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城戸朱理のブログ

2020年06月11日

及川俊哉「水熊通信」第一号

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封筒に封入されているのは、A4の紙が2枚。

散文記事一葉と手書きの詩作品のコピーが一葉で構成されている。

それが、及川俊哉氏が5月6日に創刊したばかりの個人通信「水熊通信」だ。



インターネットが当たり前の時代に、あえてアナログな紙片の郵送という形にした理由を、及川氏は「自分のなかで過剰な情報から逃れたい気持ちもあり、皆様とネット上ではない時間を共有したいとの思いもありました」と書いている。

記事は「折口信夫『水の女』を読む」と「菅原道真の漢詩の超訳」で、どちらも興味深いものだが、詩作品はコロナ禍における「現代祝詞」の新作「瀬織津姫大神(せおりつひめのおおかみ)に新型コロナウイルスを息(やす)ませることを冀(こいねが)う詞」で、「水熊通信」は、紙2枚とは思えぬ重みを持っている。


「瀬織津姫大神」は「大祓詞(おおはらえのことば)」に現れる神で、天照大神の荒魂をいい、本居宣長は禍津日神(まがつひのかみ)と同体としたそうだが、「折口信夫『水の女』を読む」とも響き合うように、及川氏の「現代祝詞」が文字以前の言葉の呪力を詩作の場において取り戻そうとする果敢な試みであることには、やはり目を見張るものがある。


「水熊」とは福島の伝説に登場する妖怪で、その正体は巨大なカワウソとのことだが、得体の知れないものを拒絶するのではなく、向かい合うという姿勢は、新型コロナウイルス禍にある世界にとって、今まさに必要な態度なのではないだろうか。

「水熊通信」は、年に三回の発行を目標とし、30部のみの限定刊行。

マンデリシュタームからパウル・ツェランに受け継がれた「投壜通信」の詩学に改めて出会うような思いを抱いた。
posted by 城戸朱理 at 10:42| 詩誌・詩集評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ピンチョスに塩水ウニ?

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それにしても、3月から今に至るまで、飽きずにピンチョスを作っている。

スーパーで買い物をするのは多くても一週間に一度、必然的に刺身などの生鮮食品が食卓に並ぶことが減ったので、かわりにピンチョスを作っているのかも知れない。


5月の連休中のこと。

バンビことパンクな彼女が「盛岡の吉浜食堂には殻ウニがあるんじゃないかな?」と言い出した。

たしかにウニの季節かも知れないと思っていたら、突然、盛岡の工藤玲音さんからクール宅急便が届いた。

なんと吉浜食堂の塩水ウニではないか?!


工藤玲音さんは、短歌甲子園で活躍、高校三年のときに岩手日報随筆賞最優秀賞を受賞したが、その後、エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』が大いに話題になり、二冊目となるエッセイ集『うたうおばけ』が刊行されたばかり。

こちらは出版前に重版が決まるという快挙を成し遂げ、「ポパイ」の「銀河鉄道通勤OL」は好評のうちに連載が終わったが、次は「群像」で連載が始まるという。

何の連絡もなしに塩水ウニを送ってくるとは、やるではないか。


「美味しいうちに食べなくっちゃ!」

バンビは食べる気満々である。


この日の夕食は、ピンチョスとハンバーグのつもりだったが、ピンチョスをひとり四つと少なめにして、生ウニ、ピンチョス、ハンバーグという不思議な取り合わせで日本酒とワインを飲んだ。

吉浜食堂の塩水ウニは、やはり絶品、玲音ちゃん、ありがとう。
posted by 城戸朱理 at 10:08| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「かまくら春秋」50周年記念特大号

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創刊から50周年を迎えた文芸タウン誌「かまくら春秋」が、4月号から3号連続で増ページの記念特大号を刊行している。


4月号は、600号記念特集で、谷川俊太郎さんの巻頭詩「私的な半世紀」から始まる。

「エッセイ・身辺雑記50年」には養老孟司、出久根達郎、山本道子さんらを始めとして、私の友人の藤沢周、新保祐司氏、詩人だと荒川洋治、高橋順子、蜂飼耳さんらが原稿を寄せ、女優の水野真紀さんも。

私も、初めて高徳院の大仏を見た小学生のときの記憶から書き起こした「大仏に想う」を寄稿している。



座談会「俳句を語る」は伊藤玄二郎代表の司会で、黒田杏子、夏井いつきさん、俳人ふたりにカトリック教会の枢機卿、前田万葉さん、三菱商事顧問の古川洽次さんという顔合わせ。


堀口すみれ子さん、三木卓さんの長寿連載も通常通り掲載されている。


かまくら春秋社は、半世紀前に鎌倉文士の長老だった里見クのすすめで伊藤玄二郎さんが設立し、月刊の「かまくら春秋」を始めとして、雑誌や単行本の出版を手がけてきた。

編集部は鶴岡八幡宮の参道である若宮大路に面した四階建てのかまくら春秋スクエアにあり、記録的なベストセラーとなって映画化もされた『天国の本屋』も、かまくら春秋が版元だった。


私も20年来のお付き合いになるが、地元の出版社として、さらに長く続いて欲しいものである。
posted by 城戸朱理 at 09:21| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月10日

京都から取り寄せして~じき宮ざわ「クエの山菜鍋」

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私が行きつけにしている京都の「ごだん宮ざわ」の宮澤政人さんは、スペイン料理に魅了され、毎年、スペインに出かけているほどだが、5月末にスペインからシェフを招き「ごだん宮ざわ」で、スペイン料理の宴を催すことになっていた。

私も予約をしていたのだが、コロナ禍でシェフが来日できなくなり、かわりに宮澤さんの一番弟子で「じき宮ざわ」の料理長、泉貴友さんが、フレンチのシェフを呼び、ミシュラン・シェフふたりの競演という企画にかわったのだが、緊急事態宣言のため、こちらも中止に。


残念に思っていたら、バンビことパンクな彼女が「じき宮ざわ」で通販を始めたというので、さっそく注文してみた。



届いたのは、4月22日。

名物の「焼き胡麻豆腐」と、じゃこを白味噌で炊いた「粒味噌ちりめん」、それに「クエの山菜鍋」である。


「クエの山菜鍋」は、「幻の魚」クエに鶏つくね、花山椒を始めとして白子筍、うるい、わらびと盛りだくさん。

特製の出汁を土鍋にあけて、まずは根菜を入れ、あとは好みの具を煮て食するのだが、山椒出汁の香りが部屋に満ち、京都の気分を味わうことができた。

クエの美味しさは言うまでもないが、鶏つくねも素晴らしい。



「クエはひとり四切れだよ!
鶏つくねは、ひとり三個だからね!」


バンビも、久しぶりの京料理に大喜びしている。


次に京都に行けるのは、いつになるか分からないが、自宅で「じき宮ざわ」のお料理をいただけるのはありがたい。


コロナ禍を忘れて、酒を酌むことができた。
posted by 城戸朱理 at 19:43| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

澁澤龍彦邸の裏山の筍

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4月のこと、澁澤龍子さんから宅急便が届いたので、何かと思ったら見事な筍が入っていた。

さっそく、お礼の電話をしたのだが「家の裏山で掘ったのよ」と龍子さん。


澁澤龍彦さんは、筍を掘るのがお好きだったそうだが、皮付きのまま茹でて皮を剥いてみたら、まるでオブジェのような筍が現れた。

これなら澁澤邸に飾ってあっても似合いそうだ。


穂先は刺身にし、筍ご飯を炊いた。

コロナウイルスのおかげで、澁澤邸でのパーティーも、しばらくは開くことができないが、龍子さんがお元気だったので安心した。
posted by 城戸朱理 at 19:12| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三陸の海産物

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コロナ禍で外出を控え、通販を利用する人が増えたが、わが家でもバンビことパンクな彼女が、ときどき利用している。

4月の始めには、石巻から海産物を取り寄せた。


朝、水揚げされた魚が翌日には届くので、鮮度は抜群にいい。

届いたのは、目鉢鮪、メカジキ、真鱈に水たこだった。


普通、鱈を刺身にすることはないが、鱈特有の臭みがなく、少し水っぽいものの、鯛に似た味わい。

昆布締めにしたら、水分が抜けて、さらに美味しくなった。

生のメカジキも脂が乗っている。


南三陸町で、三陸のタコの美味しさに目覚めたバンビは、今回もタコだけはリクエストしたらしい。


タコをカルパッチョにしたり、鮪とメカジキを漬けにした海鮮丼を作ってくれたが、食卓に変化があるのは嬉しいものだ。
posted by 城戸朱理 at 18:03| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月09日

自宅でスペイン・バル?

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自粛要請で飲食店が閉まり、外食できなくなってから、わが家ではスペインのバル風にピンチョスを作って、スパークリングで家飲みするのが流行っている。


最初に試したのは、バゲットにジャガイモ・茹で玉子・ツナ・アンチョビ・オリーブを乗せた塔のようなピンチョス。

これに新タマネギとピーマンを刻んで、ビネガー、オリーブオイル、塩で和えたレリッシュを添えたのだが、
バンビことパンクな彼女もピンチョスの楽しさに目覚め、週に2、3回はピンチョスで家飲みするようになった。

ピンチョスには微発泡のスパークリングが合う。


ピンチョスが定番化してから、赤と黄のパプリカや茄子を焼いて皮をむき、オリーブオイルに浸けた焼き野菜を常備するようになり、玉子とジャガイモを茹でると準備が終わるようになった。

ピンチョス作りは私の仕事だが、回数を重ねるうちに、赤黄パプリカ・アンチョビ・オリーブやジャガイモ・茹で玉子・ツナ・アンチョビ・オリーブなどが定番となり、レバーペーストとラズベリージャムの組み合わせもよく登場するようになった。


ピンチョスのいいところは、アンチョビやサーディン、アーティチョークなど、瓶詰めや缶詰めを利用して、目にも鮮やかなつまみが手軽に出来ることだが、味覚的にも多彩で飽きない。



ピンチョスのほかに、ミネストローネやシュクメルリ(鶏とニンニクのミルク煮)など、一、二品は作るが、自粛が解除されても、わが家のピンチョス作りは終わりそうにない。
posted by 城戸朱理 at 15:16| 美味しい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

締切が続いて



「現代詩手帖」のコロナ禍特集のエッセイ、10枚を書き上げたあとは、「びーぐる」特集のための長谷川龍生論13枚を執筆したのだが、これは私にとっては現代詩の戦後性を再考する機会になった。

さらに「詩とファンタジー」に依頼された次号特集「愛は食卓にある」の巻頭詩を書く。

編集部から同号特集のため、若い詩人を紹介してほしいと依頼されたので、リストを作って送ったのだが、若い世代に執筆の機会が生まれるとしたら、嬉しいことである。

だが、特集が特集だけに関心がない人もいるだろうし、人選は難しかった。

私のリストから編集部がふたりを選び、依頼したようだが、楽しみだ。



ふと気づくと、この二月ほど、詩誌の依頼が相次ぎ、改めて商業的な詩誌の存在を確認することになった。


4月に創刊された「ココア共和国」の5月号に新作の詩を寄稿し、さらに「抒情文芸」の夏季号に詩を寄せ、「みらいらん」の吉岡実特集のために朝吹亮二さんとメールで対談をして、「現代詩手帖」特集のエッセイを書き、「びーぐる」に長谷川龍生論、そして「詩とファンタジー」 の詩を書いたわけだが、「詩と思想」からも特集座談会の依頼があった。

詩の文芸誌がこれだけあることは意識していなかったが、会員誌としての性格を持つ「詩と思想」以外は、いずれも原稿料が出る商業誌として維持されている。

これは、驚くべきことではないだろうか。
posted by 城戸朱理 at 11:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コロナ禍で変わったこと



リモートワークで在宅している人もいれば、社会を維持するため、通勤して仕事をしている人もいるわけだが、誰であれ、新型コロナウイルスのおかげで生活が一変してしまったというのが現実だろう。


原稿執筆は、もともと自宅でするものだから、私の場合、その点での変化はない。

外出できなくなった分、むしろ原稿が、はかどるようになった気がする。


そして、打ち合わせや講演など、仕事で外出することがなくなったので、スーツを着るということがなくなり、コットンセーターやカットソーなどの部屋着で過ごしている。


最初は、曜日の感覚も曖昧になりかけたが、こういう状況下で生活のリズムが狂うと、精神的にも失調しかねないので、できるだけ決まった時間に起き、決まった時間に寝るように意識するようにした。

それでも、週に1日か2日は、ネット配信の映画に夢中になって、夜更かししてしまうことはあるのだが。



バンビことパンクな彼女の朝は、ヴィヴィアン・ウェストウッドに着替えて、メイクをするところから始まるが、これも生活のリズムを作るためなのだろう。

メイクは目尻を上げた「にゃんこ目」になっていることが多い。



外食することができないので、食事は自炊するしかないわけだが、食事の時間が一日のリズムを作ってくれるのを痛感した。

料理はもっぱら私がしているが、私が執筆に追われているときは、バンビがキッチンに立ってくれるので、わが家では問題はない。

ただ、買い物に頻繁に行くことが出来ないので、あらかじめ何を作るか決めてから買い物をしなければならないし、調理の時間も、それなりに取られる。

必然的に野菜などは加熱してから小分けして冷凍しておくようになった。

ただ、一日三食、毎回、家族の食事を作らなければならない立場の人は、一日中、料理に追われているような気分になってしまうだろうし、SNSで「自炊疲れ」がトレンド入りするのは仕方がないことだと思う。


清潔を意識して、タオル等のリネン類は、毎日、洗濯するので、洗濯の頻度は真夏並みになったが、クリーニングに出す衣類は減った。


それでも、この状況下では、在宅したまま仕事ができるというだけで、恵まれているのだと思う。


だが、社会のすべてが回らなくなっているのだから、私の仕事にも、いずれ少なからぬ影響があるに違いない。



日本政府のコロナ対策は、海外メディアから「驚くほど無能」と揶揄されたほど何ひとつ見るべきところがなく、当然のことながら、内閣支持率は危険水域まで落ち込んでいる。

コロナ禍という災厄があらわにしたものを、忘れないようにしていきたいと切に思っている。
posted by 城戸朱理 at 00:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月04日

コロナ禍の日々



新型コロナウイルスのために自粛生活が続いている。

対面での打ち合わせや会議は、すべてなくなり、大学も遠隔授業なので仕事で外出することがなくなった。

鎌倉の飲食店も、次第に店を開けるところが出てきたが、積極的に外食しようという気にはならない。

執筆には専念できるが、大学の遠隔授業は、あらかじめ講義の概要を書いておいてアップするようにしているので、準備に半日も時間が取られるようになった。



5月30日(土)は「神奈川新聞」に依頼されたエッセイを執筆。

これは神奈川新聞文芸コンクール50周年記念企画の依頼で、テーマは「冒険」。

歴代の審査員がリレー連載するのだが、第一回目となる作家の辻原登さんの原稿は、4月19日に掲載された。

私は6回目で、6月14日の日曜版に掲載される予定。



31日(日)は、共同通信の連載月評「詩はいま」を書いて送った。

今回、取り上げたのは『アンバル・パスト詩集』(細野豊編訳、土曜美術社出版販売)と、たかとう匡子『耳凪ぎ目凪ぎ』(思潮社)。

パストは、私にとっても初めて出会った詩人だが、9世紀にポーランドに王朝を開いたピアスト王の末裔で、アメリカに生まれたが、メキシコの文化に魅せられ、メキシコに帰化、メキシコで長年、暮らしていたが、今はインドのヒマラヤ地方の山中で清貧の暮らしを送っているという。

なんという人生だろう!

叙事詩的な趣さえある作品に感銘を受けた。



そして、6月1日(月)は、岩手日報の投稿欄「日報文芸」の投稿作品を選び、「びーぐる」に依頼された長谷川龍生論を書き始める。



2日(火)は、午前中に「岩手日報」の投稿欄選評2回分を執筆してメールし、入選作を宅急便で手配した。

午後は「現代詩手帖」の特集のためにコロナ禍についての原稿を書いたのだが、夕方には所定の10枚を書き終えることができた。



3日(水)は、「現代詩手帖」の原稿を見直して送り、午後はリモートですることになった岩手日報随筆賞選考会のためにZOOMのテスト。

実はZOOMなどのリモートワークのために新たにパソコンを購入したのだが、結局、いつも使っているiPadでテストした。


「現代詩手帖」の特集原稿は、翌日、見直してから送ったが、コロナ禍の日々が続いている。
posted by 城戸朱理 at 15:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする