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城戸朱理のブログ: エッセイ

2017年08月24日

大岡信さんと会食したときに



大岡信さんが亡くなり、「現代詩手帖」を始めとして追悼特集が相次いで組まれたが、ふと思い出したことがある。


1998年のこと。

『現代詩文庫 続続・大岡信詩集』に、私も作品論を執筆したのだが、やや長めだったため、所定のページ内におさめるべく、担当の佐藤一郎氏とやり取りしながら、原稿を削るのに苦労したことがある。

そして、「現代詩文庫」が刊行されてから、「詩人論・作品論」の執筆者だった永原孝道、野沢啓両氏と私を、大岡さんが招いて下さり、恵比寿のフレンチで御馳走になったことがあった。


そのとき、大岡さんが備前の陶芸家、藤原雄氏と親交があることを知り、藤原雄氏が人間国宝になったことをお伝えしたら、大岡さんが大層、喜ばれていたのを覚えている。

大岡さんは、海外にいらっしゃることが多く、藤原雄氏が人間国宝に指定されたことを御存知なかったのだ。


備前で人間国宝の指定を受けたのは、桃山陶を復元し、「備前焼き中興の祖」と呼ばれた金重陶陽が最初で、陶陽没後には、藤原啓が指定を受けた。

藤原啓は、詩人を志し、生田春月との共著で『ハイネの訳詩集』も刊行しているが、自分の才能に限界を感じて備前に帰り、40歳から陶芸の道に入ったという変わった経歴の持ち主である。


藤原啓のあとは、轆轤の名手として知られる山本陶秀が人間国宝になり、1994年に陶秀が没して、2年後に藤原雄が人間国宝の指定を受けたのだった。

藤原雄は、藤原啓の長男なので、親子で人間国宝になった唯一の例だが、生まれつき弱視で、視力がほとんどなく、そのためか作品は肉感的で、独特の魅力がある。


実は、人間国宝になる前に、藤原雄作のぐい呑みを求めたことがあるので、大岡さんが親交があることを知って驚いたのだが、美術家と交流が深かった大岡さんが、陶芸家と交流があったのも、今にして思えば、当たり前かも知れない。
posted by 城戸朱理 at 10:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

戦争の記憶、その3



藤原てい『流れる星は生きている』(中公文庫)を久しぶりに読み直した。

記憶が定かではないが、この本を初めて読んだのは、小学生のときだったかも知れない。

そうだとすれば、久慈小学校5、6年の担任だった高橋武志先生の影響だろう。

私は父の転勤で、盛岡の仁王小学校から久慈小学校に転校し、中学2年まで久慈で過ごした。

NHKドラマ「あまちゃん」の舞台となったところである。


当時、高橋先生は、まだ若く、独身。

授業は面白く、生徒にたいそう人気があった。

高橋先生の影響で、歴史好きになった生徒も多く、私もそのひとりだった。

忘れがたい先生だが、もし、小学生の私が『流れる星は生きている』を読んだとすると、高橋先生の影響しか考えられない。


本書は、終戦間際の昭和20年8月9日、ソ連参戦の夜から始まる満州からの引き揚げの記録。

満州新京の観象台に勤務していた夫と引き裂かれた著者が、6歳、3歳の長男と次男、生後一ヵ月の長女、3人の子供を連れて、満州から朝鮮半島を経て、帰国するまでの脱出行であり、昭和24年の刊行時には、ベストセラーになったという。


歩いて、38度線を超え、アメリカ軍に助けられるまでの道行きは、壮絶で、足の裏は肉まで無数の小石が食い込み、医師から摘出の処置を受ける。

故郷の諏訪にたどり着いたときには、栄養失調で、幽霊そのままの姿であったという。


再読するのは、久しぶりだが、いくつも覚えている場面があった。


著者の夫君は、満州で丸一年の捕虜生活を送ったが、帰国。

ちなみに、夫君は作家の新田次郎である。

「あとがき」によると、夫婦の間でも「引き揚げ」の話は禁句だったというが、語り合うことさえ、はばかられるほど過酷な体験というものがあるのだろう。


私の母方の伯父も、シベリアに抑留され、その死を覚悟した家族が葬儀を営んでから、突然、帰国して、みんなを驚かせたが、シベリア時代のことを語ることはなかったそうだ。
posted by 城戸朱理 at 12:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

戦争の記憶、その2



佐藤勝彦という画家がいる。

画壇に属さぬ、この画家のことを私が知ったのは、古本屋で手にした季刊「銀花」の特集号「佐藤勝彦 現代仏道人生」(1974)によってだった。

当時の「銀花」の発行部数は、7万部。なんと、佐藤勝彦はこの特集のために編集長の要請に応えて、7万枚もの絵を描き、全冊にに肉筆の絵が封入されている。



当時、佐藤さんは高校で美術の教師をされていたはずだが、季刊雑誌のスパンで7万枚の絵を描くのは、常軌を逸した試みとしか言いようがない。

それ以来、古書店で目にするたびに、肉筆画を確認しては、「銀花」同号を求めたので、10冊ほどが手元にある。

今では実現しえない企画だろう。



佐藤勝彦氏は、1940年、満州大連生まれ。終戦の2年後、1947年に貨物船で日本に引き揚げたという。

その佐藤氏が、「銀花」の別の号で終戦後の大連の思い出を語っていた。

1945年の敗戦で、満州にはソ連兵が進駐したが、現地の日本人はソ連に徴用さる労働に従事するとともに、食糧難で餓えに苦しんだ。

そんなとき、アカシアの花の蜜が甘いという話が広まり、子供たちはアカシアの樹に登って、ひたすら花を集めては蜜を吸っていたところ、そこにやって来たソ連兵が、銃を連射し、子供たちは次々と樹から落ちたのだという。 



俳優の宝田明さんも、満州のハルビンで終戦を迎えたとき、ソ連兵が侵攻し、略奪、暴行、凌辱のかぎりを尽くしたことを回想しているが、駅のホームで見回りのソ連兵に撃たれ、麻酔も手術道具もないなか、元軍医だった人に手術を受け、一命をとりとめたそうだ。

そうした経験があって、ロシアには素晴らしい芸術があるのは知りながらも、拒否してしまうようになったというが、当然のことだろう。

注意したいのは、宝田明・佐藤勝彦両氏の語っていることが、終戦後に起こっているということだ。


暦のうえでは、1945年8月15日で太平洋戦争は終わったが、庶民にとっては、そこから、さらに悪夢が始まったことになる。 

消し去りがたい記憶というものがある。 

忘れたいと思っても、そして、忘れたつもりでいても、何度でも襲ってくる記憶がある。 

その意味では、戦争とは、それを経験した人にとって、生涯、終わらないものなのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 10:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

戦争の記憶、その1



戦国時代から安土桃山時代に、隆盛を見た茶の湯を主導したのは、織田信長や豊富秀吉といった戦国大名だったが、明治以降、茶の湯に新風をもたらし、その隆盛を担ったのは、三井財閥の指導者たる益田隆(鈍翁)を始めとする財界人だった。


実際、近代の財界人は茶器の収集と茶の湯を通して、交流を深めた感さえある。


とりわけ、横浜屈指の財閥を築いた原富太郎(三溪)と、今日の電力会社の基を築き「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた松永安左衛門(耳庵)は、益田鈍翁と並んで、近代の三大茶人と称される。

また、小田原を拠点に近代の茶道を極めた「近代小田原三茶人」にも、益田鈍翁、野崎廣太(幻庵)とともに松永耳庵の名が挙がるが、その伝記を読んでいたとき、実に印象深い記述があった。


松永耳庵(1875〜1971)は、長崎県壱岐の裕福な商家に生まれたが、その幼少期に、元寇のときの惨禍をさんざん聞かされて育ったというのだ。


モンゴル帝国とその属国、高麗王朝による日本侵攻である元寇は、文永の役(1274)と弘安の役(1281)の二度で、鎌倉時代なかばのこと。

なんと、壱岐では、13世紀の出来事を、600年後の19世紀まで、脈々と語りついできたことになる。


九州上陸前に侵攻を受けた対馬と壱岐の被害は、とりわけ甚大で、島民は惨殺され、子供は奴隷として連れ去られたわけだが、元軍が、捕虜とした女性の掌に穴を空けて縄で繋ぎ、舷側の並べて矢よけにしたなどといった信じがたい様子が、日蓮聖人らの記述によって伝えられている。


中国や韓国では、この侵攻のことを歴史で教えていないようだが、その惨禍は、現地では語り継がれていたわけで、私は、戦争というものが、たとえ終わっても、それを経験した人々にとっては、決して終わらず、遺恨とともに語り継がれていくものであることを思い知ったのだった。


おそらく、侵略を受けたすべての人間にとって、それは同じなのではないだろうか。


そして、いちどは文学史上の出来事になってしまった小林多喜二『蟹工船』といったプロレタリア文学が、格差社会と貧困が社会問題になると復権したように、戦争の記憶もまた、その気配とともに何度でも呼び起こされていくのだと思う。
posted by 城戸朱理 at 12:26| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

手乗り金魚???

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バンビことパンクな彼女は、金魚すくいが得意である。

お正月に鶴岡八幡宮で、金魚すくいをすると7、8匹をすいすいとすくってしまうのだが、金魚はすぐに死んでしまうのが、悲しい。

ところが――


「モミちゃーん、モミちゃーん!」


バンビが金魚鉢に呼びかけると、水面に浮かんでくるのが、モミーこと「もみじ」。

バンビが10年以上前に、すくってきた金魚である。

しかも、バンビの指に吸い付き、頭をなでられたり、顎をなでられたりしているではないか。


「もみじは、今や、世にも珍しい手乗り金魚なんだよ!」
・・・・・・


さすがに、10年は生きているだけに、金魚とは思えぬほど大きい。


「モミちゃんは、金魚じゃなくて、本当は鯉なんだよ!」


嘘である。

たんに大きくなった金魚である。


しかし、金魚が名前を呼ばれて分かるのだろうか?

おまけに、なでられて不快ではないのだろうか?

飼い主がパンクなだけに、金魚もひと筋縄ではいかないキャラに育ってしまったらしい。

面白いことは面白いが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 12:49| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

仙台弁こけし!? その2

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仙台弁こけしの向こうを張って、バンビことパンクな彼女が、「博多弁こけし」と自称するようになってしまった。

たしかに、バンビは博多弁を話せるが、博多弁こけしと言いながら話すのは仙台弁なのである。


「まぼいっちゃ!」

「はかはかするう!」


「まぼいっちゃ」は「かっこいいね」、「はかはかする」は「ドキドキする」という意味。

私が気に入っているのは、「ぺったらこい」(ひらべったい)である。

しかし、私もバンビも単語と言い回しを10ほど覚えただけなので、かなり出鱈目な仙台弁なのは間違いない。


仙台に行く機会があったら、着ぐるみの仙台弁こけしにも会ってみたいものだと思っていたら、公式ツイッターで仙台弁こけし切手が発売されることを知った。

しかも、仙台の郵便局限定――

これは、欲しい。

どうしても、欲しい。

そこで、仙台在住の富田真人氏にお願いしてみた。

富田さんは快諾して下さり、そして、届いたのである「仙台弁こけし オリジナルフレーム切手 夏だっちゃ!」が!


「はかはかするっちゃ!」とバンビ。

「ぺったらこい!」と私。


「夏だっちゃ!」ということは、これから「秋だっちゃ!」や「冬だっちゃ!」も出るのだろうか?

ともあれ、仙台弁こけし切手で、手紙を出しまくろう(?)。


切手のみならず、富田真人氏が21歳のときに出した詩集『usubakagerou』のコピーが同封されていたのも嬉しい。

この詩集に関しては、別に紹介したい。
posted by 城戸朱理 at 17:35| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

仙台弁こけし!? その1

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「はかはかするう!」

キッチンからバンビことパンクな彼女の声が聞こえてきた。

はかはかしているのである。

「まんずどうもねー」

今度は何かに感謝しているらしい。

「はかはかする」は「ドキドキする」、「まんずどうもねー」は「どうもありがとう」という意味の仙台弁。

なんで、わが家で仙台弁が流行っているかというと、仙台のゆるキャラ、仙台弁こけしのせいである。


最初に発見したのは、ツイッターだった。

「いぎなしなまってるこけしだっちゃ!」

何なんだ、このキャラは!?

「いぎなし」は仙台弁で「とても」という意味らしい。

「仙台弁で宮城の魅力ば伝えっぺす!」


着ぐるみも存在し、仙台の東急ハンズでいづぬづ(一日)店長をしたりもしているが、こけしだから、当然、腕はない。

あまりにケッサクなキャラである。


バンビは、こけし風の髪型にして、生きているこけし=生(なま)こけしになって遊んでいたくらいだから、気に入らないはずがない。

それで、わが家では仙台弁が飛び交うようになったのである。


さらに、バンビが仙台に行ったとき、仙台弁こけしグッズをお土産に買ってきてくれた。


仙台弁こけし手拭い、仙台弁こけしシール付きの仙台弁こけし白石温麺、さらに仙台弁こけしお弁当トートバッグである。

トートバッグには、仙台弁こけし缶バッジを付けて、ヴァージョンアップ(?)している。
posted by 城戸朱理 at 12:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

湯治の達人?

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温泉なら、何度も行ったことはあるが、一週間の湯治となると初めてだから、当初は原稿を書いたりしようと思っていたのだが、これは間違いだった。

バンビことパンクな彼女も、PCを持ち込み、写真を整理して、DVDに焼いては送り出したり、柳田国男『遠野物語』を読んだりしていたが、自炊部の湯治客は、見事なまでに何もしていない。


いつもパジャマ姿のお婆さん3人組など、温泉に浸かっては、寝ているだけ。

部屋の前を通ると、いつも、3人が布団を並べて目刺しのように横たわっているのだから、これが正しい湯治客かと感心してしまった。

だいたい、浴衣さえ借りず、御食事処やはぎに現れるときさえパジャマ姿なのだから、いつでも寝れるという意思表示をされているような気分になる。

ここまで行けば、湯治の達人だろうが、湯治とは、温泉に浸かる以外は何もしないことなのだろう。


結局、私も本は読んだが、執筆はしなかった。

バンビも後半になって、ようやくそのことに気づき、温泉に入ってはお昼寝するようになったが、これが正しい湯治というもの。


ただし、何もしないという贅沢に慣れるのは難しい。
posted by 城戸朱理 at 08:13| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

宮澤賢治と大沢温泉

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大沢温泉の自炊部・湯治屋では、部屋には扇風機だけ。

クーラーが入っているのは帳場の隣の待ち合いだけである。


戦前の雰囲気をたたえる待ち合いには、宮澤賢治が、浄土真宗の熱心な信徒だった父親に連れられて、花巻仏教会の講習会に来たときの写真が掛けられている。

賢治は、子供のころ、仏教講習会に連れられ、何度も大沢温泉を訪れたそうで、自炊部・湯治屋に泊まったこともあるのだろう。

曲がり橋の上で撮った少年時代の集合写真も残されている。


また、学生時代には、悪ふざけをして、湯を汲み上げる水車を止めてしまい、大騒ぎになったという愉快な逸話も。


後年、花巻農学校の教師をしていたときは、生徒を連れて来たこともあるそうだ。


岩手なら、温泉はいたるところにあるので、宮澤賢治にとっては、大沢温泉も日常のなかにあったのだろう。
posted by 城戸朱理 at 07:05| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自炊部・湯治屋の共同炊事場

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今回の大沢温泉滞在では、夕食3回を共同炊事場で準備した。

豊泉豪さんが泊まった夜は、佐助豚のしゃぶしゃぶがメイン。

しゃぶしゃぶ用に白菜を刻み、フルーツはメロンとさくらんぼ。

とうもろこしを茹で、佐助豚のソーセージをボイルし、佐助豚のコンフィを温め、シャンパンを開けた。

高橋昭八郎さんの思い出などを語り合いつつ飲んだのだが、忘れがたい一夜である。


自炊部・湯治屋の共同炊事場は、鍋に土鍋、フライパンや食器が完備され、電子レンジやトースターもある。

ガスは、10円を入れると7〜8分使える仕組みになっているが、なんともレトロで面白い。


バンビことパンクな彼女が、包丁やまな板、ゲランドの塩を始めとする調味料まで持ち込んでいたので、調理は手早く済んだ。


面白かったのは、共同炊事場で調理をしていた方々である。

自炊しているのは、男性ばかり。

山男の比率が高く、持ち込んだ食材で、手早く5、6品の料理を作っていたりする。

鰹とタコを引いて、プロとしか思えない見事なお造りを仕立てている人もいれば、自分で栽培した無農薬野菜や糠床まで持ち込んでいる人もいた。

女性はひとりしか見かけなかったが、冷房病で苦しみ、毎年、夏には2、3ヵ月を大沢温泉の湯治屋で過ごしているのだという。

共同炊事場にいると、互いに名前も知らないまま、なぜか話が弾み、顔見知りになってしまうが、これも自炊部ならではと感じ入った。
posted by 城戸朱理 at 07:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月28日

大沢温泉・南部の湯

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豊沢川にかかった曲がり橋を渡った対岸にある茅葺きの菊水館の男女別内風呂が、南部の湯。


木の湯船が心地よい。

南部の湯は、豊沢川と大沢の湯を見下ろす高台にあり、日中は窓が開け放たれているため、半露天風呂の気分。

大沢温泉の源泉は、50℃を超えるそうだが、南部の湯は、男湯ではいちばんぬるく、長湯が出来る。

そして、温泉にゆったり浸かっていると、時間が伸長し、止まるような感覚に満たされていく。

これは何なのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 04:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

大沢温泉・豊沢の湯

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山水閣にある男女別の半露天風呂が、豊沢の湯。

ここは、いちばん広いだけではなく、深さもあり、バンビことパンクな彼女は、もっぱら豊沢の湯ばかり入っていたようだ。


洗い場も六つあり、混み合うことがなかったので、私もよく利用した。


かたわらを豊沢川が流れ、風が心地よい。


豪雨のあとなど、豊沢川も濁流となり、自然の表情も刻々と変わる。

ほかに変化といえば、日の光。

午後の傾いた光は、あらゆるものを、甦らせるようだった。
posted by 城戸朱理 at 08:32| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

大沢温泉・大沢の湯

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毎朝、目覚めると、まず大沢の湯に入った。

自炊部・湯治屋の突き当たりにある大沢の湯は、混浴の露天風呂で、夜間2時間だけは女性専用となるのだが、豊沢川べりにあり、川風に吹かれながら浸かっていると、我を忘れて、石か木になったような気分になってくる。


混浴だから、まれに女性が入ってくることもあるが、誰も気にしない。
posted by 城戸朱理 at 14:56| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

Edge公式ホームページ、全91作品アップ完了!



アート・ドキュメンタリー「Edge」公式ホームページは、最新作、杉本真維子篇を含む全91作品のアップが完了した。

杉本真維子篇のレビューは、田野倉康一氏が担当。


一時間に枠を拡大した「Edge Special 怪物君〜吉増剛造と震災」(2016)や「LIVE! Edge 鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑) 毒と剱」(2015)なども、私がレビューを担当してアップされた。


ほかにも、言語哲学者にして新陰流剣術の使い手、前田英樹(立教大学教授)が、宮本武蔵の『五輪書』を語り、武蔵が考案した二天一流の演武を見せるユニークなコンテンツも。


公式ホームページは下記から。


http://edgeofart.jp/


16年間で制作された91本がアップされたわけだが、現在のところ、番組のトレーラーとレビューで構成されている公式ホームページは、番組のために書かれた作品やディレクターのコメントなど、さらなる拡充をはかっていきたいと考えている。
posted by 城戸朱理 at 10:24| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅の必需品

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年に10回以上、旅に出るような暮らしを続けてきたので、洗面道具に、ハサミや栓抜き、ワインオープナーなどがセットになったスイス・アーミーナイフやミニ・マグライトなど、旅の必需品は、いつもポーチにまとめてあるが、去年から新たに加えたのが、プラスチック製のシューキーパーだ。


今回の旅は、8泊9日。

授賞式とパーティーがあるし、そのあとは山奥の大沢温泉に行くので、靴も一足では済まない。

ちなみに、持参したのは、授賞式&パーティーのスーツに合わせるルイ・ヴィトンのガラスレザーのキャップトウ(ストレートチップ)、
グリップのいいラバーソールで、油分を多く含み、雨天にも強いリス・レザー、登山靴と同じ頑丈なノルウィージャン製法で名高いフランスのパラブーツのアイコンたるUチップ「シャンボード」、
それにスニーカーが、アディダスのスタン・スミスの3足。


移動時にはジャケット&パンツにパラブーツ、大沢温泉周辺ではスタン・スミスを履こうと考えたのだが、革靴には、シューキーパーがあったほうがいい。

ただし、自宅で使っている木製のシューツリーだと荷物があまりに重くなるので、軽いプラスチック製のシューキーパーをひとつだけ持って、その日、履いた靴に入れるようにするわけである。


このやり方だと、靴をトランクに詰め込んでも型崩れしないし、旅先でもコンディションを保つことが出来る。

もっと長期の滞在だと、アニリン・カーフクリームや靴ブラシも持参するが、とりあえず、プラスチックのシューキーパーが、旅の必需品の仲間入りをしたのだった。
posted by 城戸朱理 at 10:12| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

新作コレオグラフ「桃」〜舞踏への切線

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鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)による新作コレオグラフ「桃」は、全公演完売、立ち見まで出る盛況だったが、それ以上に、鯨井氏が未踏の地平に立ったことを感じさせるものとなった。


なんと、土方巽による舞踏創草期から、舞踏評論を担ってきた大御所、97歳の合田成男さんも来場されたが、何か予感されるものがあったのだろう。

合田さんは、これが自分が会場に足を運んで見る最後の公演になるだろうとおっしゃったそうだが、鯨井氏の踊りに、土方巽的身体と舞踏を感得されたそうだ。

それはオイリュトミーによって形成された鯨井氏の肉体が、舞踏への回帰を意識したことを言うものなのだろうか。


今回、鯨井氏とユニット「CORVUS」を組む定方まこと氏は、踊りだけではなく、ピアノも担当したが、テーマを尋ねられた鯨井氏は「舞踏」と答えたそうだ。

ただし、その「舞踏」とは、かつてあったものではなく、いまだ見たことのない領域に開かれようとしているのだろうし、また、そうでなければ意味がない。


「桃」は、大倉摩矢子(舞踏家)、四戸由香(ダンサー)、桃澤ソノコ(オイリュトミスト)、定方まこと(オイリュトミスト・ダンサー)が、無造作に歩き、すれ違い、たたずむところから始まる。


大倉摩矢子の幽明境に歩み入るかのような動き。

四戸由香のグランギニョルな、壊れた人間=機械仕掛けのマネキンの踊りも圧巻なら、ナイフを持った定方まことの狂気と正気の狭間のような姿も目に焼きつく。

そして、ときにイザナミと化す桃澤ソノコの圧倒的な存在感。


そこを不具の乞食に身をやつした鯨井謙太郎が横切っていく。

その姿は、たしかに土方巽を想起させるところがあるが、そのように了解してしまうのであれば、この公演は、たやすい納得で終わってしまうのではないか。

むしろ、私は鯨井氏が舞踏家とダンサー、それにオイリュトミストと、異なるコンテクストの身体と踊りを異質なまま、ひとつの舞台に投げ込み、自らはオイリュトミーで作られた肉体で、舞踏を踊ろうとしたことに注目すべきだと思う。


また、この公演を、たとえば、無関係のまますれ違い、ときに衝突する現代人と、現代社会を襲うテロルを、乞食という低い地平すれすれの視点と、鳥の俯瞰的な視点の境に出現させたものと読み解くことも出来るかも知れない。

だが、そうした演劇的なドラマトゥルギーによって、解釈されるべきものではない気がする。


吉岡実の詩篇の朗読が流れるパートもあり、鯨井氏が吉岡実『薬玉』の詩句を呟く場面もあったが、日本神話におけるイザナミや昔話の桃太郎を重層化させながら、
踊りが言語による解釈を導くのでもなければ、物語性が肉体を動かすわけでもなく、あたかも肉体がそのまま言語であり、言語がそのまま肉体である世界を、鯨井氏は開示しようとしたのではないだろうか。

その言葉と肉体のはざまを、一個の桃が転がっていく。


乞食として横切るだけではなく、いざ踊り出すと天地をしたがえるようなダイナミズムを現前させる鯨井謙太郎も健在だったが、観客として座っているだけでも、何かと対決させられているような踊りを見たとしか言いようがない。

未踏の舞踏へ、肉体=言語の新たな地平へ。

何かが起こり、さらにそこから新たな何かが、立ち上がりつつある。



(撮影=小野田桂子)
posted by 城戸朱理 at 17:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

夏のシルクジャケット

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鎌倉でも、最高気温が30℃に達する夏日が到来。

今年の梅雨は、降雨量こそ少ないが、やはり湿度は高く、不快な日が続く。


これだけ暑くなると、さすがにスーツを着るのは特別な日だけになるが、外出するときは、最低、ジャケットだけは手放さないようにしている。

これは私が自分で作ったルールなのだが、白洲次郎も、男はノータイでもジャケットを持つべきと語っていた。

だが、ジャケットを羽織ったら、どうしても汗をかいてしまうのが、日本の夏。

かなりの頻度でクリーニングに出すことになるので、一週間分くらいは用意しておかなければならない。


夏の衣類と言えば何よりも麻だが、最近はシルクのジャケットも愛用するようになった。

シルクは繊細なイメージがあるし、夏には向かないように思っていたのだが、実は丈夫で通気性がよく、綿の1.3〜1.5倍の吸湿性と放湿性を持ち、夏でも涼しい。

問題は皺になったときの復元力が弱く、水に濡れると色落ちしやすいことだが、最近はシルクの長所を生かし、欠点をおぎなうシルク・ウールやシルク・リネンの生地もよく見かけるようになった。



去年、購入したのが最初の写真のシアサッカーのジャケット。

シアサッカーは生地に縞状の凹凸があるので、見た目にも清涼感があるが、肌に触れる面積が少ないため、さらりとした着心地で、夏にうってつけ。

通常はコットンだが、このジャケットはシルク50%、ウール47%、エラスタン3%と、いかにもアルマーニらしい素材使いで、コットンのものより張りがある。

このジャケットは銀座松屋のアルマーニ・コレツィオーニで求めたものだが、試着したとき、直しの必要がなかったので、ショップスタッフが驚いていた。

たいていの人が袖を詰めるなど何らかの補正が必要になるそうだが、私にはジャストサイズなのがありがたい。


次の写真はシルク100%のショールカラージャケット。

ショールカラーはタキシードなどによくあるデザインだが、ジャケットでもシルクだとフォーマルな印象がある。

ところがシルクだけに軽いので気楽に羽織れるし、好きなデザインだ。


3枚目の写真もシルク100%のジャケット。

シャツなみの軽さで、まさに夏向き。

すべてパッチポケットなため、カジュアルな印象になる。


最後の写真はリネン84%、シルク16%なので、質感はリネン。

ショールカラーだが、胸ポケットを省略し、腰はパッチポケットのため、カジュアル感が強くなるので、カーディガンを羽織るような感覚である。


以上の3着は、いずれもアルマーニのコレクションラインのGIORGIO ARMANI。

アルマーニは、現在、ジョルジオ・アルマーニ、セカンドラインのエンポリオ・アルマーニ、ビジネスラインのアルマーニ・コレツィオーニ、カジュアルラインのアルマーニ・ジーンズとファスト・ファッションのアルマーニ・エクスチェンジで構成されているが、
来年からアルマーニ・コレツィオーニとアルマーニ・ジーンズをエンポリオ・アルマーニに統合し、3ラインに整理されるそうだ。

そうなると現在のアルマーニ・コレツィオーニとアルマーニ・ジーンズの売り場は、すべてエンポリオ・アルマーニに変わることになるのだろうが、
整理したいという欲求は、マーケティング戦略以上に「モードの帝王」「マエストロ・ディ・マエストロ(巨匠のなかの巨匠)」と呼ばれるアルマーニも、老いとともに何か心境の変化があったということなのだろうか。

動物愛護の視点から、アルマーニは、昨年、毛皮を一切使わないノーファーを宣言したが、アパレルをめぐる状況も変化しつつあるようだ。
posted by 城戸朱理 at 11:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

水原紫苑さん、第53回短歌研究賞受賞!

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水原紫苑さんが、第53回短歌研究賞を受賞された。

短歌研究賞は、歌集ではなく、「短歌」「歌壇」「短歌研究」などの短歌総合誌に発表された20首以上の作品と、それまでの実績を対象として選考される。

水原さんは「極光」30首詠(「歌壇」2016年7月号)での受賞。


「東京新聞」6月24日「詩歌への招待」欄に発表された「ヘブンリーブルー」連作も素晴らしかった。

そのうちの一首。



詩を織るは永遠の問ひ
たましひの殺人消えずわれこそあなた



同欄のエッセイで、水原さんは「世界はまず言葉から壊れてゆく。言葉が死ぬ時、世界も死ぬのだ」と書かれているが、これだけ端的に今日の危機を語ることができるのも、「永遠の問ひ」のさなかに生きているからなのだろう。


水原さん、おめでとうございます!
posted by 城戸朱理 at 09:28| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

ゴーストタウン化する日本

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鎌倉市の「広報かまくら」7月15日号では「空き家を増やさないために」という特集が組まれている。

鎌倉市の調査によると、鎌倉の空き家と考えられる戸建て住宅は、1108戸。

空き家が放置され老朽化すると、倒壊などの危険を伴うことになる。

今や、空き家対策は、地方公共団体の急務となりつつあると言ってよい。


実際、日本では住む人がいない空き家が増え続けている。

2016年6月の段階で、すでに空き家は820万戸、総住宅数に占める空き家率は13.5%。

野村総研は空き家の有効活用が進まなかった場合、2023年には空き家が1400万戸(空き家率21.1%)となり、
2033年には2170万戸(空き家率30.4%)、なんと住宅の3戸に1戸が空き家になると予測している。


しかも日本は人口減少期に入ったわけだから、現実を直視するなら、もう家を建てる必要はないわけであり、物の価格は需要と供給の関係で決まるわけだから、今後は地価も家の価値も下落するだけなのは、火を見るよりも明らかだろう。


実際、東京を始めとする大都市の一等地を除けば地値は下がり続けており、作家の佐藤洋二郎さんは、ネットで地方都市の中古マンションの価格を調べるのが趣味だとおっしゃっていたが、今や100万を切る物件さえ珍しくないそうだ。

暮らす場所によっては、住まいが新車より安く買える時代が到来したわけだから驚かざるをえない。



そうした状況に、いち早く気づいた坂口恭平は『0円ハウス』(2004)を上梓、「建てない建築家」として出発することになったわけだが、『0円ハウス』は、とあるホームレスに取材し、ホームレスを狩猟と採集によって生きる現代の縄文人としてとらえたところが新鮮だった。

坂口恭平的な発想だと、家はもはや「0円」なのである。


たしかに東京の銀座など、一等地の地価はバブル期以上に高騰しているが、それ以外のエリアでは、土地や家が資産たりえない時代が来ようとしている。


昭和という時代は右肩上がりの成長期で、人口も増え続けたため、親が持ち家であっても、子供は親との同居を望まず、何十年ものローンを組んで家を購入したわけだが、そうした核家族化の結果、家余りの現状が到来したのは当然のことでしかなく、今や昭和的な価値観は完全に過去のものとなった。


空き家が増えた地区は次第にさびれて、ゴーストタウン化していく。

核家族化のはてに広がる、この荒涼たる眺めは、団塊以上の世代には想像も出来なかった未来図なのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 11:16| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

電話とメールのマナー



電話とメールの使い分けに関して、若者と中高年の世代間ギャップが激しいそうだ。

コラムニストの石原壮一郎氏によると、おじさん世代は気にかかることがあると、すぐに電話してしまうきらいがあるが、それは、今やNGとのこと。

電話は相手の時間を奪うので、まずはメールで連絡するというのが、今日の若者の常識らしい。

また、仕事上の連絡を電話で済ますのは非常識であり、記録に残るメールが望ましいという声が目立つのだとか。

あの堀江貴文氏も、電話をかけてくる人とは仕事をしないとまで言っており、仕事の連絡を電話でするのは、今やデキない男のやることらしい。


たしかに、出版業界では、だいぶ前から、連絡はメールが常識になっているが、メールでやり取りしたうえで、さらに依頼書を郵送してくる編集部も珍しくない。

電話がかかってくるとしたら、校了間際に問題が見つかったとか、よほどの時だけである。


つまり、電話は仕事のツールとしては、緊急時限定のものになったということなのだろうか。

この緊急時も問題で、自分にとって緊急だとしても、相手にとって緊急だとは限らない。

電話の使い方も、難しくなったものである。


さらに、もの書きの場合は、執筆中に電話を受けると、意識が中断してしまうので、電話を取らないのが普通である。

私も執筆中は、携帯電話を書斎には置かないし、緊急の連絡であれば、電話に出なくても、メールなり何なりで必ず連絡が入るから、困ったことはない。


人生には、急ぐべきことなど、さしてないことも分かっているし、電話に頼らなければならないほど、切羽詰まっているとしたら、それはたんに仕事の段取りが悪いだけということだろう。


こうやって考えると、電話は必要ない気さえしてくるが、絶え間ない電話とFAXに悩まされる日も珍しくなかった20年ほど前のことを考えると、隔世の感がある。
posted by 城戸朱理 at 13:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする