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城戸朱理のブログ: 城戸朱理の本

2015年11月30日

詩論集『洪水の後で』

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私が最初にまとめた詩論集は、2004年に「現代詩手帖」に連載した「手帖時評」を中心にした『潜在性の海へ』(思潮社、2006)だった。


その後、29歳から30歳にかけて連載した「手帖時評」を中心に、20代後半から30歳にかけて書いた論考をまとめた『戦後詩を滅ぼすために』(思潮社、2008)を刊行した。

私としては、この本は『海洋性』という書名を考えていたのだが、編集部の意見を容れて、タイトルを変えたのだが、それが、ジャーナリストの視点というものなのだろう。

かわりに「The Regeneration of Alexandria」という英題を表紙に入れたが、これは「手帖時評」連載時のタイトル「アレクサンドリアの復興」を英訳したもので、アレクサンドリアの大図書館の復興、すなわち戦後詩の歴史化という想いを籠めたものだった。


その後、1990代に執筆したものを集成する『都市の文書』は、入稿原稿を思潮社に渡したものの、
担当の亀岡大助氏との打ち合わせが進まないまま、亀岡氏が退職して、宙に浮いたままになっている。


さらに『潜在性の海へ』以降に短期集中連載を含めて執筆した「洪水の後で After the Flood」は、昨年の2月には書き終えたのに、日々の仕事に追われて、いまだに入稿できないままだ。


『潜在性の海へ』以降に発表した詩をめぐる文章は、すでに400字詰め原稿用紙で1000枚を超えているが、とりあえず『洪水の後で』をまとめ、年明けには編集部に渡したいと思っている。


それから、散文詩についての考察を含む『都市の文書』をどうするか、編集部と相談していきたい。


原稿を書くというのは、孤独な作業だ。

逆に言うならば、ひとりでいることが何よりも重要になる。

ひとりの時間を、いかに作るか。

ひとりの時間をどれだけ増やしていけるか。

それが、目下の課題である。
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2013年11月03日

再び、漂流物と出会うとき

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南相馬のFM番組「柳美里のふたりとひとり」収録のとき、柳美里さんが、私の『漂流物』(思潮社)を紹介してくれ、さらに漂流物の話になった。


これは、『漂流物』のなかでも触れているが、東日本大震災の津波でさらわれた瓦礫は、
2500万トンと推測され、20万平方メートルもの巨大な島となって、太平洋上を漂流している。

この瓦礫の島は、アメリカに流れ着いたあと、アラスカ海流に乗って北上するものと、
カリフォルニア海流に乗って南下するものに分かれ、約10年をかけて北太平洋を一周して、再び日本に帰ってくるのだという。

つまり、2021年ごろから、私たちは、日本の海辺で、東日本大震災の瓦礫と出会うことになるのだ。


私は、これからも折りを見ては、海岸を歩き、漂流物を探すことだろう。


そして、2021年から、帰ってきた漂流物のささやきに耳を澄ますことになるのだろう。

それが、はたして一冊になるかどうかは分からないが、もし、次の『漂流物』を編むとしたら、そのときしかないのではないかと思っている。
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2013年11月01日

『世界-海』の隠された詩篇

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私の第八詩集となる『世界-海』は、空撮による赤道に近い太平洋と雲海の写真がカバーになっている。

このカバーを外してみたことはあるだろうか。


実は、カバーの裏側に折り込まれた部分に、本文中には未収録の書き下ろし詩篇「青空」が隠されているのだ。

このシークレット・ポエムは、『世界-海』刊行前後に、このブログでも告知したが、
詩集を持っている方は、この隠された詩を読んでみてもらいたい。
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2013年02月10日

『田村隆一・鎌倉地図』



飲食店の業界では、二月と八月が閑散とする月と言われている。

いちばん寒い月と、いちばん暑い月だけに、みんな、外出を控えるからだろう。

出版業界でも、二八(にっぱち)と言って、二月と八月は、本が売れないとされており、この時季の出版は避ける傾向がある。


だからというわけでもあるまいが、私も、最近、外出が得意ではない。

鬱々としているのは理由があるが、寒いせいもあるのだろう。

先週は、ライターの秋山真志さんから、田村隆一の4番目の妻だった田村和子さんが、2月6日に亡くなったという連絡があった。

和子さんとは面識がないが、御冥福をお祈りする。


田村隆一の最期を看取った悦子夫人、著作権継承者の美佐子さんから、いろいろとお話は聞いているが、田村さんに関しては、まだまだ公にできないことが多い。

それが明らかにできると、世間に流通している田村隆一像も変わるだろうが、「現代詩読本 田村隆一」や『田村隆一全詩集』で年譜・書誌を担当した田野倉康一くんが、いずれ田村隆一の評伝を書く予定なので、その刊行を待つしかない。



私も鎌倉で、田村さんのさまざまなエピソードを聞くたびに、ノートに整理しているが、これは、「田村隆一・鎌倉地図」として、いずれ、まとめたいと思っている。

本当に地図付きにして、田村さんの足跡を鎌倉でたどることができるものにするつもりだが、地図の作製は、鎌倉在住の画家、吉野晃希男さんにお願いしてある。

もっとも、酒の席だったので、吉野さんは忘れているかも知れない。



田村さんが生前、刊行した単行詩集は、23冊、エッセイ・対談集は42冊。


ところが、50歳までに刊行されたのは、詩集4冊とエッセイ集1冊だけなので、田村さんは、鎌倉に転居してから多産で豊穣な時期を迎えたことになる。



『田村隆一・鎌倉地図』のために、エッセイ集は目につくたびに求めてきたが、完集まで、あと一歩。

田村さん自身が、御自分のエッセイを雑文と読んでいたが、雑文を集めた本を雑本と呼んだのも田村さんが最初かも知れない。

この雑本が、逆に手に入りにくいのが、古書業界の常識。



それだけに探す楽しみもあるが、完集とともに、執筆に入ることにしよう。
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2013年02月05日

書き下ろしの企画



先々週のこと。

週末に、発表するあてのない古本についてのエッセイ原稿を書いていた。


バンビことパンクな彼女が発案した「勝手に書き下ろし計画」の一環である。

これは、版元が決まっていなくても、自分が書いていて楽しい原稿を勝手に書き下ろしてしまうという企画で、依頼原稿に追われる身には、精神衛生上、きわめていいし、たとえ、刊行されなくても原稿は残る。

いや、残らなくても構わない。

とにかく、昨年は疲れることばかり、しかも休みもろくに取れなかったので、気ままに何かを書くということなどできなかった。
だから、こんなことをしているのが、楽しくて仕方がない。


いざ、書き始めたら熱中し、2日間で一冊の導入となる40枚ほどを書き上げてしまった。

トータルで250枚前後を考えているので、あと200枚強。

ただし、導入以外は、ルポというか体験記になるので、これは実際に歩き回ってからでないと着手できない。


詩作は異様な緊張を強いるし、批評を書くのも物理的に疲れるが、気分転換まで、勝手にエッセイを綴っているのだから、病気のような気がしないでもない。

しかし、こういう時間も必要なことを痛感した。


週明けに推敲の手を入れ、プリントアウトして見直してみた。


そして、先週の水曜日。

徳間書店の書籍編集部の加々見正史編集長と打ち上げで会った。

加々見さんの依頼で始まった4年越しの「アサヒ芸能」連載書評が、ひとまず終わったので、その打ち上げである。

ここで、くだんの古本エッセイのことに話が及び、結局、秋に刊行される運びに。

かくして、勝手な書き下ろしは、本当に書き下ろしになってしまったのだった。
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2012年11月15日

詩集『水都』まで

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父が県立中央病院から転院した遠山病院は、中津川の下の橋のたもとにあった。

見舞いに行ったあとは、橋上から中津川を眺め、渡りきったところにある賢治清水で水を汲んだりしていたのだが、
そのとき、私は盛岡が川と橋、そして湧水に象られた街であることに、今さらながら思い至り、『水都』という詩集を構想することになった。

かつて書いた『不来方抄』が非在の故郷をめぐるものだったのに対して、『水都』は実在の故郷の地誌となるだろう、と。


退院して自宅に戻った父に、私は『水都』の構想を語ったのだが、父は、「そうか」と言ってうなずいていた。

その父も、もういない。


父は、盛岡の冬と雪景色を愛していた。

退職したとき、母は、南方、紀州への転居を提案したのだが、父には盛岡を動くつもりはまったくなかったので、その話は立ち消えになった。

母は、転居するかわりに、紀州に自生する風蘭を手に入れて、花を咲かせたりしていたっけ。


『水都』は、その意味では、父の慰霊のために編まれる一冊でもあるのだろう。
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2012年10月09日

新たな詩集『火山系』、そして『永遠の火』へ



この一週間ほど、新たな詩集の構想が渦巻き、少しずつ執筆を進めている。


「花椿」12月号の巻頭詩には、「朝日新聞」2011年1月4日夕刊に続く『白鳥伝説』の一篇を執筆した。

これは、かねてから予告しているように『不来方抄』『幻の母』に続く、起源をめぐる三部作の完結篇となる。


だが、花椿賞30周年を記念して刊行されるアンソロジーには、『白鳥伝説』の一篇ではなく、新たな連作『火山系』の一篇を寄稿することになった。

『火山系』は、『非鉄』『地球創世説』『世界-海』といった系譜に連なる詩集となるはずだが、作者にとっても、いまだ全体像は明らかではない。


「現代詩手帖」の依頼にも『火山系』の一篇を書き下ろすべく着手しているのだが、そのかたわらで、書物という概念をめぐる詩集の構想が立ち上がり、メモを取っている最中なので、こちらを「現代詩手帖」に発表することになるかも知れない。

この「書物」をめぐる連作は、『永遠の火』というタイトルを考えている。


もちろん、これまで書き継いできた『世界の果て World on the Edge』『失題』という連作もあるし、すでに、このブログで予告したように『不来方抄』と対を成す『水都』の構想もある。


また、『漂流物』をまとめる過程で、派生するように立ち上がってきた企画もあるのだが、これは長い旅が必要となるので、書き始めるまでには、それなりの時間が必要だろう。


どういう順で、単行本になっていくのかは、私にも分からないが、とりあえず、年内は、折りをみては詩作を進めるとともに、骨董・茶の湯をめぐるエッセイ『日本人の眼』を入稿し、『空海』の書き下ろしに専念したいと思っている。
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2012年08月20日

起源をめぐる三部作

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非在の故郷を主題とする『不来方抄(こずかたしょう)』、川の源を訪ねる旅誌『幻の母』に続く、起源をめぐる三部作の完結篇として『白鳥伝説』を構想している。


まだ同題の一篇を「朝日新聞」2011年1月4日夕刊に発表しただけだが、前二作に対して、『白鳥伝説』は、日本的原型を探る作品となることだろう。


資料を当たりながら、詩の発露を待っているところだが、年内に『世界の果て World on the Edge』の再編とともに着手したいと思っている。
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2012年08月06日

新刊『漂流物』刊行!

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私の新刊『漂流物』が刊行された。


鎌倉の砂浜に打ち寄せられた漂流物の写真から、喚起された言葉を書きつけていくうちに、生成していった書物なのだが、
私にとって『漂流物』とは、書物という概念じたいを問い直す仕事であったのかも知れない。


漂流物が多いのは、台風の翌日。

夏場は、海水浴客のために、毎日、掃除されるので、何も見つからない。

だから、写真は秋から冬、春から初夏にかけて、海岸を散策しては、撮ったものである。


手書きの入稿原稿を確認しながら、写真を配していくのは、楽しい作業だったが、レイアウトは装幀家の中島浩氏に委ねた。


私が漠然とイメージしていたものとは違う形になったが、それでも、美しい本になったと思う。


『漂流物』は、内発的に始まった仕事なので、一冊にまとまったからと言って終わるわけではなく、
私は、また、漂着した物を探して歩くことになるのだろう。

そして、物言わぬ物のささやきに、また耳を澄ますことになるのだろう。

終わらない夏のように。
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詩集『水都』へ

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今回、あらためて確認したのは、盛岡の景観を特徴づけているのが、川と橋だということだった。


盛岡駅前には「ふるさとの山にむかひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」という石川啄木の歌碑があるが、
駅前の通りには、北上川にかかる開運橋があり、橋上からは啄木が歌った岩手山を遥かに望むことができる。


街中を流れる中津川には、秋には鮭が遡上し、冬には白鳥が飛来するが、
上の橋、中の橋、下の橋と、橋によって川の姿も変わり、興趣が尽きない。


盛岡市内を流れる川は、九十余、そこにかかるのは四百余橋だったろうか。

市内には湧水も多く、いまだに人々の生活を潤している。


その意味では、盛岡は、川と橋の街であり、水都なのだと言えるだろう。


かつて、私は非在の故郷をめぐる詩集『不来方抄』を書いた。

不来方とは、盛岡の古名で、二度と来ないところという意味だが、
いずれは、現実に存在する故郷について、詩集『水都』を編みたいと思っている。
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2012年08月03日

新刊『漂流物』刊行!

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私の新刊『漂流物』が刊行された。


鎌倉の砂浜に打ち寄せられた漂流物の写真を眺めているうちに、
喚起された言葉を書きつけるようになって、生成していった書物なのだが、
私にとって『漂流物』は、書物という概念じたいを問い直す仕事であったのかも知れない。


手書きの入稿原稿を確認しながら、写真を配していくのは、楽しい作業だったが、レイアウトは装幀家の中島浩氏に委ねた。


私が漠然とイメージしていたものとは違う形になったが、それでも、美しい本になったと思う。


書店で、ぜひ手に取ってもらいたい。
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2012年07月16日

『漂流物』(思潮社)見本出来!

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私の新刊『漂流物』の見本が出来上がった。
鎌倉の海岸に打ち寄せられた漂流物を探して歩き、
その写真を撮っては、喚起された言葉を添えたものなのだが、
この仕事を始めたのは、もう十年前のことになる。

それは、自らの素性を洗い流された漂流物の、
かすかなささやきを聞き取ることにほかなからなかったのではないかと、今は思っている。


今週の終わりには、すべての製本が終わり、書店に並ぶ予定なので、ぜひ、手にしてもらいたい。
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2012年04月27日

『漂流物』(思潮社)刊行間近!

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今週、火曜日(4月24日)に、『漂流物』初校を編集部に送り出した。

『漂流物』は、鎌倉の浜辺に打ち寄せられた漂流物から喚起されたテクストを、漂流物の写真とともに構成した一冊。

海岸で漂流物を探しては、写真を撮っているうちに、わき上がってきた言葉は、漂流物のささやきを聞きとったものなのかも知れない。


思い立ったときに、海に行けるように、夏ならば帽子をかぶり、
鞄に小さなライカを忍ばせていた日々から生まれた一冊だが、
そんな毎日は、これからも続きそうな気がする。


万年筆で手書きした『漂流物』入稿原稿は、鎌倉文学館「カマクラから創る 藤沢周・城戸朱理・柳美里・大道珠貴」展に展示される予定である。
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2012年03月31日

『漂流物』初校

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昨年、入稿した『漂流物』の初校が思潮社から届いた。

これは鎌倉の海岸に打ち寄せられた漂流物から喚起された言葉を、
漂流物の写真とともに構成した作品集で、私にとっては、
内なる声に促されるようにして、10年前に始めた仕事である。


ページ構成からデザイナーの手が入っているが、装幀はこれからで、
どんな造本になるのかは、まだ分からない。

刊行は、5月を予定している。
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2011年09月07日

城戸朱理詩論集三部作完結へ、その2

詩論集の入稿のためには、膨大なコピーを前に、構成を考え、
目次を作っていかなければならないので、たいへんな集中力を要求される。

そもそも、雑誌やファイルをひっくり返して、自分が書いた原稿のコピーを取るだけでも大変な手間で、
『潜在性の海へ』から始まった私の詩論集の刊行は、
思潮社の亀岡大助氏が、図書館で「現代詩手帖」のバックナンバーを確認し、
とりあえず、「現代詩手帖」執筆分だけは、コピーしてくれなければ、着手できなかったかも知れない。


何度もつまづきながら、何とか納得できるものになったのは、先週の金曜日のこと。

土曜日には原稿の束をひっくり返しながら、目次のためにタイトルを書き出していったのだが、
目次だけで原稿用紙14枚になるのだから、尋常ではない。


これまでの詩論集2冊と同様に、原稿用紙に換算すると、500枚を超えているのは間違いないが、
今回の詩論集が分量的には、いちばん多く、厚いものになる。

一冊には収まらない可能性もあるが、これは版元と相談してみるしかないだろう。


入稿原稿は、9月5日に思潮社に届くように手配したので、
あとは、初校を待つことになる。
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2011年09月05日

城戸朱理詩論集三部作完結へ

ここしばらく、『潜在性の海へ』『戦後詩を滅ぼすために』に続く
三冊目の詩論集の入稿作業に専念していた。

その過程で、予定していた『都市の文書』という書名を変更することに。

最終的なタイトルは、まだ決定したわけではないので、明かさずにおこう。


おびただしいコピーの束と格闘しながら、構成を考えていくわけだが、
この本が刊行されると、25歳から45歳の20年間に、私が書いた詩論は、
三冊の詩論集で、ほぼ集成されることになる。

なお、刊行順と執筆時期は一致しておらず、
最初に出版した『潜在性の海へ』が、2004年に連載した「手帖時評」を中心に、
2000年代前半に執筆したもの、
『戦後詩を滅ぼすために』は、1989年に連載した「手帖時評」を中心に、
1980年代後半に執筆したもの、
そして、今回の本が、1990年代に執筆した論集になる。


戦後詩の臨界を超えながらも、誰ひとり新しい時代の到来を語ることが出来なかった90年代の、
にもかかわらず、たしかに何事かの始まりでもあった実相を、その断面だけでも示すことができたらと今は、思っている。


詩論集は、ゲラの校正や索引の作製に時間がかかるので、
入稿しても、詩集のようなスピードでは刊行できないため、来年度の出版を予定しているが、
三部作が完結したら、2005年以降に執筆した、
もっとも新しい詩論集『アンティ・コスモス』の入稿作業に取りかかりたい。
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2011年08月06日

「鎌倉ペンクラブ」第6号 特集 城戸朱理

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「鎌倉ペンクラブ」会報、第6号が刊行された。

これまでは会員による寄稿で構成されていたが、初めて特集が組まれることになり、芸術選奨の受賞を受けて、「特集 城戸朱理」が実現することに。


内容は、私の新詩篇「白と発音する」、エッセイ「東日本大震災のあとに」、
藤沢周氏との対談「詩集『幻の母』と震災以後」、山内功一郎氏によるエッセイ「けして何も予測することなく」。


表紙のパステル画は、日本画家、瓜南直子さんが、私の「河の絵を」というリクエストを容れて、描いてくれたもの。

その経緯じたいも、瓜南さんのエッセイ「表紙の言葉」に綴られている。


私にとっては、同人誌「白」、同人誌「ウルトラ」、ウェブマガジン「いんあうと」、
そして「現代詩手帖」に続く5回目の特集となる。


頒価は500円。



私の特集のみならず、歌人の尾崎左永子さん、イラストレーターの安西水丸さん、作家の斎藤榮さんと多彩な執筆陣。


興味のある方は早見芸術学園内、鎌倉ペンクラブ事務局(TEL0467-24-4002)に問い合わせを。
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2011年08月02日

単行本の予定



『漂流物』を入稿したので、次は詩論集『都市の文書』をまとめる予定だが、年内は書き下ろしの『空海』に専念し、来年は、没後30年を迎える西脇順三郎のモノグラフに着手したいと思っている。


4冊目の詩論集となる『アンティ・コスモス』の原稿も、年内で書き終わる予定なので、これも来年には入稿したいものだ。


詩集は、すでに着手している『世界の果て』『失題』に『白鳥伝説』を書き継いでいくことになるわけだが、今、新たに2冊の詩集を夢想しており、タイトルも決まっている。

こちらは、機が熟するのを待つしかないわけだが。


「表現者」に連載した骨董や茶の湯をめぐるエッセイ『日本人の眼』も加筆して出版を考えなければならないが、『漂流物』と対を成すエッセイ『物憑き抄』も単行本化を考えたいし、現在、連載中のT.Sエリオット論も、5年後には『海外詩文庫 エリオット詩集』とともに、出版されることになるだろう。


予定としては、次のようになる。



2011年 『漂流物』(思潮社)

2012年 『空海』(中央公論)、『都市の文書』(思潮社)、『物憑き抄』(版元未定)

2013年 『アンティ・コスモス』(思潮社)、『西脇順三郎論(仮題)』、『日本人の眼』(ともに版元未定)

2014〜15年 『世界の果て』『白鳥伝説』(ともに版元未定)

2016年 『海外詩文庫 エリオット詩集』(思潮社)、『エリオット論(仮題)』(版元未定)



はたして大丈夫なのか?

自分でも不安になるが、せめて予定くらいは立てておかないと遅れるだけなので、少しでも予定通り進むようにしていかなくては。


もちろん、ここに書いていない単行本の構想もあるが、こちらは徳間書店の加々見正史氏を始めとする担当と相談しているところで、どうなるかは、まだ分からない。


とりあえず、今年の仕事をしていこう。
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2011年07月30日

『漂流物』入稿へ

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金曜日のこと、思潮社の亀岡大助「現代詩手帖」編集長が、原稿受け取りのため、鎌倉まで来てくれることになった。


次の作品集『漂流物』の原稿である。


これは、鎌倉の海岸に打ち寄せられた漂流物の写真を撮っては、その写真に言葉を添えていったもので、全5章のうち、1章のみが、福岡の海の中道で撮った写真がもとになっているが、残りの4章は、鎌倉の七里ヶ浜、由比ヶ浜、材木座で撮った写真に言葉を添えたものになる。


いわば、鎌倉の波打ち際から生まれたテクストと言えるだろう。



写真に言葉を添えるようになったとき、散文なのか、散文詩なのかは意識せず、内発的に生まれてくる言葉を書き止めていったのだが、結果としては、散文の裂目から詩が覗くようなテクストを意識するようになった。


これは私の第9詩集ということになるのだろうか。



原稿は、昨年、2月に『世界-海』『幻の母』2冊の入稿原稿を完成させたあと、推敲しながら、原稿用紙に万年筆で清書して出来上がっていたが、今月、さらに一篇を追加して、完成。


問題は、写真の指定で、どうしたら分かりやすいか考え、最終的には、入稿原稿のコピーに、そのページに組む写真をメンディングテープで貼り込んでいくことにした。

原稿が完成しているとはいえ、数百枚もの写真から選んでいく作業だっただけに、半日を要することになってしまい、終わったときには、しばし放心することに。


『漂流物』が手を離れたら、詩論集『都市の文書』をまとめ、それから、年内は、中公選書の『空海』の書き下ろしに専念したいと思っている。
posted by 城戸朱理 at 08:15| 城戸朱理の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月25日

『漂流物』入稿へ



予定は、たいてい予定通りいかないものだが、今年は東日本大震災の衝撃で、すべてが狂ってしまった気がする。


思潮社の亀岡大助編集長から連絡が来て、気を取り直したのだが、本来ならば、3月に入稿するつもりだった『漂流物』と詩論集『都市の文書』の原稿も放置したままになっていた。


『都市の文書』は、まとまった時間が欲しいので、もうしばらくかかるが、『漂流物』は入稿原稿が、すでに完成しており、あとは、漂流物の写真を選んでページの指定をするだけなので、今週中に入稿することにした。


少しずつでも、何かを進めていくこと。

今に限らず、いつも、それしかないのだから。
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