サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ: エッセイ

2017年07月17日

新作コレオグラフ「桃」〜舞踏への切線

IMG_7513.jpgIMG_7510.jpgIMG_7508.jpgIMG_7511.jpgIMG_7512.jpg



鯨井謙太郎(正しくは良扁に邑)による新作コレオグラフ「桃」は、全公演完売、立ち見まで出る盛況だったが、それ以上に、鯨井氏が未踏の地平に立ったことを感じさせるものとなった。


なんと、土方巽による舞踏創草期から、舞踏評論を担ってきた大御所、97歳の合田成男さんも来場されたが、何か予感されるものがあったのだろう。

合田さんは、これが自分が会場に足を運んで見る最後の公演になるだろうとおっしゃったそうだが、鯨井氏の踊りに、土方巽的身体と舞踏を感得されたそうだ。

それはオイリュトミーによって形成された鯨井氏の肉体が、舞踏への回帰を意識したことを言うものなのだろうか。


今回、鯨井氏とユニット「CORVUS」を組む定方まこと氏は、踊りだけではなく、ピアノも担当したが、テーマを尋ねられた鯨井氏は「舞踏」と答えたそうだ。

ただし、その「舞踏」とは、かつてあったものではなく、いまだ見たことのない領域に開かれようとしているのだろうし、また、そうでなければ意味がない。


「桃」は、大倉摩矢子(舞踏家)、四戸由香(ダンサー)、桃澤ソノコ(オイリュトミスト)、定方まこと(オイリュトミスト・ダンサー)が、無造作に歩き、すれ違い、たたずむところから始まる。


大倉摩矢子の幽明境に歩み入るかのような動き。

四戸由香のグランギニョルな、壊れた人間=機械仕掛けのマネキンの踊りも圧巻なら、ナイフを持った定方まことの狂気と正気の狭間のような姿も目に焼きつく。

そして、ときにイザナミと化す桃澤ソノコの圧倒的な存在感。


そこを不具の乞食に身をやつした鯨井謙太郎が横切っていく。

その姿は、たしかに土方巽を想起させるところがあるが、そのように了解してしまうのであれば、この公演は、たやすい納得で終わってしまうのではないか。

むしろ、私は鯨井氏が舞踏家とダンサー、それにオイリュトミストと、異なるコンテクストの身体と踊りを異質なまま、ひとつの舞台に投げ込み、自らはオイリュトミーで作られた肉体で、舞踏を踊ろうとしたことに注目すべきだと思う。


また、この公演を、たとえば、無関係のまますれ違い、ときに衝突する現代人と、現代社会を襲うテロルを、乞食という低い地平すれすれの視点と、鳥の俯瞰的な視点の境に出現させたものと読み解くことも出来るかも知れない。

だが、そうした演劇的なドラマトゥルギーによって、解釈されるべきものではない気がする。


吉岡実の詩篇の朗読が流れるパートもあり、鯨井氏が吉岡実『薬玉』の詩句を呟く場面もあったが、日本神話におけるイザナミや昔話の桃太郎を重層化させながら、
踊りが言語による解釈を導くのでもなければ、物語性が肉体を動かすわけでもなく、あたかも肉体がそのまま言語であり、言語がそのまま肉体である世界を、鯨井氏は開示しようとしたのではないだろうか。

その言葉と肉体のはざまを、一個の桃が転がっていく。


乞食として横切るだけではなく、いざ踊り出すと天地をしたがえるようなダイナミズムを現前させる鯨井謙太郎も健在だったが、観客として座っているだけでも、何かと対決させられているような踊りを見たとしか言いようがない。

未踏の舞踏へ、肉体=言語の新たな地平へ。

何かが起こり、さらにそこから新たな何かが、立ち上がりつつある。



(撮影=小野田桂子)
posted by 城戸朱理 at 17:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

夏のシルクジャケット

IMG_7141.jpgIMG_7142.jpgIMG_7148.jpgIMG_7147.jpg



鎌倉でも、最高気温が30℃に達する夏日が到来。

今年の梅雨は、降雨量こそ少ないが、やはり湿度は高く、不快な日が続く。


これだけ暑くなると、さすがにスーツを着るのは特別な日だけになるが、外出するときは、最低、ジャケットだけは手放さないようにしている。

これは私が自分で作ったルールなのだが、白洲次郎も、男はノータイでもジャケットを持つべきと語っていた。

だが、ジャケットを羽織ったら、どうしても汗をかいてしまうのが、日本の夏。

かなりの頻度でクリーニングに出すことになるので、一週間分くらいは用意しておかなければならない。


夏の衣類と言えば何よりも麻だが、最近はシルクのジャケットも愛用するようになった。

シルクは繊細なイメージがあるし、夏には向かないように思っていたのだが、実は丈夫で通気性がよく、綿の1.3〜1.5倍の吸湿性と放湿性を持ち、夏でも涼しい。

問題は皺になったときの復元力が弱く、水に濡れると色落ちしやすいことだが、最近はシルクの長所を生かし、欠点をおぎなうシルク・ウールやシルク・リネンの生地もよく見かけるようになった。



去年、購入したのが最初の写真のシアサッカーのジャケット。

シアサッカーは生地に縞状の凹凸があるので、見た目にも清涼感があるが、肌に触れる面積が少ないため、さらりとした着心地で、夏にうってつけ。

通常はコットンだが、このジャケットはシルク50%、ウール47%、エラスタン3%と、いかにもアルマーニらしい素材使いで、コットンのものより張りがある。

このジャケットは銀座松屋のアルマーニ・コレツィオーニで求めたものだが、試着したとき、直しの必要がなかったので、ショップスタッフが驚いていた。

たいていの人が袖を詰めるなど何らかの補正が必要になるそうだが、私にはジャストサイズなのがありがたい。


次の写真はシルク100%のショールカラージャケット。

ショールカラーはタキシードなどによくあるデザインだが、ジャケットでもシルクだとフォーマルな印象がある。

ところがシルクだけに軽いので気楽に羽織れるし、好きなデザインだ。


3枚目の写真もシルク100%のジャケット。

シャツなみの軽さで、まさに夏向き。

すべてパッチポケットなため、カジュアルな印象になる。


最後の写真はリネン84%、シルク16%なので、質感はリネン。

ショールカラーだが、胸ポケットを省略し、腰はパッチポケットのため、カジュアル感が強くなるので、カーディガンを羽織るような感覚である。


以上の3着は、いずれもアルマーニのコレクションラインのGIORGIO ARMANI。

アルマーニは、現在、ジョルジオ・アルマーニ、セカンドラインのエンポリオ・アルマーニ、ビジネスラインのアルマーニ・コレツィオーニ、カジュアルラインのアルマーニ・ジーンズとファスト・ファッションのアルマーニ・エクスチェンジで構成されているが、
来年からアルマーニ・コレツィオーニとアルマーニ・ジーンズをエンポリオ・アルマーニに統合し、3ラインに整理されるそうだ。

そうなると現在のアルマーニ・コレツィオーニとアルマーニ・ジーンズの売り場は、すべてエンポリオ・アルマーニに変わることになるのだろうが、
整理したいという欲求は、マーケティング戦略以上に「モードの帝王」「マエストロ・ディ・マエストロ(巨匠のなかの巨匠)」と呼ばれるアルマーニも、老いとともに何か心境の変化があったということなのだろうか。

動物愛護の視点から、アルマーニは、昨年、毛皮を一切使わないノーファーを宣言したが、アパレルをめぐる状況も変化しつつあるようだ。
posted by 城戸朱理 at 11:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

水原紫苑さん、第53回短歌研究賞受賞!

IMG_58690001.jpg



水原紫苑さんが、第53回短歌研究賞を受賞された。

短歌研究賞は、歌集ではなく、「短歌」「歌壇」「短歌研究」などの短歌総合誌に発表された20首以上の作品と、それまでの実績を対象として選考される。

水原さんは「極光」30首詠(「歌壇」2016年7月号)での受賞。


「東京新聞」6月24日「詩歌への招待」欄に発表された「ヘブンリーブルー」連作も素晴らしかった。

そのうちの一首。



詩を織るは永遠の問ひ
たましひの殺人消えずわれこそあなた



同欄のエッセイで、水原さんは「世界はまず言葉から壊れてゆく。言葉が死ぬ時、世界も死ぬのだ」と書かれているが、これだけ端的に今日の危機を語ることができるのも、「永遠の問ひ」のさなかに生きているからなのだろう。


水原さん、おめでとうございます!
posted by 城戸朱理 at 09:28| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

ゴーストタウン化する日本

IMG_7235.jpg



鎌倉市の「広報かまくら」7月15日号では「空き家を増やさないために」という特集が組まれている。

鎌倉市の調査によると、鎌倉の空き家と考えられる戸建て住宅は、1108戸。

空き家が放置され老朽化すると、倒壊などの危険を伴うことになる。

今や、空き家対策は、地方公共団体の急務となりつつあると言ってよい。


実際、日本では住む人がいない空き家が増え続けている。

2016年6月の段階で、すでに空き家は820万戸、総住宅数に占める空き家率は13.5%。

野村総研は空き家の有効活用が進まなかった場合、2023年には空き家が1400万戸(空き家率21.1%)となり、
2033年には2170万戸(空き家率30.4%)、なんと住宅の3戸に1戸が空き家になると予測している。


しかも日本は人口減少期に入ったわけだから、現実を直視するなら、もう家を建てる必要はないわけであり、物の価格は需要と供給の関係で決まるわけだから、今後は地価も家の価値も下落するだけなのは、火を見るよりも明らかだろう。


実際、東京を始めとする大都市の一等地を除けば地値は下がり続けており、作家の佐藤洋二郎さんは、ネットで地方都市の中古マンションの価格を調べるのが趣味だとおっしゃっていたが、今や100万を切る物件さえ珍しくないそうだ。

暮らす場所によっては、住まいが新車より安く買える時代が到来したわけだから驚かざるをえない。



そうした状況に、いち早く気づいた坂口恭平は『0円ハウス』(2004)を上梓、「建てない建築家」として出発することになったわけだが、『0円ハウス』は、とあるホームレスに取材し、ホームレスを狩猟と採集によって生きる現代の縄文人としてとらえたところが新鮮だった。

坂口恭平的な発想だと、家はもはや「0円」なのである。


たしかに東京の銀座など、一等地の地価はバブル期以上に高騰しているが、それ以外のエリアでは、土地や家が資産たりえない時代が来ようとしている。


昭和という時代は右肩上がりの成長期で、人口も増え続けたため、親が持ち家であっても、子供は親との同居を望まず、何十年ものローンを組んで家を購入したわけだが、そうした核家族化の結果、家余りの現状が到来したのは当然のことでしかなく、今や昭和的な価値観は完全に過去のものとなった。


空き家が増えた地区は次第にさびれて、ゴーストタウン化していく。

核家族化のはてに広がる、この荒涼たる眺めは、団塊以上の世代には想像も出来なかった未来図なのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 11:16| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

電話とメールのマナー



電話とメールの使い分けに関して、若者と中高年の世代間ギャップが激しいそうだ。

コラムニストの石原壮一郎氏によると、おじさん世代は気にかかることがあると、すぐに電話してしまうきらいがあるが、それは、今やNGとのこと。

電話は相手の時間を奪うので、まずはメールで連絡するというのが、今日の若者の常識らしい。

また、仕事上の連絡を電話で済ますのは非常識であり、記録に残るメールが望ましいという声が目立つのだとか。

あの堀江貴文氏も、電話をかけてくる人とは仕事をしないとまで言っており、仕事の連絡を電話でするのは、今やデキない男のやることらしい。


たしかに、出版業界では、だいぶ前から、連絡はメールが常識になっているが、メールでやり取りしたうえで、さらに依頼書を郵送してくる編集部も珍しくない。

電話がかかってくるとしたら、校了間際に問題が見つかったとか、よほどの時だけである。


つまり、電話は仕事のツールとしては、緊急時限定のものになったということなのだろうか。

この緊急時も問題で、自分にとって緊急だとしても、相手にとって緊急だとは限らない。

電話の使い方も、難しくなったものである。


さらに、もの書きの場合は、執筆中に電話を受けると、意識が中断してしまうので、電話を取らないのが普通である。

私も執筆中は、携帯電話を書斎には置かないし、緊急の連絡であれば、電話に出なくても、メールなり何なりで必ず連絡が入るから、困ったことはない。


人生には、急ぐべきことなど、さしてないことも分かっているし、電話に頼らなければならないほど、切羽詰まっているとしたら、それはたんに仕事の段取りが悪いだけということだろう。


こうやって考えると、電話は必要ない気さえしてくるが、絶え間ない電話とFAXに悩まされる日も珍しくなかった20年ほど前のことを考えると、隔世の感がある。
posted by 城戸朱理 at 13:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月03日

そのころ、鎌倉では――

IMG_7082.jpg



私が岩手日報随筆賞の選考会を終え、若者たちと乾杯していたころ、鎌倉のバンビことパンクな彼女は――


自撮りをして、遊んでいたのである。

そして、送られてきた写真が「サルバドール・バンビだよ!」
・・・・・・


バンビは、高校生のころから、ダダイストやシュルレアリストが大好きで、とりわけトリスタン・ツァラの写真に衝撃を受けたらしい。

もちろん、いつも目を見開いてポーズするサルバドール・ダリもお気に入りで、その真似をしたわけである。


ダリのトレードマークたるカイゼル髭は、髪の毛でコピーするというムダな努力の甲斐もあって、たしかにダリっぽい。

だが、持っているのは狛犬の団扇である。。。


パンクなだけに、「前衛活動」と称するお遊びのためには努力を惜しまないのだが、はたして、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 07:57| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月01日

水都、盛岡

IMG_7035.jpgIMG_7026.jpgIMG_7028.jpgIMG_7024.jpg



盛岡駅から北上川にかかる開運橋を渡り、大通りを真っ直ぐ歩いていくと、アーケードが左手、市街中心部に湧水がある。

これが、大慈寺清水、清龍水とならぶ盛岡三大清水のひとつ御田屋清水で、藩政期には盛岡城のなかの藩主別荘、御田屋に湧く城内の茶道用の水だったという。

昭和初期に現在のかたちに整備されたというが、私も子供のころは両親と元日の若水を汲みに行ったりしたものだった。


御田屋清水の先、右手は石垣を残す盛岡城跡で、お掘りが続き、城跡公園を過ぎると、秋には鮭が産卵のために遡上し、冬には白鳥が飛来する中津川が流れている。


盛岡を離れて、もう40年近くなるが、それだけに、戻る機会があると、水に恵まれた街であることをしみじみと感じながら、散策することになる。
posted by 城戸朱理 at 14:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月17日

バンビ、怒りの鉄拳???

ファイル0001.gif



居間から奇声が聞こえてきた。

「あちゃ! あちゃ!」

バンビことパンクな彼女である。

「あちゃ! バシッ!
あちゃ! ビシッ!」

今度は効果音まで入っている。

「あちゃーーっ!!!」


覗いてみたら、バンビがペコちゃんのように舌を出して、ブルース・リーの真似をしていた。


完全に私の失策である。

バンビがブルース・リーの映画を見たことがないというので、Amazon Videoで「燃えよドラゴン」を見せたのが、運の尽き。

ブルース・リーのカンフーに興奮したバンビは、ほかの出演作を次々に購入し、毎日、ブルース・リー映画を見ては真似するようになってしまったのである――


「スターウォーズ/ローグ・ワン」を見たあとは「ジェダイ騎士 バンビ・ケノービ」になってしまったし、
「たそがれ清兵衛」を始めとする時代劇にハマったときは、「子供剣士・鹿千代」になってしまったが、今度は――


「ブルース・リーの中国名は李小龍だからね、
李小鹿でバンビ・リー、
李狂小鹿でマッド・バンビ・リー!!!」
・・・

「あちょぉーーっ!」
・・・・・・


毎日、奇声に悩まされることになってしまった。

そればかりではない。

「あちゃ! あちゃ!
あっ!」
???

「腕がつったよ!」
!!!

「痛いよ〜、痛いよ〜」
・・・・・・

無茶をするからである。

パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 20:38| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

変わらないことの凄さ



かつて、オーソン・ウェルズは、好きな映画監督を3人あげてくれという質問に対して、次のように答えたという。


「ジョン・フォード、ジョン・フォード、ジョン・フォード」


私はオーソン・ウェルズも、ジョン・フォードも好きなので、この答えには痺れたが、奇妙なことを連想した。

それは、白洲次郎の英国留学以来の親友、ロビンのことである。

彼は後に七世ストラッフォード伯爵になるのだが、いつも同じ服を着ていたことを白洲正子さんが書いている。

同じと言っても着替えなかったわけではない。

ロンドンのサヴィル・ロウのテーラーで、同じ生地、同じ型で一週間分のスーツを仕立てていたのだという。

「ジョン・フォード」と繰り返すように、毎日、同じスタイルだったことになるが、おそらくは白洲次郎も顧客だったヘンリー・プールで仕立てたスーツではないだろうか。

同じスーツ、同じシャツとネクタイを揃え、いつも同じ格好をしていたというのだから、それが英国貴族流なのかと驚いたことがあった。

着回しなどという庶民的な発想とは無縁のあたりが、やはり貴族的だが、ロンドンではラウンジ・スーツはベーシックでもシャツは派手なストライプが好まれる傾向がある。

サヴィル・ロウ仕立てのスーツなら、シャツはジャーミン・ストリートのターンブル&アッサーを合わせたのだろうが、七世ストラッフォード伯爵は、どんなシャツとネクタイを選んでいたのだろうか。


オーソン・ウェルズとジョン・フォードから話が飛んでしまったが、ストラッフォード伯爵のスタイルには変わらないことの凄みを感じたし、「保守」とは、そういう姿勢なのだと思う。
posted by 城戸朱理 at 18:59| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

いかれバンビの悪だくみ???

__0128.jpg



バンビことパンクな彼女は、紅茶党。

もともと、コーヒーはあまり飲まなかったのだが、最近、なぜか、コーヒーにハマり、あちこちから豆を取り寄せては、毎朝、ハンドドリップで淹れるようになった。

おかげで、美味しいコーヒーには不自由しなくなったのだが、コーヒーだけではなく、ひと晩かけて水出しした冷茶も、毎日、冷蔵庫に入っている。

ありがたいことだと思っていたら、冷蔵庫の脇に「冷茶制作」なるリストがマグネットでとめてあるのを見つけた。

作った日には、○が付いているのだが、余白には130円×116本=15080円という謎の計算が!?


「手作りだから、1本、130円として、このリストが埋まったら、15080円のお小遣いを城戸さんにもらおうという計画なんだよ!」
!!!!!!


なんと、バンビは冷茶を私に売りつけて、お小遣いをせしめようとしていたのである!!!


「ペットボトルは買わなくて済むし、美味しいお茶は飲めるし、バンビくんはお小遣いを貰えるし、一石三鳥というものなんだあ!」
・・・・・・


そう言われると、そんな気もするが、騙されてはいけない。

たんにお小遣いをゲットすべく、あの手この手を考えているだけなのだから。


パンクなだけに油断大敵、さらなる注意が必要である。
posted by 城戸朱理 at 13:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

一生モノの意味



中沢けいさんが、ツイッターで、一生モノの買い物と言えば、20代のころなら耐用年数50年は考えなければならなかったが、
もうすぐ還暦となると、一生モノと言っても、せいぜい20年、いや10年の耐用年数があればいいといった主旨のツイートをされていた。

私は中沢さんと同い年なので、深くうなずいてしまったが、モノの意味が年齢によって変わっていくのは、実に面白い。


雑誌などが、高価なモノを「一生モノ」として推奨したりするが、実際は、一生使えるものなどめったにあるものではない。


身の回りを見回してみると、私が長年、愛用しているものと言えば、16歳のとき、父親が選んでくれたスウェーデン製のデスクがいちばん古く、40年以上になる。

20代なら、20歳のときに買ったアメリカのイーグル社製のデスクライトと資生堂ザ・ギンザで求めたブックエンドにペン立て、それにモンブランとオマスの万年筆くらいだろうか。

家電の耐用年数は10年ていどだし、洋服は流行があるから、一生モノと言えるのは、むしろ包丁や鍋などのキッチン用品だろう。

実際、20代なかばのときに求めた業務用のアルミの寸胴など、いまだにパスタを茹でたり、シチューを煮込むときに重宝しているし、鉄製のフライパンも現役である。

有次や正本の包丁を砥石とともに揃え、鋳物ならフランスのル・クルーゼやストゥブ、ステンレス多層構造の無水鍋ならアメリカのビタクラフトやドイツのフィスラーなどを若いうちに買っておくと、長く使えるわけだし、結局は得かも知れない。

つまり、一生モノなどといったものは、実はそれほどあるわけではないということになる。


例外は、やはり本だろうか。

書架を見ると、11歳のときに神田で揃えた『三国志』(岩波文庫・全10巻)や15歳のときに求めた蒲松齢『聊斎志異』(柴田天馬訳、角川文庫・全4巻)、

高校生のときに買った粟津則雄訳『ランボオ全詩』や父から譲られた『ヴィリエ・ド・リラダン全集』など、10代のころから持っている本も少なくない。

20代に求めた本となると、さらに多く、自分の思考の方向性を決定した感がある。

そう考えると、若いうちに「一生モノ」の本と出会うか否かが、いちばん大切なような気がする。
posted by 城戸朱理 at 07:27| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

ネコが舌を出すとき???

IMG_57670001.jpg



「にゃんこがくたっとして、舌をペロっと出していることがあるけど、あれは、かわいいね!」


バンビことパンクな彼女は、動物が好きである。

たしかに、舌を出したネコは愛らしい。

リラックスしているとき、ネコは筋肉が弛緩して、ペロっと出した舌をしまい忘れるのだとか。

つまり、舌を出したネコは、思いっきり和んでいることになる。


ところで、わが家にも、舌をよく出している生き物がいる。

しかも、ペコちゃんのように唇の端から舌を出しているのだが、バンビの場合は、和んでいるときではなく、イタズラを思いついたときに、嬉しくなって舌を出す傾向があるようだ。

ある日、バンビが自撮棒を買って、iPhoneを取り付け、遊び始めた。

気づくと、ペコちゃんのように舌を出しているではないか!?


自撮棒を持っていたら、自分を撮っているものと誰でも思うが、バンビは、その心理を逆手に取って、隙だらけの私を撮っていたのである!

それ以来、バンビが自撮棒を持っているときは注意しているが、パンクなだけに油断大敵、より一層の警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 20:14| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月11日

冷蔵庫の中には?

130428_1124~01.jpg



何かを冷凍するとき、ラップしただけだと、何か分からなくなって、冷凍庫の化石となってしまうことがある。

だから、ときどき冷凍庫を覗いて、整理するのだが、妙なものが出てきた。

「ぼくカツヲだよ」と書いてあるではないか!

もちろん、バンビことパンクな彼女の仕業である。

鰹のサクを買ったとき、半分だけ刺身に引き、残りを冷凍しておいたらしい。


さらに、冷蔵庫を整理していたら、「くま」と書かれた容器が。

何なんだ、これは?


「それは、京都の大原の朝市で買った熊の脂だよ!」
!!!


そういえば、御主人が猟で仕留めた熊から取った脂を売っている御婦人がいたっけ。

さらりとしてベタつかない脂なので、東直子さんも、ヘアメイクの有路涼子さんも一緒に買っていたような気がする。


こうして、わが家の冷蔵庫には「ぼくカツヲだよ」だったり、「くま」だったり、中身が明記されているにもかかわらず、わけの分からないものが増殖していくのだった。


パンクだから、仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 17:02| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

珍しい買い物

IMG_6590.jpg



私のワードローブは、イタリアのモード系がもっぱらで、アメリカン・カジュアルを身につけることは滅多にない。

だが、10代のころにはアメリカン・カルチャーに憧れを持った世代ではあるので、アメカジには奇妙な懐かしさを感じるのも事実だ。


以前、画家の久保田潤さんと話していたとき、いかにもアメリカのワークウェアという感じのインディゴ染めのダンガリーシャツの話題になって、久保田さんが「無性に着たくなることがありますよね」と語っていたが、それが納得できるところがあったりする。

私より若干、年上の久保田さんなら、学生時代にアメカジの洗礼を受けた世代だから、なおさらだろう。

日本的原型に骨太に回帰した日本画家の瓜南直子さんでさえ、芸大時代は、スケートボードで大学構内を走り回っていたというのだから。

ちなみに、久保田さんは、芸大で瓜南さんの一級、上になる。


そんなことを思い出していたせいか、アメカジ・ショップに入って、私にしては珍しい買い物をした。


いまだにメイド・イン・USAにこだわり、米軍の納入メーカーでもあるCAMCOのダンガリーシャツ、VANSのフラガールを編み込んだソックスに、米軍のファースト・エイド・キット用のポーチである。

こうして並べてみると――やはり、奇妙な買い物だと思う。

アメリカ製はタフ&ラフが身上で、作りは雑だが、ひたすら頑丈だったりする。

しかも、雑なところが魅力だったりするが、それが、世界最大の経済大国の工業製品の特徴だというあたりが面白い。

これはヨーロッパや日本のように職人が存在しないのが、その理由なのだろうし、実用第一というプロテスタント的なプラグマティズムが背景にあるのだろう。

実際、アメリカでは例外的に熟練した職人のハンドメイドであるオールデンの靴も、イギリスやイタリアの名門に比べると仕上げは雑で、靴なんだからこれくらいでいいと言わんばかりである。

すると、私がアメリカ製に見出だしているのは、「これくらいでいい」という感覚なのだろうか?
posted by 城戸朱理 at 08:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

お小遣いの行方?

__0218.jpg

最近の調査によると、日本の家庭のお小遣いの平均月額は、夫が3万1764円、妻が1万8424円なのだそうだ(明治安田生命保険調べ)。

これは過去最高だった2007年に比べて、約9千円〜1万3千円少ない結果なそうで、それは現在の景気に関わるものであるよりは、右肩上がりの経済成長が望めなくなった時代の、先行きの不安に起因するものなのかも知れない。


そして、わが身を振り返ってみると――文筆業という仕事柄、どこまでが経費で、どこからが小遣いなのか、自分でもよく分からないのだが、書籍代や文具代は紛れもなく必要経費だから、私が使うのは酒代くらい、ということは、酒代分が小遣いということになるのだろうか?


そこにバンビことパンクな彼女が、嬉しそうな顔をしてやってきた。

こういうときは、注意が必要である。


「あのね、いいことを思いついたんだよ!」

いったい、何だろう?

「城戸さんは、毎晩、ビールから始めて日本酒で晩酌しているけど、健康のことを考えて少し酒量を減らしたらいいんじゃないかな?」

たしかに。

年齢を考えるなら、いや、考えなくても飲みすぎである。

「かりにエビスのロング缶を一本減らすだけでも、月に9千円、年間で10万ちょっとの節約になるんだよ!」

そんなことは、考えてもみなかったな。

「もし、2本減らしたら、なんと年間で20万超だよ!」

それは、凄い。

それだけあったら、また、お酒が買えるだろう(?)。


「それで、節約したお金を子供のお小遣いにあげるのは、どうかな?」

子供?

「そ。
バンビの仔のお小遣いだよ!」
!!!!!!

なんで、そうなるんだ!?

「お手々にのせてあげて!」
・・・

「たっぷり、のせてあげて!」
・・・・・・


勝手なことを言って、バンビはくるくる踊っているではないか!


パンクだから仕方がないが、より厳重な警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 16:07| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

衣替えをしていると





鎌倉では、桜が散ってウグイスが鳴き始めた。


さすがに暖かくなってきたので、冬物の衣類を順次、クリーニングに出し衣替えを始める。


春夏秋冬、四季があるのは素晴らしいことだが、こと衣類に関しては逆で、一年中、同じような気候なら衣替えの必要もないのにと思ってしまう。

おまけに日本だと、冬物と夏物は、まったく互換性がないし、春と秋は同じでもいいが、素材感で春に向かないもの、秋に向かないものがある。

つまり白いシャツやジーンズを除くと、春夏秋冬の衣類が必要なことになるわけで、効率がきわめて悪い。


スティーブ・ジョブズのように、いつも黒のタートルネック、ジーンズにニューバランスのスニーカーという私服の制服化をはかっても、日本の春夏にタートルネックは無理だろう。

私のように旅が多いと、帰宅してから衣類をクリーニングに出して戻ってくるまでの間の服が不足しないように揃えなければならないから、服が十着だけといったミニマリストにもなりようがない。


それでも、この季節になると、寒さで萎縮していた細胞が緩むような気分になる。


朝晩は若干、冷えるが、コットンのサマーセーターの肌触りが心地よい季節でもある。
posted by 城戸朱理 at 10:48| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

一週間のワードローブ

IMG_6007.jpg



今回の京都滞在は、7泊8日。

着替えの衣類は少なめにしたが、それでもそれなりの量にはなるので、あらかじめトランクにパッキングして宅急便で送り出した。


この時期の京都は、いきなり冷え込むことがあるので、私もバンビことパンクな彼女も薄手のコートを持参したが、これが正解で、京都では最高気温が10℃を下回る日も。

「花冷え」「春寒」といった言葉が身に沁みた。


それだけにホテル内で羽織るつもりだったニットジャケットが役に立った。

エルメスのヴァージンウールの冬用だが、ニットジャケットは気楽に羽織れるので旅先で重宝する。

ほかに、ジャケット&パンツとスーツ2着。

ジャケットは、カナダの現代画家クリス・ナイトの絵をシルクの裏地にプリントしたGUCCIで、これにはイタリアのPT01(ピーティー・ゼロウーノ)のグレイのパンツを合わせる。


スーツは黒のジョルジオ・アルマーニと、ストライプのネイビースーツがイタリアのパル・ジレリ。

パル・ジレリは、この一着しか持っていないが、職人の手縫いによるサルトリアーレ・ラインで、ブリオーニに生地を提供していることで知られるグアベロ社のsuper130sのストライプ地が気に入って求めたもの。

superという単位の繊度は1kgの原糸を伸ばしたとき何kmになるかを表すもので、super130sだと130kmになる。

この数字が高くなるほど糸は細くなり、生地は緻密で光沢を帯びるわけだが、150を超えると高級品、180〜200になると、カシミア・レベル。

super180〜200のスーツともなると、きわめて高価だが、生地が極薄なだけに弱く、皺になりやすいので実用的ではない。

普段、着るには130くらいが限界だと思う。


ほかに白のドレスシャツ7着に黒のタートルネックセーターと黒の海島綿の長袖ポロシャツが各1着。

旅慣れているはずなのに、ホテル内で着用するイージーパンツを入れ忘れた。


ジャケットやスーツはイタリアのものばかりだが、イタリア的なノリでは井上春生監督にはかなわない。

ときどき、この人はホントはイタリア人なんじゃないかと思うことがある(笑)。
posted by 城戸朱理 at 07:46| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

神野紗希さん&バンビ

IMG_6275.jpg



高柳克弘さんと神野紗希さんのロケのときには満開だった桜も散り始めた。

紗希ちゃんとバンビのツーショットが愉快だが、私もバンビも、洋服は黒が基調なのに対して、高柳家では、黒を着ることはないそうだ。

たしかに、神野さんは、いつも明るい色合いの服を着ている。


ちなみに写真のバンビは、ヴィヴィアン・ウエストウッドの襟元がリボンになったワンピースと、やはりヴィヴィアンのアイコン、襟がハート型のラヴ・ジャケット。

ラヴ・ジャケットは何着も持っているが、これは襟がヴェルベットになったモデルである。


京都での仕事を終えて、4月13日は帰るだけなので、ようやく解放された気分に。

荷物をパッキングしてから、バンビが友人に葉書を書いていたが、私もバンビもレターセットと切手は、いつも持ち歩いている。

私も久しぶりに、柳美里さん、そして吉増剛造さんに葉書を書いた。


トランクを宅急便で送り出し、糸屋ホテルをチェックアウト。

錦市場に向かう。
posted by 城戸朱理 at 10:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

着物を見たら外人と思え!?

IMG_6398.jpg



京都は、さすがに和服の女性が多い。

しかし、そのほとんどが――レンタル着物を着た海外からの観光客なのである。


中国、台湾からの観光客はもちろん、今回は親子で着物を着た韓国人一家も見かけた。

驚くことに、アジア系ばかりではなく、フランス人やドイツ人も。

比率で言うと、着物姿の女性が10人いたら、8〜9人は外国人といった感じで、ようやく歩き方や所作が日本人と思える美人を見かけたと思ったら、韓国の方で、英語で写真を撮ってくれと言われた。

バンビことパンクな彼女によると、韓国人は色白、中国人は美脚なので、それで見分けるのだとか。


京都もすっかり、伝統とカオスの街になってしまったらしい。
posted by 城戸朱理 at 08:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

祇園のエルメス

IMG_6402.jpgIMG_6406.jpgIMG_6404.jpgIMG_6485.jpgIMG_6408.jpg



6時からの打ち合わせは建仁寺のそばなので、その前に花見小路のライカ・ギャラリーを見ることに。

例によって花見小路は観光客でごった返していたが、エルメスのショップがあったので入ってみた。


真夏のリゾートをイメージした店内は、ショップというよりは展示場という感じで、水着やビーチタオルがあるが、商品はきわめて少ない。

聞けば、7月までの期間限定ショップなのだという。


2階のイベント・スペースは、砂が盛られビーチ風に設えられている。

音楽を聞いたり、本を読んだりできるのだが、奥のデスクでは、ハガキが書けるようになっていた。

エルメスのカードをもらって、ハガキを書くとオリジナルの切手を貼ってくれる。

すべて無料で、私も友人にハガキを書いた。

切手を貼ってもらったら、エルメス・オレンジの郵便ポストに投函するとスタッフが出してくれるというユニークなサービスである。


バンビもハガキを書いていたが、私宛てだったので、後日、届いた。

旅先で書く一通の葉書。

たとえ、メールとSNSの時代になっても忘れたくないものだ。
posted by 城戸朱理 at 08:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする