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城戸朱理のブログ

2017年09月05日

横浜ビール直営・驛の食卓

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「左右左」公演のあとは、軽く飲むことにしたのだが、バンビことパンクな彼女が、あらかじめ行きたい店を調べていた。

それが、横浜ビール直営のクラフトビール工場&レストラン、驛(うまや)の食卓。


横浜ビールのヴァイツェン、アルト、ペールエール、ピルスナー、ラガーと出来立てのクラフトビール五種類を供する。

大きなタンクを前にして、飲むクラフトビールは、自分までタンクになった気分で(?)、実に旨い。


この店は地産地消がモットーで、神奈川県の食材を使っている。


まずは、藤沢産の生ハムをもらって、ヴァイツェンで乾杯。

この生ハム、輸入品と違って塩分が控え目で、柔らかく味わい深い。

生ハム好きのバンビが、「おかわり物件だよ!」と言って、すぐにおかわりを頼んでいた。


地鶏半身のロースト、ムール貝のビール蒸しを追加し、クラフトビールを飲み比べるうちに、あたりは暗くなっていく。


天気に恵まれた一日だった。
posted by 城戸朱理 at 10:44| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

左右左(さゆうさ)@横浜能楽堂

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太陽堂で昼食を取ったあとは、バンビことパンクな彼女と横浜に向かった。

桜木町駅で降り、横浜能楽堂へ。


この日は、横浜能楽堂本舞台でダンスを踊るという異例の試みがあった。


演出・振付は、ルカ・ヴェジェッティ。

踊るのは、笠井叡、中村恩恵、鈴木ユキオ、そして2歳半で初舞台を勤め、能学子方として注目を集める長山凛三。


音楽監督・小鼓は、小倉流十六世宗家、大倉源次郎、能菅は、藤田流十一世宗家、藤田六郎兵衛。


ルカ・ヴェジェッティは、友人のドナルド・キーンから「翁」と「羽衣」を新たなダンスの枠組みとして示されたそうだ。

「翁」は「能にして能にあらず」と言われるほど神聖視される曲だが、翁、千歳(せんざい)、三番叟(さんばそう)の三人がそれぞれ別々に舞うだけで、戯曲的な構成をまったく持たない。

いわば神事としての能楽であり、今回は翁を笠井叡が、千歳を鈴木ユキオが、三番叟を長山凛三が演じた。

それに対して、お能のなかでも、もっとも広く知られる「羽衣」は、戯曲的構成を持つ演目である。

能は五番立てで分類するが、「羽衣」は髷物・女能の三番目物。

しかも、三番目物のなかで、「羽衣」は、シテが幽霊ではなく、物語が夜ではない唯一の曲になる。

「羽衣」のシテである天人を、中村恩恵が舞った。


能舞台という制約のなかで、能楽を踏まえたダンスという試みは、予想できないダイナミズムを持ち、新たなパラダイムを創造することに成功していたと思う。


笠井叡さんが、能舞台で踊る日が来るとは想像したこともなかったが、その神事的な性格を考えると、これほど似つかわしいことはないのかも知れない。


今回は、文芸評論家の富岡幸一郎夫妻とともに招待していただいたのだが、富岡さんもいささか興奮気味だった。

ちなみに、タイトルの「左右左」は、能の連続的な舞い、その動きを言うものである。


「左右左」は、横浜能楽堂とニューヨークのジャパン・ソサエティの共同制作作品で、10月には、ニューヨークで北米初演が予定されているそうだ。


舞台のあとは、レセプションに参加させてもらう。

ビールにワイン、ピンチョスやキッシュが並び、少し、興奮を冷ますことができた。
posted by 城戸朱理 at 10:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

ゲーリー・スナイダーも行ったラーメン屋

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獨協大の原成吉教授と話していたときのこと。


「よく行っていた家の近所のラーメン屋が、鎌倉に移転したんだ。
城戸さんも行ってみてよ」

お気に入りだったんですか?

「旨いんだ、ゲーリーも旨いって言ってたよ」
!!!


ゲーリー・スナイダーは、来日すると立川の原先生のお宅によく泊まっているが、そのとき、原先生は行きつけのラーメン屋にも案内したらしい。

ちなみに、ゲーリー・スナイダーを花巻の大沢温泉に連れていったのも原先生である。


原先生が行きつけにしていたラーメン屋、太陽堂は、鎌倉駅西口からすぐの御成通りに開店した。

カフェのような内装で、鎌倉でも人気店になりつつある。


9月2日、横浜に出かける前に、バンビことパンクな彼女が、太陽堂に行ってみようと言い出したので、お昼は久しぶりにラーメンを食べることにした。


原先生はいつも塩ラーメンを頼むと言っていたので、バンビは塩ラーメン、私は醤油ラーメンにしてみる。

私は味玉を、バンビは味玉に海苔2枚を追加。


このラーメンが、なんとも独創的だった。


まずはスープを口にして、「美味しい!」とバンビ。


麺は中太のストレート麺で、京都の天下一品ほどではないが、スープは粘度が高く、どろりとしている。

味は濃厚で、付け麺のスープのようだったが、聞けば、豚骨と鶏と大量の野菜で取ったスープに、毎朝、魚介系の出汁を加えているのだそうだ。

いわゆるWスープになるわけだが、旨みが渾然一体となっていて、素材がまるで聞き取れない。

塩ラーメンは、バジルがスープの奥に潜んでいて、涼感を運んでくる。


隣の家族連れも「美味い!」と声を挙げていたが、鎌倉にはなかったタイプの店で、叉焼も柔らかく、バンビは「次はチャーシュー麺でもいいね!」と喜んでいた。

鎌倉で、ゲーリー・スナイダーも行ったことがあるラーメン屋に行こうというイベントでも、誰か企画しないだろうか?


ラーメンはイノベーションが進んで、今や和食の一ジャンルを形成しているが、なぜか、この日は横浜で、ダンサーの笠井瑞丈さんともラーメン談義になった。

瑞丈さんは、週に3、4回はラーメンを食べるというほどのラーメン派で、横浜の吉村家を元祖とする濃厚な家系が好み。

「つけ麺の元祖」池袋・大勝軒の山岸一雄や「ラーメンの鬼」戸塚・支那そばやの佐野実の話題になったのだが、横浜能楽堂で、そんな話をしていたのは間違いなく、私たちふたりだけだろう。
posted by 城戸朱理 at 10:22| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

ウタマロ洗濯石けん

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かつてなら鎌倉の海岸を歩くと、よく目についた桜貝がほとんど見つからなくなってしまった。

桜貝は、汚れた海には棲まないので、水質汚染の目安となるが、それだけ鎌倉の海も状態が悪くなったのだろう。

バンビことパンクな彼女は、桜貝を見つけると拾ってガラス瓶に入れているが、ほとんど増えない。


水質汚染の原因は、家庭排水である。

とりわけ、環境に悪いのは、界面活性剤を使った各種洗剤と食用油だと言われている。


それもあって、わが家では、食器洗いも洗濯も石鹸を使っている。

入浴時もボディソープなどは一切、使用せず石鹸である。


バンビが、浴室に新しい石鹸が出してくれたのだが、ミントが配合されていて、爽快感が夏にふさわしい。

これは、ハワイのノースショアの手作りソープ・ショップで買ったものだったっけ。


シリアのオリーブオイルを主原料とする無添加のアレッポの石鹸は、必ずストックしてあるし、消耗品だから、
旅先でも機会があるたびに石鹸を求めているが、京都の東急ハンズで、石鹸を物色しているとき、写真の「ウタマロ洗濯石けん」なるものを見つけた。


「ウタマロ洗濯石けんなら、昔からあるよ!」とバンビ。


私は知らなかったので、試しに買ってみることに。

旅が多い生活を送っているので、入浴時に下着やハンカチなど細かいものを手洗いするのが習慣になっているものだから、浴室に置いて使ってみたのだが、これが実に優秀で、必需品になってしまった。

とりわけ、白い衣類を白く洗い上げるための部分洗いに威力を発揮する。

シャツの襟の汚れは、繊維の奥に入り込んだ皮脂が酸化したものだが、ウタマロを使うと、黄ばみまで消えるのだ。

長寿の商品には、やはり長寿の理由があるらしい。
posted by 城戸朱理 at 22:47| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

レコード、カセット、写ルンです

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あらゆるものがデジタル化され、情報として流通するようになった時代に奇妙なことが起こっている。


カメラ付きが当たり前のスマートフォンとデジタルカメラの普及で、今や誰でも気楽に写真を撮れる時代だが、カメラ女子と呼ばれる写真好きの女性を中心に、ひそかに「写ルンです」が人気を呼び、雑誌で特集まで組まれた。

若手写真家の奥山由之さんも「写ルンです」を愛用していたりする。


「写ルンです」は、富士フィルムが、1986年に発売した、レンズ付きフィルム。

一般には、使い捨てカメラと思われているが、正しくは「レンズ付きフィルム」である。

絞りもシャッタースピードを気にせず、デジカメと同じように気楽に撮影できるが、現像して紙焼きするまで、どんな写真が撮れたかは分からない。

それだけ、手間がかかるわけだが、若者にはコピーもレタッチも出来ない一回性と、デジカメとは違うフィルムの質感が、逆に新鮮に映るらしく、思いがけないアナログ回帰が起こっている。

「写ルンです」のみならず、やはり富士フィルムのインスタントカメラ、チェキの人気も再燃しているが、同じ理由だろう。

あのライカが、インスタントカメラ「ゾフォート」を発売したのも、そうした流れを汲んだものなのだろうか。

私もライカ「ゾフォート」を発売直後に購入したが、インスタントカメラは、一眼レフとは、また違う楽しさがある。



さらに、今や、CDよりも配信が中心になった音楽業界でも、レコードとカセットが売れるという不思議な現象が起こっている。

20世紀の遺物と思われていたカセットが復権する日がくるとは思ってもみなかったが、ジャスティン・ビーバーがアルバム「パーパス」をリリースするとき、カセット版も出したのがきっかけとなって、音楽ファンの間で人気が再燃したらしい。


また、レコードの売上げも、飛躍的に増加しているが、こちらは分からないでもない。

CDは、人間の可聴音域以外の低音域と高音域をカットしているが、レコードには、人間の耳には聞こえない音まで録音されている。

そのため、音に広がりと深みがあり、コアな音楽ファンは、CDの時代になっても「ヴァイナル」と呼ばれたレコードを探して歩き回ったものだった。


その傾向が、最近、世界的に加速し、アメリカでは、アナログ・レコードが、前年比49%アップ、800万枚ものセールスを記録したという。

イギリスではレコードの売上げがデジタルを上回ったほどで、日本でも、2009年に約10万枚と最低を記録したレコードは、2015年には約66万枚と売上げが増加している。


こうした一連の動きは、たんなるアナログ回帰なのではなく、むしろ、身体性に関わるものなのかも知れない。

そして、これは書物はもちろん、実は詩にも関わる問題なのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 13:39| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月31日

またもや、金魚注意報!!!

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お小遣いをあげたら、バンビことパンクな彼女が、さっそくパタパタと出かけてしまった。

そして、嬉しそうに帰ってきたのだが――


「金魚を買ってきたよ!」
!!!


バンビは、御成通りのペットショップに寄って出目金を買ってきてしまったのである!


「黒いコと赤黒のコと白赤のコの3匹にしたんだよ!」
・・・・・・


「黒いコが、形がシュモクザメっぽいから、シュモクちゃんだよ!」

サメとは、ほど遠いと思うのだが――

「白赤のコは、モヒカンちゃん、赤黒のコは根来ちゃんでどうかな?」

根来!?


紀州の根来寺で使われていた漆器は、黒漆のうえに朱漆を塗り放ったもので、根来塗りと呼ばれる。

使ううちに朱漆が剥げ、下地の黒漆がのぞくようになる経年変化を骨董の世界では珍重するのだが、金魚に漆塗りの名前を付けるのは、やはりヘンである。


しかし、バンビは得意気だから、何を言っても無駄だろう。


とりあえず、白いボウルに出目金を入れて、モミーこと「もみじ」の金魚鉢の隣に置いたのだが、モミーも「なんかいる」といった様子で、ボウルを覗いているのが面白い。


それにしても、増えるのは金魚ばかりとは、これいかに?
posted by 城戸朱理 at 12:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自由の意味???

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「んふ」

バンビことパンクな彼女が、情けない声を出している。

どうしたのだろう?


「最近、お小遣いをもらってないんだよ」
!!!

「前はもっと貰えたのに」
・・・

「懐かしのお小遣い」


「郷愁のお小遣い」
!!!


よくもまあ、あれこれ思いつくものである。

あまりに面白いので、500円玉貯金から2万円分をお小遣いにあげることにした。


「やったね!」

「いいコにしてた甲斐があったなあ!」

「いいコ」になるのは、お小遣いをもらうときだけなのである。


「自由に使っていいお金、お小遣い」

お小遣いなのだから、当たり前だが。

「自由の響き、お小遣い」
!!!


どうやら、バンビの頭のなかでは、お小遣い=自由という変換がなされているらしい。


「じゃ、行ってくるよ!」
!!!!!!


そして、どこかにバイクで出かけてしまったのである。


さっそく、お小遣いを使おうという魂胆なのは間違いない。


パンクだから仕方がないが、いいのだろうか、これで?
posted by 城戸朱理 at 12:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

戦争の記憶、その4〜「暮しの手帖」特集「戦争中の暮しの記録」

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由比ヶ浜通りの古書店、公文堂で、先日見つけたのが、「暮しの手帖」1968年夏季号である。


これは、一冊まるごと、戦争中の生活の記録なのだが、読者から募集したエッセイによって編まれたもの。

応募総数は、1736篇だったという。


ふだん文章を書くことがない方々の、これだけは書き残しておきたいという思いが、紙面からあふれ出るようで、雑誌とは思えぬ重量感がある。


東京大空襲の話がある、広島と長崎の原爆被害の話がある。

経験者の語る記憶は、いずれも壮絶としか言いようがない。


「詩と思想」の座談会でお会いした元朝日新聞のジャーナリスト、徳山喜雄さんによると、この特集号は、刊行当時のみならず、その後も折りにふれて話題になったものだというが、読んでいると納得できる。


戦時中は、地域によって程度の差こそあれ、誰もが食糧難に直面した時代でもあった。




 すべての物は品すくなく、第一番米が配給、始(はじめ)はよかったが、だんだん少なく、一ヵ月に五、六日分、十七才を頭(かしら)に親子六人家族、食べ盛りの小供で、毎日食料さがしで必死の思い、山へ川へ、口に入る物なら何んでも取り、
(「さまざまのおもい」静岡市・村上せん)



「犬をつれて」(三鷹市・池田ゆき子)という一篇を読んでいたら、思いがけない話があった。



配給のお米が、細長い外米から、次第にとうもろこしのくだいたものや、高粱や糧秣厰で研究して藁から作ったという白い粉末など、見たこともない物が配給されるようになると、もう、動物、ことに犬はなるたけ供出するようにという回覧板がまわった。



人間が食べるものがないのだから、犬を飼っている場合ではないということなのだろうが、供出された犬は、殺して毛皮を飛行帽につけるということだったそうだ。

筆者は、知恵をしぼって愛犬を守るのだが、戦争がペットにまで影響するとは考えたことがなかった。


空腹のあまり、沼でカエルを捕まえ、家族でむさぼるように食べた話もあったが、とにかく誰もが空腹だった時代、そして、死体がまわりに転がっていたような時代。


「あとがき」で、花森安治編集長は「編集者としてお願いしたいことがある。この号だけは、なんとか保存して下さって、この後の世代のためにのこしていただきたい」と語っている。


編集部に再版を望みたい一冊だ。
posted by 城戸朱理 at 11:57| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

エズラ・パウンド協会の合宿



エズラ・パウンド協会は、研究者が集って、パウンドの2万7千行に及ぶ長篇詩『詩篇(キャントーズ)』の翻訳を進めており、8月24日と25日の両日は、鶴川の和光大学で合宿があった。

幹事は、遠藤朋之先生。

私も声をかけていただいたので、午後から参加する。

読んだのは、「詩篇第23篇」である。


獨協大の原成吉先生を始めとして、10人もの専門家が集まっても、読み解けない行が頻出し、パウンドの難解さを再確認することになったが、それでも光を放つ詩行に事欠かないのが、パウンドの尽きせぬ魅力だろう。


英語をベースにしながら、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、イタリア語、さらには漢字が混在するマルチ・リンガル的性格も、『詩篇』翻訳の高い壁になっているのは事実だが、
それ以上に、パウンドが導入した歴史的背景を理解しないと、正確な訳語を選べないところが悩ましくも面白い。

ちなみに第23篇だと、ヨーロッパ最古の市民図書館、マラテスティアーナ図書館を創設したルネッサンス期のチェザーナの領主、ドメニコ・マラテスタのエピソードや、13世紀、南フランスのカタリ派を壊滅させたアルビジョア十字軍への言及に、ギリシャ神話などが重層化し、文明の破壊とエロスを主題とする歴史のコラージュが繰り広げられる。


英国のパウンディアン、アンドルー・エリック・ハウウエン先生が、スラング等を指摘してくれるので、辞書だけでは読み切れないニュアンスを盛り込むことが出来るのも面白かった。


ちなみに、第23篇の最後の5行の私の試訳を紹介しておこう。



そして、そのとき見えたのだ、波が形を成すのが
海は、硬く、クリスタルのきらめきのようで
波は盛り上がっては、そのまま止まる
いかなる光もそのなかを通り抜けることはできない



これぞ、パウンド・サウンド。


打ち上げは、遠藤朋之先生が町田の馬肉専門店、柿島屋を予約してくれた。

馬刺、桜鍋、馬肉メンチカツのカレーがけで、楽しい宴会となる。

原成吉先生は、翌日から、蓼科で、「遊牧民」の合宿だと伺ったが、これは1979年から続くアメリカ詩の研究会。

こうした積み重ねがあってこそ、詩が次の世代に伝えられていくのだろう。


さらにアイリッシュ・パブHUBに席を移し、青学短大の斉藤修三先生、静岡大の山内功一郎先生、遠藤先生に私とバンビことパンクな彼女で、ビール片手に盛り上がった。
posted by 城戸朱理 at 09:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

詩の映画、詩人の映画



エミリ・ディキンソンの伝記映画「静かなる情熱 エミリ・ディキンソン」(テレンス・デイビス監督)が岩波ホールで公開されているが、ジム・ジャームッシュ監督「パターソン」の公開も始まった。


舞台は、ニュージャージー州パターソン。

モダニズムの巨星であり、20世紀アメリカ詩の源流ともなったウィリアム・カーロス・ウィリアムズの長篇詩『パターソン』の舞台となった都市だが、アダム・ドライバー演じる主人公の名前も、パターソン。

バス運転手の主人公は、ウィリアムズを敬愛し、自らも詩を書いている。

劇中、パターソンの詩として朗読される作品を提供したのは、ニューヨーク派の詩人、ロン・パジェット。

パジェットをジャームッシュに推薦したのは、ポール・オースターだったという。

ジャームッシュの「パターソン」は、劇映画なのに、ウィリアムズ『パターソン』の映画化とでも呼ぶべき作品であり、主人公が過ごす一週間は何も起こらないのに、豊かで美しい。


また、台湾のドキュメンタリー映画「日曜日の散歩者」(ホアン・ヤーリー監督)も話題になっている。

これは、日本統治下の1930年代に、西脇順三郎、瀧口修造らの影響を受け、日本語で新たな台湾文学を創造しようしたモダニズムの詩人たちのグループ「風車詩社」のドキュメンタリー。

イメージフォーラムで公開されているが、ぜひ見に行きたい一本だ。


さらに、チリの国民詩人であり、ノーベル賞詩人でもあるパブロ・ネルーダの半生を描く、パブロ・ラライン監督の「ネルーダ 大いなる愛の逃亡者」も11月に公開が予定されており、奇しくも、詩人の映画、詩をめぐる映画が立て続けに公開されることになる。


そういえば、最果タヒさんの詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』も石井裕也監督によって映画化されたし、私自身が制作に関わった吉増剛造さんのドキュメンタリー映画「幻を見るひと」(井上春生監督)も、試写の準備に入ったところだが、詩や詩人と深い関わりを持つ映画が、次々と公開されているのは、偶然とはいえ、面白い現象だと思う。


どこかの雑誌で、特集を組んで欲しいものである。
posted by 城戸朱理 at 10:22| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする