サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
城戸朱理のブログ

2020年06月20日

料理に合わせて器を揃えてみると、その2

IMG_2120(1).JPGEffect_20200618_141536.jpgIMG_2139.JPG



5月29日、注文しておいた「じき宮ざわ」の料理が届いた。

取り寄せは3回目になるが、お願いしたのは前回と同じく「晩酌せっと」と「伝助穴子の薬膳鍋」。


バンビことパンクな彼女は「晩酌せっと」の箱を開けて、「ばちこが入っているよ!」と興奮の極致に。

日本三大珍味に数えられるのは、塩ウニ、このわた、カラスミだが、このわたはナマコの腸の塩辛である。

それに対して、ナマコの卵巣を天日干しにしたものが「ばちこ」で、三味線のバチの形をしているところから、そう呼ばれるようになったもの。

「ばちこ」ひとつを作るにも数十匹ものナマコが必要になるが、珍味にしては癖がなく、上品な香りと味わいが特長である。

三大珍味にひけをとらない。

純米酒にも吟醸酒にも合うが、普通に流通しているばちこは茶褐色で硬いのに、じき宮ざわ特製のばちこはオレンジ色で、半生のような柔らかさ。

こんな「ばちこ」は食べたことがない。



「晩酌せっと」は、前回と同じくカラスミと鰆の薫製が入り、ばちこと蛸の柔らか煮、大根とキュウリの醤油漬け、山菜のやぶれがさの佃煮という内容だった。



「宮ざわさん気分になる器を出してあげて!」というバンビのリクエストで、またもや器を揃えてみることになったのだが、なかなかに難しい。

今回は、北大路魯山人で器組みを試してみることにした。


鼡志野角皿を中心にして、奥に伊賀釉の鉢、織部向付、手前が薬膳鍋用に刷毛目茶碗、ここまでが魯山人。

取り皿に尾形乾山の土器皿、蓮華は清朝も末期の色絵で、箸置きには平安時代の猿投陶片。

乾山の土器皿は、前回の五客組の一枚ではなく、離れの一客を求めたもので、ひと回り小さい。


しかし、いざ盛りつける段になって、「ばちこ」に感激したバンビが、いちばん大きい鼡志野に懐紙を敷いて「ばちこ」をドーンと置いてしまったものだから、さらに器が必要になり、鰆の薫製は魯山人の絵志野に、タコの柔らか煮とヤブレガサの佃煮は、それぞれ古唐津の馬盥小鉢に盛ることになった。



ばちこは目が覚めるほど素晴らしいし、カラスミや鰆の滋味深さは言うまでもない。

バンビはタコのあまりの柔らかさに驚いたり、ばちこに感激したりと忙しい。


明石産伝助穴子と鶏つくねに野菜がふんだんに入った薬膳鍋は、相変わらずの美味しさで、酒を飲むのを忘れるほど。

鍋用の魯山人の刷毛目はバンビが使い、私は昨年、ソウルの仁寺洞の骨董屋で求めた李朝の白磁小鉢を使った。



色絵の蓮華は、東京で五客組を求め、さらにハワイのアラモアナのアンティークショップで同じものをニ客見つけて買い足したもの。

中国系の移民が持ち込んだのだろうが、思いがけない出会いだった。

蓮華は、古作もめったにないし、作る陶芸家も少ないので、器組みのときに苦労するもののひとつだ。


そう言えば、陶芸家として、ぐい呑みや箸置きを初めて作ったのは魯山人だが、魯山人は蓮華も作っている。

およそ、食に関わるものすべてに、自分が納得できるものを求めたのだろうが、その徹底ぶりには脱帽するしかない。
posted by 城戸朱理 at 18:58| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月19日

永澤康太「すべてのうたをわすれて あたらしいうたをうたう」

Effect_20200612_161554.jpg



3枚、あるいは4枚の紙をふたつ折りにすると、冊子が生まれる。

そこには数篇の詩が印刷されている。


永澤康太による「すべてをわすれて あたらしいうたをうたう」は簡素でありながら、実に魅力的なたたずまいを見せる。

作品は、日常のなかで、その常同性に抗いつつ、生命の光芒を探すもので、ここに至って、作者は自分なりの詩法を獲得した感がある。



傷は、傷のままで残った
かさぶたにはならなかった
とめどなくながれた結果
内と外が入れ替わった
魑魅魍魎があふれだした
蜘蛛の糸をつたって這ってでた
じゃぶじゃぶ池の真ん中で
遊んでた娘もまつさおに染まった
(「蒼白」より)




どの詩にも諦念がわだかまっているように思えるのだが、決して、そこに留まろうとしているわけではない。

作者の家庭や生活をうかがわせる詩行も散見するが、生活そのものを語ろうとしているわけではない。

現代の閉塞感と通低する息苦しさのなかで、狂気に傾きがちな心を抱えながら、正気を保とうとする静かな闘いの記録として読んだ。
posted by 城戸朱理 at 10:36| 詩誌・詩集評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桃みたいな蕪???

IMG_2115.JPG



盛岡での所用を終え、5月27日に鎌倉に帰ったのだが、盛岡駅で野菜や果物を売っていた。

ふと目に止まったのが、「もものすけ」という蕪。

蕪なのに手で皮が剥け、桃のような食感のフルーツ蕪をうたっている。


おまえは桃を意識した蕪なのか?

それとも蕪のふりをした桃なのか?


200円だし、買ってみたのだが、たしかに皮は綺麗に剥けるものの、味の方はーー蕪だった。
posted by 城戸朱理 at 10:04| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月18日

コロナ下の暮らし



コロナ禍で、現金を使うことが、ほとんどなくなった。

買い物をするとしても食材と日用品のみ、支払いはカードを使うので、現金を使うことがない。



バンビことパンクな彼女は、夏の部屋着に麻の蚊帳生地のワンピースを新調していたが、軽くて涼しいらしい。

蚊帳生地の布巾も、実に使い勝手がいいのでストックしているが、洋服の素材としても夏向きなのだろう。


私は仕事で外出することがなくなったので洋服を買う必要がないし、部屋着も足りている。

買うものといえば本だけだが、古書店を回るわけにもいかず、購入するのは新刊書のみ。



世界的なブームとなった「あつ森」こと「あつまれどうぶつの森」をやってみたかったのだが、任天堂のSwitchが手に入らないし、プレミアもついている。

なんでも、コロナで中国製の部品が輸入できなくなったため、生産のめどが立たないのだという。

サプライチェーンの混乱はゲームにも及んでいることになる。


先行きの不安から、お金を使うことがためらわれるし、国内はともかく、海外に行けるのは、いつになるのか、まったく分からない。


6月15日の段階で、全世界の新型コロナ感染者は800万人を超えた。

アジアに続いて、欧米でも、ようやく感染拡大のピークは超えたようだが、南米では感染爆発が起こっており、終息の時期はいまだに見えない。

あるいは、今が混乱の始まりなのかも知れず、これから世界は、混迷の度合いを、さらに深めていくのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 16:20| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉浜食堂へ

IMG_2100.JPGIMG_2103.JPGIMG_2105.JPGIMG_2107.JPGIMG_2109.JPG



5月26日の夕食は、予約をしていた吉浜食堂へ。

神奈川から行くのですが、お店に行っても大丈夫でしょうかと確認してから予約を入れたのだが、コロナのおかげで、あれこれ気を使わなければならなくなった。


久しぶりの吉浜食堂は、メニューが一新されていた。


ビールで乾杯し、付きだしはワラビ。

南部かしわの玉子を使った小蕪と金美ニンジンのフリッタータは、トマトソースも自家製で、ニンジンが驚くほど香り高く、甘みがある。


吉浜食堂は、特産の「吉浜鮑」で知られる大船渡市三陸町吉浜で漁師をされている松川寛幸さんと奥さんの麻由さんの店だが、漁師さんの店だけに、刺身盛り合わせと焼き魚盛り合わせには唸った。

刺身はなんと、そい、ほうぼう、すずき、いしかれい、まこかれいと白身尽くし。

焼き魚の盛り合わせは、チダイ、みずかれい、まこかれい、そいのカマに、かじかの肝が添えられている。

普通、焼き魚を盛り合わせにすることはないが、麻由さんによると、漁師さんにとっては、よくあることなのだそうだ。

これも漁師料理なのだろう。

香りと味のバリエーションを楽しむことができる。


吉浜産塩ウニと海藻の天ぷらを当てに、寛幸さんおすすめの日本酒を順番にもらい、新メニューの吉浜風スープ・ド・ポアソンを。

これはフレンチの手法による濃厚な魚のスープで、実に豊潤な味わい。


締めは自家製の冷し麺。

コロナ禍で時間ができた寛幸さんが試行錯誤の結果、完成させた自家製麺の冷麺なのだが、蕎麦と間違えそうな風味で、見事だった。



吉浜食堂の外観は、お洒落なブティックにしか見えないが、料理はダイナミックでありながら繊細、酒も、日本酒、ワインともに選び抜かれた美酒が揃っている。
posted by 城戸朱理 at 16:19| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月17日

食道園で昼食

IMG_2085.JPGIMG_2087.JPGIMG_2092.JPG



今回は2泊3日という最短の旅程を組んだのだが、無事に所用をこなすことができた。

いつものグランドホテル・アネックスに宿を取ったのだが、朝食はコロナ対策で、ビュッフェではなく、和食か洋食のお弁当をフロントで受け取り、部屋で食べるシステムになっていた。


昼食はホテルからいちばん近い元祖盛岡冷麺の食道園へ。


溶き玉子で食べる食道園のカルビは、バンビことパンクな彼女の大好物。

ビールで乾杯し、カルビを焼き、締めは別辛の平壌冷麺。



「んふ! 美味しくて食べすぎたよ!
お腹がぽんぽんだよ〜」


バンビがお腹がいっぱいになりすぎたと言うので、少し散歩してからホテルに戻った。
posted by 城戸朱理 at 15:23| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寿司処かね田で、その1

IMG_2059.JPGEffect_20200616_184305.jpgIMG_2066.JPG



盛岡ではコロナ対策が徹底しており、「県外のお客さまはご遠慮下さい」という貼り紙を出している店もあった。


幸いなことに、大通りの寿司処かね田には入店できたので、半個室の小上がりに席を取り、ようやく、ひと息つくことができた。



お通しは、贅沢にも殻ウニ。

バンビことパンクな彼女が「これを食べたら、もう普通の生ウニには戻れないよ!」と興奮している。


寿司を握ってもらう前に、めかぶ、網茸、ばくらいと岩手らしい酒肴を頼み、地酒をもらった。

珍味中の珍味、ばくらいはホヤとこのわたの塩辛だが、実に酒に合う。

網茸は子供のころ、茸狩りでよく採った茸だけに懐かしい。


バンビが「殻ウニをおかわりできないかな?」と言うので、お願いしてみたところ、運よくあったが、外食を控える人が増えて、お客さんが減っているからかも知れない。

殻ウニと銀鱈の西京焼きで酌む地酒は、いいものだった。
posted by 城戸朱理 at 15:05| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寿司処かね田で、その2

IMG_2069.JPGIMG_2072.JPGIMG_2075.JPGIMG_2078.JPGIMG_2082.JPG

握りは「おまかせ」を頼もうとしたところ、大将がわざわざ出てきて、今日は出来ないとのこと。

漁師さんが値崩れを嫌って、漁に出るのを控えており、いつものようにネタを仕入れることができないのだと言う。


感染者ゼロの岩手でも、新型コロナの影響は甚大なものがあるようだ。



握りの特上をお願いした。


まずは勝浦産のマグロと昆布締めした金目鯛。

見事な活赤貝に肉厚の帆立、ヒラメの昆布締めにツブ貝と、いつもより仕事をしたネタが多い。


玉子焼きに北寄貝、イクラと生ウニでひと通りとなる。


バンビことパンクな彼女のリクエストで、金目と赤貝を追加で握ってもらい、巻物は筋子を。


生ウニに北寄貝の美味しさや筋子巻きなどは、いかにも盛岡の寿司屋という感じがする。
posted by 城戸朱理 at 15:05| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

緊張する遠出

IMG_2047.JPGIMG_2113.JPGIMG_2112.JPG



5月25日のこと。

県境を超えての移動は避けるべきだが、急を要する手続きのために盛岡に行かざるをえなくなった。

岩手県はいまだに新型コロナの感染者が報告されておらず、神奈川県の緊急事態宣言はこの日に解除されたとはいえ、岩手への移動はためらわれる。

誰にも会わず、所用以外の外出は控えることにしたのだが、東京に出るのさえ久しぶりだから、横須賀線に乗るだけで緊張した。


東京駅で駅弁を買って新幹線に乗ったのだが、駅弁が新鮮に思える。

私は仙台のはらこ飯、バンビことパンクな彼女はレトロなチキン弁当である。

私がはらこ飯を作るときは、鮭を煮て、その煮汁で御飯を炊き、皮と骨を取った鮭を御飯に混ぜ込んでからイクラを乗せるが、駅弁のはらこ飯は焼き鮭だった。



盛岡は曇りで、岩手山は見えなかったが、開運橋から望む北上川は、私にとって原風景のひとつだ。

北上川ぞいには、気持ちよさそうなカフェが出来ていた。
posted by 城戸朱理 at 14:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月16日

夏の酒器

IMG_2196.JPGIMG_2191.JPG


6月11日(木)は梅雨入りで、午後から雨になった。

鎌倉は、気温が30℃を超える日はまだないし、夜になると肌寒いほどだが、湿度はいきなり高くなった。

梅雨時は、酒器も、よほど注意していないと、清潔さを保てないので、吸水性のある陶器の徳利や盃は使えない。

備前や唐津の酒器はしまって、かわりにガラスの徳利と磁器の盃を出した。



盃は京都の東寺の弘法市で見つけたもので、幕末から明治のものだろう。

伊万里ではなく瀬戸だと思うが、猪口を小さくした形で、口縁の呉須が涼しげだ。

面取りしたガラスの徳利は、戦前、大正から昭和初期のもので、鎌倉の御成通りの骨董屋で見つけた。

癖のない取り合わせなので、どんなお盆にも合う。


近江の朽木村(くつき)で江戸時代初期の寛永年間から明治後期まで作られた朽木盆によく見られる菊花文の盆は、京都の老舗漆匠、象彦製。

もう一枚は盛岡の光原社工房の三色盆である。


盃は500円、徳利は1000円、象彦のお盆は、18年前に原宿の東郷神社の骨董市で未使用の品を、たしか1800円で求めたもの。

光原社の三色盆だけは、新作を定価で求めたものだが、戦前から続いている光原社でも数回しか作っていないデザインとのこと、日本の伝統的な意匠でありながら、モダンでもあり、いい出会いだったと思う。

こうしてみると、愛着は値段とは関係ないことを痛感する。
posted by 城戸朱理 at 15:07| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする