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城戸朱理のブログ

2017年10月02日

バンビ、失速!?

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「ぶっ倒れるまで、やるぞう!」


バンビことパンクな彼女が気勢を挙げている。

連日、3時間睡眠で、校正の仕事やホテルの手配、さらには京都での「幻を見るひと」特別試写フライヤーのチェックなどに専念しているのである。

パンクだから、遊びも仕事も無意味に激しいのだった。


そんなとき、吉増剛造さんから、バンビ宛てにFAXが入った。

「番尾さま」と書いてあるぞ。


「そ。
剛造先生はアメリカから帰ってきたばかりで、お疲れなんだよ。

空港から電話があったんだけど、弱猫足になっちゃった〜っておっしゃってたよ!」


猫足(びょうそく)は、吉増さんの俳号である。

ちなみに、吉増さん「バンビの俳号はそのまま、番尾でいいよ」とおっしゃったものだから、番尾も俳号ということになる。


バンビが、吉増さんの希望される京都のホテルを、支配人に直接お願いして予約を入れたので、そのお礼のFAXだった。

いつもの糸屋ホテルだが、吉増さんは「新しい詩が一行でも二行でも書けるといいなあ」とおっしゃっていたそうだ。

糸屋ホテルだとデスクが広いので仕事が出来ると吉増さんは大いに気に入られていたが、旅先でも詩を書こうという姿勢が素晴らしいではないか。


吉増さんは、『オシリス、石ノ神』あたりを境に、旅をすることで詩を書いてきたわけだし、旅上での未知なるものとの出会いが、言葉を立ち上げてきたと言ってもいい。


京都に4回、ご一緒したおかげで、吉増さんが新幹線の車中でも、旅先のホテルでも、つねに創作と向かい合っている姿を目の当たりにしたが、これは吉増さんに固有の方法であって、詩の書き方は詩人ひとりひとり、違うものなのだと言うしかない。


旅先ではなく自宅だが、私も一行でも二行でも新しい詩を書くべくデスクに向かい、2篇の新作の草稿を書き上げた。


そして、バンビは翌日も元気に出かけていったのだが――

夕方、LINEで連絡が入った。


「ぞくぞくするよ〜
帰って、まず熱いお風呂に入るよ!
わかしてあげてね!」
!!!


無理が祟って、風邪をひいたらしい。

ぶっ倒れるまでやると言っても、本当に倒れたのではどうしようもないが、パンクだから仕方がない。


風邪薬は食後の服用なので、バンビがお風呂に入っている間に、グレープフルーツに桃と葡萄を用意し、ベーコン入りのチャウダーとハンバーグと御飯をテーブルに並べた。

「んふ。こんなに食べられないよ」と言いながら、バンビはぺろっと完食。


そのまま寝てしまったのだが、7時から翌朝まで眠ったおかげで、風邪は悪化せず、ほぼ回復。

事なきを得たのだが、やはり人間は倒れるまで遊んだり、倒れるまで仕事をするべきではない。
posted by 城戸朱理 at 09:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

「山口啓介/加納光於 往復書簡の周辺で」@鎌倉ドゥローイング・ギャラリー

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鎌倉に帰って、まずは「映画芸術」のためにアキ・カウリスマキ監督の新作「希望のかなた」のレビューを執筆した。

これは「ル・アーヴルの靴みがき」に続く「難民三部作」の第二作で、今回はフィンランドが舞台。

カウリスマキならではの笑いをちりばめながら、難民の現実を描く。

小津安二郎を尊敬して止まないカウリスマキだけに、映像は静かで、熱を持たないような北欧の光が美しい。


フィンランドは、白夜の国。

夏ならば、深夜まで日は沈まず、23時でも子供たちが公園で遊んでいたりする。

冬になると、太陽が出るのはわずか3時間、雪と闇に閉ざされるだけに、人々は一年分の陽光を夏のうちに浴びようとしているかのようだ。

それだけに、光に対する感覚が違うのだろう。


バンビことパンクな彼女は、京都での吉増剛造さんのドキュメンタリー映画「幻を見るひと」特別試写のフライヤーや10月のロケの準備のため、連日、午前4時までPCに向かい、3時間睡眠の日々が続いている。

私も雑事に追われ、何やら落ち着かない。


そんななか、9月24日は、鎌倉ドゥローイングギャラリーに「山口啓介/加納光於 往復書簡の周辺で」を見に行った。

これは、ふたりの画家が手紙を交わしながら、ドゥローイングを生成させていくという試みで、作風はまったく違うものの、不思議な共鳴が生まれている。

バンビは山口さんの阿修羅のような多面体の猫と人間の肖像画に惹かれ、私は加納さんのドゥローイングで欲しいものがあったのだが、なんとその一点だけが非売品だった。

ギャラリーには往復書簡も展示されていたが、絵が生まれる瞬間に立ち会うかのようで、興奮を禁じえない。

20代、30代の若者の間で、ひそかに文通がブームになっているというNHKのニュースがあったが、手書きの手紙は、やはりアウラがある。


両面に往復書簡を印刷したA全サイズ(594×8041mm)の見事なポスターをいただいて、ギャラリーを後に、海まで散歩。


秋鮭や秋刀魚など、食材を買い物してから、山本餃子に寄り、久保田潤さんと、飲みつつ美術談義に熱中した。
posted by 城戸朱理 at 11:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

福島の円盤餃子、照井

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福島名物、円盤餃子。

とりわけ、福島駅前にある照井という店は、いつも行列が出来ている人気店だ。

飯塚温泉に本店があり、福島市内でも3店舗を展開しているそうだが、和合亮一氏によると、行ってみたら餃子が売り切れていたり、餃子はあるものの御飯が売り切れだったりと、和合家とは相性が悪い店なのだとか。

バンビことパンクな彼女も、2回行って、2回とも入れなかったそうだ。


今回も昼に行こうとしたら、1時間以上待たなければならないと言われて、一度は断念したが、6時4分の新幹線しか取れなかったので、開店前から並んで、5時の開店とともに入店できた。



地元客は、餃子に御飯をもらって食事している人、餃子で飲んでいる人とさまざまだが、ラーメンを頼んでいる人も多い。

バンビと相談して、味玉・チャーシュー・メンマの三点盛りを頼んで、ビールを飲みつつ、円盤餃子を待つことにした。

円盤餃子はひと皿22個で、1300円。

皮はクリスピーで、餡は少なめの軽い餃子である。

照井の先代店主が、太平洋戦争中に中国で味わった餃子を、試行錯誤のすえに再現したものだというが、中国では焼き餃子は食べないので、日本人向けにアレンジしたのだろう。

餡は、通常の餃子の三分の一くらいしか入っておらず、食事というよりはビールの当てにつまむのが似合う、おやつ感覚の餃子だった。

ワンタン入りの若芽スープも頼んでみたが、スープがしっかりしていて、ラーメンを頼む人が多いのも納得。


餃子は餃子に変わりないのだが、円盤型に置かれただけで、名物になってしまうあたりが面白い。
posted by 城戸朱理 at 09:24| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月29日

帰宅難民



9月18日は、帰るだけだから気楽なはずだったのだが、これが誤算だった。

朝食とシャワーのあと、のんびり荷物をパッキングして、地元の中合デパートを覗いたりしていたのだが、三連休の最終日だけに、いざ福島駅に行ってみたら、新幹線はすべて満席。

なんとか取れたのは、18時4分の新幹線だったので、午後の時間が空いてしまった。

駅ビルの店を見たりして時間を潰し、見事な福島産白桃をひと箱、自宅に手配したのだが、福島は本当に果物が豊富な土地なのを改めて確認する。

5時から早めの夕食を取って新幹線に乗ったのだが、7時36分に東京に着いてみたら、人身事故で横須賀線も東海道線も止まっているではないか。

電車が動くまでどれくらいかかるのか見当がつかないので、新宿まで出て小田急線で藤沢まで戻ることにした。

中央線の車中で、バンビことパンクな彼女がiPhoneでロマンカーを予約し、8時50分の新宿発、江の島行きのロマンスカーに乗って、ようやく9時48分に藤沢にたどり着く。

なんとか日付が変わらぬうちに、タクシーで鎌倉に帰ることは出来たものの、さすがに疲れはてた。


本当ならば、夕方には鎌倉に着いて、ゆっくり晩酌できるはずだったのだが。
posted by 城戸朱理 at 01:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホテルメッツ福島の朝食

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福島では、ホテルメッツに宿を取ったのたが、庵ぐらでの宴会のあと、和合亮一・敦子夫妻、及川俊哉・友江夫妻がホテルまで送ってくれた。


ホテルメッツはJRが経営しているホテル・チェーンなだけに、駅に隣接した立地なのが便利だが、あちこちで泊まってみると、同じホテルなのに、内装や印象はずいぶん違う。

ビジネスホテルであることに変わりはないのだが、ホテルメッツ福島は部屋も広く、居心地が良かった。


おまけに朝食付きのプランにすると、これまたメッツごとに、かなり違う。

東京だと、ホテル内か近辺のチェーン店と提携して、実に味気ない朝食を前にすることになるのだが、福島は洋定食か、和定食を選ぶようになっていて、これが実に過不足ない朝食だった。


献立は、ごく単純。

干物にオクラと豆の和え物、温泉玉子に海苔、納豆、高菜漬け、それに御飯と若芽の味噌汁。

手が込んでいるわけでもないし、贅沢なわけでもない。


しかし、ラジウム温泉で作られた温泉玉子を始めとして、どれも美味しく、満足感がある。

御飯が美味しいのと、食材がいいせいもあるのだろう。


バンビことパンクな彼女も、ふだんなら旅先の朝は小食なのに、「んふ。美味しいから、ぺろっと食べちゃった」と完食していた。


やはり、和定食はいいものだ。
posted by 城戸朱理 at 00:51| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

福島で、和合夫妻、及川夫妻と

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すべてのロケが終わり、午後4時半に井上春生監督の運転で南三陸町を出発、最寄りのくりこま高原駅まで送ってもらった。

17時57分発の新幹線に乗り、仙台で乗り換えて18時56分に福島に到着する。


ロケというものは、スケジュールより何時間か押すことが珍しくない。

そうなると東京まで戻れても、鎌倉までは帰れないかも知れないし、台風18号が北上していたので交通機関の混乱も予想されるため、バンビことパンクな彼女が、大事を取って福島に宿を取っていたのだ。

せっかくだから、和合亮一氏に敦子さんも呼んで、一緒に夕食をと提案したところ、敦子さんが駅前エスタビル内の庵ぐらという店に予約を入れてくれた。

しかも敦子さんは、及川俊哉・友江夫妻にも連絡して、和合家・及川家・城戸家が揃うという初めての宴会に。


あん庵は、馬刺から円盤餃子、会津牛と福島名物が揃う店で、和合くんはひとりで飲みに立ち寄ることもあるらしい。
だが、この顔ぶれだと、まず会話ありきになる。

詩のこと、生活のことと話は尽きない。


及川俊哉氏に「現代祝詞」を含む新詩集のゲラと表紙の装幀案を見せてもらったのだが、画期的な詩集の誕生に立ち会っている気分になった。

福島には「福島民報」「福島民友」と地方新聞が二紙あるが、文江さんからは、去年、「福島民友」に連載したエッセイのコピーをいただいた。

素直な文体で、展開は巧み、これまた見事なエッセイだったが、敦子さんは「福島民報」に連載したことがあるそうだ。

和合夫妻はかつては朗読ユニット、JAMで一緒に詩の朗読をしていたし、敦子さんはイベントの制作もされている。

文江さんもイベント制作を手がけているし、みなさん多才だが、バンビことパンクな彼女も、そのあたりは変わらない。

詩人の妻、3人が語り合ううちに、和合亮一氏が「ウルトラ」で「詩人の妻」特集をと言い出し、爆笑したが、もし、そんな特集が実現するとしたら、座談会のテーマは「こんなはずじゃなかった」とか「こんなのはイヤだ」とか「ここが嫌いだ」といったものになるのだろうか?

「ウルトラ」の特集には、まったく似つかわしくないが、付録なら読んでみたい気がしないでもない(笑)。


しかも気づいたら、敦子さんが会計を済ませていて、御馳走になってしまったが、敦子さんの御配慮で、忘れがたい夜となった。
posted by 城戸朱理 at 23:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

南三陸町防災庁舎

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巨大津波に襲われた南三陸町は、大震災から6年以上がたった今でも、いまだに復興の途上だった。

高台に立って町を望むと、津波で流された市街地には10mの盛り土がされている最中で、造成中の工事現場のような眺めが広がっている。

被災した町が復興するためには、いったい、どれだけの時間が必要なのだろうか。


チリ地震による津波を経験し、宮城県沖地震の危険が高まっていた南三陸町では、防災意識がきわめて高く、ハザードマップに従って町内会ごとに備品を備え、避難訓練もしていたという。

宮城県沖地震が発生した場合、震度6、最高で6mの津波が予想されていた。

そのために南三陸町では町役場に隣接した防災対策庁舎を建設し、その2階に危機管理課を設置するなどの対策を取っていたが、東日本大震災大震災は震度7、予想をはるかに上回る14mもの津波が襲来したため、3階建て12mの庁舎の屋上まで津波が押し寄せ、屋上に避難した53名の職員のうち、生還したのは、わずか10名だったという。

また、大地震発生直後から防災無線で避難を呼びかけ、放送を最後まで続けて数多くの町民を救いながらも、自らは津波に流されて亡くなった遠藤未希さんは「天使の声」として語り継がれることになった。

防災無線での呼びかけは、62回。

そのうち、18回は課長補佐の三浦毅さんによるもので、三浦さんも行方不明だという。


防災庁舎は津波に流されて赤い鉄骨だけが残り、震災遺構となったが、保存か、取り壊しかで町民の意見が割れ、とりあえず、20年間は、宮城県が管理することになった。

防災庁舎は、今では周囲に盛り土がされたため、わずかに3階部分が見えるだけである。


昼食のあとは和合亮一さんが、遠藤健治元副町長から、復興の計画を聞く場面を撮影する。

遠藤さんは、防災庁舎から生還した10人のうちのひとりである。

さらに、津波襲来から避難生活まで、詳細な写真の記録を残し、さんさん商店街で、写真館・佐良スタジオを営む写真家、佐藤信一さんのお話をうかがった。


最後に、和合さんが防災庁舎に献花をしたのだが、雨のなか、地元の方が何人も献花に訪れていた。
posted by 城戸朱理 at 22:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

さんさん商店街で刺身バイキングの昼食

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南三陸町復興の拠点として、今年の3月3日にオープンしたのが南三陸さんさん商店街。

設計は隅研吾によるもので、28もの地元の事業者の店が軒を連ねる。


昼食は、井上春生監督がロケハンのときに選んだ、さんさん商店街の山内鮮魚店の刺身バイキング。

山内鮮魚店は雁屋哲原作のマンガ『美味しんぼ』第75巻にも登場するが、刺身バイキングは、好みの刺身を選んで盛り合わせにしてもらうという、鮮魚店ならではのバイキングである。
これに、御飯と蟹汁が付く。


私は甘海老、かじき、赤貝にウニといくらを選び、海風で身体が冷えたので、澤の泉特別純米の二合瓶を買った。

鮮度のいいかじきの刺身は実にいいものだが、東京ではめったにお目にかかれない。

これも南三陸ならではの味わいだろう。
posted by 城戸朱理 at 09:06| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いかれバンビ、大興奮!?

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「はかはかするう!」

バンビことパンクな彼女が興奮している。

ちなみに「はかはか」は仙台弁で「ドキドキ」するという意味。


なにせ、昨夜はアワビステーキを食べ、翌日は金比羅丸の船上で海風に吹かれながら活き帆立を試食させてもらったのだから、「はかはか」するのも無理はない。


しかも、和合亮一氏の朗読場面を撮影していたとき、突堤を歩いていたバンビは、海底にウニがたくさんいるのを発見したのである!


「ちゃぽんと潜ったらウニがたっぷり食べれるね!」


勝手に採ったら密漁だが、ウニがあちこちにいる様子は、なかなかに壮観だった。


「高橋直哉さんの帆立がとっても美味しかったから、取り寄せを頼むのはどうかな?」

それは名案である。

牡蠣の季節になったら、牡蠣と帆立を注文しよう。


「はかはかしちゃうなあ!」


ますます「はかはか」しているのだが、パンクだから仕方がない。
posted by 城戸朱理 at 09:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

金比羅丸に乗船して

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午前2時まで飲んでいたので、私は起きられなかったが、バンビことパンクな彼女は、なんと5時に起きて屋上の露天風呂に浸かりながら、日の出を見たというではないか。

私は昨日に引き続き、朝食もパスした。


台風18号が北上しており、南三陸町も昼から雨という予報だったが、早朝ならば、まだ海に出れるというので7時半にホテル観洋を出発。


8時過ぎに、高橋直哉さんの金比羅丸に乗船した。

高橋さんは漁師だが、東日本大震災の津波で祖母と漁具を流され、船こそ流されなかったものの漁をする気になれず、一年ほど仙台で土木作業員や警備員の仕事をされていたそうだ。

ところがボランティアで南三陸町に来た方々が、海産物の美味しさに驚く様子を見て、やり甲斐を感じ、再び海へ。

海の男は、やはり海に還るのである。


売上は、まだ大震災前の半分までしか回復していないそうだが、漁師仲間と観光客向けに漁船で漁場の様子を見せるツアーを始めるとともに、南三陸の海産物の魅力を発信していく決意をされたのだという。


台風が近づいているが、海は凪いでいて船もほとんど揺れない。


高橋さんは帆立と牡蠣の養殖をされているが、養殖の様子は初めて見た。

段々になった網に帆立を重ならないように並べ、ときどき殻を洗っては付着した生物を除去して、帆立がストレスを感じないように養殖するのだとか。

牡蠣は帆立の殻に稚貝を植えつけて養殖する。

その様子は、まるで海の畑のようだった。


高橋さんが剥いてくれた帆立の美味しさに、和合さんもバンビも目を丸くしていたが、その美味さたるや、語る言葉が見つからないほど。


和合さんが高橋さんからさまざまな話を聞いて、金比羅丸での撮影を終え、あちこち移動して、結局、港で和合さんが南三陸町に寄せた詩の朗読場面を撮影したのだが、鬼気迫るものがあった。
posted by 城戸朱理 at 08:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする