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城戸朱理のブログ

2017年03月15日

伊藤元之さんとバンビ

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今回の盛岡行きで、バンビことパンクな彼女は、ひとり、北上に行って伊藤元之さんとお会いする計画を立てていたのだが、元之さんが盛岡のイベントに来て下さることになったので、イベント前にお会いすることになった。

盛岡で戦前から続く洋食屋、公会堂多賀で、バンビは元之さんにランチを御馳走になり、いろいろお話をうかがったらしい。

公会堂多賀は、新渡戸稲造も通った盛岡最古の洋食屋で、私も子供のころから、両親によく連れていってもらったっけ。


北園克衛が率いた「VOU」グループの後期を担った視覚詩人である伊藤元之さんを、バンビは、ひそかに「師匠」と仰いでおり、お手紙のやり取りをしては、元之さんの手紙を「my世界遺産」コーナーに収蔵している。


バンビは、元之さんからうかがった話をノートにまとめているようだから、わが国のヴィジュアル・ポエトリーの資料になるかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 10:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「3・11いわて文化復興支援フォーラム」のディスカッション「震災と詩歌」へ

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3月11日(土)。

東日本大震災から6年。

この日は、NPOによる復興支援事業、「3・11いわて文化復興支援フォーラム」のディスカッション「震災と詩歌」に出席した。


会場は古い町屋が残る鉈屋町の盛岡町屋物語館。

もともとは、岩手川酒造だった建物である。


このイベントに先立って、いわてアートサポートセンターでは、詩を公募し、優秀作・入選作、20篇を詩集「いわて震災詩歌2017」としてまとめた。

イベントの第一部は、この詩集をもとに構成した詩劇。

ジャズピアニスト、鈴木牧子さんの演奏で、5人の出演者が朗読したのだが、これが異様なまでに劇的だったのは、やはり大震災の体験の重みがあるからだろう。


第二部のディスカッションは、いわてアートサポートセンター理事長の坂田裕一氏の司会で、作家・ジャーナリストの外岡秀俊氏と私のディスカッション「震災と詩歌」。


外岡さんは東大在学中の1976年に、今なお評価が高い石川啄木をテーマにした小説「北帰行」で、文藝賞を受賞されたが、朝日新聞社に入社してからは、小説を書くことはなく、朝日新聞の論説委員、ヨーロッパ総局長を経て、東京本社編集局長を歴任された方である。

2011年に早期退職されてからは再び、小説の筆を取られているが、阪神大震災のときは1年半にわたって被災地を取材、『地震と社会「阪神大震災記」』(みすず書房)をまとめられており、東日本大震災の発生時も、すぐに被災地入りされている。

そのとき、お守りのように宮澤賢治の全集を持っていかれたそうだ。


外岡さんとの対話は、私にとっても大変、刺激的だった。

東日本大震災が起こってから、被災地では霊の目撃談が増え、東北学院大の金菱清教授による『霊性の震災学』(新曜社)といった研究や、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞作家、奥野修司の『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』(新潮社)といった著作も発表されている。

阪神大震災のあとでは、こうしたことはなかったように記憶していたので、外岡さんにお尋ねしたところ、やはり、神戸では、とくになかったらしい。

外岡さんは、阪神大震災は早朝に起こったため、家族がそろって家にいた人がほとんどだったが、
東日本大震災は、平日の午後に発生したので、子供たちは学校に、父親は仕事に、母親は自宅にと、家族がバラバラであったこと、
いまだに遺体が発見されていない行方不明者が二千六百余人もいることが、その理由ではないかと語られていたが、うなずける話だった。

さらに、死者と共存するかのような東北の風土も、その背景にはあるのだろう。


坂田さんから、もし、啄木と賢治が生きていたら、東日本大震災を経験して、どんな作品を書いただろうかという問いかけがあったが、外岡さんの、啄木も賢治もすでに書いているという回答には、まったくその通りだと思った。


沿岸部の被災地では、3・11は、犠牲になられた方々を悼む日であり、文化的なイベントなどは催すべきではないが、逆に被害がなかった盛岡のようなところでは、東日本大震災の惨禍を忘れないために、こうした催しが、これからも企画されるべきだろう。


会場には、伊藤元之さんの姿も。


終了後は、中の橋のベアレンで、打ち上げ。

私にとっては、高校の先輩である岩手詩人クラブ会長の東野正さんとも、久しぶりにお話できた。
posted by 城戸朱理 at 09:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月14日

食道園で元祖・盛岡冷麺を

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さすがに盛岡は、寒い。

ホテルに戻って、暖を取り、翌日の「3・11いわて文化復興支援フォーラム」のディスカッション「震災と詩歌」の資料をまとめた。


夕食は何がいいか、バンビことパンクな彼女に聞いたら――


「食道園で、焼肉と冷麺がいいよ!」


食道園はホテルの目の前だから、寒いなかを歩かなくて済む。


というわけで、バンビと食道園へ。


まずは、ビールを頼み、カルビと上カルビにキムチを注文する。

カルビを前にして御機嫌のバンビは、さっそく佐藤桃花嬢のポーズを真似していた。


食道園では、カルビとロースは生玉子につけて食べるのだが、これはバンビのお気に入りである。


「どうして、盛岡は、こんなに美味しいものばかりあるのかな!」


たしかに食材は豊富だが、バンビ好みのものが多いのだろう。


ビールのあとはマッコリを頼み、締めに冷麺を。

食道園では、盛岡冷麺ではなく、平壌冷麺と呼ぶのだが、牛骨でとったスープが味わい深い。


私が初めて食道園の冷麺を食べたのは、中学生のときだが、当時は今のように辛さを選べなかったので、火が吹けるのではないかと思うほど辛かったが、それでも美味しく思ったものだった。

今では、別辛と言って、キムチを別の小鉢に出してもらって、好みの辛さに調節できるので、初めての人でも食べやすいのではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 07:43| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

光原社へ

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昼食のあとは、久しぶりに材木町の光原社に行った。

柳宗悦の民芸運動の拠点のひとつであり、命名は宮澤賢治。

賢治の『注文の多い料理店』を刊行したのも光原社なので、中庭には記念碑があり、漆喰の白壁には賢治の詩が書かれている。

中庭の突き当たりは、北上川。


私の実家の什器は、両親が光原社で求めたものが多かったから、子供のころから、よく両親と行った店だけに、私にとっては懐かしいところだ。


お店をひと通り見てから、中庭を散策し、可否館でコーヒーを飲んだ。
posted by 城戸朱理 at 07:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

白龍のじゃじゃ麺

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3月10日(金)は、あわただしかった。

バンビことパンクな彼女とホテルで朝食を取ってから、午前中は部屋で仕事に励む。

バンビは校正、私は、岩手日報の投稿欄の選評2回分を書き上げてから、「詩とファンタジー」の選評を書く。

午後1時に、急ぎの仕事を終え、それから入浴。


着替えて、遅い昼食を取ることにした。


「さあ、じゃじゃ麺を食べるぞう!」とバンビが意気込んでいたので、パルクアベニュー・カワトク地下の白龍(パイロン)へ。


盛岡のじゃじゃ麺は、平打ちのうどんに干し椎茸ベースの肉味噌、好みでおろしショウガ、おろしニンニク、ラー油に酢を混ぜてから食する。

なぜか、バンビは盛岡冷麺と並んで、このじゃじゃ麺が好きなのだ。


ただし、白龍のじゃじゃ麺は異様に盛りが多いので、ふたりとも小盛りを頼む。


じゃじゃ麺を食べ終えたら、目の前の玉子を割り入れて、お皿を出すと玉子スープになって戻ってくる。

これがチータンタン。

「やっぱり、美味しいね!」


バンビは喜んでいたが、病みつきになる人が多いのは、肉味噌の完成度が高いからだろう。
posted by 城戸朱理 at 07:40| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

桃花&バンビ

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食事を終えて、記念撮影。

バンビことパンクな彼女は、さっそく佐藤桃花さんのポーズを真似している。

この両手を広げるポーズは、女子大生に流行っているのだろうか。

それとも、佐藤さんのオリジナルなのだろうか。
posted by 城戸朱理 at 16:41| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヌッフ・デュ・パプで、就職&誕生日祝い

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夜は、フェリス女学院大学の卒業生で、岩手放送に就職が決まった佐藤桃花さんと待ち合わせ、就職祝いをすることに。

佐藤さんは、島村輝教授のゼミで、卒論は宮澤賢治。

岩手県では、そのうち、テレビで彼女の顔が見られることだろう。


お店は、映画館通りのヌッフ・デュ・パプにした。

支店が東京の六本木にもあるが、ここは、岩手の食材を生かした料理が美味しいし、ワインの品揃えも素晴らしいダイニング・バーである。


まずは、地ビール、ベアレンで乾杯。

殻付の生牡蠣、シャルキュトリー、カボチャのクリームソースのたかきびのニョッキ、佐助豚のホルモン焼きを頼む。

シャルキュトリーは、ホロホロ鳥のハムやパテ・ド・カンパーニュ、白金豚のハムに岩手清流鶏レバーのムースなど、自家製の加工品が並び、ワインに合う。


佐藤さんが、「実は、今日、私の誕生日なんです」と言うので、スパークリングワインをボトルでもらって、再び乾杯。


バンビことパンクな彼女と、佐藤さんの就職活動のことや東日本大震災のときのことなどを聞きながら、ゆっくりと食事をした。


佐藤さんの「お肉がいいです」というリクエストで、メインは白金豚の骨付きロースのグリルと岩手短角牛の稀少部位ミスジのステーキを頼み、フレッシュ・トリュフを追加したカルボナーラを注文。

赤ワインをボトルで追加したが、会話が楽しいと、飲んでも酔わないものだ。


佐藤さんは、白金豚の美味しさに感銘を受けていたが、たしかに、緻密で味わい深い肉と口のなかで溶けるような癖のない脂身は、やはり素晴らしい。


デザートは、名物のチョモランマとクレーマ・カタラーナを。

佐藤さんは、チョモランマに驚いていたが、これは、アイスクリームを積み上げてクレープをかぶせ、雪に見立てた生クリームに、焼きバナナを配した名物デザートである。

さすがに3人前は多すぎたかと思ったが、そこは女子がいるだけに、登頂に成功した(?)。


佐藤さんのように、自分の夢を実現していくしっかりした若者と話していると気持ちがいい。

バンビも感心していたほどである。
posted by 城戸朱理 at 16:40| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バンビは喜び、庭駆けまわり???

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3時すぎに盛岡に到着し、タクシーでグランドホテル・アネックスにチェックインした。

盛岡行きの前に、バンビは天気予報をチェックして、大騒ぎするという一幕が。


「たいへんだよ!
盛岡は最高気温が零度以下、雪も降るみたいだよ!」

北国では、真夏日の逆で、最高気温が氷点下という真冬日がある。

バンビも私も厚手のウールコート、足元も雪に備え、バンビはドクター・マーチンの編み上げブーツ、私はレッドウィングの乗馬用ブーツで武装した。

「雪ん子の写真を撮らなくちゃ!」

バンビは、雪景色を期待していたのだが、街中には、雪は積もっていなかった。


道端に除雪して積み上げられた雪を見つけたバンビは、さっそく撮影を始めたのだが――

スマホで、反対側を撮っていると思ったら、雪を背景に自撮りしていたのである!


このていどの雪でも喜んでいるのだから、雪景色の時期に盛岡に来たら、バンビは喜びのあまり、雪のなかを駆け回りかねない。


パンクだから仕方がないが、さらなる警戒が必要である。
posted by 城戸朱理 at 16:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東京駅で駅弁を選んで

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3月9日(木)は、バンビことパンクな彼女と東京駅へ。

新幹線に乗る前に、駅弁売り場を覗いて、お弁当を選ぶ。

今や、日本各地の駅弁が売られているので、迷うほどだが、私は、宮川本廛の鰻弁当を、バンビは、鳥取のかに寿司と国技館やきとりを選んだ。


宮川本廛は、創業明治26年(1893)。

百年以上続く老舗の弁当が普通に売られているのだから、日本の駅弁文化も来るところまで来た感がある。


幕の内風に取肴を吹き寄せにしたお弁当は、京都の伊勢丹の老舗弁当売り場で扱っているものにはかなわないので、最近は、東京では、鰻や深川飯、柿の葉寿司のように、単品のお弁当を選ぶようになった。

バンビのかに寿司は、かに身で御飯が見えないほどで、なかなか贅沢。

国技館やきとりは、冷めても美味しいので、焼鳥好きのバンビは、喜んでいたが、国技館というところがいい。
posted by 城戸朱理 at 14:14| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

食卓の古唐津、その2

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「鹿千代にござりまする」

また、バンビことパンクな彼女が、時代劇モードで、子供剣士・鹿千代になってしまった。

「糠之丞(ぬかのじょう)が、活躍しているのでござりまする」
・・・

糠之丞とは、バンビ=鹿千代のぬか床の名前である。

たしかに、毎日、食卓に並ぶぬか漬けの味が、よくなっている。


ぬか漬けは、夏なら半日、冬なら一日で食べられるが、二日、三日と置くにつれ、古漬けに近づき、味わいが深まる。

浅漬けのみずみずしさも捨てがたいが、古漬けをミョウガやショウガと一緒に刻んだものもいいものだ。


バンビ=鹿千代が、キュウリのぬか漬けを盛ったのは、例によって古唐津。


松浦古唐津の市之瀬高麗神窯で焼かれた馬盥の小鉢で、灰釉の無地唐津だが、酸化炎で焼かれて黄褐色に発色している。

これを黄唐津とも呼ぶが、古唐津のなかでも、もっとも経年変化が出やすい手なので、使うにつれて味わい深くなっていくことだろう。


十三代中里太郎右衛門(中里蓬庵)の研究によると、市ノ瀬高麗神窯は、慶長3年(1598)に、肥前佐賀藩の藩祖・鍋島直茂が、慶長の役の朝鮮出兵の帰りに連れ帰った李朝の陶工によって開かれた窯という伝承があるそうだから、江戸初期の所産ということになる。

ただし、陶磁学では、かねてから古唐津や織部などの美濃ものは、江戸初期の所産であっても、すべて桃山と表記するのが通例となっているようだ。

井伏鱒二の『珍品堂主人』のモデルになった秦秀雄などは、明らかに江戸時代に入ってからの織部を、桃山とするのに異議を唱えていたが、
実は10年単位で区分できるにも関わらず、陶磁学上は、桃山の様式のものを一括して、桃山時代としているわけで、これは、日本陶磁史上での、桃山という時代の重要性を示すものだろう。


ともあれ、古唐津の小器のどれかが食卓に並ぶのは、わが家の習慣になりそうだ。
posted by 城戸朱理 at 08:42| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする