サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ: エッセイ

2016年06月02日

ジャケットを新調して

__1048.jpg



原稿とゲラに向かい合う日々が続いている。

書斎に腰を据えて仕事ができるのが、今は心地よい。

すると、バンビことパンクな彼女が――


「ようやく、落ち着いてきたから、久しぶりにシャツでも買いに行ったらいいんじゃない?」と言い出した。


それもいいかも知れないと思ったのだが、ワードローブをチェックしてみたら、シャツは今のところ足りている。

衣替えのときにジャケットを2着、処分したので、シャツでははなく、夏物のジャケットを見に行くことにした。

2着処分したら、1着購入することにすれば、次第に洋服は減っていく。

これを続けていけば、いずれは過不足ないワードローブになることだろう。


去年はアルマーニのリネンの明るいブルーのジャケットを愛用したので、今年は、やはりアルマーニで、ピンク系のコットン・ジャケットを選んだ。


仕事のときは、いつも黒やネイビーのスーツだから、鎌倉にいるときは明るい色のジャケットを着ることが多い。


NASAの予想だと、今年の夏は、観測史上、最高の猛暑になるとのこと、すぐに袖を通すことになるだろうと思っていたのだが、鎌倉は6月に入っても最高気温が25℃前後。

過ごしやすい日が続いていて、着るのは、まだ先のことになりそうだ。
posted by 城戸朱理 at 10:52| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

こけし時代、再び???

__0146.jpg



「バビッコ、バビッコ、バビッコ♪」

バンビことパンクな彼女のテーマ曲なのだが――

「バビッコ、バビッコ、バビッコ♪」

いつもは「バンビコ、バンビコ♪」なのに、今日は「バビッコ、バビッコ♪」にバージョンアップしているではないか!?

「バビッコ、バビッコ、バビッコ♪」
・・・

「バンビぃ〜♪」
・・・・・・


ますます勢いづいているらしい。

こういうときは注意が必要である。


「ユアーズに予約を入れたから、これから髪を切ってくるよ!」
!!!!!!


髪を切るたびに、おかしなことになるのは、バンビの得意技である。

しばらくすると、LINEでメッセージが送られてきた。

「日本のおもしろい子になったなあ〜」

おもしろい子?

「土門拳の写真に出てくるような、昭和の子どもだよーん」
!!!

要するに、こけし風のおかっぱ頭ではないか!

「メイクがあればモード系だけど、メイクなしだと座敷わらしだよーん」
・・・・・・

座敷わらし……


そして、バンビは帰宅。

どう見ても、ヘンな髪型だが、本人は得意気である。


「岡本かの子もこけしだし、キキ・ド・モンパルナスも山口小夜子も広瀬すずも、みんなおかっぱなんだよ!」

キキ・ド・モンパルナスは日本人ではないし、広瀬すずはグルーピングが違うような気がする。


「激しいこけし、なんだなあ!」
・・・・・・


厳密に言うならば、激しくこけし風のおかっぱにしてしまったということだが、どうやらバンビのこけし時代は、まだまだ続くらしい。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 16:35| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

日本列島と地震



東日本大震災のとき、「想定外」という言葉が連発された。

しかし、実際は、巨大津波をともなう明治三陸地震(1896)、昭和三陸地震(1933)と、三陸地方は、近代になってから、二度の大地震と巨大津波によって甚大な被害を受けている。

しかも、明治三陸地震から39年後の昭和三陸地震は、アウターライズ地震と考えられており、今後、三陸地方は東日本大震災のアウターライズにも備えなければならない。

気象庁が観測を始めたのは1875年だから、明治・昭和三陸地震と大津波は記録されていたわけであり、その意味では「想定外」という言葉は、使われるべきではなかった。

三陸地震は、いつか起きるはずのものだったのだ。


今回の熊本地震でも、熊本には大地震は来ないという思い込みがあったことを被災された方が語っていた。

それだけに食糧の備蓄もなかったようだが、熊本地震は、余震が1200回を超えるという異常なもので、揺れる船に乗っているような「地震酔い」も辛いものがある。

東日本大震災のあとでも、ここまでの余震はなかったが、それでも、いつも大地が揺れているような気分になったことを思うと、被災地の方々は気持ちが休まるときがないだろう。

余震が遠のき、平安な日々が戻ることを祈るしかない。


気象庁は、熊本地震を「想定外」としているが、たしかに1875年以降の観測史上では九州の大地震は例がない。

ただし、識者は、江戸時代初期の慶長地震との類似を指摘している。

これは慶長年間(1596〜1615)に頻発した地震の総称なのだが、記録をたどると言語に絶するものがある。

発端は1596年。

9月に伊予(愛媛)で巨大地震が発生、その3日後には豊後(大分)で、さらにその翌日には伏見で巨大地震が発生した。

伏見城の天守閣や石垣が崩壊したという記録があるので、近畿地方を襲った地震も、今回の熊本地震級のものだったのだろう。

さらに1605年には南海トラフ地震と考えられている慶長大地震が発生、千葉から九州に至る太平洋岸が巨大津波に襲われ、死者は、1万から2万人を数えたという。


そして、1611年には会津地方が直下型地震に襲われ、同年暮れには慶長三陸地震が起こる。

慶長三陸地震は、東日本大震災と同じ海溝型地震で、やはり巨大津波が押し寄せ、東北地方は甚大な被害を受けた。


しかも、地震は慶長年間で終わったわけではなかった。

続く元和・寛永年間、1619年には肥後(熊本)地震が発生、八代の麦島城が崩壊、6時間後には豊後(大分)地震で、竹田の岡城が破損している。

1625年は、1月に安芸(広島)地震で広島城が崩壊、4月に伊予(愛媛)地震、7月には肥後(熊本)地震で熊本城の天守閣が崩れ、11月には四国・中国大地震と1596年から、ほぼ30年にわたって、東日本大震災級、熊本地震級の巨大地震が頻発していたらしい。


まず日本最大の活断層、中央構造線断層帯の西端である熊本で地震が起こり、断層帯を東進するとともに、南海トラフ、さらには三陸沖と海溝型巨大地震が誘発されたことになるが、
平成の巨大地震は、海溝型の東日本大震災の5年後に中央構造線断層帯の西端、熊本、続いて大分と大地震が続いたわけで、
今後、中央構造線断層帯に沿って、慶長年間と同じように大地震が起こる危険があるし、南海トラフ地震も誘発されるかも知れない。


政府の発表によると、もしM9クラスの南海トラフ地震が発生した場合、静岡から京都、大阪、高知は震度6〜7の揺れとなり、太平洋岸は、最大32mの巨大津波に襲われるという。

想定される死者は、最悪で33万人。


絶句するしかない予想だが、東京直下型地震もいつ起こるか分からないわけで、日本列島は慶長年間と同じような地殻の活動期に突入した感があるのは否めない。


これだけ天災が頻発する国で生きている以上、どこで暮らしていても地震は起こりうるという覚悟が必要だが、それが日本人の死生観を形成したのだろうか。

今のところ、関東は平穏だが、その平穏さが、逆に幻のような気がする。
posted by 城戸朱理 at 08:50| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月18日

義援金と支援金



熊本地震で、居ても立ってもいられない気持ちの人は多いだろうが、遠隔地にいると、出来ることは寄付しかない。

義援金を送ろうと思っている人が少なくないと思うが、注意してもらいたいことがある。

被災地では、物流が断たれ、スーパーやコンビニから商品がなくなって、食料や水、衣類や毛布にトイレットペーパー、紙オムツ、生理用品などの生活必需品が決定的に不足している。

支援団体が、こうした物資を被災地に届けるために使われるお金が支援金であり、それに対して、義援金は、最終的に集まったお金を、被災者の生活再建のために分配するものなので、使われ方がまったく違う。


被災された方々が、今まさに必要としているのは、食料や水を始めとする生活必需品なので、早急に必要なのは支援金、長い目で見たときに欠かせないのが義援金ということになる。

もちろん、どちらも大切なのは言うまでもないが、使われ方が違うのに気をつけてもらいたい。


支援金は、ソフトバンクやYahoo!が募集しており、携帯からでも申し込める。

私は今日のうちに、とりあえず、支援金と支援物資を手配しようと思っている。
posted by 城戸朱理 at 07:30| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

地震国、日本



詳細が分かるにつれて、熊本地震の被害の大きさに、言葉を失う日々が続いている。

4月14日の前震が、M6.5、震度7。
4月16日の本震がM7.3、震度6。

その後も震度5〜6強の余震が続いているのだから、熊本の被災された方々、そして九州にお住まいの方々は、気持ちが休まるときがないだろう。

余震が収まり、医療や支援物資が早く届くことを祈るのみである。


思えば、1995年の阪神淡路大震災(M7.3、震度7)以来、日本列島は揺れ続けている。

2004年の新潟県中越地震(M6.8、震度6強)、
2008年の岩手・宮城内陸地震(M6.8、震度6強)。


そして、2011年には、東日本大震災が発生した。

観測史上最大、M9.0、震度7。

それまでの地震が、活断層の横ズレが原因だったのに対して、東日本大震災は、プレート境界で発生する海溝型地震であり、巨大津波が押し寄せ、福島第一原発の過酷事故も伴ったため、世界銀行によると、自然災害による経済損失では史上1位と発表された。


思い返すなら、阪神淡路大震災が起こったとき、私は野村喜和夫氏と「現代詩手帖」の戦後50年記念企画だった「討議 戦後詩」を連載している最中で、
本当ならば討議の準備をしなければならないのに、大震災発生からしばらくは、テレビに釘付けになってしまった。

大震災と言えば、東京の危険ばかりが報道されていただけに、神戸が大震災で甚大な被害を被ったことは予想もしなかったし、それだけに衝撃も大きかった。

友人の日本画家、故・瓜南直子は、阪神淡路大震災の惨状をテレビを見続けるうちに、このままでは鬱病になると思って、ケーブルを引き抜き、それ以来、テレビを見なくなったと語っていたのを思い出す。

たしかに、テレビで被災地の映像を見続けるだけで、鬱状態になりかねないほどの衝撃だった。


東日本大震災が発生したときは、街ひとつが津波にさらわれ炎上する陸前高田の映像を見て、神戸のように炎上する都市をまた見ることがあるとは思っていなかっただけに、呆然とした。


さらに、阪神淡路大震災と東日本大震災が発生したときでは、大きな状況の変化があった。

それは、スマートフォンとSNSの普及である。

阪神淡路大震災のときは、情報をテレビと新聞の報道に頼るしかなかったが、それから16年後の東日本大震災は、スマホで撮影した写真や動画が拡散され、ツイッターで現地の状況が投稿されるなど、被災地の状況が、より細かに拡散されたため、生々しいものがあった。

とりあえず、盛岡の両親の無事を確認できるまで、震えが収まらなかったが、岩手のみならず、福島や宮城で暮らしていた親戚も被災し、避難生活を送ることになったので、余震に怯えながら、何にも手がつけられない日々続いたのは、いまだ記憶に新しい。


それから、5年。

復興庁の発表によると、今年の2月の段階で、東日本大震災の避難者は、いまだに17万4471人を数えるという。


そして、東日本大震災の爪痕が癒えないなか、熊本地震が発生してしまった。

しかも熊本は、政府の地震調査会が、北海道や山陰と並んで、もっとも大地震発生の確率が低いと予想していたエリアであり、阪神淡路大震災と同じような衝撃があった。


熊本県には布田川断層と日奈川断層、ふたつの活断層があるが、立命館大学の高橋学教授は、熊本地震が、新潟県中越地震や岩手宮城内陸地震と同じ内陸直下型の地震であり、
長野、新潟、愛知、和歌山、四国を貫き九州に至る断層の集中帯のうえにある阿蘇山のふもとを走る布田川断層が震源と考えられることから、今後、各地で直下型地震が発生する危険があることを警告している。

さらに、それが海溝型の南海トラフ地震を誘発する危険もあるというのだから、日本で暮らすかぎり、地震災害には終わりがないということを、改めて痛感せざるをえない。


東日本大震災は1000年に一度と言われた。

しかし、熊本の活断層が動くのは、7000年周期だというから、今、日本列島は7千年から1万年ぶりの地殻変動期に入ったのかも知れない。


これからも、日本のどこかで地震は起こる。

必ず、起こる。

それだけは確かだ。
posted by 城戸朱理 at 07:28| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

バンビヶ池に春が来て???

__0970.jpg



「さあ、今日も前衛活動にいそしむぞう!」
・・・

「前衛活動」と称して、いつも、とんでもないことをやらかすのは、バンビことパンクな彼女の得意技である。


「今年は、バンビヶ池も、ほとんど凍らなかったね!」
・・・


バンビが、私の古備前の鉢を勝手にベランダに持ち出して、水を張っているのが、バンビヶ池、
その隣で、苔やらぺんぺん草の鉢植えを並べているのが、バンビ園なのである。


バンビヶ池には、ウーパールーパーと金魚のための水草が浮いている――


たしかに、今年の冬、バンビヶ池に氷が張っていたのは、2、3日だけ。

明らかに暖冬だった。


そして、桜が開き、散り始めたと思ったら、今度は、やたらと小鳥が鳴き出した。

じきにウグイスも鳴き始めることだろう。


バンビヶ池の水も温む春、バンビの前衛活動も活性化しかねない危険な季節がやってきた。

パンクだから仕方がないが、より厳重な警戒が必要なのは、言うまでもない。
posted by 城戸朱理 at 17:38| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

着やすい、軽い、楽なジャケット

__0878.jpg__0880.jpg__0882.jpg__0879.jpg



東日本大震災のあと、被災地にさまざまな物資が寄せられたが、羽毛布団は寒冷地では喜ばれないという話を聞いた。

羽毛布団は、たしかに軽くて暖かい。

だが、東北から北海道にかけての北国では、重い真綿の布団でないと、寒さをしのげないのだとか。


高村光太郎は、戦後、岩手県の花巻郊外で暮らしていた。

その住まい、高村山荘は今でも保存され残っているが、山荘と言っても掘っ立て小屋のような代物で、光太郎は吹雪の翌朝など、小屋のなかまで雪が積もっていたことを書いている。

そんな土地では、真綿の布団でなければ、冬を越せなかったのだろう。


これはコートも同じで、私の父は冬場、オーダーした、ずしりと重いホームスパンのコートを着ていたことを思い出す。

だが、還暦前に父が仕立てたのは、軽いカシミアのコートだった。

やはり、歳を重ねると重い服は、肩が凝るようになるのは仕方がない。


そのころの父の年齢に近づくにつれ、私も次第に重い服を避けるようになってきた。

軽くて楽な服といえば、アンコン・ジャケットかニット・ジャケットだ。


アンコン・ジャケットは、アンコンストラクテッド・ジャケットの略で、肩パッドや芯地、裏地など副資材を省略した一枚仕立ての上着である。

テーラーなら副資材を省くなどとは考えられないだろうが、肩パッドや芯地がないだけに、高度なカッティング技術が要求される。

見た目はジャケットなのに、着心地はカーディガンをはおっているようで、楽なこと、このうえない。


一方、ニット・ジャケットは、その名の通り、カーディガンがジャケット丈になったものだから、保温性もカーディガンより高く、これも楽な服である。


そんなわけで、気づくとアンコン・ジャケットとニット・ジャケットを愛用するようになったのだが、どちらも旅行のときにも重宝する。


最初の写真は、ジョルジオ・アルマーニのコレクション・ライン、ブラック・レーベルのカシミアのアンコン・ジャケット。

もう7年ほど着ているが、カシミアの保温力はウールの3倍だから、軽くて暖かい。


スタンドカラーのニット・ジャケットは、アルマーニ・コレツィオーニで、ヴァージンウール製。

いちばん上までボタンを留めると、タートルネックのように首をすっぽり覆えるので、厳寒時に助かる。


黒のニット・ジャケットは、エルメス。

バランタインと並ぶ世界最高のニッター、イタリアのマーロが手がけたもので、これは旅先で愛用した。


最後の写真が、イタリアのコロンボ製のカシミア・ジャケット。

起毛してあるので、一見すると普通のジャケットに見えるがニット・ジャケットである。

コロンボはイタリアきっての高級服地メーカーで、自社製品もきわめて質が高い。

このジャケットも12〜14ミクロンの特級カシミアが使われている。


順次、クリーニングして収納しているところだが、秋になったら、また愛用することになるのだろう。

軽くて楽なジャケットと重くて頑丈な靴と言えば、旅に出るときの出で立ちだが、旅に適した服は、普段でも着やすく動きやすい。
posted by 城戸朱理 at 13:05| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

こけし次第???

__0146.jpg



バンビことパンクな彼女が、ヘアサロンに行ったと思ったら、またもや、こけし風の髪型になって帰ってきた。

生きているこけし=生(なま)こけしになって、何かパンクなことをしようとしているのは間違いない。

注意が必要である。


しかも、何やら熱心に雑誌を読んでいると思ったら、その雑誌が――「こけし時代」。

鎌倉は長谷のこけしとマトリューシカの専門店「コケーシカ鎌倉」が出している伝統こけしと温泉の専門誌である。

「にゃふ」


「にゃふふふふ」
???

「コケシッシュ!」

何なんだ、コケシッシュって?

ついに「こけし」が形容詞化してしまったのだろうか?


「城戸さんは、こけし次第なんだよ!」
??????

何なんだ、その「こけし時代」ならぬ「こけし次第」というのは?


「城戸さんが快適に仕事できるかどうかは、すべて、こけし次第なんだなあ!」
!!!!!!

この場合の「こけし」はバンビ自身のことらしい。

「そ。
こけしに美味しいものを食べさせてあげたり、
ヴィヴィアンをたっぷり買ってあげると、こけしは、せっせと家事をするから、城戸さんは仕事がしやすくなるんだなあ!」

――どういう理屈なんだ?


「だから、こけし次第を優先してあげてね!」
・・・・・・


そして、バンビは「にゃふ〜ん!」と鳴くと、パタパタとどこかに行ってしまったのだった――

バンビといっても、相手は、パンクでイカれたmad_bambi、湯田温泉ではなくて油断大敵、さらなる注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 17:52| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

直して使うもの

__0798.jpg

少し余裕が出来たので、2月は本を整理してダンボール3箱分を古本屋に送り出し、バッグのメンテナンスをしたり、久しぶりに包丁を研いだりした。

去年は、忙しさのあまり、家のなかのことまで手が回らなかったが、放置しておいたあれこれが、順番に片付いていくのは、気持ちがいい。


ある日のこと。

バンビことパンク彼女と外出し、専門店に頼まなければならない懸案のあれこれを済ますことにした。


まずは、鎌倉駅西口の靴専科に、15年以上履いているGUCCIのビットモカシンのヒールの張替を頼み、さらに小町通りの傘専門店、創業明治6年の老舗、富士洋傘店へ。

富士洋傘はアフターサービスが徹底していて、今どき珍しくも、自店で買った傘ならば、いつでも修理してくれるという店。

しかも、代金は部品代だけ。

私は、富士洋傘で7年前に買ったボルサリーノの傘の骨が折れたので、修理を頼んだのだが、普段、持ち歩いている折りたたみ傘は、構造上、どうしても4、5年しか持たない。

ボルサリーノを修理すると、長傘は、井上春生監督からいただいた宮内庁御用達の前原光榮商店のものもあるから、当分は大丈夫だろう。


さらにバンビが、由比ヶ浜通りの包丁専門店、菊一に鯵切り包丁の修理と研ぎを頼み、一段落。


包丁は、テレコムスタッフのプロデューサーだった清田素嗣(もとつぐ)氏から贈られた天然砥石の中砥と仕上げ砥を使って、自分で研ぐようにしているが、素人の研ぎだと変な癖がつくことがあるので、何年かに一度は、専門店に研いでもらったほうがいい。

鯵のような小魚なら、さばいて、刺身も引けるという鯵切り包丁は、藤沢の林屋製で刃紋が美しい。


こんなふうに、直してでも使い続けるものだけを身の回りに置いておきたいと思うようになったのは、年のせいだろうか。
posted by 城戸朱理 at 08:54| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月17日

またもやパンクな思考法???

__0778.jpgIMG_6405.jpg



「んふー、ちっちゃい、ちっちゃい」
・・・

「今日もちっちゃいよー」
・・・・・・

バンビことパンクな彼女が朝から変なことを言っている。

ひと晩、寝たからといって大きくなるはずはないのだが。


「でもね、ちっちゃいながらも、あれこれ考えているんだよ!」

またもや、何かパンクなことを企んでいるのだろうか?


「写真を送るから見てみてね!」
???


送られてきたのは、鎌倉駅西口のペットショップ、PET PLUSで撮ったとおぼしき猫の写真だった。


「可愛い子供にゃんこがいたんだよ!」

PET PLUSの猫を見に行くのは、バンビの日課である。

「それで考えたんだけどね、にゃんこのように、人間も、鼻と口をピンクに塗ったら、かわいくなるかもしれないよ!」
!!!!!!

「どうかな?」
・・・・・・


またもや、とんでもないことを考えていたのである。

鼻と口をピンクに塗って外出したら、あからさまに怪しい人である。

しかも、パンクなだけに、思いついたら、すぐに実行しかねない。

ますます、厳重な警戒が必要なのは言うまでもないだろう。
posted by 城戸朱理 at 17:35| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月13日

魔法のきかない世界



こんまりメソッドが世界的に流行、著書は世界38か国で翻訳出版され、アメリカAmazonでは総合1位、100万部超のベストセラーになるとともに、社会現象にまでなっている。

そう、近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』である。

英題は、the life-changing magic of tidying up。

ちなみに「ときめき」は「Spark Joy(スパーク・ジョイ)」という訳になっている。


「こんまり」こと近藤麻理恵さんは、米タイム誌の「世界でもっとも影響力がある100人」にも選ばれたほどで、アメリカ人もこんまりメソッドに熱狂している様子だが、要不要ではなく、「スパーク・ジョイ」か否かで物を仕分けるというあたりが新鮮だったのだろう。


こんまり流行片づけ術は、「片づけ=収納」ではなく、「物を持たない=まずは捨てる」を前提にしている。


最初は衣類から、持っている衣類すべてを一ヶ所にまとめて、残すものを選ぶなど、辰巳渚『捨てる!技術』ややましたひでこ『断捨離』といった従来の片づけ術と、それほど大きな違いはないように思えるのだが、やはり、こんまり流が受けたのは、「ときめき」というキイワードのせいだろう。

必要か、不要か、使うか、使わないかではなく、ときめくか、ときめかないか。

「ときめき」が基準というあたり、私などは卒倒したが、何のことはない、使わないものは買わなければいいし、使わなくなったものは処分すればいいだけの話という気がしないでもない。


ところが――

もの書きを仕事にしていると、それが簡単ではないのだ。

新刊、古書、自分が買う分とは別に、執筆した紙誌を含めて、年間、2000冊近い本や雑誌が送られてくる。

仕事関係の書類は、いつも山積みだし、ときめこうが、ときめかまいが、ひとつの仕事が終わるまで、処分はできない。


衣類だけは、春と秋の衣替えのときに、不要なものを一気に処分するようにしているが、本と書類ばかりは、そんなわけにもいかず、いつも格闘することになる。

どうやら、私が生きているのは、魔法がきかない世界らしい。
posted by 城戸朱理 at 08:11| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

にゃんこ気分???

__07710001.jpg



バンビことパンクな彼女が、チョコレートをくわえて嬉しそうにしている。

何なんだ、そのチョコレートは?


「ピルッコがクリスマスに送ってくれた猫舌型のチョコレートだよ!」
!!!


昨年の夏に、バンビをフィンランドの自宅に招いてくれたノンフィクション作家、ピルッコ・リンドベリさんが送ってくれたチョコレートだった。


「これをくわえると、べーって舌を出した、にゃんこ気分が味わえるんだよ!」
・・・

「城戸さんもくわえてみてね!」
・・・・・・


別に、にゃんこ気分を味わなくてもいいのである。


パンクなだけに次々と新しいお遊びを発明してしまうのだが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 09:16| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月11日

格差社会の先に



厚生労働省の発表によると、昨年11月の段階で、派遣やパートなど非正規雇用の労働者が、ついに就労人口の40%に達したという。

今や、日本で働く人の5人に2人が、派遣やパートなどの非正正規労働者ということになる。


しかも、連合などの調査によると、2000万人を超える非正規雇用の労働者のうち、年収100万未満が全体の38.4%ともっとも多く、全体の約70%が年収200万円以下のワーキングプア層であることが分かった。

愕然とせざるをえない数字だ。


就職氷河期に正社員になれなかった35歳以上の中年フリーターは、今や273万人にも達し、低所得者ほど未婚率も高いため、男性に限ると未婚率は、なんと89.6%にもなるという。

さらに、働く単身女性は3人に1人が年収114万円以下の貧困層であることが、2014年1月27日に放送されたNHK「クローズアップ現代」で取り上げられ、「貧困女子」なる言葉まで生まれて、女性の貧困が社会問題になった。


貧困と貧乏は違う。

「貧乏」ならば、昭和の大看板、五代目古今亭志ん生が、自伝『びんぼう自慢』で語ったように「貧乏はするもんじゃありません。味わうものですな」といった趣きもあったりするのだが、貧困となると生存に関わる問題である。

貧困問題に詳しい作家の雨宮処凛は、同じ日本に住んでいても、言葉が通じないぐらいに格差が広がっていることを指摘していたが、雇用の流動化から始まった格差社会は、未婚の増加による少子化、貧困層の高齢化、さらには貧困の連鎖を生んでいく。

いったい、いつの間に、日本という国は普通に働いて、当たり前に暮らしていくことが、こんなにリスクを伴うようになってしまったのだろうか?


10年ほど前に、雇用破壊による格差社会と貧困問題が社会化したとき、私は、こうした問題が広く社会に認知され、さまざまな運動が展開されていけば、いずれ解決策が見つかるのではないかと思っていた。

しかし、現実には何も解消されないまま、貧困層が増大し、少子高齢化だけが進んでいる。

これからの日本は、成長ではなく、どのように衰えていくのかが、主題となるのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 18:55| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

小津安二郎監督の赤いケトル



現在、開催中の鎌倉文学館「作家 身のまわり」展(4月17日まで)は、実にユニークな企画で、面白かったが、昭和もなかばまでの文学者が、身辺で愛用したものは、いずれも職人芸が生きていた時代のものだから、現在とは条件が違う。

しかも、川端康成を始めとして、骨董や書画に関心を持つ人が多かったから、展示も多彩で見応えがあるものになるが、今の作家だと同じような展覧会は出来ないかも知れない。

小津安二郎監督が、映画「彼岸花」のために購入し、撮影が終わってから自宅で使っていたという赤いケトルは、展示品のなかでも印象深かったもののひとつだ。

カラーになってからの小津作品は、赤い何かが象徴的に扱われているが、赤のケトルもそのひとつ。


すると、鎌倉文学館の学芸員、山田雅子さんから、このケトルについて、思いがけない連絡があった。

次のようなものである。



【小津さんの赤いケトルについて、小津さんの記録で「デンマーク製」とあり、当館でも長年そのように紹介していたのですが、スウェーデンのコクムス社製と判明しました。

1893年に創業し、1970年代に廃業してしまった会社で、ネットなどで時々ユーズド品が販売されています。

(中略)

「彼岸花」パンフレットによりますと小津さんはこの映画のため、このケトルを購入したとのこと。

そして、その後は自分で使っていたようです。】



小津監督の赤いケトルに憧れ、似たようなものを探したというだけあって、山田雅子さんは、調査を続けていたらしい。

かくして、「彼岸花」のケトルは、デンマーク製ではなく、スウェーデン製なのが判明したのだが、小津監督は北欧のモダンデザインを好んだのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 21:30| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

ペコちゃん、苺ショートになる???

__1659.jpg



鎌倉は小町通り入り口の不二家の前を通って愕然とした。

ペコちゃんが、苺ショートになっているではないか!?

ペコちゃんは衣装持ちだが(?)、こんなコスチュームは初めてである。

いや、これでは、もう衣装とは呼べない。

コスプレの次元をも超えた(?)仮装である。

写真を撮って、バンビことパンクな彼女に見せたら――


「凄いよ!
ペコちゃんが衣装まで立体化して、ついにショートケーキになっちゃったよ!
見に行かなくっちゃ!」


わざわざ行く必要はないのだが、すぐ行動に移してしまうのがパンクの特徴である。

ヴィヴィアン・ウエストウッドのライダースジャケットを羽織ると、バンビはパタパタと出かけてしまった。


そして、ショートケーキと化したペコちゃんを一眼レフで、激写してきたのである――

ローライフレックスを持ち出さなかっただけ、まだマシと思うしかないが、
パンクなだけに油断大敵、たゆまぬ警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 10:32| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

にわか俳句ブーム???

ファイル0001.gif



吉増剛造さんが俳句に興味を示したものだから、バンビことパンクな彼女まで、四条通りを歩きながら、俳句をひねり始めた。

しかも、どこかで聞いたような句だと思ったら、どれもこれも松尾芭蕉の名句をパクって、ちょっと変えただけではないか!


「mad_bambiのパクリ俳句だよ!」
・・・

「駄句が次々に出来ちゃうなあ!」
・・・・・・


たしかに、芭蕉の名句も一部を変えるだけで、恐ろしいほどの駄句になる。

逆に芭蕉が、どれだけ細心に言葉を選んでいるかが分かるが。


「バンビくんは、駄句の泉なんだなあ!」

駄句の泉……

「俳句だから、駄句の古池のほうがいいかな?」

駄句の古池……

ちっとも有り難くない。


ホテルに戻ってみたら、ひと足先に東京に戻った吉増さんから、バンビ宛てにFAXが入っていた。

なんと、「残雪や」で始まる俳句が書かれているではないか。

しかも「駄句ですが」という添え書きが。


駄句なら私も負けないが(?)、吉増さんの句は挨拶句だった。

それにしても、どうして、こんなに「駄句」という言葉が流行ってしまったんだろう?


俳句への関心が高まった吉増さんが、高柳克弘・神野紗希篇の試写に参加したいとおっしゃるので、鎌倉に帰ってからバンビが、みんなのスケジュールを調整したのだが、こうなると、留まるところを知らない。


「歳時記を出してあげて!」とバンビが騒ぐので、私が中学生のころから持っている山本健吉編『歳時記』を出してあげた。

春夏秋冬に新年の五巻本なので、バンビは冬篇を出し、「にゃふふふ」と喜びながら読んでいる。

このままだと、勢いに乗って駄句を量産し、「新興俳句ならぬパンク俳句なんだよ!」とか言い出しかねない。

パンクだから仕方がないが、さらなる注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 08:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月31日

吉増さんの執筆作法

__1540.jpg__0012.jpg



吉増さんが「詩の傍らで」を制作したり、執筆されたりするときの道具立ては、写真のようなものである。


「机は小さいほうがいいよ」と吉増さん。

たしかに御自宅の書斎でも小さな文机を使われている。

文机だと、周囲に資料を広げられるというのが、その理由。

また、吉増さんのお祖母さんがお花をされていたので、この写真の文机と同じ二月堂は、子供のころから馴染みがあったそうだ。

二月堂は小さな座卓だが、東大寺の二月堂の食堂(じきどう)で使われたのが、その名の由来。

正しくは二月堂食堂机(にがつどうじきどうき)と呼ぶ。


わが家にも二月堂がひとつあるが、これは田村隆一さん(吉増さん、マリリアさん御夫妻の仲人でもある!)が稲村ヶ崎に住んでいたころ使われていたもので、いずれは鎌倉文学館に寄贈しようと思っている。


吉増さんは机に向かうと、まず、お香を焚き、キャンドルに火を灯す。

原稿用紙は満寿屋製。

長期乾燥の中性紙の原稿用紙で、私も使っているが、東京だと売っているところが少なく、東京で暮らしていたときは、銀座の伊東屋まで買いに行ったものだった。

ちなみに鎌倉だと、駅東口の島森書店でも扱っている。


吉増さんは、煙草を止めてから、ライターを持つこともなくなって、火と遊ぶことが出来なくなったので、かわりにお香とキャンドルで火遊びをするようになったのだとか。


ICレコーダーは2台もち歩かれていたが、ご自身の朗読や酒席の会話まで録音して、あとで聞かれている。


意外なほど、文房具がお好きで、原稿用紙の上のカラフルなマーカーは、京都に来てから無印良品で求められたもの。

ちょっとした空き時間にも、文具を見たりしておられるのだなと感心してしまった。


2枚目の写真のように、いつも多種多様な筆記具を持ち歩かれている。


音楽をかけ、ときには誰かの朗読を聞きながら、執筆されることも多いそうで、その意味では、光と香りと音を座辺に、五感を開いて机に向かうのが、吉増さんの作法のようだ。
posted by 城戸朱理 at 08:03| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉増剛造さんの懐中時計

__0011.jpg



吉増さんは、いつもさまざまな物を持ち歩いているが、写真の懐中時計もそのうちのひとつ。


「音がきれいだから聞いてみて」と吉増さんは、スタッフみんなに聞かせてくれたのだが、秒針が刻む音は、なんとも繊細で、薄い薄いガラスを割っていくような音だった。


このオメガの懐中時計は、お父さまの形見だそうだ。
posted by 城戸朱理 at 08:01| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

持つ者、持たざる者



昨秋の総務省の労働力調査によると、非正規雇用の労働者は、前年同時期比で38万人増加して2003万人に達し、就労人口の38%を占めるまでに至った。

今や、東京都の人口をしのぐ労働者が、派遣などの非正規雇用であり、その過半が生活保護水準以下のワーキングプア層となってしまっているのだから、これは異常な事態と言うしかない。


消費税を8%に引き上げるとともに、政府・日銀によって円安が誘導されたわけだが、円安は自動車を始めとする輸出産業には有利に働くものの、小麦粉や大豆などの輸入品は値上がりすることになり、庶民の食卓を直撃している。

しかも、消費税は、さらに10%まで引き上げられるわけだから、状況はさらに悪くなるだろう。


実際、日本のGDPのうち、輸出が占める割合は10%にすぎないわけだから、60%近い個人消費が低迷すると、景気は停滞することになる。

消費税値上げ前のデフレ化でも好調だったコンビニの売上さえ下がったが、非正規雇用の増加は、経済と社会の不活性化を招いたとしか言えないのが、日本の現状だろう。


新自由主義を代表するサプラサイド経済学におけるトリクルダウン理論は、富める者がさらに富めば、自然とその富が貧困層にまで滴り落ちるというものであり、アベノミクスもこの理論を背景にしている。

だが、供給側(サプラサイド)だけに着目し、供給力の増大によって経済成長が達成されるとするサプラサイド経済学は、供給されるものが需要と等しいことを理論の前提としている。

この前提は、経済学者、ジャン=バティスト・セイが提唱したため、セイの法則と呼ばれるが、供給を拡大すると、需要もそれに応じて拡大し、供給と需要が等しいものになるという、およそ非現実的なものであり、経済学者からは批判の対象となっている。

目の前に商品を積み上げられたからといって、それが必ずしも欲しくなるとは限らないことを思えば、サプラサイド経済学の現実味のなさが分かるだろう。

また、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E・スティーグリッツ・コロンビア大学教授は、トリクルダウン理論を、経済理論にも、歴史的な経験にも反するものとして批判しており、
サプラサイド経済学もトリクルダウン理論も、大企業と富裕層が、既得権益を拡大するための根拠として仮構されたものでしかないというのが識者の指摘するところである。


何よりも、日本における非正規雇用と貧困層の増加が、それを証明しているではないか。

たしかにアベノミクスによって、昨年の名目GDP(国内総生産)は28兆円増え、500兆円を超えたし、雇用も110万人以上、増えている。

問題は、大企業や富裕層の富が増大しても、企業と富裕層の富が上積みされるだけで、低所得層や貧困層に配分されないことであり、その行き着く先は、アメリカのように1%の富裕層が99%の貧困層を支配する社会にほかならない。

今や、アメリカでは年収1500万円以下が中間層、シリコンバレーの大卒新入社員の平均年収が1800万円と、日本では考えられない所得体系となっているが、一方で年収200万円以下の貧困層は5000万人に及ぶ。

今のところアメリカ経済は順調で、平均所得も右肩上がりなのだが、そのほとんどが上位数%の富裕層の所得増加分であり、所得下位60%には還元されていない。

2000年以降、アメリカではインフレが続き、物価は13年間で35%も上がったが、庶民の実質賃金は、同じ期間で27. 6%も下がり続けたため、庶民が貧困層に転落し、深刻な格差が生じた。

そして、物価が上がり、実質賃金が下がるというのは、今日の日本の現状なのだから、現在のアメリカの姿は、近い将来の日本のそれにほかならないのは簡単に予想できる。


こうした事態に憂慮して、中間層の崩壊と貧困層への転落を食い止めるべく、アメリカの次期大統領有力候補であるヒラリー・クリントン元国務長官は、「インクルーシヴ・キャピタリズム(包括的資本主義)」を旗印に掲げたが、具体的にどんな富の再配分ができるのかは、まだ未知数のままだ。


世界中でテロが多発し、中近東で、そして東アジアで、安全保障が深刻化するなか、ひたすら持つ者がさらに富み、持たざる者がさらに失っていくという新自由主義が世界を覆っていく。

これが、破局への序奏としか思えないのは、私だけではないだろう。
posted by 城戸朱理 at 04:58| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月17日

いかれバンビのタヌキ寝入り???

IMG_44740001.jpg



バンビことパンクな彼女が、お昼になっても起きてこないので、寝室を覗いてみたら――

布団に潜り込んだままiPhoneで遊んでいるではないか!

しかも、見つかったとたんに、iPhoneをパタッと下ろし、寝たふりをし始めた。


「ぐーっ、ぐーっ」
・・・・・・


もう起きているのに、布団から出たくないのである。


「んふ。
見つかっちゃったなあ」

もう起きるように言ったところ――


「舌を出して、くたっとするコ」
・・・・・・


なぜか、ペコちゃんのように舌を出して、くたくたと脱力してしまった。

全身で起きるつもりがないことを表現しているのである。

さらに、寝たまま、弱々しいネコパンチを繰り出しているではないか。

断固としてではなく「にゃんことして」起きる気がないことを表明しているらしい。


仕方がないので放っておいたのだが、よく次から次へとヘンなことを思いつくものだと感心してしまった。

いや、感心している場合ではない。

パンクなだけに油断大敵、たゆまぬ警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 08:50| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする