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城戸朱理のブログ

2017年03月03日

古唐津展@出光美術館へ行こう!

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『海賊と呼ばれた男』のモデルでもある出光佐三が収集した古唐津は、三百余点。

館蔵のコレクションで開催されている出光美術館の「古唐津――大いなるやきものの時代」は、13年ぶりの展覧会になる。

これだけの規模の古唐津展は、当分、観ることができないので、友人に声をかけ、2月25日(土)に、再び出光美術館に行くことにした。


集合したのは、石田瑞穂、遠藤朋之、久保田潤の三氏である。


まずは、入ってすぐの絵唐津柿文三耳壺(重要文化財)、ポスターや図録の表紙にも使われている名品だが、その予想外の小ささに久保田さんが驚く。

私も初めて見たときは、同じ感想を抱いたが、いい品というものは、写真だと実物より大きく感じるもののようだ。

ちなみに、図録の表紙には、絵唐津柿文三耳壺と、絵唐津松文大皿、奥高麗茶碗・銘「さざれ石」があしらわれている。


瑞穂くんとバンビことパンクな彼女が、奥高麗茶碗の前で、銘「曙」と銘「秋夜」の由来を検討しているかと思うと、遠藤くんは、展示コーナーごとの解説に感心しながら、見入っていたりする。


私は内覧会、講演会に続いて三度目だけに、小品を丁寧に見ていたのだが、斑唐津ぐい呑み・銘「残雪」などは実に面白かった。

「残雪」は筒状の、いわゆる「立ちぐい呑み」。

斑唐津は、失透性の藁灰釉薬をまとった器だが、古くは白唐津とも呼ばれたように、通常は器全体が白く、ときには、むらむらとした白雲のような上がりになる。

ところが、「残雪」は、窯中で焼き切られて、透明釉をかけたように胎土があらかた透けて見え、ところどころに、白い斑釉が残っている。

たしかに、銘をつけるなら「残雪」しか考えられないが、唐津の振り幅の大きさを示す作例だろう。


古唐津は、地味な焼き物だが、その奥深い魅力は、見る者を「壺中の天」に遊ばせるようでもある。


結局、閉館のアナウンスが流れるまで、古唐津の世界のなかにいた。
posted by 城戸朱理 at 10:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

食卓の古唐津

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出光美術館の開館50周年記念「古唐津――大いなるやきものの時代」展を見ているときのこと。

バンビことパンクな彼女が、出展目録に何かをせっせと書き込んでいた。

いったい何を書いているんだろう?


「これが欲しいというものをチェックしていたんだよ!」
・・・・・・

出光コレクションの古唐津は、重要文化財2点を含む優品揃い、類品を見つけても、おいそれと買えるようなものではないのだが――


「あとね、どんな料理を盛りつけてみたいかを書いてみたよ!」
!!!!!!


それは面白い。

私も会場を歩きながら、奥高麗茶碗に茶が点てられた様や、朝鮮唐津の花入れに生けられた牡丹を幻視していたが、唐津は水と親和性が高い器だけに、美術館で名品を見ても、自分なら、どう使うかを考えてしまうところがある。


そして気づいたら、わが家の食卓にもささやかな変化が起こっていた。

私が持っている茶碗や酒器を始めとする古唐津は、桐箱に納めてあるが、折にふれて求めた小皿や馬盥の小鉢などは、かなりの数が食器棚に積んである。

バンビは、展覧会を見てから、実際に古唐津を使ってみたくなったらしく、気づくと、絵唐津の小皿に桜海老を、黄唐津の馬盥小鉢に鮭の麹漬けを、縁なぶりの斑唐津の小鉢に菜の花をといったように、何かしら古唐津の器を取り出して使うようになった。


いずれも出来損ないを廃棄した物原(ものはら)から掘り出された掘りの手で大したものではないが、それでも古唐津ならではの味わいは変わらない。

使うほどに、色合いは深まり、奥行きが増して、さまざまな景色が現れてくる。


小林秀雄は「骨董はいじるものである、美術は鑑賞するものである」(「骨董」)と語ったが、焼き物好きは、長年の使用によって変わっていく器物の潜在性まで含めて器に接しているわけで、これは、日本ならではの姿だと思う。
posted by 城戸朱理 at 15:46| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月01日

久保田潤個展「海や雲」、今日から開催!

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鎌倉在住の画家、久保田潤さんの個展が今日から開催される。

昨年の表参道画廊での個展は油彩だったが、今回は水彩画。

サーファーでもある久保田さんだけに、日々、親しんでいる鎌倉の「海や雲」をテーマとする個展である。


鎌倉在住の人間ならば、案内状の画が稲村ヶ崎であることは、すぐに分かると思うが、鎌倉を知らない人でも、画がたたえる空気が、海辺のそれであることが納得できるのではないだろうか。


会場は、骨董屋でもあるR No2。

最寄り駅は、江ノ電、稲村ヶ崎駅。

会場の住所と会期は次の通り。

会期/2017年3月1日〜3月12日
12:00〜18:00

会場/R No2 鎌倉市稲村ヶ崎2-4-21
Tel 0467-25-3706



わが家には、久保田さんの作品が、油彩と水彩の2点があるが、茜色の雲を描いた油彩の小品は、購入して以来、居間にかけている。

ふと、目をやるたびに、どこか違うところに連れていかれるような気持ちになるのが、久保田さんの絵の特徴だろう。

それは、いつか見たようでありながら、まだ出会ったことのない景色なのかも知れない。
posted by 城戸朱理 at 14:46| イベント告知など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月28日

梅の花が咲くころの酒器

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鎌倉は、梅の季節。

家の近所にも見事な紅白の老梅がある。


そして、この時季になると、酒器にも梅の気配が欲しくなる。

今月になってから、私が使っていたのは、写真のぐい呑みと徳利。

織部梅文六角盃と志野柳文徳利である。


織部梅文六角盃は、もともと小向付として作られたもの。

茶の湯で、小向付を盃に転用したのが「ぐい呑み」だから、その意味では、まさにぐい呑みらしいぐい呑みということになるが、伝世品であることは間違いないものの、これが桃山から江戸初期の本歌なのか、それとも時代が下るのかは分からない。

ただ、仕服に黒柿の箱、古更紗の風呂敷と、由緒正しいしつらえで、長く愛玩されてきたことは分かる。

この盃は、京都の割烹に持参したとき、新羅の徳利と古染付の枡盃を持ち込んで飲んでいた骨董屋さんに乞われてお見せしたところ、「桃山だね」と言われたが、私には、やはり分からぬままで、分からぬまま、ただ卓上で梅の香を聴くように使っている。

緑釉も鮮やかで、新緑を思わせるあたりが、すがすがしい。


徳利は、北陸の名家に伝来したもので、桃山とのことだったが、これは桃山だろうか。

志野は、日本で初めて焼かれた白い器だが、灯りといえば灯明くらいしかなかった当時の暮らしのなかでは、志野は光をまとうように見えたことだろう。


志野も織部も、もっぱら茶の湯のために美濃で焼かれたものだが、フォルムが不定形で、肌ばかりがあるような日本ならではの陶器だと思う。


こと酒器に関しては、古備前の徳利と古唐津の筒盃が酒徒垂唾の取り合わせとされ、私も備前と唐津さえあれば何もいらないとまで思い詰めたことがあった。

しかし、いざ古備前と古唐津を手にしても、すぐに新しい酒器を探し始めるのだから、どうしようもない。


志野や織部といった美濃物は、備前や唐津のような手強い感じはなく、柔らかい。

それだけに、お盆も、いつものような木地盆ではなく、春慶塗りに。

美濃物の柔らかさが、春の気配を感じるようになった時季にふさわしいと思えるようになった。
posted by 城戸朱理 at 09:54| 骨董・工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

ドキュメンタリー映画「幻をみるひと。A tougne of Water 詩人、吉増剛造」(井上春生監督)完成間近!

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川端康成が滞在して『古都』を執筆した京都、岡崎の真澄寺別院・流響院を舞台に、吉増剛造が、京都、ひいては日本の古層に触れながら歩いていくドキュメンタリー映画「幻をみるひと。」が、井上春生監督の尽力によって編集を終え、仕上げに入っている。


これは、2015年春から16年冬にかけて、春夏秋冬の京都を訪れた詩人を撮影し、四本のCS放送番組を制作するとともに、番組放送に先だって、全素材を使って映画化を試みたもの 。


春には醍醐寺を、夏には貴船神社を、秋には『古都』の舞台でもある北山杉の産地、中川地区を、そして冬には大徳寺と妙心寺を訪ね、吉増さんは言葉を紡いでいく。


京都は、その地下に、琵琶湖に匹敵するほどの豊かな伏流水をたたえている。

今にして思うと、吉増さんの旅は、その水と出会うものでもあったように思う。

それだけに、井上監督が最終的に「A tounge of Water」という英題を選んだのもうなずけるところがあるのだが、吉増さんにとって、京都の旅は、触手のような「水の舌」に触れ、「水の言葉」を聴き取ることでもあった。


夏に、京都の水神たる貴船神社を訪れた吉増さんは「惑星に水の樹が立つ、という詩が書けるかもしれないなあ」と呟いたのだが、
映画のクライマックスは、冬の妙心寺法堂、狩野探幽による天井画・雲竜図の下で、吉増さんが新作「惑星に水の樹が立つ」を朗読する場面だろうか。


このドキュメンタリー映画は、ハグマシーン制作、プロデューサー・監督が井上春生氏、私がエグゼクティブ・プロデューサーをつとめる。

また、アシスタント・プロデューサー&スチールとして参加した小野田桂子による写真が、ポスターを飾ることになるだろう。


現在、英語字幕を制作中で、完成したら国際映画祭への出品を考えているのだが、改めて、映画祭について調べてみたところ、驚くべき現実に行き当たった。

映画祭は、なんと日本国内だけでも120も(!)開催されており、「国際」を冠した映画祭も少なくない。

これが、世界となると数百、あるいは千を超えるのではないだろうか。

そのうち、権威があるとされているのは、国際映画制作者連盟(FIAPF)公認の映画祭で、カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアを三大映画祭、これにロカルノを加えて四大映画祭と呼ぶことがある。

北米大陸なら、最大規模を誇るのが、やはりFIAPF公認のモントリオール世界映画祭、インディペンデント映画を対象とし、ロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭などがあるが、ドキュメンタリー部門がない映画祭も多いので、現在、井上監督と検討中である。


公開は、今秋になる予定。

詳細は、追って、このブログでも紹介していくので、御注目あれ!
posted by 城戸朱理 at 09:05| Edge | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

ビストロ・オランジェで、お手軽フレンチ

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壽福寺から海蔵寺を回った、この日の散歩は2時間。

これくらいだと、ちょうどいい。


バンビことパンクな彼女と相談し、夕食は、ローライ同盟の打ち上げでもおなじみ、御成通りのビストロ・オランジェで取ることにした。

以前は、ル・ポアン・ウェストという店名で、御成通りのもっと先で営業していたのだが、鎌倉駅の近くに移転してから店も広くなり、予約なしでも入れるのが嬉しい。

ル・ポアン・ウェスト時代には、柳美里さん一家と会食したこともあった。


入店してみたら、開店2周年のサービスで、なんとスパークリングワインが、1000円で1時間飲み放題。

さっそく、バンビとスパークリングワインを頼んで、メニューを読む。


この日は、まずプロヴァンス風烏賊のラタトゥイユとアンディーブ・アラ・フランドル(フランドル地方のジャガイモとアンディーブとブルーチーズのグラタン)から。

バゲットとバターも頼んだが、私はスパークリングワインを飲むのに専念(?)。


さらに、リ・ド・ヴォーのムニエルを。

リ・ド・ヴォーは、仔牛の胸腺で、成長するにつれて無くなるため、ホワイトヴィール(ミルクだけで育った仔牛)からしか取れない稀少部位で、フレンチには欠かせない食材である。

黒トリュフのソースでいただくのだが、バンビは、リ・ド・ヴォーのふわりと柔らかく、口のなかにさらりとした脂が広がる食感を喜んでいた。

たしかに、似たようなものが思いつかない食感である。


メインは、ブルターニュ風仔羊のローストを頼む。

スパークリングワインの飲み放題が時間切れになったので、赤ワインをグラスでもらったのだが、これが、まったりしたフルボディで、とても良かった。

銘柄を聞かなかったのが悔やまれる。


ビストロ・オランジェの会計は、チェーン店の居酒屋と変わらないので、気楽に立ち寄れるのがありがたい。
posted by 城戸朱理 at 11:03| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海蔵寺、十六ノ井

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海蔵寺の境内に入り、左手の道を行くと、民家が立ち並んでいるのだが、左手に木の扉を持つ「やぐら」のようなものがある。

これが、十六ノ井で、肉眼では、手前の岩床が丸く、くり貫かれた井戸しか見えないほど暗い。

ところが、写真に撮ってみると、内部の様子が分かるのだから、肉眼とレンズの違いを痛感した。


十六ノ井は、鎌倉時代から湧水をたたえていたそうだが、今でも綺麗な水が湧いている。

奥には、聖観音像と弘法大師が安置されていた。

海蔵寺は臨済宗だから、聖観音も弘法大師も祀らない。

十六ノ井は、真言宗の寺院の管轄に置かれた時代があったのかも知れない。


井戸と知らなければ、異様な気配さえ漂うところで、バンビことパンクな彼女は、熱心に写真を撮っていた。
posted by 城戸朱理 at 09:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

海蔵寺門前の底脱ノ井

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海蔵寺の門前、右手には鎌倉十井のひとつ、底脱(そこぬけ)ノ井が水をたたえている。


二度にわたる元寇を退けた鎌倉幕府第八代執権、北条時宗を支え、幕府の重職を歴任した安達泰盛の娘、千代能が、水を汲んだとき、水桶の底が抜け、千代能が詠んだ一首が、その名の由来だそうだ。


千代能がいただく桶の底抜けて
水たまらねば月もやどらず


この一首は、事実を歌ったのではなく、解脱の心持ちを詠んだのだという解説があったが、「月もやどらず」という結びが素晴らしい。
posted by 城戸朱理 at 09:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

清水基吉の句碑

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海蔵寺の山門を入って、すぐの左手に清水基吉(もとよし)さんの句碑があった。



侘び住めば八方の蟲四方の露



鎌倉に住まっていると、「八方の蟲、四方の露」というのは、実感にほかならないのだが、いい句だと思う。


清水基吉は、石田波郷門下で、「火矢」を主宰した俳人である。

太平洋戦争のさなか、昭和20年(1945)に、「雁立」で芥川賞を受賞、この年から亡くなるまでを鎌倉で過ごした。


戦後は、俳句に専念、鎌倉文学館の設立にも関わり、館長もつとめられたが、バンビことパンクな彼女は、仕事で清水先生のお宅にうかがうたびに、お菓子や果物を御馳走になったそうだ。


海蔵寺のあたりは、鎌倉駅から歩いて20分ほどだが、山のなかのような気配で、「侘び住めば」という上五も、そのまま、うなずけるところがある。
posted by 城戸朱理 at 09:11| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海蔵寺へ

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壽福寺のあとは、扇ガ谷の谷戸の突き当たり、小高い山にかこまれた海蔵寺まで歩いた。


海蔵寺も臨済宗建長寺派、室町時代に鎌倉公方・足利氏満の命で、源翁禅師として知られる心昭空外が開山となり、応永元年(1394)に創建された。


源翁禅師といえば、謡曲「殺生石」を思い出す。

鳥羽天皇が那須で白狐を殺させたところ、白狐は石と化し、これに触れた者は、ことごとく死んでしまうため、殺生石として怖れられるようになった。

ところが、後代に源翁禅師が読経し、杖で石を叩いたところ、殺生石は砕け散り、白狐の霊も成仏したという。

金槌の別名「玄能」も、源翁禅師に由来するものである。


海蔵寺は、鎌倉公方の命で、上杉氏定が開基となった寺だけに、鎌倉時代には七堂伽藍を誇る大寺だったという。


鎌倉公方は、室町時代に、関東十か国、後には出羽・陸奥まで含めた東国を支配した鎌倉府の長官であり、足利尊氏の四男、足利基氏を初代とする。

将軍が任命したが、室町幕府から独立性を持ち、東国は、鎌倉公方によって支配されていたと言ってもいい。

その意味では、室町時代は、東国を鎌倉府が、西国を室町幕府が統治していたことになる。

鎌倉公方を補佐したのが、関東管領・上杉家で、後に戦国大名となった。

かの上杉謙信が、関東管領職を継いだのも、鎌倉は鶴岡八幡宮においてである。


海蔵寺は、鎌倉有数の花の寺としても知られており、紅白の梅が咲きこぼれていた。


本尊は、「啼(なき)薬師」の別名を持つ薬師如来。

尊像の胎内に、もうひとつの薬師さまの顔が納められた不思議な仏像である。


江戸時代に建てられた茅葺きの庫裡(くり)も堂々たるもので、素晴らしかった。
posted by 城戸朱理 at 09:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする