しいお茶は飲めるし、バンビくんはお小遣いを貰えるし、一石三鳥というものなんだあ!」
・・・・・・


そう言われると、そんな気もするが、騙されてはいけない。

たんにお小遣いをゲットすべく、あの手この手を考えているだけなのだから。


パンクなだけに油断大敵、さらなる注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 13:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

一生モノの意味



中沢けいさんが、ツイッターで、一生モノの買い物と言えば、20代のころなら耐用年数50年は考えなければからなかったが、もうすぐ還暦となると、一生モノと言っても、せいぜい20年、いや10年の耐用年数があればいいといった主旨のツイートをされていた。

私は中沢さんと同い年なので、深くうなずいてしまったが、モノの意味が、年齢によって変わっていくのは、実に面白い。


雑誌などが、高価なモノを「一生モノ」として推奨したりするが、実際は、一生使えるものなど、めったにあるものではない。


身の回りを見回してみると、私が長年、愛用しているものと言えば、16歳のとき、父親が選んでくれたスウェーデン製のデスクがいちばん古く、40年以上になる。

20代なら、20歳のときに買ったアメリカ、イーグル社製のデスクライトと資生堂ザ・ギンザで求めたブックエンドにペン立て、それにモンブランとオマスの万年筆くらいだろうか。

家電の耐用年数は10年ていどだし、洋服は流行があるから、一生モノと言えるのは、むしろ包丁や鍋などのキッチン用品だろう。

実際、20代なかばのときに求めた業務用のアルミの寸胴など、いまだにパスタを茹でたり、シチューを煮込むときに重宝しているし、鉄製のフライパンも現役である。

有次や正本の包丁を砥石とともに揃え、鋳物ならフランスのル・クルーゼやストゥブ、ステンレス多層構造の無水鍋ならアメリカのビタクラフトやドイツのフィスラーなどを若いうちに買っておくと、長く使えるわけだし、結局は得かも知れない。

つまり、一生モノなどといったものは、実はそれほどあるわけではないということになる。


例外は、やはり本だろうか。

書架を見ると、11歳のときに神田で揃えた『三国志』(岩波文庫・全10巻)や15歳のときに求めた蒲松齢『聊斎志異』(柴田天馬訳、角川文庫・全4巻)、高校生のときに買った粟津則雄訳『ランボオ全詩』や父から譲られた『ヴィリエ・ド・リラダン全集』など、10代のころから持っている本も少なくない。

20代に求めた本となると、さらに多く、自分の思考の方向性を決定した感がある。

そう考えると、若いうちに「一生モノ」の本と出会うか否かが、いちばん大切なような気がする。
posted by 城戸朱理 at 07:27| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

ネコが舌を出すとき???

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「にゃんこがくたっとして、舌をペロっと出していることがあるけど、あれは、かわいいね!」


バンビことパンクな彼女は、動物が好きである。

たしかに、舌を出したネコは愛らしい。

リラックスしているとき、ネコは筋肉が弛緩して、ペロっと出した舌をしまい忘れるのだとか。

つまり、舌を出したネコは、思いっきり和んでいることになる。


ところで、わが家にも、舌をよく出している生き物がいる。

しかも、ペコちゃんのように唇の端から舌を出しているのだが、バンビの場合は、和んでいるときではなく、イタズラを思いついたときに、嬉しくなって舌を出す傾向があるようだ。

ある日、バンビが自撮棒を買って、iPhoneを取り付け、遊び始めた。

気づくと、ペコちゃんのように舌を出しているではないか!?


自撮棒を持っていたら、自分を撮っているものと誰でも思うが、バンビは、その心理を逆手に取って、隙だらけの私を撮っていたのである!

それ以来、バンビが自撮棒を持っているときは注意しているが、パンクなだけに油断大敵、より一層の警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 20:14| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月26日

澁澤龍彦さんと同じもの

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わが家の居間のテーブルには、不思議な木製の球が置かれている。

古色を帯びた、この球の正体は、打ち上げ花火の芯で、マガジンハウスの編集者だった加藤恭一さんから、私の芸術選奨と現代詩花椿賞受賞のお祝いに贈られたもの。

加藤さんは、澁澤龍彦先生と親交があり、澁澤さんが、ふたりのお子さんの名付け親になっているほどだが、澁澤さんにも、泉鏡花賞受賞のお祝いに花火の芯玉を贈られたので、澁澤邸にも、わが家にも同じような芯玉がある。

ちなみに、澁澤邸では居間のテーブルにいつも置かれているので、澁澤さんも気に入られていたのだろう。


龍子さんに招かれ、澁澤邸には何度もお邪魔しているが、もうひとつ、私が持っているものと同じものがあった。

それが、写真のアイロン台である。

アメリカのGRISWORD TRIVET社製で、1920〜30年代のもの。

鉄だけに、ずっしりと重い。

私は鍋敷きに使おうと思ったのだが、澁澤さんは、おそらく、その鉄味を鑑賞されていたのではないだろうか。


花火の芯玉も鉄のアイロン台も、必需品ではない。

そして、どこにでもあるというようなものでもない。


それだけに、澁澤龍彦邸にお邪魔するたびに不思議な気分になるが、吉岡実さんも、毎年、恒例だった澁澤邸での新年会のたびに目にされていただろうと思うと、感慨深いものがある。
posted by 城戸朱理 at 10:25| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

ここまで片付けたら

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写真は、「暮らしの手帖」2014年10-11月号で、取材を受けたときのわが家の居間。

これくらい、すっきりしているといいのだが。


テーブルは、20世紀初頭の英国製で、グラス類を収納しているサイドボードがわりの棚は、戦前、大正から昭和初期のもの。


このときの撮影時にはサルバドーレ・ダリのリトグラフ2点が飾られていたが、現在はヨーゼフ・ボイスのサイン入りマルチプルとアレン・ギンズバーグのリトグラフが出してある。


だが、本が増えすぎて雑然としているので、片付けと整理は、まだ、しばらく続きそうだ。
posted by 城戸朱理 at 13:33| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月11日

冷蔵庫の中には?

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何かを冷凍するとき、ラップしただけだと、何か分からなくなって、冷凍庫の化石となってしまうことがある。

だから、ときどき冷凍庫を覗いて、整理するのだが、妙なものが出てきた。

「ぼくカツヲだよ」と書いてあるではないか!

もちろん、バンビことパンクな彼女の仕業である。

鰹のサクを買ったとき、半分だけ刺身に引き、残りを冷凍しておいたらしい。


さらに、冷蔵庫を整理していたら、「くま」と書かれた容器が。

何なんだ、これは?


「それは、京都の大原の朝市で買った熊の脂だよ!」
!!!


そういえば、御主人が猟で仕留めた熊から取った脂を売っている御婦人がいたっけ。

さらりとしてベタつかない脂なので、東直子さんも、ヘアメイクの有路涼子さんも一緒に買っていたような気がする。


こうして、わが家の冷蔵庫には「ぼくカツヲだよ」だったり、「くま」だったり、中身が明記されているにもかかわらず、わけの分からないものが増殖していくのだった。


パンクだから、仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 17:02| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする