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城戸朱理のブログ: エッセイ

2017年04月25日

衣替えをしていると





鎌倉では、桜が散ってウグイスが鳴き始めた。


さすがに暖かくなってきたので、冬物の衣類を順次、クリーニングに出し衣替えを始める。


春夏秋冬、四季があるのは素晴らしいことだが、こと衣類に関しては逆で、一年中、同じような気候なら衣替えの必要もないのにと思ってしまう。

おまけに日本だと、冬物と夏物は、まったく互換性がないし、春と秋は同じでもいいが、素材感で春に向かないもの、秋に向かないものがある。

つまり白いシャツやジーンズを除くと、春夏秋冬の衣類が必要なことになるわけで、効率がきわめて悪い。


スティーブ・ジョブズのように、いつも黒のタートルネック、ジーンズにニューバランスのスニーカーという私服の制服化をはかっても、日本の春夏にタートルネックは無理だろう。

私のように旅が多いと、帰宅してから衣類をクリーニングに出して戻ってくるまでの間の服が不足しないように揃えなければならないから、服が十着だけといったミニマリストにもなりようがない。


それでも、この季節になると、寒さで萎縮していた細胞が緩むような気分になる。


朝晩は若干、冷えるが、コットンのサマーセーターの肌触りが心地よい季節でもある。
posted by 城戸朱理 at 10:48| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

一週間のワードローブ

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今回の京都滞在は、7泊8日。

着替えの衣類は少なめにしたが、それでもそれなりの量にはなるので、あらかじめトランクにパッキングして宅急便で送り出した。


この時期の京都は、いきなり冷え込むことがあるので、私もバンビことパンクな彼女も薄手のコートを持参したが、これが正解で、京都では最高気温が10℃を下回る日も。

「花冷え」「春寒」といった言葉が身に沁みた。


それだけにホテル内で羽織るつもりだったニットジャケットが役に立った。

エルメスのヴァージンウールの冬用だが、ニットジャケットは気楽に羽織れるので旅先で重宝する。

ほかに、ジャケット&パンツとスーツ2着。

ジャケットは、カナダの現代画家クリス・ナイトの絵をシルクの裏地にプリントしたGUCCIで、これにはイタリアのPT01(ピーティー・ゼロウーノ)のグレイのパンツを合わせる。


スーツは黒のジョルジオ・アルマーニと、ストライプのネイビースーツがイタリアのパル・ジレリ。

パル・ジレリは、この一着しか持っていないが、職人の手縫いによるサルトリアーレ・ラインで、ブリオーニに生地を提供していることで知られるグアベロ社のsuper130sのストライプ地が気に入って求めたもの。

superという単位の繊度は1kgの原糸を伸ばしたとき何kmになるかを表すもので、super130sだと130kmになる。

この数字が高くなるほど糸は細くなり、生地は緻密で光沢を帯びるわけだが、150を超えると高級品、180〜200になると、カシミア・レベル。

super180〜200のスーツともなると、きわめて高価だが、生地が極薄なだけに弱く、皺になりやすいので実用的ではない。

普段、着るには130くらいが限界だと思う。


ほかに白のドレスシャツ7着に黒のタートルネックセーターと黒の海島綿の長袖ポロシャツが各1着。

旅慣れているはずなのに、ホテル内で着用するイージーパンツを入れ忘れた。


ジャケットやスーツはイタリアのものばかりだが、イタリア的なノリでは井上春生監督にはかなわない。

ときどき、この人はホントはイタリア人なんじゃないかと思うことがある(笑)。
posted by 城戸朱理 at 07:46| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

神野紗希さん&バンビ

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高柳克弘さんと神野紗希さんのロケのときには満開だった桜も散り始めた。

紗希ちゃんとバンビのツーショットが愉快だが、私もバンビも、洋服は黒が基調なのに対して、高柳家では、黒を着ることはないそうだ。

たしかに、神野さんは、いつも明るい色合いの服を着ている。


ちなみに写真のバンビは、ヴィヴィアン・ウエストウッドの襟元がリボンになったワンピースと、やはりヴィヴィアンのアイコン、襟がハート型のラヴ・ジャケット。

ラヴ・ジャケットは何着も持っているが、これは襟がヴェルベットになったモデルである。


京都での仕事を終えて、4月13日は帰るだけなので、ようやく解放された気分に。

荷物をパッキングしてから、バンビが友人に葉書を書いていたが、私もバンビもレターセットと切手は、いつも持ち歩いている。

私も久しぶりに、柳美里さん、そして吉増剛造さんに葉書を書いた。


トランクを宅急便で送り出し、糸屋ホテルをチェックアウト。

錦市場に向かう。
posted by 城戸朱理 at 10:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

着物を見たら外人と思え!?

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京都は、さすがに和服の女性が多い。

しかし、そのほとんどが――レンタル着物を着た海外からの観光客なのである。


中国、台湾からの観光客はもちろん、今回は親子で着物を着た韓国人一家も見かけた。

驚くことに、アジア系ばかりではなく、フランス人やドイツ人も。

比率で言うと、着物姿の女性が10人いたら、8〜9人は外国人といった感じで、ようやく歩き方や所作が日本人と思える美人を見かけたと思ったら、韓国の方で、英語で写真を撮ってくれと言われた。

バンビことパンクな彼女によると、韓国人は色白、中国人は美脚なので、それで見分けるのだとか。


京都もすっかり、伝統とカオスの街になってしまったらしい。
posted by 城戸朱理 at 08:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

祇園のエルメス

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6時からの打ち合わせは、建仁寺のそばなので、その前に花見小路のライカ・ギャラリーを見ることに。

例によって花見小路は観光客でごった返していたが、エルメスのショップがあったので入ってみた。


真夏のリゾートをイメージした店内は、ショップというよりは展示場という感じで、水着やビーチタオルがあるが、商品はきわめて少ない。

聞けば、7月までの期間限定ショップなのだという。


2階のイベント・スペースは、砂が盛られビーチ風に設えられている。

音楽を聞いたり、本を読んだりできるのだが、奥のデスクでは、ハガキが書けるようになっていた。

エルメスのカードをもらって、ハガキを書くとオリジナルの切手を貼ってくれる。

すべて無料で、私も友人にハガキを書いた。

切手を貼ってもらったら、エルメス・オレンジの郵便ポストに投函するとスタッフが出してくれるというユニークなサービスである。


バンビもハガキを書いていたが、私宛てだったので、後日、届いた。

旅先で書く一通の葉書。

たとえ、メールとSNSの時代になっても忘れたくないものだ。
posted by 城戸朱理 at 08:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

撮影終了の記念品

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春夏秋冬といったようにシリーズ化した番組の出演者には、撮影終了のとき、記念品を渡すことにしている。

これまで、東直子さん、吉増剛造さんにも記念品をお渡ししたが、高柳克弘・神野紗希夫妻も今回で撮影終了となるので、井上春生監督から、記念品を頼まれた。

バンビことパンクな彼女と相談して、京都といえばこれだろうと、流響院入りする前に、知恩院前の一澤信三郎帆布へ。

昔ながらの「一澤帆布製」というタグのトートバッグにしたのだが、これなら外出するとき、紙オムツなどの赤ちゃんグッズを入れられるし、純くんが大きくなったら、男女兼用で仕事にも使える。

一澤帆布は防水加工がほどこされ、とにかく頑丈。

私もトートバッグやエプロンを使っているが、20年以上たつのにびくともしない。


迷ったのは、カラーである。

私は黄色もいいなと思ったのだが、バンビの「井上監督のハグマシーン・カラーの赤がいいよ!」のひと言で、赤に決定。


この日の井上監督の出で立ちは、赤のパンツに赤のスニーカー。

もはやテーマカラーである。


そのうち、井上監督にも赤い一澤帆布のバッグを勧めよう。
posted by 城戸朱理 at 09:06| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

戦争の扉



アメリカのトランプ大統領は、カール・ビンソン空母打撃群を朝鮮半島近海に派遣、13日にはホワイトハウスで、記者団に対し、「北朝鮮は問題だ。問題は処理される」と発言した。

さらに、アメリカNBCテレビは、 北朝鮮が6回目の核実験を行うと確信した場合には、トランプ政権による先制攻撃の用意があることを複数の政府高官の談話として伝え、朝鮮半島をめぐる状況は、かつてのキューバ危機にも似た様相を呈している。


それに対して、北朝鮮の朝鮮人民軍総参謀部は、14日に「挑発を超強硬対応で粉砕する」と反発、在日米軍基地への報復を予告した。

今日、15日は、北朝鮮の金日成(キムイルソン)主席、生誕105年、25日は朝鮮人民軍創建85年と北朝鮮の国家行事が続くため、北朝鮮が核実験に踏み切る可能性は否定できない。

そうなった場合、トランプ大統領が、振り上げた拳を、そのまま下ろすだろうか?


アメリカが持つ原子力空母「ニミッツ級」は、10隻。

そのうち、ロナルド・レーガンは、横須賀を母港としており、現在、北東アジアには、ロナルド・レーガンとカール・ビンソン2つの空母打撃群が展開していることになる。

1996年、台湾総統選挙に圧力をかけるべく、中国軍が多数の弾道ミサイルを台湾近海に射ち込んだ台湾海峡ミサイル危機のとき、
アメリカはニミッツとインデペンデンス、ふたつの空母打撃群を台湾海峡に派遣、中国軍を沈黙させたことがあった。

その意味では、空母打撃群の派遣は、あくまでも抑止力としてなのだろうが、相手が金正恩委員長では、何が起こるか予断を許さない。

そして、かりに北朝鮮が核実験に踏み切った場合、カール・ビンソン第一空母打撃群まで派遣して、黙認してしまったら、アメリカの軍事的権威は失墜しかねない。


一方、最終的な衝突を避けるためか、14日にトランプ大統領は、アメリカが北朝鮮に要求するのは、あくまでも北朝鮮の核・ミサイル開発の放棄であって、金政権の存続は容認する考えを示した。


現状では北朝鮮が、6回目の核実験に踏み切るか、否かが事態を決定することになるのだろう。


戦争の扉は、思いがけないところにある。

どこにでもある。

批判という名のもとに何かを語るときでさえ。

何よりも、まず、日々の暮らしの場から、戦争を呼び込むような争いの言葉をできるかぎり、そぎ落としていくしかない。
posted by 城戸朱理 at 12:27| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

朝鮮半島の危機的状況について



4月5日の北朝鮮による弾道ミサイル発射を受けて、アメリカのレックス・ティラーソン国務長官は、非難の言葉さえ口にせず「さらなるコメントはない」と異例の声明を発表した。

これは、尋常ではない。

ティラーソン国務長官は、3月17日に、北朝鮮に対するワシントンの「戦略的忍耐」は終わったと宣言しており、「あらゆる選択肢が検討されている」と発言している。


さらに、4月2日には、トランプ大統領が、英ファイナンシャル・タイムズのインタビューで、「中国が北朝鮮問題を解決しないのなら、私たちがする」と軍事力の行使を示唆しており、朝鮮半島における危険水位は限界に達しつつある。


翌日、4月3日に、日本政府は、突然、長嶺安政駐韓大使の帰任を発表。

その理由を韓国の大統領戦、及び北朝鮮の脅威に備えるためとしたが、「在韓邦人の保護という側面もある」という文言は、朝鮮半島有事に備えるものではないかと思えるところがある。


アメリカの発表によると、北朝鮮の核実験場の活動が活性化しており、6回目の核実験の準備を進めているのではないかと見られているうえに、
6、7日には、フロリダで米中首脳会談が予定されており、ここでトランプ大統領は習近平主席に、北朝鮮問題に関して強い要求をするものと思われる。

この一両日中に、もし北朝鮮が6回目の核実験に踏み切るようなことがあれば、アメリカは武力行使も辞さないということになりかねない。


アメリカでは、北朝鮮が12〜20発ほどの核弾頭を保有していると推測している。

しかも、北朝鮮は、弾道ミサイルが日本の米軍基地を標的にしていることを公表しており、朝鮮半島の有事には、日本も無縁ではいられない。


日本でも、そこかしこが壊れていっている感があるが、今や世界中が、軋み、あちこちが壊れかけているようにしか思えない。
posted by 城戸朱理 at 09:21| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月05日

身軽になると



藤沢周氏が、生活をダウンサイジングすべく、荷物の4分の3を処分したと聞いたときには、さすがと思った。

若いときは、収入も少ないし、足りないものだらけだったが、気づくと余計なものに囲まれているというのが、今日の日本の現実だろう。


親が亡くなったとき、膨大な遺品を前にして、遺族が途方に暮れるケースが増え、ひそかに社会問題になっているそうだが、そのために遺品整理を専門とする業者も増えた。

いつかは片づけようと思っているうちに、老いて、片づけ自体ができなくなることが多いらしい。
御主人に先立たれ、遺品をいずれ整理しようと思って、とりあえず2階の部屋にまとめておいたところ、階段の昇り降りができなくって、そのまま亡くなられた方の話を聞いたことがあるが、こうしたことが、あちこちで起こっているのだろう。

今や、家庭ゴミも有料化が進んでいるので、ゴミとして出すにもお金がかかる。

私の父は、還暦を迎えたあたりから、物を減らし、写真はアルバムに整理するなど、片づけと整理を徹底してやっていた。


今や、若い世代では極力、物を持たず、すべての持ち物がトランクひとつに収まるような暮らしを営むミニマリストまで登場したが、あらかじめ物を持たない暮らしを目指すのは賢明かも知れない。

ミニマリストの欠点は、ストックを一切持たないため、大震災のような非常時には、すぐさま暮らしが成り立たなくなるところだろうか。

しかし、逆に考えると、そんなときでもトランクひとつで避難できるわけだから、困らないかも知れない。


戦中、戦後の物質が欠乏した時代を生きてきた団塊以上の世代には、ミニマリストの生活はも難しいのだろうが、気づいたときには、体力がなくなっている。

片付け業者によると、日本の老夫婦は平均して、2トントラック7〜8台分の物を抱えているという。

だが、ひとりの人間が生きていくには、2トントラックで1台分の荷物で充分なのだそうだ。


今、このタイミングで断捨離に踏み切った藤沢さんは、やはり賢い。

藤沢さんは、片付けをしているとき、「なんで俺は、こんなものを持っているんだと思うようなものが沢山あった」と語っていたが、いざ引越しをするとなると、そう思ってしまうような物が次々と出てくる。


私も鎌倉に引っ越すとき、衣類と本はかなり処分したが、今年は引っ越しをするつもりで、持ち物を整理してみたいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 09:34| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

地政学的な危機



英国の「ファイナンシャル・タイムズ」(3月9日)が、朝鮮半島の現状を「コリア・クライシス」と報じた。

アメリカのCNNなどのメディアも、同様のトーンで、朝鮮半島の危機的状況を報道しているそうで、日本のメディアより、強い危機感をにじませている。


それも当然だろう。

北朝鮮が、度重なる核実験、さらにはミサイル発射と軍事的挑発を強めるなか、
韓国は、朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾、罷免によって政治的空白が生じたうえに、
THAAD(高高度ミサイル防衛システム)の配備をめぐって、韓国が米中2大国の衝突の場となり、中国の露骨な経済制裁が、ただでさえ不振だった韓国経済を圧迫している。

ちなみに、韓国は昨年のGDPが世界11位と、経済的には大国なのだが、その約80%を輸出に頼っているため、貿易依存度が異様に高く、もともと内需が弱い。

日本の貿易依存度が、15%ていどであることを思えば、韓国の貿易依存度が異常なまでに高いものであることが分かるだろう。

世界経済の減速による輸出の不振に加えて、もともと低かった韓国の内需を、不動産バブルで約130兆円まで膨れ上がった家計負債が圧迫し、消費者心理を冷え込ませている。

ちなみに、昨年の韓国の国民ひとりあたりの国民総所得(GNI)は、2万7561ドル。

国民総所得は、ある国の国民の生活水準を示す経済指標だが、韓国は、2006年に2万ドルを超えて以来、10年もの長きにわたって、先進国入りの指標となる3万ドルの壁を超えることができず、2万ドル代を推移していることになる。


韓国経済の失速は、若年層(15〜29歳)の12.3%という高い失業率を見ても明らかで、韓国メディアでも、これから韓国が日本のように「失われた20年」を迎えるのではないかという報道が、去年からずいぶん目につくようになった。


たしかに「漢江(はんがん)の奇跡」と呼ばれた韓国の経済成長は、目覚ましいものがあった。

日韓が国交回復した1965年の段階で、両国のGDPは約30倍の開きがあったが、近年だと、韓国のGDPは1兆3000億ドルと日本のGDP4兆9000億ドルの約26%、その差は4倍まで縮まっている。

だが、基幹産業が中国の猛追を受けており、技術革新では日本に遅れを取り、成長エンジンが見当たらない。

さらに、財閥中心の経済構造に国民の不満が募り、人口も減少に転じたため、今後は、これまでのような経済成長は見込めないというのが現実だろう。


しかも、次期大統領が確実視される文在寅(ムン・ジェイン)「ともに民主党」前代表は、かねてから親中、親北、反日、反米の左派として知られ、
文在寅大統領が誕生したら、北朝鮮と韓国の連邦制統一、最悪の場合には共産党独裁の赤化統一のシナリオを予想する識者さえいる。

もし、そうなったら、実質的には北朝鮮主導の半島統一となり、米軍は朝鮮半島から撤退、韓国は地上から消滅することになりかねない。

もっとも、文在寅候補が、実際に大統領として執権するようになれば、単純に反米を貫くとは思えないので、状況が、そこまで急変することはないのかも知れないが、可能性が捨てきれないのも事実だ。


かつては、中国(清)とロシア、日本という列強の、そして今は中国とアメリカという二大強大国の思惑が衝突する朝鮮半島の地政学的な困難さ。

そして、朝鮮半島と対峙する日本列島の位置を思えば、それは日本という国の困難さでもあることを忘れてはならないだろう。
posted by 城戸朱理 at 19:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

宮澤賢治「雨ニモマケズ」手帳を使い始めて

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盛岡の光原社で求めた復刻版の宮澤賢治の手帳を使うことにした。

この手帳は、横罫なのだが、賢治は裏表紙から縦書きで使っているので、私も「雨ニモマケズ」が書かれたあとのページから、縦書きでメモを取り始める。

メモは、手書きに限る。

ハーバード大学の調査で、手書きとPCを比較した場合、手書きのほうが記憶として定着するという結果が出たが、手書きだと、記憶に残るだけではなく、次の思考が呼び起こされるところがある。

乱雑でも構わないし、気になったことを何でも書いておくと、新しい関係が立ち上がり、それまで気づけなかったことが、突然、見えてくることもあるのだ。

私は、ノートも用意して、気になったことを書きつけるようにしている。

ノートはテーマ別にも用意しているが、実際は、テーマを決めず何でも書き込むことにしている雑記帳から、何かを発想することが多いようだ。

つまり、考えを整理するのではなく、雑多な事項の「遠いものの連結」(西脇順三郎)によって、新しい考えが生まれるということだろうか。


「雨ニモマケズ手帳」に、ここしばらく詩について考えていたことをランダムに書いてみたら、私にとっても思いがけない詩の問題が見えてきて、自分でも驚いているところなのだが、それは、これから自分が書くべき詩を、その方位と地平を照らすものになるかも知れない。


それが、どんなことなのかは、詩集の形で問うことになるだろう。

人は、結論を求める。

しかし、大切なのは問い続けることだ。
posted by 城戸朱理 at 09:51| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

つくしを摘んで

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鎌倉では、あちこちにつくしを見かけるようになった。

龍子さんによると、澁澤龍彦先生は、つくしを摘むのがお好きだったとか。

春に澁澤邸を訪ねると、龍子さんは必ずつくし料理を出して下さるが、生前の澁澤先生は、若い編集者が来ると、見たことがないだろうと、得意気につくし料理を振る舞ったそうだ。


つくしは、袴を取るのが大変で、指が黒くなるが、これは指に酢をつけながらやるといいらしい。

下処理が終わったら、胡麻油で炒めたり、梅肉と和えたり、玉子とじにしたりする。

春の味覚のひとつだが、それ以上に、つくしは、野原や土手に、ぬっと出ている感じが面白い。

漢字だと「土筆」になるが、たしかに地面に筆を立てたかのようでもある。


田鼠の穴からぬつと土筆かな(小林一茶)


土筆は春の季語。

古句には「つくづくし」とも詠まれている。
posted by 城戸朱理 at 11:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バンビ=鹿千代の悪だくみ???

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あるときは、生きているこけし=生(なま)こけし。

そして、あるときは、子供剣士・鹿千代。

しかして、その実体は――

そう、バンビことパンクな彼女である。


「鹿千代にござりまする!」

また、鹿千代になってしまった――

「ちっちゃいのでござりまする」
・・・

困ったことに、鹿千代は六つか七つの子供という設定なのだ。

「鹿千代は、お腹が空きましてござりまする」
・・・・・・

何か作ってくれという意味である。


仕方がないので、私が昼食の準備をすることにした。

考えてみると、ここ数年、多忙を極めていたせいもあるが、料理はバンビに任せっぱなしだったから、私が厨房に立てるというのは余裕ができてきたということで、悪い話ではない。


ラードでタマネギのみじん切りと挽き肉を炒め、さらに人参、キャベツをさっと炒めて、鳥ガラスープで煮てから味噌を溶く。

生麺を茹で、茹で玉子をトッピングして、味噌ラーメンを作ったのだが、ちょうど出来上がったところで、バンビ=鹿千代がやってきた。

スープには仕上げに、おろしニンニクとショウガ、そして山椒を。

これで、味噌ラーメンの名店、さっぽろ純連風になる。


「美味しゅうござります」
・・・


そして、翌日。

夕方にバンビ=鹿千代からLINEで連絡が来た。

「鹿千代は、お肉を食べとうござりまする」
・・・

「京都の焼肉はつだ風にお願いいたします」
・・・・・・


焼肉はつだのタレが買ってあったので、バンビ=鹿千代が自分用に買ってあった牛肉を、はつだ風に焼いていたら、バンビが帰ってきた。


「ステーキも焼いてほしゅうござりまする」
・・・

冷蔵庫を覗いてみたら、綺麗にサシが入った和牛A5等級のステーキ肉が。

どうやら、自分用にステーキ肉も買ったらしい――

「にゃふ〜ん!」と喜びながら、ステーキ肉をカゴに入れるバンビが、目に浮かぶかのようだ。


かくして、私は焼魚、バンビはステーキと焼肉の夕食になったのだが、なにせ鹿千代は六つか七つの子供という設定だから、鹿千代になられると料理も私がせざるをえない。

ひょっとして、それがバンビの狙いだったのか!?


パンクだから仕方がないが、さらなる警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 09:51| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

第三次こけしブーム???

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戦前、そして高度成長期に続いて、現在は、第三次こけしブームなのだとか。

手作りの伝統工芸品なのに、数千円で入手できることから、若い女性を中心に人気が高まり、こけし女子、略して「こけ女」なる言葉まで生まれたほど。


不定期月刊(?)のこけしと温泉の専門誌「こけし時代」もひそかに人気らしいが、実は、この雑誌を編集しているのは、バンビことパンクな彼女の友人なのである!


ちなみに、こけしは、江戸時代から東北地方で作られてきたが、地方ごとに呼び名は違ったそうだ。

それが、昭和15年(1940)に宮城県の鳴子温泉で「全国こけし大会」が開催され、こけしという名称が定着することになったらしい。


第一次こけしブームは、昭和6年(1931)に刊行された『こけし這子(ほうこ)の話』がきっかけだったという。

著者は、児童文学者の天江富弥。

初めて、こけしを系統別に体系化した本なのだが、この影響でコレクターが急増。


第二次こけしブームは、昭和30年代後半から40年代前半にかけての高度成長期で、道路や交通機関の整備が進んだおかげで、賑わうようになった温泉地の土産物として、こけしが飛ぶように売れたのだとか。

第一次こけしブームが、民芸品や骨董の収集家や都市部のインテリ層によるものだったのに対して、第二次ブームの中心になったのは、サラリーマン。

それだけに、売れ行きも凄く、最近、骨董市を覗くと、異様にこけしが目につくが、この第二次ブームのときに買われたこけしが売りに出されているのだろう。


現在の第三次こけしブームは、女子が中心で、素朴なゆるキャラとして人気を博している。


そして、バンビは、こけしが静かなブームになる前から、こけし風の髪型にして、生きているこけし=生(なま)こけしになって遊んでいたわけだから、先見の明があったと言えなくもない。

いや、ちょっと待てよ。

こけしを飾って和むのと、自分がこけしになるのでは、かなり違うか。
posted by 城戸朱理 at 11:25| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

宮澤賢治の手帳

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賢治の詩のうちでも、もっとも広く知られているのは「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」だが、これは詩として発表されたものではなく、
賢治の没後に発見された手帳のメモであり、賢治自身が自ら、こうありたいという姿を綴ったものである。

「雨ニモマケズ」が記されているのは、賢治が、闘病中の1931年に使っていた黒い手帳の51ページから59ページにかけてで、11月3日の日付を持つ。

筆跡から見ても、一気に書き上げたのは間違いないが、賢治自身、この走り書きのメモが、後世、自分の代表作のひとつになるとは思っていなかっただろう。

また「雨ニモマケズ」の後には「南無無辺行菩薩/南無上行菩薩/南無多宝菩薩/南無妙法蓮華経/南無釈迦牟尼仏/南無浄行菩薩/南無安立行菩薩」と「法華経」を中心に諸仏を列記したページもあり、法華経に深く帰依した賢治の姿が浮かび上がってくる。


この手帳は、研究者に「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれているが、光原社で、その復刻が売られていたので、求めてみた。


鞄に入れておくと、ごく普通の手帳にしか見えないが、なかに記されている言葉を思うと、何の変哲もない手帳が、精神性を帯びるかのようで、心地よい緊張がある。

「雨ニモマケズ手帳」は、およそ三分の二が白紙のままなので、私も手帳として使うつもりだが、自分が、どんな言葉を書きつけることになるのかは、分からない。
posted by 城戸朱理 at 10:40| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

桃花&バンビ

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食事を終えて、記念撮影。

バンビことパンクな彼女は、さっそく佐藤桃花さんのポーズを真似している。

この両手を広げるポーズは、女子大生に流行っているのだろうか。

それとも、佐藤さんのオリジナルなのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 16:41| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月09日

インディペンデント映画



久しぶりにジム・ジュームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984)を見た。

これといって何も起こらないのだが、コミカルでありながら空虚さを抱えた若者たちの群像は、今見ても素晴らしい。

20代のとき、初めて見たときの興奮が甦るかのようだった。


この作品は、ヴィム・ヴェンダースがハリウッド進出に失敗し、余った1時間分ほどの35mmフィルムをジャームッシュにプレゼントしたところから始まった。

ヴェンダースとしては、15分ほどの短編が撮れると思ったらしいが、ジャームッシュは入念なリハーサルを重ねてフィルムの無駄を廃し、第一作目となる長編を作り上げた。
(この前に「パーマネント・バケーション」が撮られているが、これは卒業制作である)


そして、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)、カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)、さらに全米映画批評家協会賞を受賞し、世界のシネアストの注目を集めることになる。


ジャームッシュは、今年のカンヌにも「パターソン」を出品しているが、「ブロークン・フラワーズ」(2005)で、カンヌの審査員特別グランプリを受賞しているので、残すは、最高賞のパルム・ドールのみとなる。


そんなことはともかく、ジャームッシュの凄さは、アメリカに生まれながら、ハリウッドとは無縁のインディペンデント映画を撮り続けているところだろう。

映画制作には、とにかくお金がかかる。

これといったスターが出演しない一般的なハリウッド映画でも、平均予算は20億円を超えると聞いたことがあるが、ジャームッシュは予算に縛られず、映画を作る道を見いだしたことになるわけで、これは創作の自由を保証するものとなるだろう。


インディペンデント映画の先駆と言えば、ジョン・カサヴェテスだが、カサヴェテスのことを考えると、私はいつも愉快な気分になる。

監督第一作は、「フェイシズ」(1968)。

なんと、自宅を抵当に入れて資金を作り、その自宅で撮影したという無茶ぶりが素晴らしい。


「フェイシズ」は大いに話題を呼び、インディペンデント映画というジャンルの確立に寄与したが、その後、カサヴェテスは、「グロリア」(1980)で、ベネツィア国際映画祭の金獅子賞、「ラヴ・ストリームス」(1984)で、ベルリン国際映画祭の金熊賞、国際批評家連盟賞を受賞している。

こう書くと華々しい経歴のようだが、彼は、妻のジーナ・ローランズとともに、ハリウッドの俳優業で得たギャラを映画制作に投じており、映画制作の資金作りのために俳優をしていたふしさえある。

ふつう、カサヴェテスやジーナ・ローランズほどの役者なら、ハリウッドのスターになったところで満足しそうなものだが、そうでなかったところが、痛快である。

誰かに頼まれたのではなく、自分が撮りたいものを作ろうとしたら、世界的な巨匠になるまで待つか、インディペンデントしかない。


映像のデジタル化によって、映画制作は敷居が低くなった。

今や、あの「シン・ゴジラ」も一部がそうだったように、iPhoneでも映画が撮れる時代なのだ。

そのせいもあって、インディペンデント映画の制作本数は増えている。

だからと言って、カサヴェベテスやジャームッシュのような才能が、次々に現れてくるわけではないにしろ、新しい力の胎動を感じるようにはなったのも事実である。


詩もまた、あらかたがインディペンデントなわけだから、手にした自由を振り切るほどの詩を書くことを目指すしかない。
posted by 城戸朱理 at 10:40| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

酒を飲まないと

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晩酌は長いこと、私の習慣だが、やらなければならないことが山積していたので、数日だけ酒を飲まずに過ごしたところ、実に面白い発見があった。

何が面白かったのかというと、夕食の献立である。

たとえば、湯豆腐。

寒い季節、湯豆腐で呑み始め、お造りや焼き物を待つのはいいものだが、呑まないとなると、湯豆腐は、御飯の菜には淡白すぎて物足りない。

これが旅館に泊まって、朝食に湯豆腐が添えてあったりすると豊かな気持ちになるものだが、どうも夕食には向かないようだ。

そういえば、お造りも、酒と飯、どちらにも合うものは少ない。

マグロや鯛なら、酒の当てにもなるし、御飯にも合うのは言うまでもないが、たとえば、烏賊なら、どうだろうか。

旬の烏賊の、甘さとみずみずしさは酒を呼ぶが、これが飯の菜となると、やはり物足りないような気がする。

そして、逆にカレーやオムライスといった、いかにも家庭的な料理だと、酒は飲めない。


世の中には、酒は飲めないが、珍味に類する酒肴が好きだという人も稀にいるから、いちがいには言えないが、酒徒と下戸では、献立がまったく違うものになるというのが現実だろう。


酒徒の立場から言うと、懐石料理は酒なしには考えられないし、吉田建一ではないが、フランス料理やイタリア料理は、ワインのためにある。


ちなみに和食だと、武家の正式な料理は、お膳が並ぶ本膳料理、一方、禅宗で精進料理が生まれ、その流れを汲んで、茶の湯の懐石料理が始まった。

江戸時代には、俳諧や和歌の会の酒席のために、本膳料理を簡略化した会席料理が生まれ、一方で、仕入れた食材と客の要望に合わせて調理をする即席料理も発達する。

今日の割烹料理は、即席料理の流れを汲むところがある。

八寸や先付けから始まって、お椀、お造り、焼き物と続く、現代の正式な和食は、北大路魯山人と吉兆の創業者、湯木貞一によって大成されたものと言われているが、懐石の作法で本膳料理の品数を出すものと言えなくもない。

そして、茶懐石でさえ酒ありきなのだから、和食においても、料理じたいが酒と測り合っているようなものである。


ところが、呑まずに食事するだけだと、実に簡単に済むのは驚くばかりで、30分もあれば食事が終わってしまう。

澁澤龍子さんは、せっかく2時間、3時間をかけて料理をしても、食べるだけだと30分で終わってしまうので、ワインを飲みながらゆっくり食事を楽しむとおっしゃっていたが、うなずける話だ。


飲まないと、その分だけ、時間は出来る。

おかげて、やらなければならないことは、はかどったが、それは、それであわただしい。

「人生は退屈の味を知ってから始まる」と語ったのは吉田健一である。

そして、退屈する間もないほど日々の仕事と雑事に追われている私のような人間は、酒を前にして、ようやく退屈の入り口に立つことができるようだ。
posted by 城戸朱理 at 12:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

小津安二郎邸の名残り

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北鎌倉の侘助。

店主の菅村睦郎さんは、私の高校の先輩だが、壁には和紙、天井には革が貼られ、時間の経過をたたえた古色が店内の空気を鈍色に染めているかのようだ。

睦郎さんは、去年、裏手に庭を作り、それに合わせて、物置になっていた店奥の一画を個室風に作り変えたのだが、そこに置かれているテーブルが、実は、今は取り壊されてしまった小津安二郎邸の台所の床材を使ったもの。

小津邸取り壊しのとき、侘助の常連の植木屋さんが手伝ったのだが、廃材として捨てられた木材から譲り受けた一枚板の台所の床材にスチールの脚を付けたのだという。


生涯、独身だった小津安二郎は、北鎌倉の家に母親と暮らしていた。

「無」という一文字が刻まれたお墓は円覚寺にあるが、いまだに小津監督の命日、12月12日には、日本中から墓参りに来る若いファンが絶えない。
posted by 城戸朱理 at 08:48| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月10日

いかれバンビと時代劇???

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井上春生監督が、この20年でいちばん好きな時代劇と語っていたのが、山田洋次監督「たそがれ清兵衛」だった。

原作は、藤沢周平。

藤沢周平の読者なら、おなじみの海坂藩(うなさかはん)七万石を舞台とする物語である。

東北の小藩、海坂藩は架空の藩だが、実在しなかったがゆえに史実にとらわれることなく、物語を紡ぐことができる。

「平成のベストセラー作家」佐伯泰英の累計2000万部超の人気シリーズ、「居眠り磐音江戸草紙」も、主人公の坂崎磐音(いわね)の故郷を架空の豊後関前藩としているが、これも藤沢周平の海坂藩にならったものだろう。


映画の「たそがれ清兵衛」は、アカデミー賞外国語映画部門の候補になっただけあって、リアリティも、主演の真田広之も素晴らしい。

そのせいで、バンビことパンクな彼女は時代劇にハマり、藤沢周平原作の映画を続けて観ることになった。

「隠し剣 鬼の爪」(山田洋次監督)と「必死剣 鳥刺し」(平山秀幸監督)である。


そして、バンビは興奮し、すっかり江戸時代の剣客モードになってしまったのである。


「隠し剣、バンビの爪!」
・・・

「あれ、バンビは爪じゃなくて蹄かな?」
・・・・・・

「バンビ剣、鳥刺し!」
・・・

そして、エアー素振りを始めてしまったのである。

「隠し剣、バンビ刺し!」
・・・・・・

今度は、映画2本が混ざっている――


その翌日、私が夕飯の支度を終えたころ、バンビがバイクで帰ってきた。

ドアを開けたら、


「鹿千代にござりまする。
ただいま、戻りました」
!!!

「鹿千代は、着物も帯もいらないのでございます。
ただ、お父さんやお母さんの、仇を討ってやりたいのでございます」
!!!!!!

何なんだ、鹿千代って?

「小美人剣士、鹿千代物語だよ!」
・・・・・・

「小鹿千代」では様にならないので、「小」と「鹿」を分割したらしい。

しかし、鹿千代では、武家ではなく芸者のような名前である。


とにかく、お風呂に入るように言ったら、


「鹿千代は、お風呂をいただきます」
・・・・・・


夕食を終えると――


「鹿千代は、勉強しとうございまする」
・・・・・・


困ったことに、鹿千代になったバンビが「勉強」というのは、Amazon Videoで時代劇を観ることなのである。


そこで、小林正樹監督「切腹」(1962)を観ることにした。

切腹という武家の作法を通して、武士の体面と虚飾をスタティックな画面で描き、カンヌ国際映画祭でも審査員特別賞を受賞した時代劇の傑作である。

三池崇史監督、市川海老蔵主演でリメイクされたのが「一命」だが、海老蔵の熱演にもかかわらず、やはり、「切腹」には及ばない。


「鹿千代は、切腹はイヤでございまする。
走って逃げまする」
・・・・・・


鹿千代になっても、やはりパンクなのである。

それにしても、鹿千代はやけに子供っぽい。

いったい、何歳という設定なのだろう?


「ちっちゃいよ」
!!!

「六つか、七つ」
!!!!!!

まだ、子供じゃないか!?

「鹿千代にござりまする!」
・・・・・・


どうやら、当分は子供の鹿千代になって、時代劇モードで遊ぶつもりらしい。

パンクだから仕方がないが、厳重な警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 00:12| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする