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城戸朱理のブログ: エッセイ

2015年12月30日

bambi in Vivienne Westwood!

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つな八で昼食を取ったあとは、バンビことパンクな彼女が「久しぶりにヴィヴィアンに行くのはどうかな?」と言い出した。


今年はあまりの忙しさにヴィヴィアンをゆっくり覗く余裕もなかったから、ニューヨークに行く前に新作のトレンチコート、黒とベージュの二着と黒のヴェルヴェットのドレスを購入して以来である。

というわけで、バンビを連れて、パンクの聖地、ヴィヴィアン・ウエストウッドへ。


バンビが欲しかったのは、仕事にも着ていけるベーシックなワンピース。

ところが、ヴィヴィアンに「ベーシック」なものなど存在しない。

パンクでアバンギャルド、ときにゴージャスで、あるときはガーリー、それがヴィヴィアンの魅力だろう。


「an・an」の読者に語りかけるような文体を作り上げ、戦後女性ライターの草分けと呼ばれた三宅菊子さんは、その晩年に、認めるデザイナーはヴィヴィアン・ウエストウッドただひとりと語ったことがある。

三宅さんは、白洲正子さんとも親交があって、白洲正子ブームの火付け役にもなったが、戦後まもなく、両親に連れられて、白洲邸に行ったとき、白洲次郎さんがTシャツにジーンズ姿でバーベキューをしてくれたそうで、生まれて初めてバーベキューというものと男性のTシャツ・ジーンズ姿を見たと言っていたっけ。

ちなみに、三宅菊子さんの父親はシュルレアリスムの画家、安倍金剛、母親は女流作家で青山二郎の青山学院のメンバーでもあった三宅艶子、哲学者・評論家の三宅雪嶺は大伯父に当たる。


ヴィヴィアン・ウエストウッドは、流行を意に介さず、あくまでも独自のスタイルを貫くデザイナーだが、三宅さんは、そのあたりに共鳴したのだろう。


一方、バンビは、パンクだから、学生時代からヴィヴィアンが憧れで、よく代官山に見に行ったらしい。


「バンド仲間とよくヴィヴィアンに行ったんだけど、見るだけなんだよ!」
???

「学生には高くて買えなかったんだなあ!」

たしかに当時は、直輸入品だけだったから、学生に手が出るようなものではなかった。

ヴィヴィアンの本店は言うまでもなくロンドン、オリジナルはイタリア製だが、今でもイタリア製のアイテムは、やはり高価である。


店頭には、やはり「ベーシックな」ワンピースは見当たらなかった。

ところが、店員さんが次々とバックヤードから出してきてくれるではないか。


やはり特徴あるデザインだが、仕事にも着ていけそうなワンピースもある。

バンビは喜んで次々と試着し、黒や紺、グレーなどのワンピース4着を選んだ。


さらに革手袋とマフラー、合わせて6点の買い物に。


バンビは、ヴィヴィアンなら買ってもらえるものと思っているのである。


「いつも、お洒落にしているのは大変なんだよ!」
・・・

「バンビくんは、人知れず努力してるんだなあ!」

いったい、どんな努力なんだろう?

何かパンクな努力なのだろうか?

「だからヴィヴィアンを買ってあげて!」
・・・

「いっぱい買ってあげて!」
・・・・・・


いつも買ってあげてるじゃないか。

かくして、私の年末年始資金は、バンビのヴィヴィアン代に化けてしまったのだった。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 09:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

曹操「短歌行」



わが国でも人気が高い『三国志』だが、一般に流通しているのは、晋代に陳寿が著した正史の『三国志』ではなく、明初に羅貫中の筆になるとされている『三国志演義』である。

前者が歴史書であるのに対して、後者は小説であり、史実ではない脚色が施されているが、両者のクライマックスが、赤壁の戦いであるのは異論のないところだろう。


魏の曹操が、80万と号する軍を率いて、呉の孫権に臣従を迫るが、孫権は、のちに蜀を起こす劉備の軍師、諸葛亮(孔明)の説得で劉備と組み、曹操を赤壁に大破する。

ここから、魏呉蜀の三国鼎立へと歴史が動き出すのだが、『三国志演義』では魏と曹操を悪役に描いているため、曹操の姦雄ぶりばかりが強調されており、人気もなかった。

しかし、近年、正史の『三国志』を下敷きにした漫画『蒼天航路』などによって、曹操が正しく英雄として描かれ、歴史への関心が高まるにつれて、曹操の人気が高まり、日本人が好きな中国史上の人物の一位に選ばれるなど、様相がだいぶ変わってきたようだ。


曹操は魏王として亡くなり、その子、曹丕が漢最後の帝たる献帝から禅譲を受けて、魏の文帝となるわけだが、このとき父に諡号を贈り、曹操は魏の武帝とも呼ばれるようになる。

杜甫の詩にも現れる「魏武」が、すなわち、曹操にほかならない。

曹操の五男で曹丕と帝位を争った曹植は中国文学史に屹立する大詩人であり、「詩聖」と呼ばれた。

そして、曹操もまた偉大な詩人であった。


『三国志演義』では中国統一を賭けた赤壁の戦いを前にして、曹操が「短歌行」という詩を朗々と歌う場面がある。



酒に對して当に歌ふべし
人生 幾何(いくばく)ぞ
譬(たと)ゆるに朝露の如し
去りし日は苦(はなは)だ多し
慨して当に以て慷すべし
何を以って憂いを解かん
唯杜康(さけ)あるのみ



『文選』にも収録された不朽の名作「短歌行」の冒頭である。

大意は、酒を前にしたならば歌うしかない。人生はどれほどか。たとえるなら朝露のようなものだ。
過ぎ去った日々ばかりが多く、悲憤に暮れ、わだかまる想いに囚われる。
この憂いをいかにして解くのか。ただ酒があるのみだ、というもの。

杜康は酒を作ったという伝説上の人物で、転じて酒を意味する。


「短歌行」は悲憤から始まって、広く天下に人材を求める志操を歌う雄大な展開を見せるが、その調子の高さとともに、私の年になると、「去りし日は苦だ多し」といった一節に、深く感じいることになる。


実際のところ、「短歌行」は、赤壁の戦いの前に賦したものではないが、赤壁の戦いのとき曹操は54歳。

ちなみに呉主・孫権は27歳、劉備は48歳、諸葛孔明は28歳だった。

おそらく、赤壁の戦いも、そのとき何歳だったかによって、意味合いが違うものになったことだろう。
posted by 城戸朱理 at 13:33| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月20日

今日もふわふわ???

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バンビことパンクな彼女から、LINEで写真が送られてきた。

タイトルまであって、「昨日のふわふわ」。
???

続けて、もう一枚の写真が。

今度のタイトルは、「今日のふわふわ」。
!!!!!!


この脱力した生き物は――


「裏駅のペットショップに面白いにゃんこがいるんだよ!」

やはり、鎌倉駅西口のPET PLUSを覗いていたらしい。


「お昼に見に行くと、ちっちゃいにゃんこ3匹が輪になって、ネコパンチを繰り出し合っているんだよ!」

それは――面白そうだ(笑)。

「それで、夕方になると、3匹とも寝てるんだなあ!」

なにせ、江戸時代にはネコを「寝子」とも書いたほどだから、猫は寝るのが仕事とばかりに、よく寝ている。

そこが面白いのだが、どうやら、仔猫を見るために、毎日、昼と夕方にPET PLUSを覗いているらしい。


「にゃんこは、柳美里さんが飼ってるトラみたいなキジトラの仔と灰色の仔と、ふわふわの三毛なんだよ!」

面白そうな取り合わせである。

「バンビくんは、ふわふわの仔が好きなんだけど、あのにゃんこは3匹まとめて飼ったほうがいいね!」


バンビは何でも飼いたがるので、本当は仔猫を飼ってみたいのである。

しかし、これだけ出張が多いと、金魚とウーパールーパーが限界で、犬や猫は飼えないのが分かっているものだから、PET PLUSに通って仔猫を観察しているらしい。

寝床でもネコパンチをしていたが、仔猫の夢でも見ているのだろうか?


パンクだから仕方がないが、より厳重な注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 19:57| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

謎の死骸???

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バンビことパンクな彼女が、カエル王子号で鎌倉の市役所通りを爆走していたらしい。

ちなみに、カエル王子号とは、スプリンググリーンのバンビの自転車である。

パンクだから、バイクは安全運転だが、自転車だと爆走してしまうのである。


そして、LINEで写真が送られてきた。

これは!?


「市役所通りに謎の死骸があったよ!
うちゅうじんかな?」
・・・・・・

違う。

絶対に違う。


「子タヌキかな?」


まさにタヌキの子供だった。

車にはねられてしまったのだろう。

合掌。


それにしても、ひと目でタヌキと分かるのに、まず宇宙人を疑ってみるあたりが、バンビらしい。

宇宙人だといいなと思ったのだろうが、どう見てもタヌキである。

だいたい、宇宙人が鎌倉の市役所通りなぞに落ちているはずはない。

もし宇宙人が地球にいるとしたら、やはりペンタゴンあたりだろう(?)。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 09:41| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月13日

詩人の猿蟹合戦、その2

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京都に着いて、吉増剛造さんに「現代詩手帖」1月号作品特集の詩を書かれたかお尋ねしたら、「まだ。城戸さんは?」。

私もまだ書いていなかったので、そうお伝えした。

そして、翌朝のこと。

北山杉の産地、中川に向かうべく、ロビーで待ち合わせたら、現れた吉増さん、なぜか晴れ晴れとした表情をしているではないか。


「城戸さんより先に編集部に送ろうと思って、詩を書き上げたよ」
!!!!!!


そういえば、夏の撮影のときも、東直子さんが京都で、撮影のあとに、毎日、10首ほど短歌を書いているのを知った吉増さんは、ロケが終わってから詩を書き上げていたが、こうしたささやかな競争が、無邪気にもお好きらしい。

夏の詩篇の自筆原稿は、吉増さんがバンビことパンクな彼女にプレゼントしてしまったので、今はバンビのmy世界遺産コーナーにある。


吉増さんはロケの途中でも、ロケバスの車内で原稿に手を入れていたが、どうやら夕方には完成したようだ。

中川地区でのロケを終え、ホテルに戻ってから、コンビニに買い物に行ったバンビからLINEで写真が送られてきた。


「吉増先生がコンビニでコピーを取ったり、FAXしたりしてるよ!」
!!!

「城戸さんに負けないぞっておっしゃってたよ!」
!!!!!!


締切はまだ先だし、私と競っても仕方がないと思うのだが、原稿を送ってしまったものだから、それから吉増さんは得意気である。


「城戸さん、京都に6泊もするんだから、原稿が書けるねえ」とおっしゃるが、連日、ロケの立ち会いで、そんな余裕はない。


かろうじて、京都にいる間に詩想を練り、鎌倉に戻ってから書き上げたが、これまた猿蟹合戦のような一幕だった。
posted by 城戸朱理 at 08:41| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

詩人の猿蟹合戦?



柳美里さんと毎日、葉書を出し合うハガキ・プロジェクトのために、京都にも絵葉書を持参したのだが、52円切手が足りなくなったので、
移動中に郵便局に寄ってくれるように井上春生監督に頼んだところ、ロケバスの後ろの座席に座っていた吉増剛造さんの手が伸びてきた。

「はい、魔法の手」と吉増さん。

見れば、52円切手である。


ありがたく52円切手3枚を頂戴し、柳さん宛ての葉書を投函することが出来た。

せっかく吉増さんからいただいた切手なので、最近、書道を習い始めた石田瑞穂くんにも、東寺で買った空海「風信帖」の絵葉書を出すことにした。

吉増さんからいただいた切手であることを明記したが、こういう遊びに展開していくところが面白い。


そして、流響院で撮影中のこと。

吉増さんがいつも持ち歩かれているICレコーダーが電池切れになったので、私が持ち歩いている非常用のポーチを確認したところ、単4電池2個のパックが入っていたので、吉増さんに差し上げることに。


ちなみに私の非常用ポーチは東日本大震災以降、災害時に備えて持ち歩くようになったもので、ごく小型のラジオ、ミニマグライト、NASAが開発した保温シート、安定ヨウ素剤、携帯電話の予備電池、それに予備の単3、単4電池などが入っている。


かくして、私と吉増さんは、結局、切手と単4電池を交換することになったのだが、何やら、柿の種とおにぎりを交換する猿蟹合戦のようで楽しかった。
posted by 城戸朱理 at 14:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

今日はパンクに鳥羽僧正???

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本屋で、狩野博幸監修「筆ペンで描く鳥獣戯画」というムックを見つけて買ってきたので、嬉しくて仕方がない。


12月中旬になると、余裕ができるはずなので、腰を据えて原稿を書くことができるようになる。

執筆に疲れたときは、気分転換に鳥獣戯画を描いて遊んだら、さぞや楽しいに違いない。


私は昔から鳥獣戯画が大好きである。

この平安時代の戯画は、「日本最古の漫画」とも呼ばれるが、なにせ、ウサギとカエルとサルが同じ大きさで擬人化されており、絵柄も愉快このうえない。

ディズニーより800年ほど前にそれをやったのだから、20世紀の人類の感受性をも先取りした傑作(?)と言えるだろう。


京都、高山寺に伝えられた鳥獣戯画は、戯画の名手、鳥羽僧正の作とされてきたが、今では、12〜13世紀に複数の作者によって制作されたものと考えられている。


鳥獣戯画を筆ペンで描いて、絵葉書にするのもいいなと他愛もないことを考えて喜んでいたのだが、ある朝、居間のテーブルにヘンなものを見つけた。


これは――鳥獣戯画!!!

しかも、自称「前衛活動家」マッド・バンビのサイン、m☆bが入っているではないか!!!

どうやら、私のムックを見つけたバンビことパンクな彼女が、「にゃふふ」と喜びながら、さっそく、深夜に鳥獣戯画を描いてみたらしい。

なにせパンクだから、楽しそうなことを見つけたら最後、やってみないと気が済まないのである。


おまけに唐津の絵付けを真似した松絵や千鳥も描いて遊んでいたようだ。


すると、バンビが起きてきた。


「にゃふ〜ん!」
・・・

「どっちが上手に描けるか、鳥獣戯画対決だよ!」
・・・・・・


それも面白いかも知れないが、とにかくバンビが鳥獣戯画をあちこちに描いて歩かないように注意しなくては。

パンクだから仕方がないが、年末に向けて警戒しなければならないことが増えてしまったのだった――

はたして、本当に、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 07:15| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

百鬼園先生曰く、「美味なるものは、常用にあたわず」。

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内田百聞(ただしくは、門構えに月)の最後の著作となった『日没閉門』(新潮社)を久しぶりに読み直した。

以前、鎌倉駅に近い古書店、游古洞で買ったのだが、貼り函入り、クロース装の美しい本である。


夏目漱石門下の名随筆家、百鬼園先生こと内田百聞は、借金の達人としても名高い。

借金を楽しんだ節さえあるが、百聞という号も「借金の語呂合わせさ」とうそぶいていたという。


「春夏秋冬日没閉門」という札が掲げられた自宅は、三畳間が三つ横並びになった三畳御殿。

百聞は目覚めると、布団のなかで、まず夕食の献立を考えたという。

考えるだけではなく、毎日の献立を書いたメモも残されている。


朝食はアルファベット形をした英字ビスケットと牛乳のみ、昼食は決まって、出前のもり蕎麦。

ひたすら夕食を楽しみに、原稿を書く。

そのかわり、夕食は珍味の口取りから始まって、お刺身紅白、煮物、焼物と、毎晩、十数品が並ばないと気がすまなかったというのだから、家人は大変だったろう。

もっとも、こうした食事は、お酒なしでは成立しない。

その意味では、酒好きならではの献立と言えるし、下戸には理解できない世界かも知れない。


百鬼園先生は、戦後、食糧難の昭和21年(1941年)に、なんと食べ物の話ばかりを集めた随筆集『御馳走帳』を出版し、これが、ベストセラーとなった。

文庫化もされているが、偏屈だったり、まっとうだったり、実に面白い本である。

百鬼園先生には「美味なるものは、常用にあたわず」という哲学があって、それを徹底しているところが要だろう。

美味しすぎるものは、毎日は食べられないということだが、これはまったく、うなずける話だ。


以前、エッセイストの平松洋子さんに、東中野の面白い店で御馳走になったことがある。

メニューは「肴 3800円」のみ。

それで、野菜や豆料理、締めた青魚や豆腐など、十二品ほどが出る。

豆腐は美味しかったし、締め鯖やどんこの糟汁で飲む酒は悪くなかった。

店を出て、私が「いい店だね」と言うと、「美味しすぎないところがいいよね」と平松さん。

まさに、百鬼園先生の言葉と同じ答えが帰ってきた。

美味なるものは、常用にあたわず。

美味しすぎないからこそ、毎日でも通える店、毎日でも食べられる肴になるわけだが、百鬼園先生、鰻がお好きで、東京でも老舗の鰻屋、秋本から、なんと29日間も出前を取って食べ続けたという記録がある。

鰻は常用に耐えたわけだが、では、鰻は「美味なるもの」ではなかったのだろうか?


百聞は、借金をしてまで、毎年正月に東京ステーションホテルに友人や弟子を招き、御慶の会を開いた。

「無駄な事に使ふお金なら惜しくない」という、これまた彼一流の哲学には、やはり、脱帽せざるをえない。
posted by 城戸朱理 at 06:31| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

憎しみの連鎖



鹿児島の国民文化祭、「現代詩の祭典in南九州市」において、高岡修氏は、次のように語った。


「20世紀は戦争の時代でした。
私は、21世紀は文化の時代になると思っていた。
けれども、違いました。
21世紀は、テロの時代になった」


その言葉を聞いてから、わずか5日後の11月13日。

早朝に、BBCのニュースで、パリにテロが起こったことを知った。

続報が出るたびに、死者の数が膨れ上がっていく。

凍りつくような想いで、ネットを検索してみたら、ベイルートでも自爆テロで、たいへんな被害があったことが分かった。


テロの時代――

たしかに、21世紀は、まず9. 11の同時多発テロから始まった感があるが、今回のテロは、性格がまったく違う。

アルカイーダは、大使館や軍事施設をテロの対象としていたし、ワールドトレードセンターもグローバル資本主義の殿堂という意味で、ペンタゴンとともにテロの対象となったことは、まだ理解できた。


しかし、今回のISの犯行とされるパリやベイルートのテロは、対象が一般市民であり、備えようがない。


オランド大統領は、すぐさま報復でシリアを空爆、英国やロシアも足並みを揃えた。

ドイツも集団的自衛権の行使を申し出たし、今や、欧州と中東は第三次世界大戦に突入した感がある。


テロは決して許されるべきではないが、同時にその背景には、欧州諸国のアラブ世界の植民地化と、1960年代フランスの労働力としての移民の受け入れがあるのも事実だろう。

抑圧と差別が抵抗を生み、それに応じた空爆がテロを呼び、テロがより過激な空爆を呼ぶという憎悪の連鎖は、もう止めようがない。


パリのバタクラン劇場でテロリストに妻のエレンさんを射殺されたジャーナリストのアントワーヌ・レリス氏は、SNSでISに向けて、僕は君たちを憎まない。君たちの負けだと語りかけ、賛同を集めたが、レリス氏のように憎悪の連鎖を断ち切るすべを、人類はどうしたら学ぶことができるのだろうか。


エズラ・パウンドは、その晩年に「友人たちがいがみ合うとき/どうして世界に平和が訪れるというのか」と『詩篇(キャントーズ)』の「断片と草稿」に書いた。

少なくても私は、憎しみの言葉を自分の生活からそぎ落とし、追放していこうと思う。
posted by 城戸朱理 at 22:03| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

博多っ子、マッド・バンビ???

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屋台バーは私たちが入店して満席になった。

すると、突然、のれんを潜ってお爺さんが、

「まだ帰らんとね!
まだ席ばあかんとね!」

常連なのだろうが、先客に早く帰れと言っているのだから、なかなか強烈である。


諦めて帰ったと思ったら、数分後にまた現れた。


「まだ席ばあかんとね!
まだ帰らんとね!」


ここで、バンビことパンクな彼女の隣に座っていた若者3人が席を立ち、お爺さん3人が入店。

すると、いちばん騒がしいお爺さんが、バンビにいちゃもんをつけ始めた。


「なんで、近頃の若者はこげん長居ばするとね!」

すると、バンビはすかさず博多弁で切り返しているではないか!

「せからしか!
どげんもこげんもなか!
長居しとるんじゃなか!
これが二杯目たい!」
!!!!!!


それから、お爺さんと博多弁での応酬が続いたのだが、バンビはお父さんの転勤で、幼少期を博多で過ごしているため、英語同様に博多弁を話せるのである(?)。


バンビに言い負かされたお爺さん、今度はマスターに絡み始めた。


「この爺、息子夫婦に早くこの仕事ば譲って、引退せんとね!」


憮然とするマスター。

ちなみに、このお爺さんは72歳で、マスターは74歳。

お爺さん同士が「爺!」と悪態をつき合う様子に、客は大爆笑。


博多の愉快な夜は、こうして始まった。
posted by 城戸朱理 at 20:39| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

その名は、カエル王子号???

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「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」
・・・

「バンビコ、バンビコ、バンビコ♪」

バンビことパンクな彼女のテーマ曲である。

「バンビコ、チャリンコ、バンビコ♪」
???

「チャリンコ、チャリンコ、チャリンコ♪」
??????

「チャリンコ・バンビぃ〜♪」
??????

何なんだ、そのチャリンコというのは?


「健康のためにチャリンコに乗ることにしたんだよ!」
!!!

「これからチャリンコを買いに行ってくるよ!」
!!!!!!


そう言うと、バンビは、バイクでパタパタと出かけてしまった。

パンクだから、思いついたら即行動、なのである。


この日のバンビの出で立ちは、ニューヨークでゲットしたニール・バレットの稲妻プリントのジャケットに襟元が破けたTシャツ、そこに柳美里さんからプレゼントされたマフラーを巻いている。

このTシャツ、破れてはいるが、ヴィヴィアン・ウエストウッドの今夏の新作で、破れは加工されたもの。

新品なのに破れているだけでも年配者なら信じられないだろうが、そのうえ、中央にスカルを配し、右胸には「ANARCHIST PUNK GANG」、左胸には「CREATE HELL AND GET AWAY WITH IT」という旗がプリントされたとんでもない代物である。

なにせ、アナーキストでパンク、しかもギャングなのである。

地獄を作り出したかと思うと、無責任にもさっさと逃げてしまうのである。

迷惑きわまりないが、パンクだから仕方がない。


ニール・バレットのジャケットは、吉増剛造さんとつるやに行ったときも着ていたが、そのときもインナーはヴィヴィアン・ウエストウッド、テディベア・プリントTだった。


こちらは、PUNK-HELLプリントTシャツのような迷惑感はないが、やはりヘンである。

恐るべし、ヴィヴィアン・ウエストウッド――


そして、バンビは、あの英国車、MINIのお洒落な自転車を買って、得意気に帰ってきたのだった。

色は綺麗なグリーンである。


「緑色だから、このチャリンコは、カエル王子号と呼ぶことにするよ!」
・・・・・・


こうして、綺麗なスプリング・グリーンの自転車は、王子とはいえカエルの仲間にされてしまったのである。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 23:57| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

知覧のゆるキャラ

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知覧のゆるキャラ、「お茶むらい」。


武家屋敷が残り、日本屈指のお茶の産地だけに、「侍」と「お茶」をミックスしたストレートさが、逆に潔い。


お茶むらいとバンビことパンクな彼女を撮影したのは、石田瑞穂くんである。
posted by 城戸朱理 at 10:32| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

スピングルのスニーカー

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アシックスが発表したオニツカ・タイガーが海外で人気を呼んでいる。

オニツカ・タイガーは、アシックスに社名を変更する前のブランド名で、60〜80年代のクラシックなフォルムが人気を呼んで、まずはヨーロッパでブームに。

アディダスの本拠地であるベルリンでも、オニツカ・タイガーを履いたファッショニスタを何度か見かけたほどだから、その人気のほどが分かる。


国産スニーカーといえば、アシックスかミズノだが、ミズノはジョルジオ・アルマーニがプライベートでジョギングに愛用しているところから、アルマーニとのコラボを発表したのも記憶に新しい。


アシックスやミズノは、本来はアスリート用の専業メーカーだが、近年、とみに話題なのが、ハンドメイドの国産スニーカー、スピングルだ。

スピングルは、広島県府中市で2002年に誕生した。


府中市は、職人の町として知られているが、スピングルも職人の手仕事による巻き上げ式のバルカナイズド製法のソール、カーフのみならず、コードバンやカンガルー、ウォーターバッファローと、稀少な革を使ったアッパーと、一度見たら、忘れられないスニーカーになっている。

日本ならではの物作りを感じさせる、このスニーカー、2004年には、すでにパリ・コレクションやミラノ・コレクションに登場しており、オニツカ・タイガーに続いて、海外でもブームになる日が近いかも知れない。


私も以前から注目していたが、なんと鎌倉駅西口にもスピングルのショップが出来たので、バンビことパンクな彼女と覗いてみた。

今季のラインナップに、編み上げのレザーブーツがあったので、京都で井上春生監督に教えたところ、井上監督は、京都のショップを探して、さっそく購入。

井上監督は、私がブーツばかり履いているのを見て、試してみたところ、たちまちブーツマニアになってしまった。

足場の悪い離島のロケにも重宝したらしいが、仕事柄、ブーツは必需品だろう。

井上監督は、台湾でもニューヨークでも、私が薦めるブーツやハイカットのスニーカーを買っていたが、奥様には「趣味が出来て良かったわね」と言われているらしい。

そうか、監督のブーツは、もはや必需品であることを超えて、趣味の領域に突入したのか!?


鎌倉に戻ってから、バンビもスピングルの黒のエナメルのモデルを購入。


「アッパーが柔らかくて、とても履きやすいんだよ!
スピングルを知ったら、もう他のスニーカーには戻れないよ!」


バンビもロケにアシスタント・プロデューサー兼スチールで立ち会っているので、スニーカーは必需品になったが、スピングルが気に入った様子である。


国産といえば、岡山がデニムの製織工場やジーンズの縫製工場が集中しており、世界的に名高い。

ジョルジオ・アルマーニやラルフ・ローレンも、ハイエンド・ラインのジーンズを岡山に発注しているほどだが、広島スニーカーも、いずれ岡山デニムのようになる日が来るのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 19:17| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月07日

UNIQLOに行こう!?〜その2

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せっかくユニクロに来たので、前から買おうと思っていた黒の折り畳み傘も買おうとしたら、隣でバンビことパンクな彼女が騒ぎ出した。


「スターウォーズのダースベーダーの折り畳み傘があるよ!」
・・・

「黒を2本じゃなくて、1本はダースベーダーにしてあげて!」
・・・・・・


要するに、自分が欲しいのである。

仕方がないので、ダースベーダー柄も買うことに。


そういえば、バンビはキイホルダーもダースベーダーのフィギュア付きのものを使っている。


「足の裏がライトになっているんだよ!」
・・・


ダースベーダーのテーマ曲を歌いながら、得意気にライトを点けていたが、そこで疑問が生じた。

バンビは「スターウォーズ」を観たことがあるのだろうか?


「ないよ」
!!!

1本も?

「1本も観たことないよ」
!!!!!!


そうなのである。

バンビは映画といえば、タルコフスキーやゴダール、カラックスなどはよく観ているが、ハリウッド映画は、ほとんど観ない。

ひょっとしてと思ったら、やはり「スターウォーズ」も観ていなかったのである。

なのに、なんでダースベーダーなのだろう?

1本も観ていないということは、当然、どんなキャラクターなのかも知らないはずである。


パンクだから、強そうな悪役が好きなのだろうか?

聞いたら、ますます分からなくなる答えが帰ってくる可能性がある。

よく分からないが、分からないままにしておくことにした。
posted by 城戸朱理 at 06:52| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

UNIQLOに行こう!?

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ユニクロが、エルメスのクリエイティブ・ディレクターだったクリストフ・ルメールとのコラボ「ユニクロ・アンド・ルメール」を発表したのは、このブログでも紹介したが、バンビことパンクな彼女はセーター2着を、私は黒のカシミアのタートルネックを発売日に購入した。

タートルネックは、実に肌触りがよく重宝しているが、バンビが買ったラムウールのクロップドカーディガンもも暖かいらしく、部屋着に愛用している。

油断すると、着たまま寝ていたりするから、注意が必要なのだが。


「ホントにあったかいよ!
この冬を暖かく過ごすために、もう一着、買いに行くのは、どうかな?」


それは名案である。

そんなに暖かいのなら、私も自宅で着ようと思ったのだが、「ユニクロ・アンド・ルメール」は、取扱い店舗が限られている。

調べてみたら、辻堂駅に隣接したテラスモール湘南のユニクロで扱っているのが分かったので、平塚市美術館の帰りに寄ってみることにした。


「ユニクロ・アンド・ルメール」は、発売と同時に完売してしまったアイテムも多く、すでにプレミアが付いているものまであるが、幸いにもセーターは在庫があったので、ふたりで選ぶ。


結局、バンビは、黒のラムロングカーディガン(カタログ写真・女性)と黒のミラノリブセーターを、私は黒のショールカラーセーター(カタログ写真・男性)とモスグリーンのスウェットパンツを購入。

ルメールとはいえユニクロだから、セーターが3990円。


エルメスのセーターが、15万以上するのを考えると、格差社会の縮図のようだが、だからこそ、ルメールとユニクロのコラボというのが面白い。

ルメールはミニマリズムのデザイナーだから、装飾性はいっさいないが、シンプルなだけではなく、とくにレディースはドレープが美しい。

編み方で表情を出したレディースのミラノリブセーターなど傑作である。

素材も、カシミアやカシミア混など通常のユニクロより上質なものが使われているが、ヒートテック以外のものを久しぶりにユニクロで購入した。
posted by 城戸朱理 at 06:51| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月03日

傘がない???

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鎌倉で暮らすようになってから、出かけるときは、いつも折り畳み傘を持つようになった。

天気予報はいちおう確認するが、仕事で東京に出たときに、突然、雨に降られたりするからだ。

東京でも、練馬では雨が降っているが、杉並は晴れているといったことがあるので、鎌倉の天気がよくても、東京どころか横浜でさえ、どうなっているのかは分からない。

折り畳み傘は必需品となったが、どこかに忘れてくることも多いのだ、これが。


そんなわけで、目についたときに購入しておくようになったが、なぜか旅先で買うことが多い。


いちばん、短い傘は、マリメッコ製。

これは2年前にフィンランドに行ったとき、持参した傘が壊れてしまったので、ヘルシンキのマリメッコ本店で求めた。

マリメッコを代表するテキスタイル、ウニッコ柄で、小さいのに広げると十分な大きさがあり、携帯にも便利なので重宝している。


もう一本は、今年の9月にMOMA( ニューヨーク近代美術館)のミュージアムショップで購入したもので、リキテンシュタインの絵がプリントされている。

これもアメリカ人向けで十分な大きさがあるが、あまりに目立つのが難点だろうか。


シルバーの馬頭柄が付いた黒の折り畳み傘は、イタリアのPasotti製。

メタル製の柄は、凶器になるほどの(?)重量がある。

これは京都のISETANで購入した。


今のところ、以上の3本が私の持っている折り畳み傘なのだが、問題は、いずれも個性的すぎること。

近いうちに、普通の黒の折り畳み傘を買おうと思っている。

絶対、買うのだ、UNIQLOで、2本まとめて。
posted by 城戸朱理 at 09:10| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寝る子は育つ???

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日曜日のこと。

早めに起きて、家事をしていたら、バンビことパンクな彼女が起きてきた。


「んふ。にゃむいなあ!」
・・・


たっぷり寝たはずなのに、まだ眠いらしい。
そして、お茶を飲むと――


「さあ、二度寝をキメるぞう!」
・・・・・・


バンビは、また寝てしまったのである。


ようやく起きてきたのは、昼前のこと。

一緒に昼食を食べたのだが、しばらくすると――


「んふ。とっても、にゃむいなあ〜」

まだ眠いらしい。

気づくと、またもや横になっているではないか。


「ぐーっ、ぐーっ、ぐーっ」
・・・

今度は狸寝入りをキメているのである。

「ぐーっ、ぐーっ、ぐっ! ぐっ! ぐっ!」
・・・・・・

今度は、リスの鳴き声の真似をし始めたのである。


そうしているうちに、本当に寝てしまったのだった――


そして、起きてくると……


「バンビくんは、背が伸びたんじゃないかな?」
???

「寝る子は育つって言うからね!」
!!!!!!


もちろん、バンビの背が伸びるはずはない。

ちっちゃいままである。


「んふ。
んふふふふん」
・・・・・・


たっぷり寝たバンビはご機嫌だったが、今度は情けない声を出して遊び始めた。

情けない声を出すと楽しい気分になるらしいが、どうしてそうなのかは分からない。。。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 00:17| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月31日

スニーカーらしいスニーカーとスニーカーらしくないスニーカー

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スニーカーがアスリート用としてではなく、日本で市民権を得たのは、1980年代のことだった。

今や、年齢を問わず、愛用されているが、そうなるとスニーカー専業メーカーのみならず、アパレルメーカーも参入するようになるのも当然だろう。


驚いたのは、20年ほど前だったろうか、エルメスがスニーカーを発表したときである。

ハイブランドの代名詞、エルメスのスニーカーというだけでも意外だったが、約10万円と、値段もスニーカーのものとは思えない。

イタリアの名門サントーニ製だったが、スポーツ用ではなく、完全にタウンユースに特化したスニーカーの登場だった。

同時期に、PRADAもスニーカーを発表し始めたが、こうした高級スニーカーに対して、スポーツメーカーとのコラボレーションを試みるデザイナーも現れた。

最初は、ジル・サンダーとプーマのコラボだったように記憶しているが、見た目は、アスリート用のプーマそのもので、スニーカーらしい顔をしている。

こうしたスニーカーらしいスニーカーの流れは、その後も続き、近年もジョルジオ・アルマーニがミズノやリーボックとのコラボを発表したり、コム・デ・ギャルソンが、コンバースとのコラボを発表したりしているが、
アパレルメーカーが作るスニーカーは、スニーカーに見えないスニーカーとスニーカーらしいスニーカー、ふたつの流れが生じたことになる。


ロケに立ち会うためにスニーカーが必須という日々が続いたので、私もスニーカーを履く機会が増えた。


コンバースやアディダス以外に愛用しているものもある。



最初の写真の、革靴にしか見えない黒のガラスレザーの一足は、PRADAのスニーカー。

このスニーカーは、15年ほど愛用しているが、ストレートチップ型で、スーツやジャケットに合わせても違和感がないから、旅行や出張のときは重宝する。


ライトブルーのウィングチップは、なんと、革靴と同じ工程で職人が作ったアッパーにスニーカー用のホワイト・ソールを搭載したもの。

クラシコ・イタリアの靴ブームを牽引したイタリアきっての靴職人、ステファノ・ブランキーニによるものである。


黒のヌバックに鮮やかなコバルトブルーのソールの一足は、ジョルジオ・アルマーニで、これも一見したところ、スニーカーには見えない。

ジャケットにも合わせられる汎用性の高さが旅行向きだ。



次の写真は、スニーカーらしいスニーカーの一群。


黒のハイカットは、コンバースにしか見えないが、ルイ・ヴィトンである。

コンバースが、レザー製でもトウ部分はキャンバス製と同じくゴムなのに対して、ヴィトンはオールレザー。

型押しのレザーの質感がいいし、サイドジップで、ハイカットなのに着脱が容易というあたりが気に入って購入した。

今回の京都吟行にも履いて行ったが、ベルリンでは、このスニーカーで子供とサッカーをしたっけ。


もう一足、当たり前なフォルムの黒のロウカットのスニーカーは、GUCCI。

アッパーは、光沢があるナイロンとレザーのコンビで、GUCCIのモノグラムがナイロンアッパー部分にプリントされているが、黒地に黒のプリントなので目立たないのがいい。

ところが、ほとんど履く機会がないのは、なぜなんだろう?


オレンジのハンドペイントがトウにほどこされた白のスニーカーは、PRADAのセカンドラインのmiumiuで、シューレースは、白とオレンジの2種類が付いている。

miumiuは、メンズから撤退したので、もう新作にはお目にかかれないのが残念。


白のシンプルなパンチング・レザーのスニーカーは、PRADA。

これはかさ張らないので、出張のときなど、トランクに突っ込んで、ホテル内で愛用している。
posted by 城戸朱理 at 08:26| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ついにパンクなフォトグラファー???

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バンビことパンクな彼女が、毎日のように吉増剛造さんとFAXのやり取りをしている。

12月に迫ったローライ同盟の打ち合わせをしているらしい。


忙しい合間を縫って、バンビはローライフレックスで撮影もしている気配。


そんなとき、朗報が飛び込んできた。


「やったよ!」

いったい、何をやったんだ?

また、何かパンクなことをやらかしたのだろうか?


「審査に通って、オリンパス・プロ・サロンのメンバーになったんだよ!」
!!!!!!


バンビが、オリンパス・ギャラリー東京で個展を開催したのは、今年の1月末のこと。

その後、勧められてオリンパス・プロ・サロンの入会申し込みをしたらしい。

入会には、メンバー1名の推薦と、プロとしてした仕事を何点か提出しなければならない。

なんと、バンビは日本における音楽写真の第一人者、管野秀夫先生の推薦をもらって応募し、審査を通ってしまったのである!

たしかに、仕事として雑誌や新聞等に掲載された写真は、それなりの数になるので、通っても不思議はないが、
いざ、オリンパス・プロサロンのメンバーとなると、いかにもフォトグラファーという感じがするではないか。

しかし、本人に変わりはない。


「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」

また、始まってしまった――

「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」
・・・

「にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ、にゃんこ♪」
・・・

「にゃふ〜ん♪」
・・・・・・

「じゃあ、行ってくるよ!」


どこに行くのかは知らないが、例によってローライフレックスを首から下げて、バンビはパタパタと出かけてしまった。

また、写真を撮りに行ったのだろうが、何のことはない、要するにバンビはカメラと写真が大好きなのである。

プロかどうかなど、バンビにとっては、二の次なわけだが、結果を出してしまうあたりは、パンクの突撃力と言えなくもない。


今日も晴天が広がっている――
posted by 城戸朱理 at 08:24| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月20日

スニーカーが必要になって

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昨年から、ドキュメンタリー映画化も視野に入れたCS放送の番組の撮影に、企画・監修者として立ち会う機会が増えた。

旅立つ前に、出張中の締切原稿は、前もって書き上げ、旅先でゲラを直すこともたびたびあるが、あわただしくも、刺激的な日々と言えなくもない。


ロケの現場は、ディレクターもカメララやビデオ・エンジニアといったテクニカル・スタッフも、全員、足元はスニーカーである。

突然、豪雨になって、ぬかるみを動き回ることもあるし、海に膝上まで浸かって撮影することもあるのだから当然だが、そうなると、私もスニーカーが必要になる。


最近、履いていなかったが、持ってはいるので、今年は、あれこれスニーカーを引っ張り出して、愛用することになった。


基本は、コンバース・オールスターである。

だが、コンバースのハイカットは着脱に若干、時間がかかるのが難なのだが。

黒のオールレザーはヨーロッパ限定モデル、白のオールレザーはアメリカ限定モデルだが、重要なのは、限定かどうかなどではなく、レザー製であることだ。

これに、あらかじめ防水スプレーをしておくのだが、キャンバス製だと、突然の雨のときに中までびしょ濡れになってしまうので、ロケには向いていない。

強度と防水性から言って、やはりレザー製である。


コンバースが世界初のバスケットシューズを発表したのは、1917年のこと。

当時は、足首を保護するハイカットが斬新で、多くのプレーヤーの支持を集めたという。

今や定番中の定番だが、バルカナイズド製法によるソールの減りが早いのが難点だろうか。


手前の一足は、アディダスのスタンスミス。

コンバースのオールスターと並ぶ定番であり、史上、もっとも売れたスニーカーとして、ギネスブックの認定も受けている。

スタンスミスが発売されたのは、1973年。

もともとは、プロテニスプレーヤー、ロバート・ハイレットのシグネーチャーモデルで、商品名も「ハイレット」、その後、やはり、プロテニス・プレーヤーのスタン・スミスが愛用するようになって、名称も「スタンスミス」に変わった。

アディダスのアイコンである三本線を通気穴で表しているため、シンプルこのうえない。

スタンスミスは、ファショニスタからも支持が高く、ルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターだったマーク・ジェイコブスも、スタンスミスを愛用しているのは有名である。

権利上の問題から一時発売が中止されたスタンスミスが復活したのは、昨年のこと。

ホワイトスニーカーの流行もあって、あっという間に完売してしまったが、今年も、より高級感のあるガラスレザーにマイナーチェンジして発売された。


私がスタンスミスを初めて買ったのは、20歳のときで、当時のスタンスミスはフランス製だった。

20代前半は、オールスターの黒のキャンバス・ハイカットをいつも履いていたので、今になると懐かしい。

オールスター、スタンスミスにならぶ定番と言えば、あとはナイキのエアフォースI だが、最近はシンプルであるほど落ち着くので、こういう選択になる。


スニーカーの寿命は短い。

ヘビロテしたら、半年か、一年くらいだろう。

それだけに、井上春生監督は、気に入ったスニーカーは、2足買うようにしているそうだが、私は、これからもコンバース・オールスターとアディダス・スタンスミスを履き続けるような気がする。
posted by 城戸朱理 at 07:23| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする